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天狗  作者: 無依
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第十話 一支 前編

 無事に通り抜けられれば、それは大いなる試練を果たしたことなり、その本質を天狗に変えると言う―修験道。そのものはいつできたのだろうか。いつ、噂になるようになったのだろうか。


 冬宮――それは一宮の別称である。誰もが侵すことのできない静寂の山。痛いほどの静けさと、何もかもが眠るような寂しさを兼ね備えた、山としては貧相な様。誰がそう呼ぶようになり、いつからその山がそうなる様に変わっていったか。知る者はおそらく一人きり。

「宮さま、何をなさっておいでですか」

 配下の若い天狗が問う。問われたのは、もう老齢な天狗であった。髪は白く、昔はそれこそ草原の力強く立つ草のように多かったであろう髪も少なく、力ない。髭を蓄え、威厳のあるりりしい眉。風にあおられる狩衣の色は深い紫―。

 ――一宮いちのみや、宮上・一支かずしさま。

 長寿であるアヤカシの類の中でも類を見ぬほどの長寿の天狗である。そう、一宮だけは宮として起ったそのときより宮の交代がなされていないと言われている。他の宮がもう何代も時を重ねたのに対し、一宮のみが一支のまま変わっていない。

 というか他の宮が代替わりした一宮の他の宮を見たことがない。それを不思議とは思っても、実際に一支のどっしりした構えを見せつけられてしまえばそういうものなのであろう、と納得してしまう何かが存在していた。

「しまいじゃ」

「なにが、ですかや」

「……しまいじゃよ」

 その問いの答えを返すことはないが、厳格な天狗が心から微笑んでいる様を、その天狗は初めて見たのだった。



 現在は、道主どうしゅと天狗たちによばれている山神が治める山々を八つの天狗の集団がそれぞれ分け合い、代わりに治めている。その集団一つをみやと呼び、その宮の頂点に立つ、集団のまとめ役のことをまた、宮と呼ぶ。

 最初に道主によって山を分け与えられたとされるのが、一宮。一支が治める、静かな山である。天狗の集団にしては数少ないのが特徴で、静かにつつましくそれは冬の空気のように誰も寄せ付けず、拒む気質を持った山。だからこその冬宮である。

 二番目に山を与えられたとれされるのは人が修験道を通って変質した白天狗の集まり、二宮にのみや。現宮は二刃。優しく穏やかな微笑を絶やさない元人間。

 三番目は場所的に冬宮の隣にあり、春の到来を告げるかのような穏やかな宮、三宮さんのみや。別名春宮。強大な力を持つ三由が逝った今、その宮を治めるのはまだ幼いといえる三虫。

 四番目は若々しく活気のある若い天狗、四練が治める四宮しのみや。その力強さ、明るさから夏宮と呼ばれる。

 五番目は本性は狐、その姿は妖艶。尼天狗の集団、五宮いつみや。同じ女でも狂わすほどの色香を振りまく現宮は五生。

 六番目は狗が修験道を通った後に生まれる木の葉天狗の集団、六宮むつみや。頑迷なほどにまっすぐな現宮、六仁。

 七番目は鳥が修験道を通った後に生じる、夜の眷属である烏天狗の集団、七宮ななみや。現宮は最強と名高い七矢。仮面をつけるその性質から他の宮に受け入れられがたい集団でもある。

 最後は八宮はちみや。現宮は八嶋。紅葉の美しい、しかしその美しさが逆に哀しくなるような宮。別名秋宮。

 一支は、宮でありながら一支という号しか持っていない。いや、正確には一支、という名前そのまま宮となったのだ。冠名、号ともいうが、これらは宮となった一族の長となる天狗が道主さまから頂く宮としての名のことだ。冠名を頂いた天狗は、本来の名前で呼ばれる事はなくなる。それは、名前を忘れさられたかのように。冠名がいつしか真名のように変じてしまうのだろう。

 そう考えると、自分は名前を忘れずに、誰もが皆そう認識して居ることが幸せな事なのだろうと、一支は思うのだ。



 一支はそんな現状を確認して微笑む。そう、あれは誰ももう覚えていない、誰も知らない、天狗たちの始まりのお話。



 声が聞こえたのである。それは水底から響くように、森の深奥から木霊するように深く、重い声だった。でも、どこか楽しげで明るい口調でもあった。水で遊ぶ乙女のようでいて、言霊を呟く巫女のような厳格な声。

 そして目を開けたときに見える姿はなく、はて、と思ったものだった。

「そう、名じゃ」

「名……」

「生まれついたからには名をつけねばならぬの」

 ふむ、と悩む感じがする。己を視界を開いて、手のひらを閉じたり開けたりを繰り返して身体と言う器を実感する。自分が何か、そして何のために生まれたのか、そんなことすら疑問に思わない“誕生”という儀式。

「一支。うむ、一支にしよう」

「……かずし」

 そなたは一支じゃ、とうれしげに言う存在。まぶしくて、目を開けたという感覚すらつかめない。かずし……と疑問を浮かべ、それが発せられて、初めて己の口を自覚する。

「そう、名前じゃ。おんしを表す言葉じゃ」

「……あんたはなんね」

「我か」

 目の前の存在はやっと自覚した目でみることができた。黒い髪をなびかせ、ほのかに赤い目をした何か。

「ふむ……そちら専用の名が我も欲しいの……そうよ、道の主……どうしゅと呼びや」

「どうしゅ、か」

「ほやほや」

 深い森。木々の囁きや話声、それに宿る何かそういうものが一気に耳に入るが何よりも目の前の道主という存在が一支には気になった。なんだろう、この形。そして自分の形を見比べる。自分とは気配が違う気がするのに、目の前の道主は同じ型をしている。

「あんたはなんだ。そしておれはなんだ」

「おおっと、しもうたわい。それを刷り込みし忘れた」

 目の前の何かは頭を軽く掻いて口をゆがめた。それが笑顔と知ったのはけっこう後なのだが。道主の指が一支の額に触れ、その瞬間に多くの情報が流れ込んできた。

「……天狗」

「ほや。我、この山に独りきりなん。さみしゅうての。ほしたら友が面白ぉ輩と戯れよるのを見てなぁ……ええなぁと思うた次第よ」

 道主と名乗った者が実は山の神であり、神の中ではそこそこ偉いらしいこと、友とは人間達が呼ぶ他の土地での神であるとか、自分を天狗の知識そのままに山の気から作った、自分は山を守護し、山の為に生きることなどがざーっと理解できた。そしてこれらの姿が人に似ていることも。おそらく神に似た人に似せて作ったのだろう。

「道主さま」

「おや、知識を与えすぎたかの。我はおんしを僕にしようと思うたわけではないんえ」

「承知しておりますれば。しかし、儂と道主さまの事を考えればこれが妥当でありやしょう。親しき仲にも礼儀ありですわ」

「ほうか」

 道主さまは急にかしこまった様子の一支に不安に思ったようだが、別にいい事にしたらしい。親しい友人の様な主と僕の様なそんな生活が続き、ある時、道主さまと一支が同時に思ったことがある。

 道主は山の気から自分を作った。この広大な山ならもう一匹位は可能なのではないか、と。そうして、一匹、一匹と天狗の仲間は増えていった。天狗である一支を中心に、道主さまを支える八人の天狗たち。

 その幸せな日々が永遠に続くと、誰もが疑っていなかった。



 あれから何年か分からないが、そう人間ですれば数百年ほど経っていたと思う。その頃には道主さまは一支だけではなく、仲間の天狗を増やしていた。道主さまは一支を自分の一部と山の気から創ったという。

 いつしか二人では満足できなくなり、初めは姿の似た人の子を攫って創ってみた。最初は本当に鳥の雛のように何もろくに出来なかったくせに一丁前に立派なそれこそ一支より自由奔放な若い雄の天狗が出来た。

 そいつに道主さまは二番目に創ったから二菜になと名付けた。元が人間のせいか、一支では考えられないようなことをよくやり、それが新鮮でもありひやひやもする天狗だった。

 後の天狗が用いる術と呼ばれるものはすべてその構成のこんな根幹を練ったのはこの天狗だ。

 そして二菜の勧めもあって道主はまた違う人間の子供を攫い、今度は草の芽や花を混ぜて木々に近づいた三番目の天狗を作った。

 三伽みつかと名付けられた雄の天狗は二菜とは違い、穏やかで優しく草木と戯れるのを好む天狗に育った。

 これを混ぜた物のせいかと考えた一支と二菜は夏の日差しと熱い夜を混ぜて天狗を創った。これまた生まれた天狗はどちらかと言うと二菜の情熱と夏の活発さを活かしたような元気な天狗が生まれた。

 永遠に子供の様なその若い雄の天狗は皆に山に元気を振りまいた。それゆえ四嬉しきと名付けられた。

 そうして四匹の天狗が生まれ集い、道主さまを慕って日々を山と共に過ごした。ある時、二菜は生き物には雄雌があると気付いた。天狗にも雌が必要であろう。そうして人間の女の子とたまたまいた女狐を混ぜて初めて雌の天狗を作った。

 五女いつめと名付けた女天狗は日を重ねるごとに美しく妖艶に育ったが四嬉が面倒を見たせいか、ずいぶん女とはかけ離れた活発な天狗に育った。

 生まれた天狗達で話し合い、次は人間の子を混ぜずに創ってみてはという話になった。山の気を十分に受け持つ天狗の中の天狗を作ろうとしたのだが、元になる動物が必要と言うことで、狗にしたのだ。

 なぜなら狗は木の下を守るのに最適だろうということで。そうして狼と十分に力を持つ樹を混ぜて創られた。しかしその天狗は生まれてからもしばらく小さく、育つことがなかった。

 実はそれは樹の成長のゆっくり差を考えなかったせいなのだが、初めて天狗とかけ離れた者が出来た。

 そこで天狗を作る気だったし、考えや性質は天狗そのものなのだから天狗の仲間と言うことで木の葉天狗こっぱてんぐというものにした。

 彼は優しく上のものに敬意を払う天狗に育ち、誰よりも山の、土や樹、風など当たり前にあるものに対して詳しい天狗となった。名を六実むつみと名付けた。

 主に二菜が中心となって六実のことをよく考え、今度は夜の山を守護する天狗を作ろうという話になった。

 夜動き回る動物をもとに作ろうと考えられたのだが、もともと天狗はアヤカシ。昼夜関係ない生き物である。

 そこであまりその点は考慮されず、ただ黒い闇が似合う生き物として烏と梟と山の夜の気を混ぜて創られた。

 すると誰よりも大きな翼を持ち、誰よりも優れた飛行能力を持った天狗が生まれた。そして夜の活動性も一番の天狗だった。ゆえに七夜ななやと名付けられた。

 きっと夜に生まれ、夜を生きるに相応しい天狗だったのだろう。それは鳥の性質と見事に相反した。

 七夜が生まれて少し経ち、道主さまはもう一匹天狗を作った。黄昏の山に相応しい秋の山々に似合う天狗を。八重やえと名づけられた。

 八重は意図などしなかったのだが、初めての雌の天狗だった。五女のときは雌の天狗を作ろうとして生まれた。しかし八重は秋の紅葉に似合う美しい娘に育った。

 八重が生まれて育ち、気づけば天狗は八匹まで増えた。広大な道主さまの山々を平等に分け、守護し、山々と共に駆け抜けた。

 そうして八重もがすくすくと育ち仲良くずっと永遠にこうして山々と共に生きていくのだと思った。



「なんか、変な感じがする、そう感じますねん」

 雌の天狗、名を八重という。いつものように広大な山を守護していた頃、ある個所から嫌な感じがするのだと、そう言ったのだ。

「それでついて行ってどない思うたんや、七夜」

「おれも変に思うた。というか……あれは自然なものやなかろう。故意に変なもんがやりよったに違いないと思う」

 小柄だが、その愛らしい顔を歪めて若い雄の天狗が呟いた。

「あたしも一緒に行ったんやけど、あれは嫌な感じやった。とりあえず浄化はしたんやけどな」

 七夜と同じ位の背格好をした雌の天狗が頷く。

「お前もか、五女」

 道主は首をかしげる。自分たちの住処である山のある場所で、嫌な気が生じた。とりあえず滅しはしたが、気になるという。

 この頃、天狗だけではなく、様々な妖怪が生まれては滅びという繰り返しが続いていた。それも人間が増えたが故に、妖怪を育てる『物語』と『恐怖』が生じているからだった。

 しかし人間の住む場所より遠くはなれるこの山ではそんなことはまったく知らないもので、天狗たちは他の妖怪という存在を考えていなかったのである。後に山を飛び出て、好奇心を満たした二菜によって他のアヤカシの存在が知れ渡ることになるのだが、それはまた別の話。

「ふむ。では入ってこないようにしたらよかろ」

 道主はそう呟いて、四角い箱のような何かで山を覆った。これが、宮の張る結界の元となった行為だ。



 ――八匹の天狗と一人の神で、隔絶された世界の中、永遠に過ごす山の中。

 だが、永遠を得ることができるのは、神だけ――。永遠にはいつか終わりが来るのが常。

 あるとき、外の世界が見たいといって二菜は山をふらり出て行った。特に誰も咎めることなく飽きればいつか帰ってくると思い、他の天狗がそれを気軽に送り出した。

 二菜は五女を連れてしばらく帰ってこなかった。帰ってきた二菜と五女はそれは面白おかしく外の世界を語ってくれた。ただ、二匹には思うことがあったようだ。

「道主様、なぜわいらには子供がおらんのやろ」

 外の世界の生き物はすべて雄と雌がいて、番い、そして子を成し、子孫をつなげていくのだ。しかし我ら天狗はそれをしない。そしてただ時を過ごす。そう、永遠の概念をなんとなく理解し、そして山という隔絶された世界の終焉を不安に思ったのだ。

「必要ないからと違うか」

 天狗は道主によって生み出される存在。子孫を残すようなものではないのだ。

「まぁ、できん事はない思うが……いろんな生き物を混ぜたさかいな……」

 道主はそう言って悩む。

「やってみてもええかな。わいと五女なら人間が使われとるさかい、上手くいく思うんやわ」

「まぁ、だめゆうてもやりたいんやろ、おまえ」

「おう」

 そう言って二匹は他の天狗と距離を取った。二匹だけで親密な時間を過ごし、他の侵入を嫌った。その果てに二匹は無事に子供を儲けた。そうなって初めて二匹は皆の下に戻ってきた。一匹の雛を連れて。

「わいらの子や。道主さま、名をつけてくださいな」

 幸せそうに微笑む二匹は立派に夫婦になっていた。他の天狗には、明らかに違う一線を二匹の間に持っている。これが交わるということなのか、家族という特別な絆を持った結果なのかそのとき一支にはよくわかっていなかった。ただ仲間が増えたことを喜ばしく思ったくらいだ。

九威くいにしよか。どうや」

「ええわ。いい名前。ありがとうございます、道主さま」

 ――これが、山に生じた変化がわかりやすく現れた形だったと、今になれば思う。

 雛の世話は二匹だけではなく全員で行った。道主さまによって生まれず、天狗同士の間に生まれたこの天狗は、道主さまによる刷り込みがないためか、天狗という己の存在をよくわかっていないようだ。

 それでも皆に育てられ皆のありようを見て天狗について理解をしてきた頃、七夜と八重の間に子供が出来た。雌のかわいらしい小さな雛を道主さまは十和とわと名づけた。

 九威は父親によく似て、山の外を知りたがった。好奇心旺盛で、いつも何かしらを不思議に思っているようだった。そして、十和は優しく、山に住むほかの生き物に優しさを持って接する天狗に育った。表面を見れば、他の事に興味を持つ元気な雛だが、裏を返せば山を一番に考える天狗の本分に悖る天狗に育ったとも言えた。

 この二匹は同じ頃に生まれ、同じ頃の年頃ゆえかいつも一緒におり、二匹の行動を好んだ。そして父と同じように、あるとき二匹で山の外へと旅立っていった。

「そんなに外の世界はおもろいかなぁ」

 道主さまが呟く。天狗を生む前、外の世界を眺めたが、そこまで興味をひくものはなく、というか長く興味を覚えるものが無く、道主は天狗を作り、山に籠ったのだが。二菜と五女が出かけたときより長く、他の天狗らが長いと感じるほどに二匹は帰ってこなかった。

「さみしいですかな」

 この頃、一支たちは姿形が定まり、己の山での位置を自覚し、それに慣れていた。道主さまに一番近いのは一支。道主さまを支えるのは一支であり、会話をするのも一支が多かった。

「そやなぁ」

 呟く道主。

「おりますゆえ」

「ん、なんね」

 寂しい山の神。山に一人きり。他の生き物は決して神と交わることが出来ないから、寂しさゆえに己と触れ合う存在を。きっと天狗はそういうことなのだ。

「儂だけはそばにおりますゆえ。道主さまがうっとおしいと思うくらい、そばに」

「ふふ。そりゃ面倒そうなこっちゃ」

「はい」

 一支も、もう道主さまから言われることだけを鵜呑みにする存在ではなくなった。二菜と五女が山を出て、雛を生み、そして七夜と八重も雛を生んだ。だから一支も一人で山を出た。ぽつぽつと他の天狗も外を見るようになった。

 興味が誰しもあったのだろう。だが、皆数日で戻る。数日の短い期間だったが、そうして気づいた事とわかったことが、おそらく皆ある。きっと九威と十和はそれに気づいてしまったのだ。

 生き物が当たり前に行っている子孫を産み育て、世代を重ねていって作り上げていく不変の営み。しかし自分たち天狗にはそれがない。雄と雌がいて、しかし交わらなければそういう目線で物事を捉えることをせず、道主様の為に群れる天狗というモノ。生き物としてそれがおかしいと、気づいてしまったのだろう。

 もしかしたら、わかってしまったのかもしれない。道主さまが成したことを。

 一支は気づいた。しかし、それは胸のうちに秘めている。道主さまがどうしてそうしたかをわかってしまったから。だから――。

「そばにおりますゆえ」

 そのためには、何事も厭わないと、心に誓うほどに。



 かなり長い時間、九威と十和は山を空けていた。ようやく帰ってきたとき、二匹の間には二匹の雛がいた。その生誕を山の皆は喜んだ。しかし、九威は雛を皆と育てる気はないようだった。道主さまに山の一角を借り、二匹で育てるとそう言ったのだった。

 道主さまは許したが、一支はそれに違う空気を感じずにはいられなかった。ゆえに、しばらくしてから二匹の元へと飛んだ。

「旅はどうやった」

 一支の言葉に十和は微笑んだ。

「はい、充実したものでした。おかげで私達にも子が生まれましたし」

「子を成したときくらい、帰ってくればよかったものを」

 そう言うと、九威が首を振った。

「なにをされるかわかったものではないから、帰らずにいたのです。というか……今回帰ったのも、挨拶をするためです」

 住処というには二匹の暮らす場所は閑散としていた。

「どういう意味かや」

「……雛がある程度育ってからでないと、刷り込みされると思うたのです」

「……刷り込みとな」

「一支さまはお気づきではないと思いますが……我らが『天狗』だと刷り込みされると思うたのです。ゆえにそうされないようここまで我らだけで育てたのです」

 一支はわずかに顔をしかめた。十和の方を向く。十和も視線を逸らせた。夫婦同じに思っているということだ。

「我らは最初、興味本位だったのです。山の外の世界が見たいと、そう感じて旅に出ました。最初は父上や母上と同じくらい旅をしてそれで土産話を咲かせる位になったら帰ろうと思っておったのです。でも、我らは見てしもうたのです……天狗を」

 どう理解して貰おうかと、ゆっくり話す九威に一支は一度、空を仰いだ。

「ほいで」

「我らは本物の天狗に会いました。……我らのような『天狗に似た何か』ではなく、本物に。天狗は確かに山に篭って集団で暮らしとります。でも、子も居れば孫まで居り、子を成して世代を重ねて生きていきます。そして数を増やしていくのです。天狗だけじゃないのですよ。人も鳥も犬も、何もかもそうやって生きているのです。では、我らは何ですか。最初から形が決まっており、永遠に歳を重ねることもなく、子を成さず、道主さまの周りに群れるだけの存在である我らは……なんですか」

 自分が生まれて、そして言われた言葉。

「『天狗』よ」

 九威はそれは違うと、言おうとしてそしてふいに黙り込んだ。一支の目を見て、悟った。

「……一支さまは、ご存知やったんですね」

「……」

 一支は何も言わない。元々一支ははじめての存在。道主さまもうまく刷り込みしなかったのかもしれない。だから山を出ずとも、ちゃんと考えればわかること。

 ――道主さまに作られた存在である我々は……天狗と呼ばれるアヤカシとは違うこと。

「それが、あなたの答えなら……我らはあなたとは分かつことになる」

 道主さまがいつ生まれ、いつこの地に住まい、自我を持たれたか、そんなことは一支には関係ない。

 ただ、道主さまは独りで、寂しくて。この地に住まうすべての生き物が自分の存在をなんとなく知り、敬い、子孫を育み、生と死を繰り返すその過程の中で道主さまだけが独りきり。

 誰にも話しかけることもなく、話しかけられることもなく。誰にも程遠く偉大な――“山”という存在は。見守り、いつくしむだけでは寂しくて寂しくて。だから、神の真似事をしたのだとしても、誰がそれを責めようか。

「道主さまのお考えは、我らには理解できぬのです」

 九威と十和は刷り込みをされずに育った天狗。その子孫でさえ、彼らはもう『天狗』ではない。道主と共にあり、山を護るその生き方を彼らはできない。永遠を道主と、生きることは叶わない。

「ほうか」

 一支は一言、呟いた。

「道主さまの御心のままに、それが儂の答えよ」

「では、お別れに、なりますな」

 十和も頭を下げている。彼らは天狗として生きられない。天狗に似たアヤカシとして生きていく。だから、この山にはもういられないのだろう。一支はそれも理解できた。だから、何も言わずに背を向ける。

「ならぬ」

 重々しい声が響いた。一支ははっとして頭上を見上げた。そこには道主さまの姿がある。そして、道主の怒りの声を聞いて、皆が瞬時に駆けつけた。

「ならぬ。ならぬぞ。一緒におれ。雛も一緒でも構わぬ。ここで我と共にいるのだ」

 道主さまの声は怒りに満ちているのにどこか泣きそうであった。九威は父親として道主さまの前に進み出る。十和は二匹の雛を抱きかかえた。その周りを皆が取り囲む。

「いいえ、居れません。道主さま。我らは『天狗』ではありませぬ。それに気づいてしまったら、もう、ここには居れぬのです。あなたと共に永久の時間を過ごすことは出来ぬのです」

 九威の叫ぶ声に皆がはっとする。二菜と五女は視線を一瞬逸らせた。彼らも外でそれを見た。だけど、彼らは帰ってきた。その違い。

「何故じゃ。構わぬのじゃ。ここに居ればいい。外敵もおらぬ。ここは平和な山じゃぞ」

「しかし、ここでは何もが変わらぬのです。我らにはそれが怖い」

 そう、在り様が変わらない不変の神である道主と共にいることに不安を覚えるのは生き物として当然のこと。生き物は何でもいつか死を迎え、世代を交代する。しかし、ここではそれがない。永遠に生きることなど本当に出来るのか。いくつもの時を重ねても、本当に変わらないのか。

「この山はおかしい。生き物の当たり前の営みがないのです。天上の真似事の世界など、ありえないのに。それをどうして平然と受け入れられます。いつか、我らは死ぬことがわかっているのに」

「ない、そないなことなどないのだ。ここは我の場所。皆同じようにずっと一緒で」

 道主さまの声が必死に叫ぶ。

「そうでしょうや。あなたにとってはそうなのです。もし我らが死んでも、あなたはまた我らに似せてそれを作ればよろしい。でも、我は我。我は一人きり。我の生は我にとっては一度きりなのです。おわかりいただけますかや」

 神には理解できないその答え。生は一度きり。限られた時間を精一杯生きることが、当たり前であるはずなのに、この山ではそれができない。だから、出て行くということを。

 もし、子供が出来なければそれでもいいと思ったかもしれない。しかし子供が出来れば、子供にはもっと無限の可能性を望んでしまう。もっと広い世界で、限りある時間を大事に生きて欲しいと願ってしまう。だから。

「お別れを、許してください。道主さま」

「ならぬならぬ。それでは、それを許したら……皆、いなくなる」

 道主さまの呟きに、一支が首を振って否を伝える。

「儂はあなたと共にずっとおります」

「おれも、居る。この山の木々は好きやし」

 木っ端天狗がそう言って道主さまの前に進み出る。二菜が呟いた。

「確かに外に出て「天狗」の存在を知っていました。でも、五女と二人で決めたのです。我らの在り様がどうであろうと『天狗を真似たもの』であろうと。創ったあなたのそばにいることを」

 二匹の天狗が進み出る。そして他の天狗が道主の周りに集まる。九威はそれを見て苦笑した。

「あなた方は、おかしい。生き物として間違っている。そう感じる我らの方が異端なのかもしれませぬな。道主さま、あなたにはあなたが産んだ忠実な僕が八匹も居ります。その変わらぬ世界で永遠に過ごされるといいでしょう。だが、それを異端と感じる我らには、それは耐えることができませぬ」

 確実な隔絶。天狗の有様を知ってなお、道主を慕う道主から創られた天狗と、そうでない天狗。ゆえにもう共に暮らせない。

「だめじゃ」

 道主さまはそう言って怒りを爆発させた。その途端に十和と二匹の雛の姿が掻き消える。九威はそれを目にして怒鳴った。九威にも譲れぬ点がある。それが、十和と子供達。

「十和を、子をどこにやった」

「許さぬ。我の元から離れるを許すと思うな。九威、そなたが考えを改めれば、返そうぞ」

 道主さまはそう言ってふっと姿を消した。

「十和、十和」

 九威はそう言ってまだ知らぬ二匹の雛の名を呼びながら辺りを駆け回り始めた。山中を探すつもりのようだ。

「一支」

 七夜と八重が痛々しいその九威の姿を視界に納めながら言う。

「九威と十和が言いたいこともわかる。あの二匹と我らはもう、一緒に居れぬな」

「そうかもしれぬ。じゃが、道主さまがお望みなら我らはそれに従うのみよ」

「……そやな」

 都合よく創られた存在。天狗と呼ばれ、しかし厳密に言えば天狗でない我ら。山を護ることを本分とし、道主さまに絶対的に従う。それ以外は目に入らない。それにいきり立つこともない。それを哀しい性とも思わない。

 ただ、そうしなければ長いときを生きることが辛い、あの孤独な神のために我らはあるとわかってしまったそのときから創った神本人さえ騙すように互いに身を寄せて、さも当たり前のように虚構の世界を永遠に砕け散るほど壊れるまでは続けると決めた。

 九威と十和はそれができない。創った神さえ騙すようなそんな危うい世界で生きる怖さを知っている。

 一支は他の天狗の思惑は知らない。一支はずっと隣でかの神を支えると決めた。名の通り一に支える者として。この意思が続く限り。

 だが、二菜は、五女は、他の天狗は。

 ただ、そうその身に刷り込まれているからそうしようと決めたのかもしれないし、道主さまに同情しているのかもしれないしわからない。

 だが、きっと――変わることを恐れているのは道主さまではなく、我ら天狗なのかもしれない。


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