第97話:永遠の命
病気が悪化しているのか、抗がん剤のせいなのか、身体を動かすのが苦痛にな
り、だいぶ弱って来ているのが分かりました。
やがて、一人で歩くことも出来なくなり、車椅子に乗り、母に押されて、1日1回、
屋上に造られたガーデンを散歩するのが楽しみとなりました。
病院の屋上の一部を利用して、学校の体育館ほどの広さに造られた散歩道。
外周に胸くらいの高さのフェンスが有り、自分で乗り越えようとでもしない限り、落ち
ないようになっていました。
草花だけでなく、私の足よりも太い樹木も何本も植わっていて、曲がりくねった散歩道
には、木製のベンチがあちらこちらに置いてありました。
よく考えなければ、ここが病院の屋上であることなど忘れてしまうほどリラックスでき
る場所で、入院患者の憩いの場となっていました。
健康なときにここを歩いても、ただ、退屈な場所でしかなかっただろう屋上ガーデン。
でも、造られた物と分かっていても、陽に当たり、風を受け、緑の匂いを感じて、綺麗
に咲く花を見ることができる、今の私が唯一、自然と接することができる場所。
しかし、ここを訪れることのできる時間を、神様はそう長くは与えてはくれませんでした。
ある日、花壇を眺めていると、タンポポの種が風に吹かれて、飛んでゆきました。
「タンポポ って、いいなー。ああやって飛んで行って、別な場所でまた、花を咲かせて、
そして、また、飛んで行って、別な場所で花を咲かせて、終わり無く生きていられる。」
私は、母に呟いたつもりでしたが、傍のベンチに座っていたお腹の大きな30歳くらい
の女性が、私を見て話し始めました。
『人間だって、同じよ。自分たちの身体の細胞で、赤ちゃんが出来て、その赤ちゃんが、
大きくなって、また、自分たちの身体の細胞で、赤ちゃんが出来るじゃない。
私、心臓の病気で、赤ちゃんを産むと死んじゃうかもしれないの。
妊娠してすぐに病気が分かって、主人やお医者さんには止められたんだけど、産むこと
に決めたの。
主人と私の間に神様が与えてくれた尊い命、私が生きたいからって、赤ちゃんを殺すこ
となんてできない。
それに、赤ちゃんは、私の細胞からできているんだ、私の一部でもあるんだって。
だから、私は、赤ちゃんの中でも生き続けるんだって。
そう思うと、死ぬことも怖くなくなって、反対に頑張ろうと思うようになって、
体力つけるように、毎日課題をこなしているの。』
「そうなんですか。大変ですね。でも、その考え方、私、解ります。
私が、もし同じ立場だったら、やっぱり産むと思います。それが母のつとめですよね。
サケのように、命懸けで卵を産む生き物だっているんですから。」
『ありがとう。分かってくれる人がいて、うれしいわ。
永遠の命を手に入れたいなんて、言う人がいるけど、ある意味、人間は、永遠の命を、
手に入れてるんだよね。私の体は、母と父の細胞から出来たものだし、私の中に父と母は
生きている。そして、お腹の赤ちゃんの中には、主人と私が生きているんだって思うの。』
私たちは、すっかり仲良くなり、それから毎日おしゃべりをするようになりました。
(つづく)(登場する人物・団体・場所の名前、名称は架空のものです。)