カフカ
「お疲れ様でした~」
バイトが終わり、生徒たちの挨拶の声が消え、長い一日に終わりを告げるその言葉を吐いた時、自然と肩の力が抜けた。
寒さが肌を刺す冬の夜、自転車のタイヤが凍ったアスファルトの上を進んでいく。吐く息は白く、街灯の光に淡く照らされていた。進む先の通りの店は閉まり、静寂が街を包み込んでいた。塾はその性質上、夜遅くまで営業しているので、帰り道は人気が途絶えていることが多い。この不気味さも慣れると心地よい。
自転車を漕いでいると、前方に暗闇の中にぽつんと浮かぶ明かりが目に入った。24時間営業のコンビニだ。自転車を停めて、中に入ると、暖気が肌を撫でる。夕飯を作るのは億劫なので、バイト帰りはここのコンビニ飯を調達する。
「唐揚げと肉まん、後コーヒーだな……」
暖を取れそうなモノを購入すると、店を出ると、再び寒気が肌を刺す。本当ならここで食べていきたいところだが、イートインスペースはない。家で食おうにも、これはこれでゴミになるから、ここで食べてしまいたい。
俺は冬の寒さを我慢しながら、外に出て、コンビニの裏手に回る。商品は買っているし、そこまで長時間居座るわけでもないという言い訳をして、俺はいつもの定位置に腰を下ろし、肉まんに口を付けた。
身体の芯からあったまっていくのを感じながら、今日のことを思い出す。
祭が帰宅後、俺は生徒対応に追われていたが、【TT】かどうかをさりげなく確認した。具体的には【TT】が俺の家に侵入していた期間の『午前中に何してた?』と聞いてみた。
祭にもこうやって、聞けばよかったと後悔した。
ちなみに、生徒たちはみんな学校と答えた。
受験生以外は当たり前なんだがな……
その表情に嘘は全く見えなかった。そもそも、下級生たちに俺はそこまで好かれていない。例外は受験生の祭だけだった。
「やっぱり祭なんかな……」
さっきは俺を異性として見ていないとか考えていたが、少なくとも嫌われはいないと思う。遊びに行くかと事故った時も、普通に嬉しそうにしていた。
それが好意なのかどうかは俺には分からない。
ちなみに逃げるという選択肢はない。
『先生!〇月〇日に遊園地に行きますよ!暇なのは知ってるので、逃がしませんよ!(^^)!』
と連絡が来ていた。丁度暇な日だったので、断る理由もなかった。
「あ、センセイだ~。ち~す」
「ん?」
間延びしたような声が耳に届いた。コンビニの明るい蛍光灯に照らされるように1人のギャルが俺に向かって笑顔で手を振りながら、近づいてきた。
銀髪に染められた髪はウェーブがかけられていて、肩にかかっている。化粧は濃い目で、アイラインが目元を長く引いてあり、唇はピンク色に光っている。厚手のダウンジャケットを羽織り、無地のミニスカートと黒いタイツを履いてる。
ファッション最前線にいるような人種だ。彼女は俺の隣に拳一個分開けて座る。
「遅かったな、カフカ」
「いや~、ごめんね~。ちょっと色々あってさ」
彼女の名前は━━━実は知らない。ただ、カフカと名乗っていたので、俺はそう呼んでいる。偽名に決まっているが、特にそこは追及しなかった。
カフカはゆるふわギャルで俺のような陰キャでも話せる気軽さがあった。オタクに優しいギャルが本当に存在したのかと密かに感動していた。
彼女とは夏頃からここで話す仲になった。辛いことがあったのか、ここで泣いていたので、俺がコーヒーを奢ったら、なんか懐かれた。
それ以来、どちらが約束するということもなく、ここで駄弁る仲になった。内容は色々だ。愚痴を言い合ったり、今日はこんなことがあったと報告し合ったりと、本当に他愛ないことばかりだ。
ちなみにセンセイと呼ばれているのは俺が塾でバイトをしていると言ったからだ。あだ名のようなものである。
「アレ~、センセイ、今日はなんか元気だね~」
「そうか?」
「うん。いつも死んでる目が今日は仮死状態くらいには回復してると思うよ~?蘇生したのかな~?」
「そもそも死んでないからね?」
「じゃあ、どうして~?」
一応、心当たりはあるが、それを口にするのはちょっとだけ躊躇った。頬がかすかに熱を帯び、視線が泳ぐ、コーヒーを少しだけ飲み、気持ちを落ち着かせた。
「実は、俺の生徒が受かってな……」
「それってセンセイがいつも言ってた問題児ちゃん?」
「……まあ、そういうこと」
誰と言ってもいないのに、すぐ当てられた。俺が話題に出す生徒なんて祭しかいないからな。
「良かったね~、センセイのお気に入りの生徒が受かって~。嬉しい?」
「どうだろ。喜びよりも安心感が勝ってるな」
コーヒーをグイっと飲み干すとほのかに漂う苦みの香りが鼻をくすぐった。中身がなくなったことを少し残念に思いながらも、自然に口元がほころんだ。
「グフ」
俺の脇腹に激痛が走る。痛んだ箇所を見ると、カフカの肘が俺の脇腹に刺さっていた。
「何すんの……?」
カフカに抗議の視線を送った。
「別に~、センセイは問題児ちゃんのことが大好きなんだね~」
「何でそうなるんだよ……まぁ、手のかかる奴ではあったが……」
「酷いな~、センセイに会うためだけにこんな時間にお洒落してきたのに問題児ちゃんの方がいいんだね~」
「カフカが何を言っているのか分からん……」
頬を膨らませて、俺に抗議してきた。祭を生徒にした俺の苦労を味わってほしい。
「まぁいっか~」
「いいんかい……」
相変わらずカフカはマイペースだ。とりあえず、俺の脇腹に肘をいれたことを謝ってほしい。
「それよりさ。センセイって、◇×大だよね~?」
「そうだけど」
カフカが俺を見てニコリと笑った。
「私も来年から、一緒の大学だから、よろしくね~」
カフカはにっこりと笑いながら、顔の前に両手でピースをした。
「は?」
思わず、間抜けな声が出た。
「あら~。コーヒー落としちゃったよ~」
「わ、悪い」
缶を落とすと、カフカがそれを拾って、手渡してくれた。
俺は混乱していた。俺の大学は私立の文系ではトップクラスに偏差値の高い学校だ。本当に失礼だが、ギャル=馬鹿という単純な図式に勝手に当てはめていたせいで、完全に意表をつかれた。
カフカはそんな俺の反応が面白いのか悪戯っぽく目を細めて、にっこりと笑った。
「私、実は先生と同じくらい頭が良いんだぜ~?にひ」
「いや、ごめん。マジで偏見持ってたわ」
「いいよいいよ~。こんな見た目してると、馬鹿だと思われるから、頭がいい大学の名前を出すとみんなが驚いてくれるからね~」
「計算通りなのか……」
マジかよ。今まで頭が悪いと思っていたのに、これらがすべて計算だと知ると、計り知れない存在に見えてきた。
「改めて、同じ大学だから、よろしくね~」
「おう。一年間だけだけどな」
半年間の付き合いなのにカフカが突然遠い存在のように感じた。いや、高校生くらいだろうとは思っていたが、それ以上深く考えることはなかった。
それにしても、駄弁る仲だったのに、相手の身分に興味を持たないとは、我ながら呑気なものだ。
そんなことを考えていると、ふと気づいた。
「ん?『高校生』『受験生』……?」
「どうかした~?」
「いや……」
カフカには俺のルーティンを伝えたことがある。そうでなければ、連絡先を交換していない俺たちここで仕事終わりに駄弁るなんて不可能だった。
アレ?もしかして、カフカも【TT】候補なのか……?
そういえば、カフカの声はのんびりしているが全体的に心地よい。【TT】とはちょっと違うが良い声には違いない。
「私に何か聞きたいことでもあるんじゃないの~?」
「え、いや。どうでもいいことだから」
「嘘だね~。何か隠し事してるでしょ~?アーリーアーリー」
パスを寄越せと、カフカが言ってきた。
仕方がないか……
祭の時と同様、お前は俺のストーカーなのかと聞くわけにはいかない。そんなことをして、違ったら失うものが多すぎる。かといって顔出ししていない【TT】が身分を明かすわけがない。
「カフカってさ、昼間は何してんの?」
「ん~?」
「俺たちって夜にしか会わないだろ?少し、気になってな」
完璧な質問。【TT】が俺の知り合いだと言うのは知っているが、【TT】は俺がお前を探していることを知らない。だから、こんな単純な質問でもボロを出すと思った。
「確かにそうだね~。とはいっても、最近は勉強漬けだよ~。これでも受験生だからね~」
「そうか……」
それだけしか感想が出てこなかった。
カフカが【TT】じゃなくて、安心した。そもそもの時点で、カフカは俺に好意を抱いている素振りが見えない。俺の早とちりだった。
「ま~、それでも自宅研修期間は少しだけ友達の家で遊んだりしてたよ~。勉強ばっかじゃ、疲れちゃうからね~」
参った参ったと肩をわざとらしく叩く仕草をするカフカを見ると、受験から解放された喜びを存分に味わっているようだった。その表情は晴れやかで、心の底から安心しているようだった。カフカはおっとり系のギャルで、あまり感情らしい感情を表に出さないが、それでも緊張しないわけではなかったのだろう。
そういえば、最近は愚痴っぽかった。受験のストレスが大きかったのだろう。
そんなカフカの姿を見て、俺はふと考えた。
「それじゃあ、何かお祝いでもしてやろうか?」
「え?」
カフカが俺をじっと見ていた。普段はおっとり笑顔のカフカが信じられないものを見ているような無表情だった。
「いや、アレだ。カフカは俺の愚痴を聞いてくれてるし、友達みたいなもんだからな。受験生を教える立場としては、お前らの苦労はわかるからな。解放されたカフカにはご褒美というか」
別に悪いことをしたわけでもないが、言い訳がましくなってしまった。それでも、最後にカフカは微笑んでくれた。
「ん、それなら、センセイの厚意に甘えちゃおうかな~」
カフカは悪戯っぽく俺の方へ身を預けてききた。まるで、猫が気まぐれに甘えてくるようだった。
しかし、すぐに俺をジト目で見た。
「ただ、センセイって随分こなれてるよね~、生徒にもそうやって手を出してるんじゃないの~?」
「……いや、そんなわけない」
「その間はなんなのかな~?」
「詮索しないでくれると助かる」
「仕方ないな~」
祭のは事故なのでノーカンだ。すると、カフカはメモ帳を取り出して、そこにメアドを書いて、俺に渡してきた。
「これ、私の連絡先ね~」
「今どき、紙で書いて渡すなんてことあるんだな……」
「まぁね~。これでも、ミステリアスなギャルで通ってるからねえ~」
「自分で言うなよ……」
確かに騙されたので、それ以上言うコトはできない。そうやって、人を騙すのがカフカの楽しみなのだろう。メアドの交換なんて平成の中期の文化だ。とりあえず、慣れない仕草でカフカのメアドを登録した。
「さて、そろそろ、帰るかな~」
「俺が言うのも何だが、補導されないように気を付けろよ?」
「本当にセンセイが言うなよってセリフだね~」
俺に背を向けて歩き出したカフカは夜闇に溶け込むように闇に飲まれていく。トレードマークの銀髪だけが星のように存在感を放っていたが、それも完全に消えた。
俺はカフカが見えなくなったのを確認すると、自転車置き場に向かった。
「ん?」
すると、俺のスマホにメアドに通知が届いた。
『愛してるよ~、センセイ♡』
『大人をからかうなよ……』
『ううん。嬉しかった。遊びに行きたい場所を考えておくから、そこに連れてってくれると嬉しいな』
『了解……』
喜んでくれているようなら、良かった。
ところで、カフカ━━━
友達の家って、もしかして、俺のアパートのことじゃないよな?
『重要なお願い』
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