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天狗  作者: 無依
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第一話 夜鳩

「は。わかりました」

 そして、あの、霊山とさえ呼ばれている深い山へと、私は足を踏み入れる。

 ここは京から少し離れた昔の京、奈良。その奈良の山に私は用があってきた。今、京を悪しき霊が彷徨っていてどこぞの貴族を苦しめているんだとか。

 安部晴明亡き今、頼るのは外法師しかいないのか、またまた陰陽寮の陰陽師どもは貴族の相手が忙しいのか。だったらお前らが相手をせいと言いたいが私は名の知られていない外法師、言える立場ではない。なのにどうしてお呼びがかかったのか。

 怪しいがその依頼、断るには自身の肉親を殺すと同義。ならば、仕方ない。たとえこの命尽きようとも、応えてやらねば何のための親孝行か。



 空気が澄んでいる。きっと人が踏み入れぬから清浄な空気に満ちているに違いない。こんなところに本当に悪霊の原因なぞ、居るものか。おらぬだろう。というか、こんな清浄なる地に霊などおれるはずもない。わかっている。

 しかし、あの無能な陰陽師共のせいか、はたまた、貴族の因縁か。どちらにせよ、何かしらの証拠がなければ、納得しようはずもない。仕方あるまい。適当に探すとするか。

 どれ位この山に入ったろうか。自分で山を下れるかどうかさえ危ういほどにこの山に入ってしまった。この山の清浄な何かに惹かれて。一端の術者だ。このような偉大な存在には興味を持つ。私の遇ったことのないアヤカシだろうか。それとも神仙のたぐいか。どちらにせよ、会って自分の命が散ろうとも、かなりの価値有る出遭いであろう。

 そしてのこのこと異境に足を踏み入れてしまったらしい。

「……人間か。何用で参った」

 姿は見えぬが存在はありありとわかる。これはかなり清浄なアヤカシのたぐいかもしれない。

「京より、この山に悪霊の元があるのでそれを絶って来いと命じられて参りました。無遠慮に踏み入り、申し訳ありませぬ」

「……悪霊、とな。ならば、気遣うことはない。この山にて迷った時点でその悪霊とやらは消滅していよう。それがおぬしにもわかっておるはずじゃ。去れ」

「そういうわけにも参りませぬ。わたくしは、位のない術者ゆえ、何かしらの証立てが無くば、解決には至らぬのです」

「そうか、ではおぬしを侵入者としてその首を刎ねてもよいのだな」

「それは困りますれば」

「では今すぐここを去ることじゃ。でなくば、吾がおぬしを消すことになろうぞ」

「姿無き者に消されるのは哀しゅうございます。そのお姿を拝見させてくだされば、この命、貴方様に差し上げてもよござんす」

 私は言った。それでいい、それでこのくだらない世から解き放って貰えるのなら。

 声は応えない。こんな反応をしたのは初めてなのだろう。そしてしばらくのときを置いて、木々の作り出す闇から闇色の影が現れた。痩身は高く、位高い。

 そのアヤカシの名――――烏天狗からすてんぐと云う。

 背から漆黒の翼が生え、顔には鳥を象る半分のお面。お面に付いている鋭い嘴は少しからすとは似ていないように思える。墨染めの水干に漆黒の袴。面の周りに飾られる青黒い髪は長く、その容貌は隠されている。

「烏天狗さま。もう思い残すことはありませぬ。殺したくば、どうぞ」

「人間。おぬしは変わっているな。どうしてもこの地を去れぬと申すか」

「はい」

「この地で吾に殺されたいと言うのは何故か」

「気高きアヤカシに殺されれば、わたくしも思い残すことなどありますまい。それにこの地は清浄すぎる。この地で死ねばわたくしの魂も安らかにあれるでしょう」

「……」

 烏天狗は黙った。そして云う。

「吾らは穢れを嫌うイキモノ。おぬし、吾はおぬしを殺せなんだ」

「そうですか。死に損ないましたね」

「だが、この地に害なすとあらばためらい無く、吾はおぬしを殺すぞえ」

「決して、害成すなどありえませぬ。決して」

「そのコトノハ、信じてもよかろうな」

 そう言って、烏天狗はすーっと闇に消えていった。気高き聖なるアヤカシ・天狗。この山はああして天狗が守ってきたのだ。

 天狗とは山神に仕えるアヤカシの一族だが、人界では得体の知れぬ存在モノである。山の領分を護る存在が本来の姿で人界に関わる事を好まず、その住処、異境の入り口は常に隠されており、入る術を持たぬ者には辿れない。

 今回、私が入り込めたのは目的も持たずに彷徨い、なおかつ力があった故の事であり、招かれざる客に違いはない。客ですら、ないのだが……。



「今日も励むな。きん

「天狗さま。相も変わらずお邪魔いたしております」

 本当に害をなさない私に天狗は心を許したのだろうか。ちょくちょく顔を見せてくれるようになった。まぁ、顔は鳥のお面に隠されているが、言動も棘棘しさがなくなったように思える。

「しかし、お前はいつまでここに居るのだ」

「気になりましょうや。邪魔ですか」

「邪魔ではないが、吾も宮様みやさまになんと申し上げようか、と悩む」

「……宮上様。どなたのことでしょうや」

「この地の主を宮さまをお呼びする」

「これは驚きですね。この地の主はてっきり貴方様だと思ってましたよ」

「畏れ多いぞ。この地の主は吾ら天狗の長であり、この地の主・七宮上ななみやのうえ様であられる」

「……そうなんですか。この地には貴方様以外の天狗が居られるのですか」

「吾の他に五十程居る。ほとんどが烏天狗だがな」

「へぇ。では、わたくしは何と貴方様を御呼び致せばよろしいのですか? 天狗さまでは不適切ではありませぬか」

「……構わぬのだが、強いて呼ぶなら、吾の名は……夜鳩よばとと云う」

「……夜鳩さま。烏なのに鳩なのですか」

「知らぬ」

 機嫌を損ねてしまったようで天狗は消えてしまった。



 後日聞いたが、天狗は群れて生活していると云う。

 山神に仕え、山を護るのをその生き様とする天狗たちは、山神の配下。

 山神を道主どうしゅと呼び、その配下に八天狗がいるという。

 八天狗はそれぞれ山神から守るべき山を任されている。その八天狗が宮様、という訳だ。

 この山(=この地)の五十位いる天狗は全てその宮様の配下であり、大本の道主の配下でもあるとのことだ。

 我らで云えば、道主が帝、宮様が大臣おとど、普通の天狗が貴族、他の山の生き物が平民、のようなものだろう。



 私と夜鳩は日を重ねるごとにこんなことを教えてもらう程、親しくなった。夜鳩は私に天狗、というものを、私は人間をそれぞれ教えあった。



 夜鳩ではない、初めての声を聞いた。

「お前そこで、何をしよる」

 夜鳩が来なくなってしばらくして新たな声が山中に響いた。夜鳩より幼い声だった。だが姿は見えぬ。

「探し物を」

「お前の探し物なぞこの地にはない。いいかげん人間の気に触れてすみかが穢れる。出てゆけ」

「存じませんでした。申し訳ございません」

「謝る位ならとっとと、出てゆくことじゃの」

 姿を見せないこの問いかけ。そして言った『すみか』。

「貴方様も天狗ですか」

「ほうよ。じゃが夜鳩とは比べるな。あやつは弱いが儂ならお前一人くらい難なく殺せるぞよ」

「私は死など怖くないです。いっそ殺してほしいんです」

「迷惑じゃな。死にたければここではないどこぞで腹切るなり、首吊りなりして逝ね」

「手厳しい。私がこのままここに居続けたらどうなりますか」

「山が穢れるゆえ、儂の扇で京まで送ってやろう。ありがたかろう」

「……」

 死ねと云われた事より、私の存在そのものが穢れとなっていたことが哀しかった。しかし、当然、頭の片隅では分かっていた事だった。

「京のような地で生くるなり、死ぬなりせい」

「では、明日……明日の夕日が沈むまでにはこの地を離れます。ですから一つ頼まれて下さいませんか」

「頼める義理か」

 声は明らかに私をからかっている感じがあった。

「それでも、重ねてお願い致します。どうか、明日一時でもいい。夜鳩に会わせてください」

「逢うてどうする」

「……お別れを言いたいだけに存じます」

「夜鳩には言ってやろう。じゃが来る来ぬはあやつの勝手じゃぞ」

「承知致しました」

 見えぬ姿に礼を捧げた。きっと、この天狗は私と夜鳩の想いを知って、わざわざ私に忠告してくれたのだ。夜鳩の存在が私と云う毒によって狂う前に。



「琴、なして吾を呼ぶ」

「……」

 声が出なかった。苦しくて。死にたいとあれ程思っていたはずなのに。

「琴、なして……泣くのじゃ」

「……我が身が死ぬと分かっているから」

「なして死ぬる」

「もう……」

 夜鳩の後ろ髪で結ばれる糸を解くと烏の仮面が落ちて初めてその顔を拝めた。白いつらに暗い瞳。そのかんばせは夜鳩としてすぐに私に馴染んだ。

「貴方に会えぬから。……さようなら、夜鳩」

「琴。何が起きたのじゃ。なして会えぬと申すのか」

 夜鳩は初めて自ら人間に、触れた。人と関わるのを好まぬ天狗が。

「私は、この生くる意味など持てぬこの世で生きるのに疲れた。死にたいとおもったが死ぬことは叶わぬ。ただ、ひたすらにこの山の清浄な空気に触れて自然と天命を待つのも良かれと思った。だが、貴方に会った。私は貴方とこの山に触れて貴方の元なら生きていたいと思った。死にたくない、とさえ……。だが、昨日……山が穢れてきたと云われ、去る決心をした。私は京に帰って命を絶とう。生まれ変わって貴方と同じ天狗になれればよいが……」

「誰がそんな事を申したのだ」

 珍しく声を荒げていった夜鳩の背後で、幼い声が笑った。

「儂じゃよ、夜鳩」

 夜鳩が振り向くと二人を囲んで黒い集団が木々の上から見下ろしていた。全員烏天狗だった。その数、およそ、三十。漆黒の羽を広げ、冷たい烏の仮面はとても不気味に見える。姿、形、何一つ夜鳩と変わらぬのに、これ程恐怖を感じるとは……。

「……宮さま」

 夜鳩は呆然としてその名を呼ぶ。だが琴にはどの天狗かわからない。と、その時二人の間を絶つようにして、紅の陰が落ちた。

 病的な白い顔に張り付く笑み。紅の直衣に青灰の袴。髪はどの天狗よりも黒く短く、その瞳は深い闇である。美しい顔をした童は他の天狗とはあまりにも違う存在だった。

 仮面もなければ、羽もなく、姿は幼くて格好は鮮やか。しかし、この存在こそがこの山を治める天狗の長。

 ――八天狗が一、七宮上・七矢ななや様である。

「夜鳩、気づかなんだ、とは言わせぬ。人間の女にしてはなかなかの美貌じゃが、交わることなぞ言語道断。わかっておろうな」

 明らかに夜鳩が強張っている。琴は男として人界で生きてきたのでばれるとも思ってなかった。故に驚いた。

「どうして、私が女と」

「儂らは気に敏感じゃからの。まぁ、お前が女だろうと男だろうと関係の無い話。そろそろ日も沈むでな、急かしにきたわい」

 からからとその天狗は笑った。その時、夜鳩が琴を引き寄せて七矢の目の前に手を翳した。それを見ても当の七矢は顔色一つ変えず、しかし周りの烏天狗たちがばっと身構えた。

「宮さま、お願いです。琴を吾らが地に置いて下さいませんか。あと五十年程の命です」

「夜鳩、お前は五十年ぶんの穢れを祓えるのかや。お前は天狗の有り様を忘れているようじゃの。儂らは道主さまの命に基づき山を守り、清めるための存在じゃ。人間なぞに惑わされよってからに。愚かな」

 夜鳩が叫んだ。琴は何も言えずに夜鳩と七矢を交互に見ている。

「愚かでも、吾はこの人間が愛しいのです。宮さまが山を愛しいと思うように」

「儂の使命とお前の感情を同じ秤に掛けるなど、笑止千万。何時から天狗は鬼と同じになったのやら、のぅ」

 夜鳩は苦しげに呻いた。琴には感じないが恐らく、七矢の圧力が増したのだろう。

「もう、止めてください。私が山を降りれば済むのであれば、それで」

「だめだ。琴。そなたは吾に沢山のことを教えてくりゃった。吾はまだ、何一つ返せていない」

「何を教わったのかや」

 意地悪く、七矢が笑う。

「……こころ、です」

「はっ。笑わせる。そんなに愛し合いたくば、二人で堕ちてゆくが良い」

 七矢が笑った瞬間に夜鳩と琴のいた地面が割れて黒い闇が噴き出していく。二人の悲鳴と姿を飲み込んで穴は現れたときとは逆に、ゆっくり閉じていった。

「さて。二人の愛とやら、とくと見せてもらおうぞ」

 七矢は周囲の天狗たちに帰ることを示した。即座に頷く天狗たち。天狗たちの棲む異境の地に久々の平穏が帰ってきた。七矢は自らの存在の在るがままに山を護った。

 ――ただ、それだけの事。



「そう云えばのぅ、七矢」

「何でありましょうや、道主さま」

「半月ほど前にお主の山の辺りで天狗道が開いたのじゃが、何ぞ知らんかの」

くすり、と七矢は笑った。

「天狗一匹と人間が一匹堕ちたようですな。指して問題はありますまい。百年ほどしたら自力で出てきましょうぞ。出れぬなら、それまでですしの」

「堕ちた、とな。お主が堕としたのじゃろ」

「いいえ、堕ちたのですよ。二人で夫婦めおとになりたいと申してね」

「夫婦、とな。ほぅ……。それは、愉快じゃて。堕ちたのは天狗と人間か。どんな愚か者よ」

「儂の若輩者のカラスと儂の地に入り込んだ人間じゃな」

 道主が笑った気配がある。

「ほう。……面白いのう。では、五十ばかしせんうちに烏天狗と白天狗が一匹ずつ出て来ようの。楽しみじゃて」

「ほうですな」

 七矢は笑って頷いた。天狗道を修めた人間はその存在が白天狗に変質すると云う――。



 第一話 「夜鳩」終.




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