2 家族の食卓
「皆には以前に伝えた通り、今日、隣国オルシア王国の第二王子が来る」
「通商条約の調印ですね、父上。以前から結んでいた条約の延長ということで」
「その通りだ、ニール」
パンにスープとゆで卵。王宮内の菜園で採れた野菜に、カリカリに火を通されたベーコン。飲み物はハチミツ入りの薄めたワイン。それと、チーズもあります。
私の目の前に、前世とあまり変わらないメニューが食卓に並んでいます。王族の食卓とはいえ、朝食はこのように質素なものです。その代わり、夕食には領地や領海で獲れた山の幸、海の幸がふんだんに並びます。食の楽しみがある国なのです。
朝食のテーブルについているのは、上席に国王である父ウィリアム・アルバート。横に回ってニール義兄様の母である正妃エルロイロ。隣にニール義兄様。その隣にイライザ義姉様。お義兄様がたの正面に私が一人で座っています。
側妃である母は、私を産んですぐに亡くなられていますので、これが私の家族であり、朝の風景です。
エルロイロ様もイライザ義姉様も、私を実の家族として接してくれていましたので、母のいない寂しさは感じたことがありません。
お義兄様の家族愛が重いだけです。
「調印式は私で構わないのですね?」
「ああ。新しい条約でもないし、内容に変更もない。ニールに任せる」
「よろしかったのですか? 国境のオルシア側では、新たな金鉱山が見つかったそうですが。相場に動きがあるでしょうから、利率を見直すか変動制にした方が良いのでは?」
「鉱山が見つかったといっても、採算に乗るのはまだ先だろう。はずれの可能性もある。今回はこのままでいい。だが、情報収集を怠るな」
「承知しました。父上」
これが、さっきまで義妹愛に溢れた妄言を口にしていたのと同じ人物とは思えません。王太子として、すでに父王の政務をいくつか引き継いでいるお義兄様は、朝食の席でも政治の話をされています。
その調子で、私への態度も政治的に正しいものにしてほしいのですが。
「ところでニール、あなたパトリシア嬢とはどうなの?」
それまで、貴人らしく静かに朝食を口にしていたエルロイロ様が、お義兄様の婚約者について尋ねました。
「先日、ランズデール公爵と狩りをご一緒させていただきましたが、その時に孫を早く見せろと催促されてしまいました。私もパティも、もう少しお付き合いという段階を楽しみたいのですけど」
ランズデール公爵家は、代々騎士団長を務めている家系です。現騎士団長のランズデール公には三人の子供がおり、長女のパトリシア様がお義兄様の婚約者で、少し年の離れた長男と次男がいます。男子のお二人ともまだ成人しておりませんので、早く孫の顔が見たいというランズデール公の気持ちは理解できます。
「王族、貴族の婚姻は政治だけど、そこに愛を持ち込んでも構わないものね。そこはあなたたちの判断に任せるわ」
そこで一息区切りをつけたエルロイロ様は、口調を低いものに変えてお義兄様に釘を刺しました。
「それはそれとして、ニール。いい加減、義妹離れなさい。あなたは順調に愛を育んでいるけれど、あなたのせいでエリスには良縁が来ないのよ?」
「しかし母上! 私はメルセデス様に頼まれたのです! 娘のエリスを守ってくれと! どこの案山子か分からない者に、エリスはやれません!」
案山子というところで私の頭に疑問符が浮かびましたが、どうやらこの世界では「馬の骨」と同じ意味で使われているようです。
「あなたの基準では、誰もエリスの夫になれませんよ。婚姻は政治と言ったでしょう。妥協も政治ですよ」
「ぬぐっ……」
これでお義兄様が凡庸な方でしたら、お父様もお義母様もそれほど困らなかったでしょう。
しかし、お義兄様はなまじ有能なだけに、私のお相手候補が現れるたびに瑕疵を突いて話を頓挫させてきたそうです。……そうです、というのは、私も全てを把握しておらず、気付いたのもつい最近という有様だったからです。
我ながら、呑気にも程がありますね。
それにしても、前世の記憶があるせいか、やはり「白馬の王子様」というものに憧れはあります。しかもそれは、今の私にとって全くの夢物語ではないのです。
ピンチに颯爽と駆けつけ、馬を降りるや剣で敵を薙ぎ払う。そんな白馬の王子様に、私は熱い眼差しを向ける……。
いけません。食事時にこんな妄想をしていては、お義兄様を笑えません。
「兄様って、本当にエリスの事が好きなのですね。いっその事、エリスと結婚すればよろしいのに」
そこへ、唐突に呟かれたイライザ義姉様の一言に、お父様もエルロイロ様もギョッとした顔を見せました。
日本人的な感覚では義理の兄妹で結婚など許されるものではありませんが、この国ではそれほど忌避される事ではありません。特に、王族や貴族は血筋を残す事が求められるので、母が違うのであれば婚姻は可能です。
しかし、そんな両親の反応など気付かぬ風に、お義兄様は言いました。
「何を言ってるんだ。私はあくまで義兄として義妹の幸せを願っている。いずれ良い嫁ぎ先も見つかるはずだ」
「その最大の障害がニール兄様だと、お母様は仰っているのですよ。本当に分かっています?」
「とにかく、自分で動く前に、私かエルに声をかけろ。分かったな、ニール?」
「……承知しました、父上」
不承不承という体で、お義兄様はしぶしぶ了承されました。