白崎 花
冬休み前に試験を終えると、暇を持て余すのが普通の文系学生だが、俺には趣味の執筆がある。Webで小説を投稿しているのだが、最近は調子が良く人生で初めて一万ポイントを突破した。この辺りから書籍化の話が舞い込んでくるらしいので、編集者に祈るような気持ちで毎日投稿を続けている。
楽しいのはもちろんだが、その根底には『社会には出たくない』という切実な思いがある。会社勤めなんて俺には無理だ。一発当てて百万部売れれば、苦しい思いをしなくて済む━━━なんて、邪な思いを込めている。
現に、俺の少ない大学の知り合いたちも、投資やギャンブルで一攫千金を狙い、スローライフを送ろうと浅はかな知恵を絞っている。
午前中に回って集めておいた古本を隣の席に置き、執筆をしていたが、作業が終わって時計を見ると、時刻は14時を回っていた。お腹が減ってきたので、老店主にナポリタンを頼むと、すぐに厨房に行ってしまった。
「ふぅ……」
喫茶店【SIROSAKI】━━━俺の行きつけの店だ。
商店街から少しだけ住宅街に入った場所にある喫茶店だ。木の温もりが感じられる家具に、深みのある色合いのテーブルと椅子。壁には長年かけて集められたアンティークや時計がかざられていて、柔らかなランプの光が店内を優しく照らしていた。
集中が途切れると、【TT】のことを思い出す。今のところ、容疑者は祭とカフカ。『高校生』で『受験生』という雑なスクリーニングを行った結果、【TT】はこの二人のどちらかだと思う。
もし違ったら、全力で謝ろう。丁度遊びに行くからその時に全力で奢ればいい。別に相手は俺が二人をストーカーだと疑っていると知っているわけではないのだから、奢る必要はないと言われるかもしれないが、これは気分の問題だ。
面倒くさがりなのに、変なところで真面目なのが俺の厄介な性質だ。
椅子に深く腰を掛けて伸びをする。
「それにしても、今年も俺の生徒たちがうまくいって良かった……」
当然、祭以外にも生徒はいたが、各々、自分の行きたいところはいけたようだ。
一番、大変だった祭もしっかり志望校に受かってくれたし、良かった。そういえば、祭は最初からやる気があったが、順風満帆だったわけではない。一度、俺と大きな衝突することもあった。
そんな時に━━━
「こんにちは。坂本先生」
鈴の音のような声が俺の耳をくすぐった。思わず、顔を上げると、そこには見慣れた姿があった。
「ああ、どうも白崎さん」
白崎花。喫茶店【SIROSAKI】の店員さんで、店主のお孫さんらしい。
黒髪はすっきりとポニーテールにまとめられていて、毛先が軽やかに揺れていた。凛とした雰囲気を纏っていて、眼鏡が良く似合う女性だ。ネームプレートには『花』という文字が刻まれていた。
白崎さんと話すようになったのは、丁度夏頃だった。俺が、こんな風に云々と唸っていた時に、声をかけてきてから、話すようになった。元々、美人な店員さんがいるなぁとは思っていたが俺から話しかけるようなことは天地がひっくり返ってもありえない。
「コーヒーはいる?」
「あ、ええと。じゃあ、貰います。本当にお金はいいんですか……?」
「いつも言ってるじゃない。まだ半人前の私が淹れたものなんてとても商品にならないのよ。それと、敬語はいいって言ってるわよね?お金取るわよ」
「その脅しはどうかと思うがな……」
コーヒーに口を付ける。普通に美味い。
この店に通い詰めている理由の一つは美味しいコーヒーを無料で飲めることだ。白崎さん曰く、コーヒーの味見をして欲しいとのことだった。マスターにも許可は取っているらしく、俺はそれを享受していた。
マスターのコーヒーを飲んでいた時期もあったが、正直、自分の馬鹿舌では違いが全く分からない。ただ、ラッキーだとは思っている。
もちろん、食べ物の料金はきちんと払っているが、白崎さんが淹れてくれたコーヒーなら飲み放題なわけだ。ただ、それでもいつか一人前になった白崎さんが俺から料金を取れるようになってほしい。その時はチップも付けるつもりでいる。
ちなみに、名前で呼ぶと怒る。ネームプレートには花と書いてあったので、初めて会話した時にその名前で呼んだら、自分の名前で呼んでほしくはないと言われてしまった。それならネームプレートを変えろとも思ったが、余計なことは言わないで置いた。
名前を呼んでほしい祭とは真逆だが、人によって色々あるのだろう。俺としては、名前で呼ぶよりも苗字で呼んだ方が楽なので、良かったまである。
すると、白崎さんは頬杖を突きながら、俺の向かい側に腰を下ろした。
「それより、先生。何かあったのでしょう?話してみたら」
「仕事は良いのか?」
「閑古鳥が鳴いているのは眼に見えてわかるでしょう?ぶっちゃけ暇なの」
「そうですかい……」
こうやって店が暇な時間は雑談をすることが多い。
ちなみに俺が先生と言われているのは、塾のことはそうだが、俺が小説を書いていることも知っているからだ。ダブルミーニングなわけだ。
それにしても、俺ってそんなに分かりやすいのだろうか。結構、ポーカーフェイスには自信があるつもりだったんだがな。
「当ててあげるわ。女、でしょう?」
「……なぜそう思う?」
「勘よ」
第六感を使われては困る。
「生徒さんの話かしら?それともコンビニで駄弁るギャルのことかしら?名前は確か、祭さんとカフカだったわよね」
「何でわかるんだよ……」
「勘よ」
「そうですか……」
第六感を使われては困る(二回目)。
「大方、その両方の女の子に好意を持たれていると気付いて、困惑してるってところかしら」
「全然違うが?」
得心を得たとうんうんと頷いているが、全くそんなことではない。
「知り合いの受験生、まぁカフカが受験生だったっていうのは昨日知ったんだが、二人とも俺の大学に進学するんだよ」
「へ~」
「受験指導をする立場の俺からしたら、受かってくれるのは何よりも嬉しいんだが、困惑もあってな」
そういえば、祭とカフカは同じ学年だ。あの二人ならすぐに仲良くなるだろう。そして、俺をいじってきそう……
といっても、俺は大学四年生で単位は取り終えているから、就活とゼミ以外で学校に行くことはない。基本的にはバイトと執筆と読書に耽る最後の一年を堪能しようと思っている。
「ふふ、良かったじゃない。努力が実って」
「そうだな。祭もそうだが、カフカも」
「違うわよ。先生のよ」
「俺?」
すると、にんまりと笑って来た。
「ここで、祭さんのために頑張っていたじゃない」
「━━━何のことだか……」
俺の中にある数少ない善意だが、生徒の成績が伸びなかったら、金を貰う資格はないと思っている。
塾講師を俺は大学入学と同時に始めたので、現在四年目に入ろうとしている。
俺は今年度、盛大に塾と喧嘩をした。
雇ってもらっている手前、これを言うのは申し訳ないが、うちの塾の教材で生徒の成績を伸ばしきるのは不可能だと思った。それは数年しかバイトをしていない俺でもよくわかった。
受からないで泣く生徒を見たくない一心で、社員に改善を促したことがあるのだが聞く耳を持たなかった。
だから、今年度の俺は勝手に自分で教材を作り、指導方針も全部オリジナルでやっていた。
では、問題。教材を勝手に作り、指導方針を考える時間に時給は付くでしょうか?付くわけねぇよな……
我ながら本当に損な性格をしていると思うわ。
「でも、坂本先生が受け持った生徒たちが塾の合格実績を稼いだんでしょう?」
「褒められたやり方じゃないから、生徒たちからあんまり感謝されなかったけどな」
別に感謝されるためにやっていたわけじゃない。受からせるのが俺の仕事だから、やっただけだ。
「祭さんは分かっているんじゃない?それと私も」
「そうですか……」
俺を見て微笑む、白崎さん。まぁ、喫茶【SIROSAKI】でたくさん作業をしてたし、俺がやっていたことも知っている。
「そういえば、私も今年から、先生と同じ大学に進学することになったのよ」
「ブフ!?」
俺はコーヒーを噴き出した。慌てて、ティッシュを探そうとするが、白崎さんの方が一瞬早かった。
「もう……仕方ないわね」
そう言いながら、白崎さんは身を乗り出して、ハンカチで俺の口元を優しく拭ってくれる。あまりにもスムーズな動作だったので、拒否することを忘れていた。
それよりも━━━
「白崎さんって……受験生だったの?」
「ええ。そうよ」
「マジかい……」
カフカの時と同じように、勝手な思い込みで大学生だと思っていた。見た目も身長も仕草も大人びているし、話し方もしっかりしていたから、当然のように俺より年上だと━━━
「というわけで、これからは先生じゃなくて、先輩ね。よろしく、坂本先輩」
白崎さんはにっこりとほほ笑んだ。
「あ、ああ」
俺はぎこちなく、返事をした。
二度あることは三度あると言うが、昨日の今日で驚かされ過ぎだろ、俺……
もう少し、他人のプライベートや身分に興味を持とうと思った。
ん?『受験生』ということは、白崎さんも【TT】候補なのか……?
「どうかした?」
「いや……」
そういえば、白崎さんも俺のスケジュールは知っている。基本的に俺はここで過ごすことが多い。特に十二月ごろになってから、大学も小説もバイトも佳境に入ってきて、毎日のようにここに入り浸っていた。雑談で俺のことを教えたこともある。
ちなみに俺はコーヒーを無料で飲みたかったので、白崎さんにはシフトを教えてもらっていた。大体昼頃に入っているらしい。
冬休みになると、塾の方が冬期講習で早い時間からやっていたため、ここには開店と同時に入っていたので、白崎さんのシフトと被らなくなる。その間は俺はしっかりコーヒー代を払って作業をしていた。
カフカの時と同様に、午前中何をしていたのかと聞こうと思ったが、
「そんなことより、私にはお祝いはないのかしら?」
白崎さんは、ふっと頬を膨らませながら俺をじっと見ていた。
「え?」
突然の言葉に、思わず間抜けな声が漏れた。
「私、受験が終わったのよ?他の二人にはお祝いをしておいて、私だけないのかしら?」
白崎さんは身を乗り出して、少し拗ねたような口調で俺に詰め寄ってきた。長い髪がさらりと揺れ、甘いシャンプーの香りがふわりと鼻をかすめた。
数秒見つめ合うと、白崎さんは盛大なため息をついて、椅子に深く腰掛けた。
「あ~あ。先生にはたくさんコーヒーを奢ってきたのに、ちょっとでも可能性がありそうな女が出てきたら、私は用済みなのね……」
白崎さんの言葉には軽い冗談めいた響きがありながらも、どこか拗ねたような感情が滲んでいた。
「ちょっと待て。それは人聞きが悪すぎるだろ……」
誤解を招きそうな言葉に俺は思わず反論した。しかし、白崎さんは頬杖をつきながら、窓から外を見た。
「受験が終わったから、動物園にでも行きたいわね」
「……分かった分かった。お世話になってるから、連れてくよ」
少し面倒に感じたが、彼女には色々と助けてもらったし、断る理由もない。
「そう。それなら楽しみにしてるわ。はい、これ、連絡先」
白崎さんは満足気に微笑みながら、スマホの画面を俺の方へと差し出してきた。
どうやら逃がす気はないらしい。画面には白崎さんのインスタのプロフィールページが映し出されていた。俺はいちおうアカウントだけは作ってあったので、慣れない手つきで連絡先を交換した。
「それじゃあ、また連絡するわ。先生が暇なのって、〇月〇日よね?」
「━━━ああ」
「それじゃあ先生もそろそろ読書の時間でしょう?さようなら」
不敵な笑みを浮かべると、白崎さんはカウンターに戻っていった。俺もこれ以上ここにいる予定はない。俺は基本的に午前中は書店を周り、午後になると【SIROSAKI】で作業をして、バイトがあればそのまま仕事に行く。
今日は仕事がないので、このまま家に帰るのが、通常通りなのだが、もう一度本屋に向かうことにした。
ペダルを踏み込むたびに、冷たい夜風が肌を刺し、思考を研ぎ澄ませていた。
俺の中にあるのは一つの違和感。祭とカフカに感じたものと同様のものだった。
「━━━白崎さん。俺、祭とカフカの合格祝いをするって言ったっけ?」
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