表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

午前様の埠頭にて

 そこは人気(ひとけ)のない埠頭の、大型倉庫の一区画だった。


 時刻はとうに午前様を回っている。

 この辺り一帯にあるのは、無機質な倉庫群と二十四時間稼働の工場ばかりだ。行き交うのは大型トラックと、交代時間の従業員がたまにいる程度。今はその交代時間も過ぎたばかりで、辺りに人の気配はほとんどない。


 離れた場所で唸る工場の騒音。

 低く響く船の汽笛。

 そして一帯を仄暗く照らす、ナトリウム灯の薄いオレンジ色の光。


 幻想的、と言ってしまえば聞こえはいい。

 だが実際は、人の気配がまるごと抜け落ちた、ひどく不穏な場所だった。


 その倉庫の中だけが、異様な明るさを帯びている。


 数台の車が横付けされ、ヘッドライトの白い光が、その場にいる者たちの輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。床に転がされているのは、乱雑に放られた麻袋――に見えて、その実、中身の詰まった人間だった。


 ひとりの男が、その袋を裂くように乱暴に剥ぐ。


 露わになったのは、全身に痣を作り、息も絶え絶えになった男の姿だ。手足を縛られ、口元には血が滲み、見開かれた目だけが異様にぎらついている。


「確かに、この男だな」


 そう告げた男の前で、腕を組みながら見下ろしていた青年が、ゆっくりと顔を上げた。


 学生服。

 黒髪。

 前髪に隠れた目元。

 見た目だけなら、この深夜の埠頭にはあまりに場違いな、ごく普通の学生にしか見えない。


 だが、この場の誰一人として、彼を普通だとは思っていなかった。


 青年は鼻にかけていた黒縁眼鏡を外し、胸ポケットに引っ掛ける。鬱陶しそうに前髪を軽くかき上げる仕草は、どこか投げやりで、それでいて妙に板についていた。


 若い。

 どう見ても、まだ十代だ。


 それなのに、この場では誰よりも自然に立っている。

 いや、自然どころではない。倉庫の空気そのものが、この青年を中心にして張り詰めているようだった。


 青年は、足元に転がる男を一瞥し、口元だけで笑う。


「アキラ、仕事が早かったな」


「まぁ、この程度の男なんざ、どこにバックレようが見つけ出すくらい造作もない」


 ふん、と鼻で笑ったのは、傍に控えていたスーツ姿の青年だった。整った顔立ちに反して、その目には人を食ったような鋭さがある。


 アキラは縛られた男を見下ろし、肩を竦めた。


「もっとも、逃げる先まで考えられるほど頭が回るなら、最初からヘマなんざしないだろうけどな」


 床に転がされた男が、ひっと喉を鳴らす。

 その怯えすら面白いとでも言うように、学生服の青年はわずかに目を細めた。


 男はもう言葉にならない声を漏らしながら震えていた。

 全身を襲う痛みより、これから自分に何が起こるのか――その想像の方がよほど恐ろしいのだろう。見開かれた目が、学生服の青年から逸らせないまま揺れている。


「それにしてもアキラ、お前も悪趣味だな」


「そうか? ちゃんと五体満足で献上してやったんだ。少しくらい褒めてくれてもいいだろ」


 二人のやり取りは、まるで他愛もない雑談みたいな口調だった。

 だがその内容は、目の前に転がる〝献上品〟を前にして言うには、あまりにも悪趣味だ。


 確かに手足は揃っている。

 だが、丁寧に扱われたとはとても言えない。呼吸のたび、男の身体がびくりと痙攣しているのを見れば、痛みが全身を駆け巡っているのは一目で分かった。


 学生服の青年は、そんな男を見下ろしたまま、ふと片手を差し出した。


「俺はこれでも慈悲に溢れた聖母と呼ばれているんだよ。ほら」


「どこの世界線の聖母だよ」


 アキラは呆れたように言いながらも、その手の上に一挺の拳銃を乗せた。


 青年はそれを受け取ると、しげしげと眺める。

 黒く鈍い金属の光沢。手に馴染む重み。指先で確かめるように触れてから、どうでもよさそうに鼻を鳴らした。


「ふーん」


「お前ってホントこれ好きだよな」

「ベレッタが好きなんだよ。見ろよ、この無駄のなさ。やっぱり――」

「語るな」


 即座に切られ、アキラが口を噤む。

 それ以上は敵わないと知っている顔だった。


 青年は小さく鼻で笑うと、床の男へ銃口を向けた。


 その動作に躊躇いはない。


「まぁ……」


 軽い相槌みたいな声。

 次の瞬間、指がトリガーを引いた。


 ――パアンッ!


 乾いた銃声が、倉庫の鉄骨に鋭く反響した。


 血飛沫が散る。

 頭部を歪めた男が、そのまま糸の切れた人形みたいに崩れ落ちた。


 一瞬の静寂。

 それから遅れて、生温かい血の匂いが鼻を刺す。


 誰も何も言わない。

 いや、言えないのだ。


 学生服の青年は、手の中の拳銃をもう一度眺め、口元をわずかに歪めた。


「いいんじゃね?」


 その気のない感想が、この場では何より異様だった。


 アキラが小さく息を吐く。


「そろそろ本腰入れて代紋継げばいいのに」


「別に俺はそんなものに何の価値も見出せてない。面倒くさいだけだろ」


 返ってきた答えは、驚くほどあっさりしていた。

 組の若い衆なら喉から手が出るほど欲しがるものを、彼は心底どうでもよさそうに言ってのける。


 アキラは苦笑する。


「そう言いながら、やることはちゃんとやってるくせに」


 そう言って顎で示した先には、さっきまで生きていた骸。


「何処の家でもお手伝いくらいはするらしいじゃん。これも一応、家のお手伝いだよ。自由にさせてもらうための代償だ」


 その言葉に、周囲に控えていた男たちの空気がわずかに張る。

 この青年が何者なのか、ここにいる全員が知っていた。


 控えていた者が「お疲れ様です」と声をかけ、学生服の上に黒いコートを羽織らせる。制服の上から纏うには似つかわしくないそれが、かえって彼の異質さを際立たせていた。


「おい、後は任せたぞ」


「はいはい。承知いたしました、御子息様」


 アキラはクスッと笑い、深々と頭を下げる。


 次の瞬間、先ほどまで使っていた拳銃が投げ返された。

 アキラは慣れた手つきでそれを受け止める。


「その言い方、次は無いと思えよ」と、釘を刺しその場を去った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ