5 懇親会の裏側
調印式の翌日も懇親会は続きました。
とはいえ、屋内ではなく屋外での事で、男性方は狩り、私たち女性は男性が獲物を狩ってくるまで園遊会となります。
普通の外交調印であれば、わざわざ王族が立ち会うこともありませんし、式典の後はささやかな食事会が開かれる程度で終わりです。
二日にわたって懇親会が開かれるなど、我が国のオルシア王国に対する姿勢が伺えるというものですね。
お義兄様とアルト殿下は護衛騎士ともども、連れ立って狩りに行かれました。私たち女性は、それぞれの使用人たちが設営するテントや竈などを横目に、歓談しながら男性方を待ちます。
テントとはいっても野営するものではなく、陽よけ程度のものです。それでも、強い陽射しを避けられるのですから、ありがたいものです。
「さて、作戦について話すわね」
唐突に作戦会議とやらを始めたのは、同じテントで涼んでいるイライザ義姉様です。隣にはパトリシア様もおられます。
「作戦、ですか?」
「ええ。まず前提としてハッキリ言っておくんだけど、エリスとアルト殿下は釣り合いが取れているわ。二人とも王族で、両国の関係を考慮しても良縁と言えるわね。なので、この件については、お父様もお母様も了承済みよ」
「それはまた……、昨日の今日で、随分と根回しが早いですね。私が殿下にお会いしたのは、昨日の事なのに。さすがは“渡り姫”」
イライザ義姉様は王宮の中でも文官としての才をお持ちのようで、貴族同士の交渉事に滅法強いのです。
封建国家である我が国で事業を進める際には、領地同士の力関係が重要になります。例えば治水工事を行なうにしても、資金はどこが出すのか、主導する貴族には誰を据えるのか、工事完了後の管理はどの領地が担当するのか、などなど。
そういった事を、各領地の権益も含めてバランスよく調整するのがお義姉様のお仕事です。利害関係を持つ者たちの間を危なげなく渡る事から、ついた異名が“渡り姫”。お似合いの名前ですね。
「褒められて悪い気はしないけど、そもそも、今回の調印式の本当の目的は、あなたたちなのよ。だから、私のやった事は、お父様とオルシア国王の後追いね」
「…………えええっ?! えと、つまり、調印式にかこつけて、私とアルト殿下のお見合いが予定されていたということなのですか? 聞いていないのですけれど?!」
「私も昨日、聞かされたばかりなのよ」
寝耳に水にも程があります。当事者にも秘密のお見合いなんて聞いた事が……、いえ、前世のマンガやラノベでよく見かけたネタですね。自分が当事者になるとは、思いもしませんでしたが。
「まあでも、内緒にしていた理由は明らかなのだけど」
そう言って、お義姉様はパトリシア様に視線を向けました。
それに対して、パトリシア様は困ったような笑顔を私に向けています。
つまり、原因はお義兄様ということですね。
これまでのように義妹思いの妄想で暴走されては、両国の有効的なの関係にヒビが入りかねません。いくらお義兄様でも外交問題になるようなことはしないと思うのですが、まさかという不安を、お父様もエルロイロ様もぬぐい切れないのでしょう。
それにしても、私の結婚話が外交問題になるなど、悪夢以外の何ものでもありません。私とアルト殿下との婚姻を結ぶのあれば、何としても成功させなければ。
……私は溜息を吐きたくなりました。普通とは全く違う意味で、王族の結婚とは政治だと実感しています。
お義兄様のせいで!
「というわけで、エリスの縁談の最大の障害は兄様なので、そこをクリアする作戦を考えたわ」
「ええと、パトリシア様は、それでよろしいのですか?」
「エリス様に良縁が出来れば、ニィも……ニール殿下も落ち着かれるでしょうね。我が家の持てる力を上げて協力させていただきますわ」
ランズデール公爵家に加えて、王国騎士団が味方になるということです。なんという大袈裟な話でしょう。私は陽気に中てられて、眩暈がしそうです。
「そ、それで……作戦というのは?」
「こういう時にあまり策を弄しても、逆に失敗する可能性が高くなってしまうもの。あなたのピンチを殿下が救う、というシナリオでいくわ。分かりやすいでしょう?」
「茶番をするのですか」
「チャバン?」
「ああ……ええと……お芝居をするということですね?」
どうやらこの世界には、「茶番」に該当する言葉は無いようです。
「ええ、そう。観客はお兄様。演者は周りの全ての人。主演はアルト殿下で、ヒロインはエリス。そういう芝居ということよ。殿下がエリスのピンチを助ければ、いくらお兄様でも不満は無いでしょう」
「だと良いのですけれど……。それで、私は具体的に何をすればよろしいのですか?」
「兄様とアルト殿下が戻られたら、今度はエリスが殿下を遠乗りにお誘いするの。馬は乗れるのでしょう?」
「ええ、まあ……」
乗馬も王族の嗜み……というわけではなく、これは完全に私の趣味です。普通の王族・貴族の女性は、自分で馬になど乗りません。ですが、いまだに日本人的な感覚のある私です。馬に乗りたいと思うのも当然でしょう。幼い頃から、淑女教育の合間に乗馬も学んでおりました。
それに、今着ている服装も、パーティ用のドレスではなく、屋外で動き回るのに適したパンツスタイルです。馬に乗るのに不都合はありません。そもそも、屋外の園遊会にこの服装を指定したのはイライザ義姉様ですので、どうやら最初からそのつもりだったようです。
「向こうの林を抜けた先に湖があるでしょう? そこでエリスと殿下は、謎の騎士に襲われるわ」
「謎、ですか」
「一応、名目としては、我が国とオルシア王国の関係を良く思わない国が、暗殺者を送り込んだ、というところね」
「随分と真に迫ったお芝居ですね」
「本物っぽいでしょう? その方がお兄様を騙しやすいわ」
「……もしかして、本当にそういう国があるのですか? オルシアの金鉱山に絡んだ利権が関係しているとか」
「うふふ、国が境を接していれば、そこには友好か摩擦しかないわ」
「あるんですね?!」
「可能性がゼロではないという程度よ。この辺りは王家の直轄地で、湖周辺を含めて安全は確保されているわ。名前もすぐに出てこないような国の暗殺者が、ホイホイと出てくる事はできないでしょうね。そうなのでしょう、パトリシア?」
そこへ、これまで黙ってお義姉様の話を聞いてたパトリシア様が、話に加わりました。
「もちろんです、イライザ様。見えるところは騎士団が、見えないところは我が家の私兵が確認しておりますわ」
「さすが騎士団長の娘。頼もしいわね」
「エリス様を襲う暴漢役は、我が家の中でも腕に覚えがある者を選びました」
「パトリシア様、そのような者たちだと、お義兄様に顔が知られているのではないのですか?」
「もちろん、顔は隠させます。何しろ、謎の騎士ですから」
そう言って、パトリシア様は悪戯っ子のような笑みを浮かべました。
お義兄様のせいで、普段からパトリシア様の私を見る目は非常に厳しいものだったのですが、このように魅力的な笑顔も見せていただけるのですね。
この笑顔にかけて、なんとしても作戦を上手く行かせなければと思いました。
もっとも、この素敵な笑顔に対して申し訳ないのですが、主に私の幸せな結婚の為なのですよね。