第66話:戻らない意識
医師が口を開きました。
『命の危険は、もう無いと思います。』
私たちは、スッーと肩の力が抜けて、ほっとしました。
医師は、続けました。
『出来る事はやりましたが、どこまで回復できるかは、本人次第でしょう。
残念ですが、歩けるようになるのは無理だと思います。
ただ、回復次第では、手術を繰り返して、改善していくかもしれません。
このあとは、ICUで、しばらく様子を見るので、
面会の仕方などは、看護師に聞いてください。
このあとも、緊急手術があるので、
詳しい手術の内容などの説明は、夕方4時ではいかがでしょうか?』
「はい、大丈夫です。」
『それでは、すぐに看護師が来ると思いますので。』
「ありがとうございました。」
私たちは、深々と頭を下げました。
命が助かった安堵感と、もう歩く事が出来ないことの絶望感の複雑な心境で、
みんな声が出ませんでした。
お父様が、『良かったじゃないか。命が助かったんだから。
これからの回復は、本人次第だって先生も言ってたし、
隆志の事だから、きっと歩けるようにもなるさ。
今は、命が助かった事を喜ぼうじゃないか。』
と、みんなを励ますように言いました。
お母様は、涙を流しながら、『そうね。そうね。』と、繰り返しました。
私は、何も言えずに、ただ流れ落ちる涙をぬぐっていました。
少しすると、看護師さんが来られて、
ICUの説明をしながら、案内してくれました。
手を消毒をして、白衣を着て部屋に入ると、
奥から2つ目のベットに隆志がいました。
からだには、コードがいくつも繋がれていて、点滴を受けていました。
時折、機械から発する「ピー」という不快な音が鳴り響き、ドキッとしましたが、
看護師さんは、慌てる事も無く気にしていないようなので、大丈夫なんだと安心しました。
隆志は、みんなが心配して覗き込んだりしていることをよそに、
すやすやと眠っていました。
そして、中村さんは仕事に戻ることになりました。
「睡眠もほとんど取ってないのに仕事なんて、大変ですね。」
『管理の仕事なんて、いつもこんな感じだから平気だよ。
それより青山さんの方が、大丈夫なの?
早く帰って休んだほうがいいよ。それじゃー。』
それから、中村さんは、隆志のご両親に挨拶をすると、
病院から出て行きました。
そして、隆志のご両親はホテルを探しに行くと言いましたが、
私は、連絡が取れた方がいいのと、これから何泊するか分からないのでは、
負担も大きいと思い、私のアパートに来て頂きました。
アパートに戻った時には、すっかり夜も明けて、朝陽が射していました。
アパートは2Kで、お母様が長く滞在しても大丈夫なので、隆志の状態が
落ち着くまで一緒に居て頂くことになりました。
お父様は、お仕事もあり、あとで、もう一度面会に行って、
そのまま栃木へ帰ることになりました。
私たちは、お昼過ぎまで休み、2時頃病院へ出かけました。
隆志は、ICUで、まだ眠ったままで、意識は戻っていませんでした。
その後、担当の先生から怪我の状態や、手術内容などの説明がありましたが、
あまりのひどさに私は、言葉がありませんでした。
そう、命が助かった事が、奇跡だったのです。
結局、この日、隆志の意識は戻ることはなく、お父様は、栃木へ帰って行かれました。
私とお母様も、死の不安からは開放されて、徐々に落ち着き、
帰りに買い物をして、夕食を作ることになりました。
色々お話をしていくうちに、案外と気が合う様な気がして、
これから先、一緒に生活していく事での心配が無くなっていきました。
次の日、2人で隆志の所に行きましたが、以前、意識は戻っていませんでした。
そして、次の日も、また、次の日も・・・
先生に相談しても、今は待つしかありませんと言われるだけで、
不安はつのっていきました。
(つづく)(登場する人物・団体・場所の名前、名称は架空のものです。)