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桜人 ―― 源氏異聞  作者: 塔真 光
第8章 かぐや姫
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8-10

 悠斗は、四日まえに桜子と速仁が「エッチ」を連発した鴨川西岸のカフェには入らなかった。そのとき居合わせた男に出くわすことになれば、ばつが悪い。

 出町柳にはもう一軒、悠斗のお気にいりのカフェがある。店内にピアノが置かれ、とくに手作りケーキがおいしい。


 賀茂大橋から歩いて数分のその店のまえに来ると、悠斗は速仁に、

「ここのすぐ近くにある廬山寺は、紫式部の屋敷跡らしいぞ」

と教えた。

 速仁は、なにか不思議なものを見るような目で、あたりを見わたした。

「ふーん、そうなんだ……。おれ、いまは乳母ちゃんと里下がりちゅうで、今日はそこから来て、今夜もそこへ帰る。なにか、奇妙な気分だ」

「宮ちゃんの気持ち、よくわかるわ。私も、悠斗さんと石山寺で出会った日の夜に、廬山寺の門前に来て、同じような心地がしたもの」

 桜子はそう言うと、きまじめな顔で速仁に言葉をついだ。

「ふたつの異なる世界をみられるって、きっと、すごく恵まれたことなんだと私は思う。石山の観音さまに感謝しなきゃね」

「うん、そうだね。――エッ、どうしたの、桜ちゃん!?」

 桜子が、とろけるような笑みをこぼしたのだ。

「だから、石山の観音さまに感謝しながら、おいしいものをいただきましょうよ。わたし、このお店に入るの、はじめて!」


 三人は、小さな笑い声をたてながら店に入り、空いていた大テーブルに席をとった。そして桜子は、ココアとピーチタルトをすぐに選んだ。

「宮ちゃんは、なににする?」

 桜子からたずねられた速仁は、

「さっき言っただろ。もちろん、こうひいだよ」と、

得意げに胸を張をはり、つぎには笑みをうかべた。

「それと、桜ちゃんと同じ、ぴいちたるともお願いしまーす、エヘッ」


 悠斗は、タルト三つとコーヒーをひとつ、それに、

「ココアをふたつお願いします」

と注文した。

 そのとたん、速仁はキョトンとした顔になり、

「ここあって、こうひいより苦くて、おとなむけなのか?」

と、桜子にたずねた。

「ううん、ちがってよ。甘くて、とってもおいしいの。それに、体が温まる」

 ――エェェ、そんなぁぁ!

 速仁が事のなりゆきにあぜんとしていると、悠斗が笑いだした。

「おい一宮、こんどはココアを飲んでみろよ。おれが、おまえのコーヒーを飲むから、……アハハ」

 速仁は、うれしさと気恥ずかしさがない交ぜになった顔で、コクンとうなずいた。


 速仁がココアを一口のみ、パッと輝いた顔を桜子にむけたとき、三田と高田がつれだって店に入ってきた。着替える時間がなかった高田は、上着のボタンをひとつ欠き、スラックスに土ぼこりがうっすらついたままの身なりだった。


「悠斗さん、こんにちは。こんなところでお会いできるとは思いませんでした。相席してよろしいですか?」

 うむを言わせない三田の口調だった。それに、断るのはおとなげないと悠斗は思った。

「はい、べつにかまいませんが……」

 そう返事はしたものの、悠斗には、話しをつぐ言葉が思いうかばなかった。


 三田は、高田を紹介したあとイスに座り、つぎは速仁にむかって、なにくわぬ顔で話しかけた。

「少年陰陽師のコスプレですか?」

 わけがわからずキョトンとする速仁にかわって、悠斗が、

「彼は大学の後輩で、平安文学を勉強してるから、当時の貴族のかっこうをして、肌感覚からも文学を理解しようとしてるんです」

と、言いわけをした。

「ほぉぉ、そうですか。勉強に精がでますね……」


 三田は、顔色ひとつ変えずそう言うと、となりの高田に話しかけた。

「きみも四日まえに、鴨川沿いのべつのカフェで平安装束の若者をふたり見たと言っていましたね……。このあたりは、大学がたくさんあって、勉強熱心な学生が多いらしい」

「あっ、それはきっとおれです」

と、速仁は無頓着に答えた。

 桜子はようやく、高田がコーヒーを服にこぼしてしまった男であることに気づいた。

「そういえばあのときの方ですよね……」

「はい、あらためてお礼をもうしあげるのが遅くなり、もうしわけありません。そのせつは、ありがとうございました」

 高田がふかぶかと桜子に頭を下げているむかいで、悠斗は固まっていた。

 ――アッ、アッ、あの人だ。ど、どうしよう。おれ、この人にぜったい誤解されてる……。


 三田は、めんくらっている悠斗を尻目に、あらためて高田に話しかけた。

「きみが言っていた楽しそうな四人組は、悠斗さんたちだったんだ」

 そして、なにげなさそうな口ぶりで、悠斗とちがって無邪気そうにみえる速仁にたずねた。

「平安装束をしていたというもうひとりの若者も、大学のお友だちなのですか?」

「えぇぇと、正確に言うとちがうのですが、彼も大学に行っていたことがあって、名前は……」

 そう言いかけて、速仁は口を閉ざした。桜子と悠斗が目くばせをしたのだ。桜子が源氏の物語から人物を呼びよせる力を持っていることは、秘密にしておかなければならない。速仁はそれを思いだした。

「え、えぇぇと、名前は……」

源君(みなもとくん)です」

と、悠斗がわってはいり返事をした。

 三田は、ますますさりげなく、

「なるほど、平安文学好きな人間にピッタリの名前ですね」

と応じた。


 三田は、このところの天候不順を話題にしながらコーヒーを飲みおえると、

「それでは、わたしたちはこれで失礼いたします」

と言って、悠斗たちの注文書に手を伸ばした。

「相席させていただいたお礼に、これはこちらで支払っておきます」

 悠斗が断るよりも速く、三田は注文書を手にとった。

 悠斗は、自分とちがってエリートサラリーマン然としている三田の素早さにひけめを感じながらも、できるだけ無表情に、

「ありがとうございます。ごちそうになります」

と頭を下げた。自分が支払うと言いはっても、うまく丸めこまれそうで、かえってみっともない自分を桜子に見られるのが嫌だった。


「またこのあたりで、お目にかかることがあるかと思います。そのときは、平安文学について教えてください」

 三田はそう言うと立ちあがり、高田もあとにつづいた。

 高田は、悠斗に辞儀をしたあと、人のよさそうな顔で話しかけた。

「文学の勉強をがんばってください。おれも、大学では文学専攻だったんですよ」

 悠斗が座ったまま、おもわず口もとをゆるめて辞儀を返すと、高田はテーブル越しに身を乗りだし、悠斗の耳にソッとささやいた。

「エッチな勉強のことは、会長に言いませんから、安心してください」


 悠斗はイスに座ったまま、店を出ていく三田と高田の背中を、呆然と見送った。

「あの高田って人、悠にいちゃんに、なんて言ったのだ?」

 桜子も、同じことを問いたげな目差しを悠斗にむけた。

 悠斗はすぐに返答できなかった。正直に答えることがどうしてもできない。

「文学の勉強だけをしろって……」

 悠斗は、かろうじてそう答えたものの、涙がでそうだった。

 ――オヤジの会社には、ぜったいに入らない! あのふたりといっしょ働くなんて、ぜったいに無理だ!

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