第32話:忘れられない記憶
私の乳がんが、見つかる1ヵ月前。
父が、肺がんで死にました。
大好きだった父。
小学生の時から、休みの日には、兄貴と3人で、カートレースに通っていました。
負けず嫌いの私は、兄貴に追いつけ追い越せと、毎週楽しみにしていました。
でも、大学に通うようになり、テニスに夢中になり、好きな人もできて、
父とレースに行く回数が減ってしまいました。
父の体の変化にも、気づいてあげられず、病院に行った時には、もう手遅れでした。
約3ヶ月の入院生活の後、逝ってしまいました。
「人間って、簡単に死んでしまうんだなー。
一生懸命に、何かに向かって頑張っていても、
毎日毎日、嫌な事を我慢して生きていても、
それが報われる日が来る前に、突然死んでしまうかもしれない。
だったら、我慢して、我慢して、毎日辛い日々を送るより、
その日その日を、楽しく過ごした方が、良いんじゃないか。」
でも逆に、
「いつ死ぬか分からない、だからこそ、それを背負って、
一瞬一瞬を無駄にせず将来を夢見て、頑張ったり、我慢したり、
誰かのために辛いことに耐えたりする事が、素晴しい事なんだ。」
とか、思ったり、人生について色々と考えさせられました。
思うことは違っても、家族みんながショックを受けて、
暗い日々が続いていた、ある日のことです。
癌は遺伝するという話をしていた夜に、テレビで乳がんの番組がありました。
そして、発見方法を説明していたので、何となくやってみたら、それらしいものが・・・。
まさかとは思いましたが、不安になり、母に相談して、病院へ行くことになりました。
結果、右胸乳腺に約3センチの癌が見つかりました。
私も、説明を聞いた時は、父のように死ぬのかなと思い、目の前が真っ白になりました。
きっと、母はそれ以上のショックを受けていたのでしょうが、
医師の説明をきちんと聞いて、早く手術しなさいと、
私が悩む中、てきぱきと事を運んでいきました。
その時、私は、大学のテニスサークルに、結婚を約束した彼がいました。
手術をすると、右胸は全摘出手術によって、ペシャンコになり、
乳首も無くなり、約10センチの醜い傷が残ります。
想像しただけで、涙が出てしまいます。
そして、私は、このことを彼に言うべきか、毎日、悩んでいました。
でも、結局、いつか分ってしまう事と割り切って、ある日、彼に話すことにしました。
彼は、戸惑っていたようでしたが、私の命がそれで助かるのならと、
理解してくれて、不安でいっぱいの私を、勇気付けてくれました。
手術後も別れが来ることなど全く考えず、
そのうち結婚できるんだろうなーと、思っていた私。
お見舞いにも、毎日来てくれた彼。
でも、退院後のある日。
手術跡を思い切って見せた時から、彼は次第に変わっていきました。
彼から会おうという回数も減り、私からの誘いも断ることが多くなりました。
そして、ある雨の強い日に、大学の食堂で、新しい彼女を紹介されました。
とても可愛い、胸の大きなスタイルの良い人でした。
「もう、男なんて、好きになるものか!」
以後、胸の傷は、心の傷となり、
4年間の自分自身との葛藤が始まりました。
大学には行きましたが、授業だけ出て、サークルには顔を出しませんでした。
男の人を避けるようになり、ひきこもりぎみになりました。
毎朝、着替えの時には、憂鬱になり、毎夜、お風呂に入ると泣いていました。
そんな時間を過ごしているうちに、「男なんかより、仕事に生きてやる。」
と、気持ちを切り替えて、勉強を一生懸命するようになりました。
その甲斐あって、一流企業に就職が決まりました。
しかし、頑張って仕事をしていた私を待っていたものは、
「セクハラ」そして、退職でした。
(つづく)(登場する人物・団体・場所の名前、名称は架空のものです。)