午前様の埠頭にて
そこは人気のない埠頭の、大型倉庫の一区画だった。
時刻はとうに午前様を回っている。
この辺り一帯にあるのは、無機質な倉庫群と二十四時間稼働の工場ばかりだ。行き交うのは大型トラックと、交代時間の従業員がたまにいる程度。今はその交代時間も過ぎたばかりで、辺りに人の気配はほとんどない。
離れた場所で唸る工場の騒音。
低く響く船の汽笛。
そして一帯を仄暗く照らす、ナトリウム灯の薄いオレンジ色の光。
幻想的、と言ってしまえば聞こえはいい。
だが実際は、人の気配がまるごと抜け落ちた、ひどく不穏な場所だった。
その倉庫の中だけが、異様な明るさを帯びている。
数台の車が横付けされ、ヘッドライトの白い光が、その場にいる者たちの輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。床に転がされているのは、乱雑に放られた麻袋――に見えて、その実、中身の詰まった人間だった。
ひとりの男が、その袋を裂くように乱暴に剥ぐ。
露わになったのは、全身に痣を作り、息も絶え絶えになった男の姿だ。手足を縛られ、口元には血が滲み、見開かれた目だけが異様にぎらついている。
「確かに、この男だな」
そう告げた男の前で、腕を組みながら見下ろしていた青年が、ゆっくりと顔を上げた。
学生服。
黒髪。
前髪に隠れた目元。
見た目だけなら、この深夜の埠頭にはあまりに場違いな、ごく普通の学生にしか見えない。
だが、この場の誰一人として、彼を普通だとは思っていなかった。
青年は鼻にかけていた黒縁眼鏡を外し、胸ポケットに引っ掛ける。鬱陶しそうに前髪を軽くかき上げる仕草は、どこか投げやりで、それでいて妙に板についていた。
若い。
どう見ても、まだ十代だ。
それなのに、この場では誰よりも自然に立っている。
いや、自然どころではない。倉庫の空気そのものが、この青年を中心にして張り詰めているようだった。
青年は、足元に転がる男を一瞥し、口元だけで笑う。
「アキラ、仕事が早かったな」
「まぁ、この程度の男なんざ、どこにバックレようが見つけ出すくらい造作もない」
ふん、と鼻で笑ったのは、傍に控えていたスーツ姿の青年だった。整った顔立ちに反して、その目には人を食ったような鋭さがある。
アキラは縛られた男を見下ろし、肩を竦めた。
「もっとも、逃げる先まで考えられるほど頭が回るなら、最初からヘマなんざしないだろうけどな」
床に転がされた男が、ひっと喉を鳴らす。
その怯えすら面白いとでも言うように、学生服の青年はわずかに目を細めた。
男はもう言葉にならない声を漏らしながら震えていた。
全身を襲う痛みより、これから自分に何が起こるのか――その想像の方がよほど恐ろしいのだろう。見開かれた目が、学生服の青年から逸らせないまま揺れている。
「それにしてもアキラ、お前も悪趣味だな」
「そうか? ちゃんと五体満足で献上してやったんだ。少しくらい褒めてくれてもいいだろ」
二人のやり取りは、まるで他愛もない雑談みたいな口調だった。
だがその内容は、目の前に転がる〝献上品〟を前にして言うには、あまりにも悪趣味だ。
確かに手足は揃っている。
だが、丁寧に扱われたとはとても言えない。呼吸のたび、男の身体がびくりと痙攣しているのを見れば、痛みが全身を駆け巡っているのは一目で分かった。
学生服の青年は、そんな男を見下ろしたまま、ふと片手を差し出した。
「俺はこれでも慈悲に溢れた聖母と呼ばれているんだよ。ほら」
「どこの世界線の聖母だよ」
アキラは呆れたように言いながらも、その手の上に一挺の拳銃を乗せた。
青年はそれを受け取ると、しげしげと眺める。
黒く鈍い金属の光沢。手に馴染む重み。指先で確かめるように触れてから、どうでもよさそうに鼻を鳴らした。
「ふーん」
「お前ってホントこれ好きだよな」
「ベレッタが好きなんだよ。見ろよ、この無駄のなさ。やっぱり――」
「語るな」
即座に切られ、アキラが口を噤む。
それ以上は敵わないと知っている顔だった。
青年は小さく鼻で笑うと、床の男へ銃口を向けた。
その動作に躊躇いはない。
「まぁ……」
軽い相槌みたいな声。
次の瞬間、指がトリガーを引いた。
――パアンッ!
乾いた銃声が、倉庫の鉄骨に鋭く反響した。
血飛沫が散る。
頭部を歪めた男が、そのまま糸の切れた人形みたいに崩れ落ちた。
一瞬の静寂。
それから遅れて、生温かい血の匂いが鼻を刺す。
誰も何も言わない。
いや、言えないのだ。
学生服の青年は、手の中の拳銃をもう一度眺め、口元をわずかに歪めた。
「いいんじゃね?」
その気のない感想が、この場では何より異様だった。
アキラが小さく息を吐く。
「そろそろ本腰入れて代紋継げばいいのに」
「別に俺はそんなものに何の価値も見出せてない。面倒くさいだけだろ」
返ってきた答えは、驚くほどあっさりしていた。
組の若い衆なら喉から手が出るほど欲しがるものを、彼は心底どうでもよさそうに言ってのける。
アキラは苦笑する。
「そう言いながら、やることはちゃんとやってるくせに」
そう言って顎で示した先には、さっきまで生きていた骸。
「何処の家でもお手伝いくらいはするらしいじゃん。これも一応、家のお手伝いだよ。自由にさせてもらうための代償だ」
その言葉に、周囲に控えていた男たちの空気がわずかに張る。
この青年が何者なのか、ここにいる全員が知っていた。
控えていた者が「お疲れ様です」と声をかけ、学生服の上に黒いコートを羽織らせる。制服の上から纏うには似つかわしくないそれが、かえって彼の異質さを際立たせていた。
「おい、後は任せたぞ」
「はいはい。承知いたしました、御子息様」
アキラはクスッと笑い、深々と頭を下げる。
次の瞬間、先ほどまで使っていた拳銃が投げ返された。
アキラは慣れた手つきでそれを受け止める。
「その言い方、次は無いと思えよ」と、釘を刺しその場を去った。




