どかん
体育をしないときに体育館にいるのは好きではない。
じっと床に座っていなければならないからだ。
特にいやなのは冬。
おしりが冷たいからだ。
でも、今日はちがう。
「おい、ソウタ。おまえ、顔、赤いぞ」
となりでいっしょに体育座りをしているリョウスケが耳うちした。
「カゼか? 熱があるのか? インフルエンザなら、学級閉鎖になるぞ」
うれしそうだ。
「ちがうって」
息がくすぐったくてリョウスケを押したら、近くに立っている先生に見つかった。
「そこふたり、うるさい」
ソウタとリョウスケは首をちぢめた。
ソウタの顔が赤いのも、寒いのに今日はおしりが冷たく感じないのにも理由がある。
ソウタは、座っている床から10メートルぐらい先の壁を見上げた。
学校の長い休みには宿題がある。
ソウタは夏休みは原っぱでつかまえたショウリョウバッタの観察日記を書いた。
でも、残念ながらバッタは休みの間ずっと生きてくれなかったので、本当に生きていた10日間を4倍にして、夏休みじゅう元気だったことにした。
返ってきた日記には先生から、
「バッタが長生きしてよかったですね」
と感想が書いてあった。
水増しがバレていたのかもしれない。
だから今度の冬休みには、ウソも水増しもない、真剣勝負の宿題を出した。
それが、今、体育館のここから見える壁に貼ってあるのだ。
長い夏休みとくらべて、冬休みの宿題は量が少ない。
そして観察日記もしなくていいことになっている。
冬は虫もいないし、アサガオも咲いていないからだ。
だが、かわりに書き初めをしなければならない。
ソウタは習字が苦手だ。
ただでさえ字がうまくないのに、筆を持つと緊張で手がぶるぶる震え、よけいにひどくなる。
おまけに、書く間じゅう、墨汁をこぼさないようにずっと注意を払っていなければならない。
だから、書き初めは夏休みの観察日記よりよっぽどきつかった。
気が遠くなりそうなくらい長く感じた校長先生のあいさつが終わり、教頭先生からマラソン大会の説明があり、児童会の代表が火の用心の紙芝居をし、やっと朝礼は終わった。
「ソウタっ」
立ちあがって、長く座っていて痛くなったおしりをさすりながらリョウスケや他のクラスの男子と話しているソウタを聞き覚えのある声が呼んだ。
ソウタの母だった。
体育館の入り口に立ち、肩で息をしている。
「探したぁ。てっきり教室だと思って行ったら、いないじゃない?」
ソウタはあわてて母のそでを引っぱって体育用具室の前の扉まで連れて行った。
「みんなの前で大きな声出すなよ」
「お母さん、何度も呼んだんだよ。でも、ソウタ、気づかないから」
母はふうふう言いながら片手で顔をあおいでいる。
「でも、間にあってよかった」
コートのポケットからハンカチを取り出して鼻の頭の汗を押さえた。
冬休みが終わって1週間たち、週明けの今日は特別に父兄が朝礼を見に来ていいことになっていた。
「朝、来るって言わなかったじゃない」
「だって、行くって言ったら、アンタ絶対に「来るな」って言いそうだったから」
そう言う母の顔は、みごとにハンカチの形に化粧がとれていて、ソウタは吹き出しそうになった。
「あんたの、どこに飾ってあるの?」
母がもの珍しそうにあたりをきょろきょろ見回すのがはずかしく、ソウタはまた母のそでを引っぱって壁に向かった。
「ほら、あれ」
ソウタはちょっと指さしてから、手を引っこめた。
クラスメートがそばで見ているときに、あまり母にぴったりくっついていたくなかった。
「どこ見てんだよ。あれだよ」
体育館の壁には、全学年全クラスから出された冬休みの作品がすきまがないくらいびっしり貼ってある。
絵や作文、そして書き初め。
字で気づくかな、と思ったが、母は分からないようだ。
たしかに、こんなにたくさんあったら、見つけられるのは書いた本人だけかもしれない。
「どこ? あんた、部屋にこもって書いてるとこ見せてくれなかったから、お母さん、何て書いたか知らないんだってば」
「だから、あれだよ、あれ」
ソウタは今度はしっかりと指さした。
「え、あれがそう?」
母が息を飲んだ。
それは、長い書き初め用紙にひらがなで大きく書いてあった。
ど か ん
母は眉を寄せた。
「あれ、どういう意味?」
「どかん、は……どかん、だよ」
母の眉の間にしわができた。
「「どかん」って、土管の「どかん」? 土に埋まってる?」
「そうかもしれないし、ちがうかもしれない」
「何よ、それ」
ソウタがどう説明しようかと考えていると、ちょうど担任の男の先生が来た。
「ソウタがいつもお世話になっております」
母は鼻の化粧が取れたまま、家にお客さんが来たときみたいなハキハキした声で先生にあいさつした。
「今日は、ソウタが書き初めで賞をいただいたと聞いたので」
「おめでとうございます」
「あらまあ、どうも」
ソウタの先生と母は同時に頭を下げた。
「やったな、金賞!」
「すごいじゃん!」
クラスメートたちがソウタの肩を叩いた。
「勢いある字だもんな」
「漢字じゃなくて、ひらがなで書いたのがいいんだよ」
「カッコイイ、どかーん! って」
「アイデアの勝利だな」
「なんか、いいよね」
「へへへ」
ソウタは気恥ずかしくなって頭をかいた。
真剣に書いたのは本当だ。
しかし、これにはウラがある。
あの日。
冬休みの最後の日に、ソウタは必死に書き初めをやっていた。
しかし、なかなか「これは!」と思える出来にならない。
「初日の出」は「初」の字がむずかしすぎる。
「元旦」は「元」のはねが何度やっても失敗する。
「お正月」は「月」がへにょりとなる。
ウケをねらって「お年玉」と書こうと思ったが、絶対にもう他の男子がやっていると思って、やめた。
もうアイデアがない。
字も全然うまく書けない。
しかも、悪いことに、先生からもらった書き初め用の紙も、失敗ばかりして一枚しか残っていない。
困ったソウタは何気なく窓の外を見た。
道路をはさんだ家の向かいでは、去年の暮れから工事をしていた。
「ソウタ、じゃあ、お母さんはそろそろ仕事に行くから」
先生との話が終わり、写真を何枚か撮ってから母が言った。
「来てくれて、ありがとう」
ソウタは左右を見て、クラスメートが近くにいないのを確かめてから言った。
「先生から聞いたけど、これ、朝礼の後、すぐに取り外しちゃうんだってね」
体育館は午後から授業がある。
だから、ボールがぶつかって破れたりしないように今、ここにあるものはみんな取り外され、元の教室に戻されることになっているのだ。
もちろん、ソウタが書いた「どかん」も。
「見慣れたら、すごくいい字に見えてきたよ」
行く前にもう一枚だけ、と母は写真を撮った。
「最初は、どうしてひらがななんだろうって思ったけど」
窓から工事現場を見たときは、ソウタも漢字で書こうと思っていた。
「土管」と。
「土」も「管」もはねはないし、ほとんどまっすぐな線ばかりだ。
だから、きっと書ける、と。
しかし。
たっぷり墨汁を染ませた大筆を紙に近づけたら、急に怖気づいて字が分からなくなった。
「土かん」の「かん」は
「草かんむり」だっけ?
「竹かんむり」だっけ?
そして、空中で大筆を動かし書くまねをしているうちに、墨が一滴、ぽちりと落ちてしまった。
紙のど真ん中に。
ひらがなで書いたのは、3文字にすれば「どかん」の「か」で墨のしみを隠せると思ったからだ。
それが。
まさかみんなに好評で、賞までとってしまうとは。
「もっと長く展示してくれればいいのにねぇ」
「別にいいよ」
母は残念そうだが、ソウタはそれほど残念だとは思っていない。
なぜなら。
元の教室では、書き初めは賞は関係なく出席番号順に貼られる。
すると、ソウタの「どかん」はヒマリの書き初めのちょうどとなりになるのだ。
ヒマリは、さっき「なんか、いいよね」とソウタの書き初めをほめてくれた女子である。
そして、なぜだか分からないが、その子のことを考えただけでソウタは今以上に赤くなってしまう。
「……どかん」
母が帰り、教室に戻る道すがら、ソウタは小さい声で言ってみた。
書き初めで賞を取ったし、母には喜ばれるし、ほとんど話したことがなかったヒマリまでが声をかけてきたし、きっとこの言葉には魔法の力があるのだろう。
そう思った。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
「どかん!」
ソウタは言った。
ソウタは今、宇宙空間にいる。
「今、何て言った?」
アンディがソウタに聞いた。
アンディは先月この宇宙ステーションに来た新人だ。
「ああ、お前は入ったばかりだから知らないんだな」
ソウタのとなりで計器を調べていたマックスが顔をあげた。
「ドカン! こいつの口ぐせだよ」
「どういう意味だ?」
アンディは興味ぶかそうにメガネをかけた目をきょろきょろさせた。
「意味はない。爆発したときの音だ、どかん、って」
ソウタは握ったこぶしを開いてみせた。
「宇宙空間じゃほとんど音がしないだろ? せっかく爆破したのに静かなのはつまらないから、代わりに爆発音を言うことにしてるんだ」
ソウタは宇宙ステーションで働くエンジニアである。
今、通信衛星の軌道上に入ってきたデブリを爆破し、何千何万の小さなかけらに砕いたところだ。
作業は慎重にしなければならず大変だが、おかげで通信衛星はデブリとの衝突を避けることができた。
「ドカン、は、英語で言うとkaboomか?」
「いや、ちがう」
ソウタは首を振った。
「どうちがうんだ?」
ちょっと考えてから、ソウタはぱっと目を輝かせた。
「そうそう、僕の妻は今、お腹が大きいんだけど、赤ん坊が元気で中からお腹を、どかん、どかん、蹴って大変だって言ってる」
「爆発音だけじゃないんだな」
「そうだよ」
ソウタは笑った。
「いろんな風に使える魔法の言葉なのさ」
赤ん坊と聞いて、マックスが目を細めた。
「そろそろ予定日だったな。ヒマリは元気か?」
「おかげさまで。大事をとってもう病院にいるけど、赤ん坊は僕が帰るまでお腹の中にいてくれそうだって」
ヒマリはソウタの妻の名前だ。
そしてソウタの元・クラスメートでもある。
「まあ、こっちの仕事はオレがちゃんとやるから、安心して地球に戻っていいぜ」
アンディが笑顔でサムズアップした。
ソウタの宇宙ステーションの任期は今日までで、明日からここにいるアンディがソウタの仕事を引き継ぐことになっている。
そして。
ソウタはシャトルで地球に降り、着いたらそのまままっすぐヒマリが待つ病院へ向かう。
生まれる予定の赤ん坊は、ソウタとヒマリの初めての子どもだ。
どんな赤ん坊が生まれてくるのだろう。
そして、自分はどんな父親になるのだろう。
まだ想像がつかない。
しかし、ひとつだけ決めてある。
ヒマリのお腹から赤ん坊が出てきたら、ソウタはその瞬間、魔法の言葉を授けるつもりだ。
どかん!
拙作を読んでくださり、ありがとうございます。
「冬の童話祭2015」に参加表明し、実際に書き始めてから、自分が子供のころほとんど童話らしい童話を読んでこなかったことに気づきました。
ですので、だいたい小学校の中・高学年ぐらいの子が、ふりがな付きで読んだら分かるような話をイメージしてみました。
そして、なぜこれが拙作「ぱぁん」の姉妹編かというと、去年開催された「あなたのSFコンテスト」上のチャットにて「「ぱぁん」の続編に「どかん」を書きます!」と宣言したからです。
もはや誰も覚えていないとは思いますが……(汗)




