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天狗  作者: 無依
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第七話 四葉

 山の神。それは偉大なる生態系を維持し、支え、守り抜く偉大なる土地の神。

 狩るもの、狩られるもの、木々、そして土地。いかに小さな命とて、山に守られ、山の一部であることに変わりない。その山の神を守るために存在するアヤカシが存在する。

 天狗――山の守り主たち。群れて山神に従い、ひいては山を守る存在である彼ら。

 ここらの山に存在する山の神の名は道主。その道主が従えるは八の山と八天狗である。その道主から六つ目の山をいただいた、六宮むつみや

 その山は他の宮と異なる点が存在する。大樹だ。六宮が他の宮と大きく異なっている点は想像を絶するほどの大樹が存在しているところだ。どちらかといえば、その大樹を中心として山が繁栄しているといってもいい。

 大樹がそこに全ての生きとし生けるものを支え、支配しているかのように存在している。そして、大いなる存在というものは格が高くなり、神の眷属となるのが条理だ。

「ほほう、なつかしいものじゃの」

 大樹の幹の影から深い緑色の塊が出てきた。否、塊ではない。小さな老人といったところか。恐ろしく長い髪と髭が緑色の塊を思わせる。深く、谷底から反響するような声で老人が声を出した。その老人に答える存在は見えない。

「……お主もか……」

 しかし漆黒の闇が大樹を包み込む。夜闇だった空間に濃厚な闇が舞い降りる。音さえも遮断する深い深い闇だ。

「頼むでな、わしの生き返りとも言うべき存在となろう。わしの老木から新たな芽が芽吹き、そやつがわしくらいに大きゅうなれば、おぬしの力ともなろうて」

 からから笑うように老人は闇を恐れることなく言った。

「……寂しくなるの。もう、この山のはじめを知るは一支とお主だけじゃったと言うに……」

「神と異なりて、わしらの時は進む。同じには生きられんよ。いずれおぬしは独りになろう」

「あとのことはちゃんと六仁に頼んでおいた、安心するがよい」

「どうかのぉ。あやつもまだまだ腕白小僧じゃし……。それにこの宮はちょいと特殊じゃからの……。まぁよい。これからのことはわしには関係ないからのぉ」

「少しは気にしたらどうか。お前の後釜じゃぞ」

「ふぉっふぉ。枯れたらそれまでじゃて。わしは長く生きたからのぉ。わし自身は満足なんじゃが」

「お疲れさん、というべきじゃろうな」

「ふぉっふぉっふぉ、さらば友よ。また会う日まで」

 闇はそのまま尾を引きずるように、徐々に引いていく。闇が引いてそのまま巨木が姿を現す。

 巨木に腰掛けるようにして小さな老人がようやく覗いた朝日を拝んだ。



 天狗の中でも木の葉天狗こっぱてんぐと呼ばれる天狗が存在する。狗賓ぐひんとも、天狗の見習いとも言われ、子供時代の天狗など格の低い天狗の集まりとされる。

 六宮はその木の葉の集まりだ。しかし実際はそうではない。本来はそうだったが歴代の六宮が働き、天狗内での格を高めた。よって宮を任されるほどになったのである。

 実際木の葉天狗はいぬが元となった天狗の集まりとされる。その属性は狗に近い。狗と鳥、それを交えた天狗。それが木の葉天狗だ。

 よって六宮の集団は他の宮と違って上下関係が厳しい。他の宮は宮とその側近以外が等しく平等だが、六宮は違う。

 宮とその側近、その下も細々と位付けが決まっており、側近以外は宮と話すことさえ許されない。よって、宮が住まう場所には現宮・六仁むつひとが認め、許した天狗以外がそばに控えることすらできない。

 それならまだ他の宮でもないこともないが、一番違う点は六仁が認めた、傍に侍ること事を許した側近が二匹しかいないことだ。



 涼しい風がさわやかに吹く宮で似合わない足音が響く。

あおい―」

「しぃっ」

 廊下の角からすっと出てきた黒い影がある。蓬色の髪をゆるく結んでおり、すっと背は高い。だが柔らかな物腰で一見、雄か雌か判断がしにくい。顔つきも穏やかでやさしく垂れた目は笑っている。

よもぎ

「葵は寝ているからね。今、起こすと機嫌が悪くなるよ」

「だって、蓬」

 だだをこねるように言うのは小さな雛といってもいい天狗だ。こちらは蓬と対照的に明るい若草色のはねた髪を後ろで三つ編みにして長く結い、さげている。溌剌そうなかわいらしい雛の天狗は何か怒っていることがあるようだ。

「もう、起きた。まったく、うるさいったらありゃせんわい。お前は」

 角から再び出て来たのは青い狩衣をまとったこの山の守主。

 ――六宮むつみや・宮上、六仁むつひとである。苔色のまっすぐな髪に深い赤い目。瞳はすっと鋭く、口元に笑みが浮かぶことはない。近寄ることを許さないその鋭い気配にもかかわらず側近に許された二匹は怯むことさえない。

「で、なんね。お前。前々から言いよるが、おれはこの山の宮だ。たまには宮さまと呼んだらどうなんね」

「うっせえ。おまえが宮ってたまか」

「おやおや、他の宮を見たことがないくせによう言うわ。のぉ、蓬」

「まぁまぁ。葵、四葉をいじめるのはそれくらいにして。四葉、なにか葵に用があったんじゃないんですか」

 四葉と呼ばれた幼い天狗は蓬に言われて、思いだしたかのように口を開いた。

「そうだ、おまえ。この前助けを求めた、アヤカシを見殺しにしたそうだな。お前それでもこの山の主かよ」

「はっ。知ったことか。おれは弱いアヤカシを守るのが役目と違う。おれの、いや、おれらの役目は山を守ること。勘違いしてるのは、おまえよ、四葉」

「何だよ、それ。この山に居るのは山の一部だろ」

「見解の相違じゃな、力ないものは消えるが条理。おれはそんな奴に力を貸すような真似はしぃひん。そんなにやりたきゃ、おまえ一匹でどうにかせんとなぁ」

 それを聞いた瞬間に四葉が怒鳴る。

「うっせー。おまえそう言いながら、この屋敷から勝手に出て行くこと禁じているじゃねーか。こら、どうやっておれだけで助けんだよ、言ってみろ」

「あー、無理やなー、諦めやー」

 やる気なさそうに呟く。

「こらー」

「はいはい。わめいてろ」

「葵―」

 ぎゃいぎゃいとわめく四葉を置いて六仁は去っていく。四葉は蓬になだめられつつも、青い狩衣を追いかけようともがいた。

「まぁ、四葉。葵とて見捨てたわけではないですよ」

「だって、アイツ死んだ。主だった杉の木が嘆いてたの、おれ聞いた」

 四葉がくやしそうに言う。小さな手を握り締めて、本当にその無念がわかるともいいたげに。生まれたときから四葉は木々と会話することができたのだ。

「四葉。葵は見殺しにしたのではないんですよ、ちゃんと助けに行くように指示は出しました。一歩遅かったみたいなんですね」

「結局、自分で助けに行かなかったなら一緒だ。だって、葵が言わなきゃ、従わない奴だっていっぱいいる。……きっと、おれがいるからだろ」

「四葉…」

 小さな体を思いっきり使って叫んだ。

「おれみたいなひいなが葵のそばに侍るから、不満が募って、こういうことが起きたんだろ。だから、直接助けにいかなきゃ、か弱き存在は消えちまう」

 か細く震えるからだは、本当に悔やんでいるようだ。

「だから、さっさとおれなんか追い出せばいいんだ。葵だってその方がせいせいするに違わねーのに……」

 その言葉は小さくなっていく。蓬は四葉を抱きかかえた。

「四葉が気にすることじゃありません。葵が認めたのが四葉だから、ここにいるべきなんですよ。他がなんと言おうとそれが条理です。……四葉は耳がいいですね。でも、聞きたくないことばかり耳に残すこともないのですよ」

 やさしく蓬が笑う。その胸に抱かれて、安心したかのように四葉は言葉をおさめる。

「そんな汚い言葉ばかり聞いていれば、心痛が増して大きくなれないですよ。早くか弱き者達の力になりたいのなら、早く大きくなって力をつけることですね」

「そしたら、もうちょっと外に出ることも許してくれるかな、葵」

「まぁ、そうでしょうね」

「わかった。……でも、なんでおれ、そと出ちゃ、だめなんだろうなぁ」

 そう言ってすぐさま蓬の腕の中で眠りにつく。すやすやと穏やかな寝息を立て始めた。

「やれやれ、やっと眠りについたか」

「もう、力押しすぎだよ、葵」

 四葉を抱えた蓬が振り返って呆れたように笑う。四葉が興奮したとき、葵はいつも無理やり力を使って寝かしてしまうのだった。葵が申し訳ないような困った笑みを浮かべて頭を軽く掻いた。生まれたときから一緒の蓬にはわかっていることではあるが。

「それに、からかいすぎです。もうちょっと言葉を選べば、四葉とてこんなに興奮しないというのに……」

「おれにゃ、無理や。そういうのは元から向いてねーのよ」

「ふふ。本当は四葉好きなくせに……」

「馬鹿言うな。面倒なだけや、こいつうるせーかんな。ま、餓鬼が泣くのは後味が悪ぃのよ。今回はおれのせいでもあるしな……おれの宮だ。締めるのはおれの役目やろ」

ばさりと青色の狩衣が翻る。

「程ほどにね。じゃないと僕らが恨みを買うんだから。葵は人気だけどね」

「宮やからな、従う気だけはあんねやろ」

 そう言う表情は驚くほど冷たい。

「従う気だけあるなんざ、おれは要らんがな。四葉を寝かしとけ、でいつものようにな」

「わかってる」

 住処の奥に蓬が消えていく。反対に葵は外へ。山を下り、他の天狗の下へと姿を現す。

「宮さま」

「宮さま」

「宮さまが姿を現された」

 ざわつく黒影。天狗ではあるが、翼を持たない木の葉天狗の集まり六宮は、宮を絶対の主とする。

 狗の群れを知っているだろうか。全ての犬は長に絶対的に従う。そして誰もが宮を尊敬し、そばに近づきたいと考えている。

 その尊敬具合は異常なほどだが、それも生前の犬の本能と思えば頷けないものではない。

 ただ、天狗は山を守るためだけに存在するアヤカシだ。だからこそ、犬のように頂点や上を争ったりはしない。そこが天狗としての本能に勝る。

 だからこそ、中途半端な犬の習性が残こり、納得できない位付けには反発する。

「おまえら、おれの命令をきかんかったな」

「宮さま」

 命令を直接下した配下を絶対零度の視線で見下す。

「しかし、あの命はあのひいなのものと聞き及んでおります故」

「だから、何ね」

「ですから……」

「でも命を下したんはおれやったな」

「ひぃ」

 六仁の気配が冷たく、全てを拒絶するかのようなものに変わっていく。殺意こそ混じっていないが、怒りの波長が感じられる。

「従わんならおれの宮にはいらん。よう、覚えておけ、二度目はない」

「はい」

 そうして、一人住処へ帰っていく。六仁は決して己の認めたもの以外が近づく事を許さない。その拒絶は絶対的なものだ。その拒絶が視界に映れない配下にとって屈辱的なものとなるのだ。

 特に、雛としておそらく力が弱いと考えられている四葉が側近に許されている以上は。

 力こそ絶対とする犬の上下関係。その関係を崩したのが四葉だ。だからこそ、憤る。なぜ、か弱きひいなが傍に控えるを許し、我らを許さないのか、と。

 力こそ、絶対摂理。一番の力を持つものが宮となる天狗の理は、六宮とて同じ。だからこそ、力以外のもので判断されることを良しとはしないのだ。

 何故の問いに六仁は答えを与えない。知るのは同じ側近の蓬のみ。



 すやすやと眠りにつく四葉はふいに六宮に異なる気配を感じて目を覚ました。しかしその異なる気配が己の知った存在だったから、跳ね起きて満面の笑みを浮かべた。

「おや、四葉。もういいんですか」

「ああ。な、な、ええよな」

 蓬がにっこり笑う。

「まったく、事前に連絡をくださいとあれほど申し上げましたのに…葵がすでに面会はしているでしょう。いいですよ、準備をしてきなさいな」

「相わかった」

 四葉が跳ねるようにして消えていく。まったく、と蓬は軽く息を吐き出した。と、同時にこの宮の主であるはずの葵とやんやかんやと言い合う声が聞こえてきた。

「本日はどうなさいました、四紋さま」

 山吹色の狩衣をはためかせて、漆黒の翼と共に四宮しのみやの宮、四紋が六宮に降り立つ。

「おおよ、遊びに来てやったん。四葉どこや」

「四葉はおんしの遊び道具とは違うって何回言えば理解すんねん、このド腐れ鳥頭」

 葵がやかましいといった表情を隠すことなく、四紋に怒鳴った。

「いやー、どっかの誰かさんが、いたいけなひいなを監禁していじめとんのと違うかなぁて心配やってん。四葉もおれのこと好いてるし、ええやんな」

「四紋」

 言い争う二匹の宮を裂くように元気な四葉の声が響いた。

「おう、久しいの、四葉」

「葵、ええやろ。約束やもんな」

「おーおー。行ってきたらええわ。おまえがおらんで久々に静かな眠りが得られそうや」

「なんやとー」

 今度は葵と四葉が言い争い始めるが、四葉の身体を背後から四紋が抱き上げることによって口論は収束した。

「じゃ、借りるで」

 ばさり、と羽ばたく音と共に漆黒の翼が風を捉え、その姿を上方に運んでいく。蓬と葵はそれを見送った。葵はこの六宮の宮が住まう住処から四葉を出さない。それには理由があるが理由を知るのは蓬と宮、そして道主のみだ。だからこそ、葵は他の宮が遊びに来た(主に四紋くらいしか来ないが)のときは四葉を外に出すことを許している。

「へ、やっと行ったか」

「葵、せっかく四紋さまがごまかすために連れ立ってくだすったのですから、もう少し感謝しなくては」

「あんな調子もん、あん程度でちょうどええねん」

 常に他を小ばかにした様子を改めることもなく、葵は思い切り伸びを行うと天狗にしては珍しく四つんばいになった。四つんばいになった両腕は犬の名残が戻ったかのように脚と同じ長さになり、鋭い爪が生える。それはちょうど人に似た姿を持つ犬のように。

 木っ端天狗は翼を持たない、異種天狗。その代わりに最速の足を持つ。

「ちょっくら、行く。あとを頼むでな」

「はいはい」

 返事が言い終わる前にその姿は風と共に消え去っている。その名のとおり風となる。しばらく風に身を任せて奔ること、数瞬。周囲が徐々に濃い闇に変じていく。そこは、宮にしか立ち入れぬ場所。すなわち、道主さまのおわす場所ということだ。

「道主様、六仁参りました」

 等しく周囲に広がる闇は限界を知らない。六仁は前足を両腕に変えると居住まいを正した。今まで一度として道主さまの姿を拝見したことはない。きっとこの闇は無限に続き、自分の力が足りないから道主のいる空間にはたどり着けないのだろうと六仁は感じている。

「よう、来た」

「して、本日は何用でしょうか」

「どうじゃ、宮の調子は」

「はい、恙無く」

「それは良きこと。……四葉は元気かの」

「はい、もー、有り余るほどに」

 げんなりした様子で六仁は答える。

「……まだか」

 打って変わって重く訊く道主に六仁もまた、答える。

「まだです。四葉は己の正体を俺ら天狗と思い込んでおります」

「ほうか。……近いうちに七宮で戦が生じる。おそらく、血と穢れに染まった悲惨なものとなろう。荒療治じゃが、それに四葉を連れて行ってはどうかと思うた次第なんじゃが」

 六仁が顔色を変えた。

「お待ちくだされ、それは……四葉をわざわざ血の汚れに触れさせると、仰いますか」

「ほうじゃ」

「……まだ、力がありませぬ。枯れてしまいます」

 声を荒げて六仁が叫ぶ。

「六仁……いや、葵。確かにおんしのやりよることは正しい。長き目で見れば、あれはまだまだ新芽じゃて。しかし、慈しみ、守り育てるだけでは育たぬのじゃよ」

「わかっております。しかし時期尚早ではありませぬか。もしものことがあれば、四葉だけではありませぬ。道主様、六宮とて滅ぶのですよ」

「させぬよ、おんしが居る限り」

「買いかぶりすぎです」

 沈黙が降り立った。

「四葉は普通の樹精ではない。数千のときを数え、その格はわしら神に同等。それだけの力、いつまでもあの紐で抑えきれるものではない。己で制御してもらわねば。そのためには四葉は天狗ではなく、己を樹精と自覚せねばどうにもなるまい」

 そう、葵が四葉を宮以外に出さず、己の配下にも触れさせない理由。決して穢れを負わせぬように。傷一つさせないように。六宮を支えるともいえる巨木。

 巨木の精は長年の年月を生き、時期が来ればその役目を己の生み出した次代の精霊に引き継ぐ。そうして魂に年月と歴史を刻み、力と霊格を高めていく。成長した巨木はその大きさと生きた年月から、すでにただの樹精という問題を超越して、樹神としてもおかしくない、それだけの力と格を備えた。

 だが、生まれ変わったばかりの四葉はその強大な力の使い方を把握していない。危険を伴う存在を導いて、力が使えない間、守り育てるのが代々六宮の役目。

「子供なんです、まだ」

 雛ではない、子供。木の子供なのだ。

「知っておる」

 四葉は力の使い方を知らない未熟な樹精という問題だけではない。己の存在を忘れてしまった、巨木なのだ。



 やはり、空を飛ぶのは気持ちいい。木っ端天狗が嫌いなわけではないが、翼を持てなかったのは残念だ。

 毎回四紋が来るとこうして空駆けをしてもらう。四紋に抱えられて普段目にすることは出来ない六宮を上から見下ろす。六宮の中心に、全ての根幹ともいえる巨木が生えている。あれを見るといつも心がざわつく。

「なぁ、四紋は知ってるか。なんで、あお……ちがった。六仁はおれを住処から出してくれへんのか」

「んー、知っとんで」

 思わず顔を上に向けて、訊く。

「なんで、なんで」

「六仁が黙してんこと、俺がぺらぺらしゃべらなあかんねん。六仁にききや」

「教えてくれへん」

「せやな、おまえももうそろそろやもんな。……簡単に言うとぉ、なんでおまえがその豪勢な紐つけよるかってことが答えかな」

「紐……」

「せや」

 四葉は絶えず、蘇芳色の複雑に組まれた紐を首から掛けている。胸元で四葉を作るような結び目を描いて、両腕に垂れ下がる飾り紐を持ち上げた。これを決して外してはいけないと葵だけでなく、蓬からも言われていた。そういえば考えたことなかった。

「なんでやろ」

「自分で考えや」

 四紋はそういうと、もっと高く飛び上がった。



 その日の六宮は曇天だった。こんな天気が四葉は嫌ではないが、蓬も葵も嫌いというので、おとなしくしているようにしていた。

 葵の機嫌が悪いのも、天気の性かと思っていたが、宮の客間と呼べるような場所(実際は客が来ないのでその用途はない)で蓬と共に控えめな居住まいをしていることから何かが来るのだろうな、とは感じていた。

 別に部屋にこもっていろとはいわれなかったから、四葉は蓬の隣にひっそりと近寄った。

 次の瞬間、六宮がびりりと割れた。割れたように感じた位、なにかとてつもなく“大きな”モノが六宮に入ってきたのだ。四葉は蓬にしがみついて、その軋轢のような感覚をこらえた。

「な、なに……」

「静かに」

 蓬は厳しい顔で上空を見上げた。四葉も釣られて上を見る。すると紅の影がゆるやかに落下してくる。それを追うように橙色の影も。

「邪魔するで、六仁」

 まず、橙色の狩衣を来た、少女がそう言う。蓬はすぐに天狗だとわかった。気配が四紋と同じだからだ。おそらく、橙色の狩衣、八宮。四葉の目線はその小さな八宮の姿を素通りして紅の狩衣を来た、得体の知れない、“大きな”モノの正体を凝視した。不気味な鳥の仮面をつけた何か。

「おーおー、宮ともあろうモンが、そろいも揃っておれの山に何用じゃ」

「此度の戦。六宮にも協力していただきたく、参った」

 紅の存在がそう、発する。

「なんで」

「我ら七宮、数の不利を否めぬ。せやから、各宮に協力を仰いでおる。道主さまも承諾してくださっておる」

 紅の存在はそう言って木の葉を一枚、葵の前に差し出した。

「ふぅん。お前はあれか。道主さまの親書なんぞ持ちさらしてそこまでせぇへんと、鶯に勝てへんのかいな。お前の力不足が原因やろが。なんでぇ、儂がお前に力貸さなぁ、あかんね」

 葵が不機嫌そうな顔で木の葉を力だけで破り捨てる。

「勝てるかどうかが、問題ではない。宮を預かる身として最善の策を採りたい。だから協力を請うておる」

「それが、協力を頼む態度かや。面も見せんと、お前何様のつもりやぞ」

「儂は烏天狗じゃ。烏天狗は仮面を着けるんが当然の礼儀じゃ。お主には礼を尽くさなんでええゆうんか」

 葵は不満げな顔を向ける。

「お前はしらんのか、相手によって態度変えるんは常識やろが。儂にとってはお前の仮面はとても不愉快じゃ。その顔見せてから物頼みぃ」

 紅の存在はそのやり取りでやっと烏天狗というのだと四葉は理解した。確かにあの仮面は怖い。葵の言うことは最もだと思った。

「七矢。六仁はもっと仲間と思ってほしいゆうことじゃ。その仮面は儂らと七宮を隔てているように思えてならんのじゃ。我ら普通の天狗にしてもらえばの」

 八宮が葵の援護射撃のように言葉を添えてくれる。

「わかり申した」

 紅の七宮はそう言うと、頭の後ろに手を伸ばす。濃紺の髪から鮮烈な赤色の結い紐が勢いよく解かれた。

「これで、よかろ」

 四葉ははっとした。白い顔、に美しい顔。憂いを帯びた漆黒の目。これが、山を守護する天狗の中でも夜を司り鳥を象徴する最高の翼を持つ種族。

「それで、ええ。これからはだれもお前が仮面を着けんからゆうて礼を欠いたと思う者はおらん。じゃからその女子みたいな面見せや。八嶋もその方がええやろ」

「ほじゃな」

 八宮が笑う。七宮はばつが悪そうに視線を逸らせた。

「相わかった。六宮は七宮に協力するきに。よろしゅうな」

 二匹は頷くと再び翼を広げて上昇していく。

「なぁなぁ、葵、今ん誰」

 駆け出してそう尋ねる。蓬が笑いながら教えてくれた。

「七宮、宮上・七矢さまと八宮、宮上・八嶋さまですよ」

「どっちも綺麗な方やったな」

「そうですね。実力もすごい方ですよ」

 先ほどの会話を思い出して、四葉はふと疑問に思う。

「そないに強か方が葵に協力して欲しいってことなんなん。戦って何」

 葵は目を背ける。話す気がないようにも思えた。むっとした四葉はしつこいくらいに葵の背を叩く。その行為にうんざりしたらしく、ようやく重い口を開いてくれた。

「戦とは、人間が行う行為や。本来おれらのようなアヤカシは小さな小競り合いはしても戦はしぃひん。戦はすなわち、血を流し、相手を恨んで、穢れを巻き起こす」

 命を奪うのではない。目的もなく、ただ殺し、恨みと穢れを撒き散らす。

「なして、天狗が起こすん」

「……さぁな」

 七矢が何故、戦を起こすほどに鶯という天狗に恨まれたか、そしてアヤカシであるはずの鶯が人間のような行為をしているのかはわからない。あの二匹の間には深い確執があるという。そこまで深い事情には踏み入らないが、道主さまも知っていたとなると、七宮選定の際のこともある。道主さまも一枚かんでいるとみるべきか。

「なぁ、俺も連れてって」

「はぁ。んでや、お前に戦は早い」

「連れてって。俺が強いってわかれば、その……俺がここにいても変やないやろ」

 呟く声はどんどん小さくなる。はっとした蓬を横目でちらりと見る。

(気に食わんなぁ。道主さまの思うとおりになってまうか)

「好きにしぃや。死んでも責任はとらんさかいな」

「やった、わかったよ」

 飛び跳ねて奥へ消えていく四葉を蓬は止めかねて、四葉が消えた瞬間に葵に責め寄る。

「どういうこと、葵。四葉を六宮外、いや、それも戦場に連れ出すなんて」

「おれかて、嫌やで。でも道主さまのお考えなん。おいそれとおれがどうこうできる問題やない。……それに紐で抑えるんも限界やろ。そろそろ理解してもええのんと違うか」

「道主さまが……四葉を天狗から樹精の身に戻すと仰る」

「せや。まぁ、安心しや。結果がどう転ぼうと、次の戦、四葉だけは守る。おれが全力を掛けて。それに戦は絶対に七矢が勝つに決もうとる」

 葵はそう言って鼻を鳴らした。

「なんで」

「七矢は一支さま以外を召喚しとった。あの三由も来るし、なにより、七矢も策を用いておった。最強戦力やで……負けるはず、あらへん」



「うぐっ」

 四葉は口を押さえて、幹に寄りかかった。近くに頼れる葵はいない。それだけじゃない。気持ち悪い。気持ち悪すぎてどうにかなってしまいそうだ。……これが穢れ。

 戦は緊張した雰囲気のまま始まった。四葉でも感じられるほど、巨大な力を注いで作られた七宮全体を守護する結界に何かが激突し、七宮が大きく揺れる。その瞬間に葵が低く唸った。戦闘をするために葵が身を低くする。

 はっとそれを見た次の瞬間に色とりどりの狩衣が翻る音が聞こえた気がした。力が強いアヤカシの姿が色の軌跡を描いて戦っているさまが四葉には手に取るようにわかるのだった。

 しかし、いざ、戦おうとした時、四葉はその術を持たない自分に気づく。否、攻撃手段も防衛手段も知っている。だけど、身体が動かない。動けない。心の底から戦いを否定する自分がいる。

「四葉」

 見知った気配を感じてようやく四葉は安堵した。さすが宮なだけあって葵は戦場にいても清浄なままだった。七宮に居座る穢れもいずれ消されよう。

「こっち来や」

 おとなしく葵に抱かれるに任せる。葵から出る清浄な気に包まれてなければ気が狂ってしまいそうだ。

「おとなしくしや。これから七矢が戦場に出るさかい」

 返事をする気力さえなく、四葉は上空に浮かぶ紅の一点をぼぉっと眺めた。あの日、六宮に来たときと同じく強大な力を持つ天狗。しかし同等の力を持つ穢れを持った何かが七矢の前に同じようにして浮かんでいた。声は届かないが戦う前の気配が伝わってきた。

 しばらくのにらみ合いの後に、激しい衝撃が来る。葵が身体をはって守ってくれなければ、四葉など吹き飛ばされていただろう。しばらく嵐のような戦いが続いた。

「いつまで、続くん」

「なんや、怖いか。六宮に帰りとぉて泣き出してんか」

 軽口を叩く葵に答えることもできない。

「まぁ、待ちよれ。もうすぐじゃろうて」

 葵がそういった瞬間、上空で変化が生じた。

「ぐ」

 紅の狩衣が漆黒に変じていく。そして次の瞬間に漆黒の髪がなびき、最初に四葉が見たような仮面が七矢と、そして相手の顔にも現れた。

 ――ずん。ビリビリと大気が震え、重しを乗せられたように動きが制限される。

「がっ」

「なんや」

 葵が驚いて嘔吐を始めた四葉をなでる。

「チガウ」

 ――あれは、違う。四葉は唐突に感じ取った。漆黒の翼。放たれる力とそれを増強させる攻撃。何よりも、攻撃を、戦いを厭わない、その性質。

「そうか……忘れとった」

 抱きかかえられている四葉は抱きしめている葵が複雑な顔をしていることを知らない。

「おれ、天狗と違うんやな。翼があらへんのは、木っ端天狗やからと思うとった。せやけど、おれには葵みたいな足もない。おれは、戦うことが出来ひん」

 葵は少し寂しそうに微笑み、軽く頷いた。

「それでええ。樹は戦わん。せやから、それを守るためにおれら天狗がおるんや」

 最初から四葉が正体に気づくとわかっていたような顔だ。

「せやから、葵と蓬はおれを隠して、守ってくれてたんな」

 びちゃと上から赤い液体が降り注ぐ。葵は先ほど言った言葉に嘘がないことを体現するかのように青い狩衣を四葉にかざし、穢れと血から四葉をかばった。

「紅は穢れを身に纏う、戦場の先駆者」

 どんどん記憶が紐解かれる。その記憶を培ったのは、四葉ではない。先代であり、その前であり、長く、己の正体とも言うべき、六宮の巨木が形成した記憶だ。

「青は雨の象徴。樹を育てる恵みの雨。それが六宮の役目やった」

「……」

 葵は何も言わず、四葉の行動を眺めていた。

「ほんに、思い出したんなら、もうお前は四葉と違うな。こいからは……よ……」

 巨木に引き継がれる名前を葵は言おうとしたのを四葉は制した。

「おれは四葉や。これからも、葵がつけてくれた、天狗として四葉でええねん」

 葵が目を見開く。

「……そいが、おまえの答えか」

「せや。おれはこれからもおまえの天狗や」

「ほうか」

 そのあと四葉が見たのは滅多に見ることが出来ない、葵の笑い顔だった。



「これ、四葉」

 蓬が怒って立ちふさがる。

「なんで、ええやろ。今日は七矢が遊びに来てくれるんと違うんか」

「まったく、他の宮にまで迷惑を掛けて……」

 正確に言うと七矢が遊びに来てくれるのではなく、七矢を遊びに来させているのだ。四葉が無理やり。

「ええんと違うか。おまえがおったらうるそうてかなわんわ」

「言ったな」

「おー、ゆうたわ。はよ、小鳥と遊んできぃや」

 片手を振って四葉を追い出す。もう、葵は四葉を住処に閉じ込めたりはしない。四葉は少しずつだが己の力を扱い慣れてきている。ならば閉じ込めるいわれもない。

「まったく……」

 蓬が苦笑いをした。あの奔放さに七矢も手を焼くだろう。まぁ、四紋もいるから大丈夫だとは思うが。

「よかったの、四葉をあのままにしても」

「ええねやろ。道主さまも何も仰らんしな。何より、四葉が天狗でいたいって言うねや。そのままにしといた方が説明が楽でええやろ」

「そうだね。そういう生き方があってもいいかもね」

「ほやほや」

 二匹はそう言って笑う。

 薫風が二人の間を駆け抜ける。ここは六宮。巨木に支えられ、巨木を守る、巨木と命運を共にする、山。



 第七話 「四葉」終.




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