FIrst
高校二年の時のある寒い朝、ぎっしりと詰まった電車で、窓越しに映る自分の不安そうな横顔が見えた。背中に忍び寄る不快な感触が心に影を落とした。私は声も出せずに凍り付いていた。周囲に助けを求めようにも、彼らは無関心を装っていた。
その時だった。
「おい、おっさん」
瞬時に私の身体に触れていた男の手は固まり、動きを止めた。恐る恐る振り返ると、男の腕を力強く掴む青年が立っていた。
「え……?」
その声が聞こえた時、私の身体に触れる手が消えた。後ろを振り返ると私の身体を触っていた男の腕を掴んでいる青年がいた。
「いい年して、何してんだよ……」
「え、えん罪だ!」
「ああ、はいはい。そういうのいいんで。ほら、証拠もあるんでね。次の駅で一緒についてきてくれるよな?」
「くっ」
青年がスマホの画面を見せると、男は観念したように項垂れた。
「ったく……」
そして、彼のぶっきらぼうで冷たい視線が私を射抜いた。乱れたぼさっとした髪の毛と、生気の感じられない虚ろな目。一目で「陰キャ」と言わんばかりのオーラを放っていた。
私の驚きと戸惑いが顔に出ていたのか、彼はすぐさま取り繕ったようなぎこちない笑顔を向けてきた。
「あ、え~と、大丈夫?」
それが私と彼━━━坂本進との出会いだった。
不器用ながらも温かいその言葉に私の心は奪われた。
映画俳優のようなイケメンでもなければ、お金持ちでもない。ただの普通の大学生に過ぎない彼に私は一目惚れをした。
その瞬間のことは鮮明に記憶に刻まれている。
今でも、あの時のことは色褪せることない素晴らしい出来事だと思っているが、それと同時に過去の自分を殴り倒したい気持ちにもなっていた。
連絡先も名前も聞かないとか私馬鹿か?
私は、その日以降ベッドで思い出しては後悔するという日々を送ることになり、率直に言って辛い時期を過ごした。
まぁ、半年後に運命の再会をできたから良かったものの……
三年生の夏前。当時の私は荒れていた。
大学なんて行ったって仕方がないのに、両親からは勉強しろと耳にタコができるくらい言われていた。フリーターでもやりながらのんびり好きなことをしてお金を稼ぎたいと思っていたのに、とんでもない仕打ちだった。
これも優秀な姉のせいだ。元々、教育熱心ではなかった両親は姉が勉強できることを知って、私にその無駄な教育熱を向けられた。
姉は家の突然変異なので、そんな迷惑な存在と比べられてとても迷惑だった。
私はせめてもの抵抗として、行く先々の塾で問題を起こしていた。授業中や通学途中でトラブルを起こし、先生や生徒と衝突するような行動をとっていた。塾側は私の度重なる反抗的な態度に耐えかね、何度も退会処分を下した。
私が塾をやめさせられるたびに、両親と私自身がそれぞれの立場を主張し、折り合いをつけることができず、意地を張り合う関係が続いていた。
「はぁ……」
私はもう数え切れないほどの溜息をもらした。夏休みが始まるという名目の下、重い足取りで夏期講習の申し込みに足を運んだ。両親は仕事に追われているので私一人だ。個別指導なら私を御せると思っているのだろうが、それは大きな間違いだということを教えてやろう。
塾の扉を押し開けると、受付にいる無表情な人々に名前を告げた。ほんの一瞬、嫌悪の色が見えた気がする。どうせ『塾クラッシャー』としてこの辺りで名をはせた私は既にブラックリストのような問題児の一人として思われているのだろう。
そして、面談室と呼ばれる無機質な空間に通された私は、虚ろな眼差しでスマホを弄りながら待っていた。すると、外から声が聞こえてきた。
「じゃ、じゃあ、そういうわけだから、幸坂さんは坂本君に任せるよ!いいね?」
「それは承りました。それより、俺の話はどうなったんですか?」
「あ~もう、君もしつこいね!経営的に問題ないんだから今の指導方針を変える気はないって言ってるでしょうが!」
「いや、金貰って何を言ってるんすか……」
「だったら、あの問題児にやってなよ。それでうまく行ったら、考えてあげるよ!はい!この話はおしまい!さっさと仕事をして!」
「あ、くそ!」
それにしても、この面談室は全く秘匿性が担保されていない。
まぁ、今の内容を口コミで広めてあげれば、私はおそらくすぐにこの塾を辞めさせられるだろう。早速自分のXを開いた。
『テキトーな対応をされた!』『問題児っぽい先生をあてがわれた!』
とか言えば、一瞬で広まるだろう。
「はぁ……我ながら本当に面倒な性質をしてんな……」
外ではぶつくさと文句を言いながら、私を担当する先生が面談室の扉がギィと音を立てて開けた。
「はじめまして。坂本進です。よろしく、幸坂祭さん━━━ってどうした?」
「見つけた……」
「は?」
「あ、いえ」
一目見てやろうと思って、面を上げると私は驚愕で身体が凍り付いた。そこいたのは、スーツを着こなし、整った髪型で清潔感を漂わせながら、どこか影のある青年だった。倦怠感を滲ませた声には穏やかでありながら、不思議と芯の強さを感じさせられ、あの日のことを鮮明に思い出させてくれた。
間違いない。私が半年間捜し続けた彼だった。
「ひとまず、俺が幸坂さんを受け持つことになったんだけど━━━大丈夫か?」
「え……あ!はい!どんとこいです!メッチャ頑張ります!よろしくお願いします!」
この塾の悪評を広めて問題児として滅茶苦茶してやろうと思っていた私の邪心はすぐに消えた。それよりも、憧れていた彼に再会できた緊張でテンパっていた。そんな私を見て、彼は微笑んだ。
「失礼だけど、俺が聞いてた幸坂さんの人物像とは全然違うな」
「あ、いえ。問題児なのは事実です……」
今までの行いが噴火するように思い出されてきた。俯きながら、私は自分の過去の評判に対する後悔とそれを憧れだった目の前の彼に知られているという事実で羞恥心がぐつぐつと溢れてくる。
なんというか穴があったら入りたい。
そんな私を見て、おどけるように彼は微笑んだ。
「実は恥ずかしいことに俺もこの塾で問題児扱いされてるんだ……」
「え?」
「この塾の壁は薄いから聞こえてきたと思うけど、上司と喧嘩の真っ最中でな」
「え、ああ、何か言い合いをしてましたね……なぜですか?」
「今の指導方針だと絶対に君らの成績が上がらないから」
自社のサービスを貶めるようなことを従業員である先生が言っていいのだろうか……
全然、喧嘩とかするイメージはないけど、さっきの怒号はそういうことなのだろう。それは上司も怒るし、彼が問題児と言われる所以もわかる。
「塾の方針とは全く違ったやり方になるけど、俺の指導を受けてもらった方が成績は伸びると思う」
そこからは彼が塾の指導方針では何がダメなのかを延々と語り、何が問題なのかを語った。そして、自分ならここを解決できるという論調でずっと語っていたが、馬鹿な私では半分以上理解できなかった。
普通はこんな風に自分の会社を貶めるようなことを言う先生なんて信用できるはずがない。塾には塾のカリキュラムがあり、それが壁に貼ってある合格実績に繋がっていると考えるのが普通である。
そんな”安全”を金繰り捨てて、独自のやり方を信じてくれと言ってきた。
普通なら詐欺師かほら吹き野郎だと思うだろう。
けれど━━━
挑戦的で反抗的な人……カッコいい……!
恋は盲目だった。
「━━━という感じなんだけど、どう?」
「ええ!やります!」
「やっぱり駄目だよな……は?」
先生が間抜けな顔を晒していた。断られると思っていたのだろう。
「私、坂本先生の指導なら受けたいです!ぜひ、受けさせてください!」
「あ、ええと。夏期講習の申し込みに来たんだよな?俺が言うのもなんだけど、パンフレットやHPの内容に惹かれてきたのだったら、それは大きな間違いというか」
「大丈夫です!私、この塾に何も魅力を感じませんでした!そもそも勉強すらする気もなかったし、坂本先生以外の人と面談してたら、Xと口コミで悪評を広げてやろうと思ってましたから!」
「なんだそれ……」
彼は呆れたように微笑んだ。そして、
「さっきの言葉は訂正するわ。幸坂は問題児だよ……」
「そっくりそのままお返ししますよ?」
「違いないな」
二人で笑い合う。『問題児』という言葉が彼とのつながりを感じられて悪い気はしなかった。
「そんじゃあ、問題児同士頑張るか。半年間、よろしくな、幸坂」
「幸坂じゃありませんよ」
「は?」
「私のことは祭と呼んでくださいね?先生?」
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