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第一章 断片少年
ズオー、ズオー…
地面を擦るタイヤの音とともに、無数の赤い車燈が通り過ぎてゆく。欄干から身を乗り出し、夜の街を見渡した。街灯の光、信号の光、レジデンス・オレガノの光。目を細めると全ての光がぼうっと広まった。さらに細めると、チラチラ。通りすがりのお姉さんにも褒められたことのある、僕の長い睫毛。どう?まるでサフランの雌蕊のようでしょ。いけね、こういうのナルシストっていうんだよね?僕ね、寒い中、重い重いランドセルを背負って歩いてきたんだ。もうくったくた。もし、ここで死んでしまったらどうしよう。夜景を眺めていると、体全体がジワっとして、もしかしたら死ぬのって気持ちのいいことなのかも知れない、と思ってしまう。仕事を終えたサラリーマンってこんな感じだろうか。大人になった気分でうっとりする僕を、ウナコルダが怪訝な顔で見つめていた。
「のう、胡弓よ。なぜ、そなたのランドセルはそんなにもぱんぱんなのじゃ?」
「夢が詰まっているからさ。」
「重かろ?」
「なんのこれしき。」
マッチョポーズ。
(しーん…)
「ななふしぎ。」
げっ、ウナコルダの禅問答…(彼女はこうやって、唐突に不可解な言葉を投げかけては、人を困らせるのが趣味なんだ。)
「ぐわっ、重っ。」
とりあえず合わせてみる。
「がっこーななふしぎ、ふたばこきゅーのらんどせる。そなたはなぞをせおっています。おもいおもい。」
正解だったのか?
「帰りも遅いことじゃし、わらわと競争せぬか?」
突然ですが僕からも、読者のあなたへクイズ!僕のランドセルは何故ぱんぱん?
**
ごっとごっとごっとごっとごっとごっとごっとごっと…
ランドセルを揺らしながら、僕らは走る。とはいえ音がするのはウナコルダのだけ。そう、ぱんぱんに教科書を詰め込んだ僕のは、音がしないのさ。ここでクイズの答え。正解は”筋力トレーニング”でした!このランドセル、朝は何とかママの目をすり抜けてきたけど、帰ったら叱られるだろうな。結局こういうのって、三日坊主ならぬ、一日坊主で終わっちゃう。おや?足を下ろす毎に、歩道橋が揺れるみたい。楽しそうなウナコルダの声が聞こえて来る。
「ゆれる~ゆれる~」
ああいうウナコルダを見ていると、なんだか僕もワクワクしてきちゃう。もっと足踏みしてやれ!
「あ〜れ〜。」
うふっ。僕が本気で走ったら、ウナコルダ、どんな反応するだろう?よし、歩道橋を降りたら、ブースト全開だ!
(ズトッ。)
**
転んでしまった。うずくまり、出来立てほやほやの傷を見つめる。血が出てる…
「およよ、大丈夫か?」
ごっとごっとごっと
ウナコルダが近づいてくる。ああ、情けない。
「怪我はないかの?」
「大丈夫。擦りむいたけど…」
「ちょっと待っておれ。」
ウナコルダは冷静沈着。ピンクのランドセルから絆創膏を取り出す。
「傷はどこじゃ?」
僕は言われるがまま、ウナコルダに傷を差し出した。ウナコルダの頭が近づいてくる。初めて飲んだ紅茶の一口みたいにウナコルダが染み込んできた。一方、真剣すぎるウナコルダの表情は、何だかわざとらしく、裏で僕をからかっているよう。舐められないように、冷静に振舞わねば。ぺたっ、と傷に貼られたのは、冗談みたいに可愛いうさぎ柄の絆創膏。
「痛くはないか?」
「ありがとう。これ、貰っていいの?」
「あほ。面白いこと言うでない。」
滲みかけた景色の中にウナコルダの顔が浮かぶ。髪の隙間から覗く、ミルクのように白い耳たぶ。ハートのイアリングがちらり…彼女のくちびるが動いた。
「ろいやる・みるく・てぃー。」
ウナコルダのいじわる…
***