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HACCP  作者: ransu521
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プロローグ1

「それでさぁ、その時彼が……」

「そりゃあねぇよ! まったくアイツも何考えてるんだか……!!」


のどかな雰囲気流れる、とある一軒家。

二階建てで、周りが白で塗られたその家は、一見どこにでもありそうな建物であった。

いや、実際どこにでもある建物だった。

周りにはそういう感じの家が少ないわけでもなかった。

それだけ、この周囲に人が住んでいるということも安易に理解することが出来た。


「まったく、最近の若者は教育がなっとらんな……」

「もぅお父さんったら。相変わらず教育には口うるさいんだからな」

「道子……今の日本は子供の教育がなっていないんだ。ゆとり教育だのなんのって、政府がなにやら変な政策を取っているうちに、こんなことになってしまったんだよ……だから、お前だけでもまともな教育を受けなければならないんだ。そんな男とは早く縁を切って、もっと教養のある男と付き合え!」

「単に今の人を認めないだけじゃないの!」


こんなやり取りも、この家族にとって何度目のことだろうか?

この家族は四人家族と、少し賑やかな方である。

父・母・長女・長男の四人家族。

父親は、50代とは思えない程精悍な顔つきをしていて、職業柄かどうかはよき分からないが、その筋肉は引き締まっている。

母親は、何処にでもいそうな優しい母親であり、黒くて長い髪は、丁寧に手入れがされているらしく、光りに当たる度に輝いて見えなくもなかった。

長女は御歳18。

そろそろ大学受験を控えている筈なのだが……性格からなのか焦っている様子がまったく見受けられない……季節が春ということも手伝っているのかもしれないが。

母親譲りの黒い長髪で、人を惹き付けるには十分な程の容貌を持っていた。

彼女の将来は有望であろう。

そして、最後にこの家族の長男。

彼は、談笑しながらご飯を食べる三人と違って、ただ黙々とご飯を食べ続けていた。

……短くて若干茶色がかかったような髪。

ごく平凡そうなその少年の身体は……何かに怯えているかのように震えていた。


「どうしたんだ勇気。さっきから身体をガタガタと震わせて」

「大丈夫? 部屋でゆっくり休んだら?」

「まさかテストで0点とったとか……それはないか。勇気は成績はいい方だし」


三人とも、勇気と呼ばれたこの少年のことを心配するような言葉をかける。

……しかし、その言葉に彼は答えない。

それどころか、身体の震えが更に強まっているかのようにも感じられた。


「…………く」

「え?」


そして、ようやっと勇気から出された一言は、およそ三人には理解出来ないような言葉だった。

主語がない言葉を理解するのは難しい方。

だから何を言おうとしているのかと道子が尋ねようとした……その時だった。


「く……クギュウアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


……突然、その少年が発狂しだした。


「……くぎ」

「ゆ、勇気!?」


道子が何かを言おうとしたが、父親がそれを遮り、勇気に歩み寄る。

そして暴走する勇気を止めようとするが、力強く抵抗する勇気を前に、どうすることも出来なかった。

予想以上にその力は強くて、掴みかかってもすぐにほどかれて、壁に突き飛ばされる。


「きゅ……救急車を呼べ!」

「は、はい!!」


父親は、母親に向かってそう叫ぶ。

今の勇気は明らかにおかしい。

形容するのなら……そう、昨今話題となったインフルエンザに対する特効薬、タミフルの異常行動のようだった。


「……まさか、いや、けど……」


しかし、勇気はタミフルを服用したわけではなかった。

別にインフルエンザになってその薬を処方されたわけではない。

食事をしていたら、突然発狂し出したのだ。

それ以外に、何か特別なことをしたわけでもなかった。


「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


時間は流れていき、少年は未だに発狂するのを止めない。

何かに怯えるように、身体を震わし、周りの物に八つ当たりするかのように手で殴る、足で蹴る。

テーブルの上に並べられた食事は散らばり、皿は割れ、中の水は地面を濡らし、壁に立て掛けられていた絵画は地面に落下し、綺麗な薔薇の花が植えられていた花瓶は、中の水が床に染み込んで、そしてガラスは地面に散らばり、この場を危険な場所へと装飾していく。


「……一体、何が。何が起こったと言うんだ……」


絶望の色に染まった表情を見せ、父親がそう呟く。

この家族の変わらないはずだった幸せは……たった一日のとある晩飯時に、完璧に破壊されてしまったのだった。



『次のニュースです。先日、四人家族の長男が、突如発狂して、周りの物を壊していくという事件が発生致しました。ご家族からお話を聞かせて頂いたところ、まるでタミフルの副作用のような異常行動を見せたとのことですが……当の本人である長男は、タミフルを服用したという記録は残っていないようです。また、麻薬の使用も疑われましたが、自宅にそれらしき物も見つかっておらず、注射痕も残されていないとのことです』

『最近多いですよね……家の中で突如発狂するという事件』

『そうですね……田村さんはこの事件についてどう考えていますか?』

『一連の事件に関して言えば、原因は同じ薬物による異常行動ではないかと考えています』

『なるほど……例えばタミフルのようなものでしょうか?』

『そこまでは予測出来ませんが……恐らくそれ同様の副作用を生むような薬かと』

『そうなると、医療機関とかが怪しくなるでしょうか?』

『そうなるでしょうね……』


テレビ画面では、眼鏡をかけた若い男性と、40代らしき女性のキャスターが、今現在世間を騒がせている、ちょっとした出来事について討論し合っていた。

そこで話される内容は……どれも的外れなことばかり。

通院履歴がないというのに、キャスターは病院側に何かしらの問題があると思っているらしい。

カウンター席でそのテレビの映像を見ていた男が持つコップの中に入っている氷が、カランと音を立てて崩れる。

中に入っているアイスコーヒーを、男は一気に飲み干す。

「……はぁ。最近どのテレビもこの話題ばかりだなぁ」


男は、一言そう呟いていた。

最近頻発している、発狂事件。

共通点も見つかっておらず、警察の捜査も難航しているとのことらしい。


「マスター、コーヒーおかわりしてもいいかい?」

「……ああ」


カウンターに立つマスターに向かって、男はコーヒーのおかわりを要求する。

その男は、隣で注がれるアイスコーヒーを横目で見つめた後に、もう一度テレビの画面を眺める。

先ほどのニュースは終わり、いつの間にかスポーツの特集が始まっていた。


「……最近多いよな。人が発狂する事件」

「え? ええ……」


マスターがそう話しかけてくるとは思っていなかったので、男は若干戸惑ったかのような声を出す。

緊張の念が入ってしまったが為に、身体が少し固くなってしまったかのような感覚を感じる。


「(どうしよう……マスターがまた話しかけて来たら、どうする?)」


男はこの喫茶店の常連客であったが、それだけにマスターから話しかけられるのが余程珍しいことであるかも理解することが出来た。

もともと、ここの喫茶店のマスターは寡黙な人間らしく、あまり他人と深く関わるのを自ら拒絶しているのか、例え常連客だからと言って、自分から話しかけるようなことは決してしない。

そう言う人であるだけに、この男は緊張していたのだが……幸か不幸か、マスターはそれきり言葉を交わすことはなかった。

そしてマスターは店の奥に、ただ黙って入っていった。


「……ふぅ」


それを確認すると、男は緊張していた身体を一気にほぐし、思わず溜め息を洩らしてしまう。


「……連続発狂事件、ね」


男は、一言そう呟く。

それから、この喫茶店の中で人の声が聞こえることは、カウンター席に座る男が店を出るまでに、一度たりともなかったのだった。


「……マスター、ごちそうさまでした」

「……また来いよ」


この挨拶も、常連客とマスターならではの会話だった。

一見の客がこの店に来店してきた時は、例えこの店のコーヒーの味が良くても、例えこの店の料理の味が良くても、マスターの態度とあまりに静かすぎるこの店の雰囲気に耐えきれず、二度と来なくなってしまう人もいた。

だが、先ほどまでカウンター席に座ってアイスコーヒーを飲んでいた男のように、そんな雰囲気が好みでこの喫茶店に来る人も、決して少なくはなかった。

彼らの中での暗黙の了解として……店の中では必要以上の会話は避けるというルールがあることを、ただ今コップを片付けているマスターもまた、理解していた。

誰かが言い出したわけではなく……この喫茶店での暗黙の了解。


「……暗黙の了解、か」


マスターは一言、そう呟く。

この喫茶店は……静かだ。

例えるのなら……誰もいない海の中のような、静けさだ。

店内にはあえて何かしらの曲を流すわけでもなく、照明も必要以上に明るくはせず、そして何より……店内は恐ろしいまでの静けさだ。

まるでこの喫茶店だけ別の世界であるかと思わせるような、そんな感じだ。

ある日この日にやってきた、詩人被れの客が、マスターに向かってこう言ったことがある。


『この店は海のような場所である。必要以上の光も当たらなければ、必要以上の音も聞こえない。例えるなら……この扉が海面なのだとしたら、この扉の向こうが、浜辺のビーチのように、騒がしい場所なのだろう』


その言葉に、格別意味が備わっているわけでもない。

だが、その例えはあながち間違ってもいないとマスターは思った。

何故ならそれはマスター自身も考えたことがあることだったからだ。


「そろそろ店じまいだ……」


マスターはそう呟くと、一旦奥の方に行き、『閉店』と書かれたプレートを持ってくる。

それを持って店の外に出て、扉の取っ手の部分に、それを立て掛けた。

それから、もう一度店内に入り、掃除をし始める。



だが、この店が次に店を開く機会は……永遠に訪れることはなかったのだった。




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