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3 義兄の婚約者

 パトリシア・ランズデール。ランズデール公爵家の長女で、お義兄様の婚約者です。

 艶のあるブルネットのストレートヘア。凛としたお顔立ち。立ち居振る舞いは清楚にして優雅。まさに、人の上に立つ貴族女性と言った風格のある方です。

 ですので、パトリシア様から私に向けられる敵意の籠った視線が、とても痛いのです。

 原因は言うまでも無く、ニールお義兄様です。

 お義兄様からパトリシア様へ向けられる愛情は間違いなく本物なのですが、パトリシア様からしてみれば、お義兄様から私へ向ける家族愛は妬ましいのでしょう。

 それが普通の家族愛であれば何の問題も無いのですが、お義兄様の愛情はとにかく重いのです。




 隣国のオルシア王国から来る特使を迎える為、私は調印式が行われる迎賓の間の控室で待機しています。調印式まで、まだ時間はあるようです。

 控室といっても、この部屋だけで舞踏会が開けるほどの広さがあります。そのような広い部屋にいるのは、私とパトリシア様のみです。正確には控えの侍女たちもおりますが、数には入らないでしょう。


「ごきげんよう、パトリシア様。今日も髪がお美しいですね」

「ごきげんよう、エリス様。もしかして、それはイヤミかしら? ニール様がお好きなのはエリス様のような金髪でしょうに」

「いえいえ。先日、お義兄様が申しておりました。パトリシア様の髪が風に靡いているのを見るのが好きだと。サラリとした髪が風に揺れて、パトリシア様の周りを宝石が舞っているようだと。私もそう思います。まるで綺麗に磨かれた黒曜石のようですね」

「……そ、そうかしら?」


 満更でもなさそうに答えたパトリシア様は、肩口から下がる黒髪に手を添えました。

 褒められてすぐに気を良くするあたり、悪い人ではないのです。

 そう、悪いのはお義兄様だけです。


「すまない、待たせた」


 そう言いながら、遅れて控室に入ってきたお義兄様は、真っ先に私のもとへ歩み寄ってきました。


「大丈夫か、エリス? 式典の進行は頭に入っているか? オルシアの第二王子と交わす調印書は? 最後にお前の友好の演説があるが、練習はしたか? 覚えているか?」

「いい加減にしてください、お義兄様! 婚約者を放置して、なんで私などに構っておられるのです! パトリシア様も呆れていますよ!」


 実際には呆れているというより、私を睨みつけているのですが、お義兄様は気付いておられないようです。


「おお、すまない、パティ。今日も綺麗だね。だけど少しだけ待っていておくれ。可愛い義妹が式典で失敗して恥をかかないようにしなければ」


 お義兄様の中で、私は一体いくつの小娘なのでしょうか。成人して三年。すでに何度も公務をこなしている私です。多少の失敗があっても自分で取り戻せますし、何よりメンタルの面で言えば、私は四十過ぎのオバさんなのです。二十歳過ぎの若造に心配されるいわれはないのです。

 もっとも、そんな事を口にするわけにはいかないのが辛いところです。


「もう結構です。私は庭園で時間を潰してまいりますので、お義兄様はちゃんと、パトリシア様のお相手をなさってくださいませ」


 でないと、私がパトリシア様に視線で射殺(いころ)されてしまいます。

 私は怒ったフリをして、控室から一度出る事にしました。侍女に扉を開けてもらうのももどかしく、開いた扉の隙間をすり抜けるようにして控室を後にしました。

 足早に幅の広い廊下を抜けた私は、多くの花が咲き乱れる色彩豊かな庭園へと足を踏み入れます。


「ふう……」


 まったく、お義兄様ときたら、あれでパトリシア様に愛想をつかされないのが不思議な話です。

 王家と公爵家の婚姻ですから、当人の意思は後回しにされます。お互いに不満があっても、簡単に婚約を破棄など出来ません。それだけに、王太子とその妻が不仲という事になれば、国が揺れかねないのです。

 それに、朝食の時にイライザ義姉さまが仰られた通り、私とお義兄様は結婚する事が出来ます。もちろん、パトリシア様もその事はご存じです。だからこそ、あの方は政治的にも個人的にも敵意の籠った視線で私を焼き殺そうとしているのです。

 ですがそれは、大変な誤解です。

 私もニール義兄様も、お互いを懸想しているわけではありません。単にお義兄様の家族愛が、度を越して重いだけなのです。


「でも、傍から見ると、そうは見えないのでしょうね……」

「エリス!」


 と、私を呼ぶ声に振り替えると、呆れた事に、お義兄様がそこにいるではありませんか。


「お義兄様! パトリシア様を放ってこられたのですか?!」

「まさか。パティにはちゃんと言っておいたよ」


 ウソです。絶対にウソです。

 いえ、何かを言ったのは本当なのでしょうけれど、パトリシア様は納得などしていないでしょう。


「いい加減にしてくださいませ! 私も、もう子を成してもいい年なのですよ?」

「分かっているよ。だから、お前に良い相手が見つかるまで、私がお前を守るんだ」

「ああっ、もうっ!」


 まるで分かっていません。

 と、私とお義兄様の間に、すっと小柄な影が割って入ってきました。その影は私に背中を向けているせいもあったのですが、あまりにも自然に入ってきたので、それが年下に見える少年だとすぐには気付きませんでした。

 私の目の前に、少しクセのある茶色髪の後頭部が見えます。


「王宮で罵り合いとはいただけませんね。女性を不快にさせるような事態は見逃せません」


 小柄な体躯に相応しく、少し高いめの声。それでいて、話す言葉は芯の入ったしっかりしたもの。そして、目の前の少年が着ている礼服は……


「オルシア王家の紋章……、色は赤……、もしやアルト殿下でしょうか?」

「いかにも。オルシア王国第二王子、アルトです」


 そう言って振り返った少年は、年相応の爽やかな笑顔を見せました。


「そして、こちらの方は青い礼服。という事は、ルミエール王国の王太子、ニール殿下ですね? お初にお目にかかります。このような場で初対面の挨拶をする事をお許しください。本日の調印式を(つつが)なく終えられるよう、国より申しつかっております」


 ドレスコードというものが、この世界にもあります。公の場に出る王族や貴族は家紋の入った礼服を身に着け、色合いは着ている人の身分を表します。青は第一子、赤は第二子、といった具合ですね。

 この世界では、前世のように画像が一瞬で世界の反対側に届くような事はなく、容姿を伝える手段は伝文か肖像画などしかありません。そこで、社交や外交の場などで行き違いのないように、身分や出自の分かりやすい服装が求められているようなのです。これも外交プロトコルというものなのでしょう。

 ちなみに、私は第一子である事を示す青を基調に、側妃の娘と分かる緑が差し色となったドレスを着ています。


「第一王子、ニールだ。しかし……、君が特使?」

「このようななりですが、成人はしております。そして、恥ずかしながら、今回が初めての公務なので、いささか緊張しています」


 これはウソでしょうね。

 隣国の王太子を前にして、年下の少年とは思えない堂々とした話しぶり。不思議と目が離せません。

 そして、彼も何かを求めるように、私をじっと見つめています。

 求めるように?


「……! し、失礼しました、アルト殿下! 第二王女、エリスです。危ないところを助けていただき、ありがとうございます」

「ちょっと待って、エリス! 危ないところって何?」

「と、このように、兄妹のちょっとした諍いです。殿下が剣を振るうようなことではございません」


 そう言って、私はアルト殿下の手元に視線を向けました。彼は私たちの間に入った時からずっと剣の鞘を握り、すぐに抜剣出来るような姿勢だったのです。


「そうなのですか? なら良かった」


 そこで初めて、アルト殿下は肩から力を抜いたようでした。どうやら、別の意味で緊張していたようですね。女性を守るという目的だったとはいえ、他国の王宮で剣を構えるのは、確かに問題のある行動です。


「殿下! アルト殿下!」


 と、そこへ壮年の男性を筆頭に、数名の騎士が現れました。統一された式典用の装備は見慣れないもので、隣国オルシア王国の紋章が刺繍されています。おそらく、アルト殿下の護衛騎士なのでしょう。


「困ります。他国の王宮で勝手気ままに歩き回るなど」

「すまない。我が国では見られない、見事な庭園だったのでな」


 温暖湿潤なルミエール王国と比べて、隣国のオルシア王国は国土の大半が高地に在る為、鉱山業や林業が盛んです。そのせいか、造園業などは私たちの国ほどには発展していないようです。


「それでは、いったん失礼します。後ほど調印式の会場で」


 そう言って、アルト殿下が堂に入った一礼をすると、背後の護衛騎士たちも一糸乱れぬ見事な礼をして去っていきました。


「……なんだったんだ?」

「……そろそろ戻りましょうか、お義兄様。パトリシア様がお待ちですよ。いい加減、私よりあの方を優先してくださいませ。でないと、そのうち捨てられてしまいますわよ」


 それより前に、私が刺されそうなのですが。

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