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幸坂 祭

仕事場に着くと、俺はいつものブースに行く。最低限の仕事を最小限のエネルギーでこなし、手を抜くところはどんどん抜く。これが俺のモットーだ。けれど、今日はどうも仕事に集中できない。これでは、本当のサボりになってしまう。


「ふぁ~」


「先生~、仕事中ですよ」


「あ、悪い」


思わず、あくびが出てしまったのを生徒にたしなめられた。本当に気が逸れ過ぎた。すると、生徒━━━幸坂祭(こうさかまつり)が俺をじっと見ていた。


「どうしたん?」


訝し気に訊ねると、祭は悪戯心満載で微笑んだ。


「突然ですが、仕事を真面目に行わない先生に良いニュースと悪いニュースがありま~す!どちらから聞きたいですか?」


「どうでもいい。それより、ちゃんと勉強に集中してくれ」


「先生がそれいいます?」


「それもそうだな……」


素直に謝る。なんというか今日ほど仕事に身が入らない日も珍しいかもしれない。すると、祭が俺の方を見て聖母の微笑みを浮かべた。


「どしたん?何か悩みがあるなら、私に相談してみ」


腹立つな、この顔。生意気にもタメ口だし。


「……実は、ある生徒が滑り止めの大学の試験を病欠して、第一志望も手応えがないらしいんだ。このままだと浪人になるから、後期に向けて気合いを入れて欲しいところだが、本人にはまるで危機感がないようでな」


「へ~そんな生徒がいるんですか。う~ん、でもぉ」


厭味ったらしい皮肉をたっぷりに伝えるが、祭には全く効果がない。


ほっぺに人差し指を当てて、少し斜め上を向いて考える仕草があざとくて可愛い。


「その生徒は多分、こう思ってるんですよ。『愛しの先生を独占できて、手取り足取り教えてもらえる期間増えてラッキー♡』って。良かったですね~。愛され教師で」


「……担当、代わってもらおうかな」


「ツンデレはモテませんよ~?」


「ガチなんだが?それより、雑談はここまで。さっさと、始めろ。祭」


「は~い」


幸坂祭(こうさかまつり)


艶やか甘栗色の髪を肩まで伸ばしている。受験期だからか、少しだけ髪の手入れが疎かになっている感じがする。ぱっと見て可愛い後輩系女子だ。何かにつけて甘えながら、からかってくるのが得意技だ。


夏休み前くらいに、祭はうちの塾に通い始め、俺がメインで担当することになった。入塾時点ではそれほど、高くなかった成績は夏休みで一気に伸びて、今では私立文系組の中でトップクラスの成績を誇っている。保護者には塾の先生と度々衝突を起こしていた問題児と聞いていたがそんなことは全くなかった。


ただ、不思議なのは。なぜか出会った頃から俺に対してだけは生意気な態度を取っていた。からかってくる感じが絶妙で小悪魔的な『魔性の女』を思わせる雰囲気を纏っていた。


下の名前で呼んでいるのは強制された。『祭』と呼ばないと、本当にうんともすんとも言わないので、俺は仕方なく、名前で呼んでいる。


祭のプロフィールはこれくらいにして、本題に移るか。


祭が【TT】(ラブ)なのか問題……


【TT】(ラブ)の声は澄んだ声。対して、祭の声は甘く耳をくすぐる声。どちらも良い声だが、種類が全く違うので、祭は【TT】(ラブ)ではない。


ただ、歌手は歌声と普段の声が全然違うと言う話を聞いたことがあるので、祭を容疑者から外すのは早計だと思った。


結論:全く分からん☆


「んにゅ?先生、どうかしましたか?」


「いや……なんでもない」


考え事をしながら、祭の横顔をじっと見ていたのが、バレてつい視線を逸らした。


「先生」


「ん?」


「大好き♡」


「唐突に何だよ……」


「何か言いたくなりまして」


俺の中で【TT】(ラブ)が祭ではないと言い始めた。【TT】(ラブ)は俺に好意を抱いているはずだ。じゃなかったら、俺の家に不法侵入などするはずがない。


それに対して、祭は完全に俺を男として見ていない。もっと言うと、舐められている。じゃなかったら『大好き♡』なんて軽く言うはずがないのだ。


すると、祭が教室をきょろきょろと見始めた。


「それにしても、全然生徒がいませんね~」


「……そりゃあな」


この時期になれば、高校三年生は皆、受験でまばらになる。塾の経営面としては二月から三月は塾に収入が全く入ってこない時期できつい。春季講習でいかに生徒が取れるかが大事になる。


「二人きりだね♡」


「そのセリフを聞いて、嬉しくならないことってあるんだな」


一瞬、ドキッとしたのは内緒だ。


「彼女がいない先生へのプレゼントワードですよ。一生に一度しか言われないと思いますので、墓石に刻んでくださいね?」


「いちいち、俺を傷つけなきゃいけないのかよ~……」


悲しいことに、女っ気がない俺にとってこの一言は本当に一生に一度の言葉になる可能性があるということだ。


なんか危機感が沸いてきたな。


「それにしても、先生、本当にボーっとしてますね━━━何かありました?」


「え?いや……」


「私、心配ですよ」


祭が真剣な眼差しで俺を見てくる。普段のおちゃらけた雰囲気は一切感じず、瞳には心配も含まれていた。


悲しいかな。複雑なのは、祭が実は俺のストーカーなんじゃないかと疑っていることだ。


それを伝えて、祭の正体が【TT】(ラブ)ではなかった場合、傷つけてしまう可能性がある。もっと言えば、いらぬ誤解を与えたということで、バイトをクビになるかもしれない。


じゃあ、お前は【TT】(ラブ)なのかと直接聞いて、答えてくれるだろうか。答えはNOだろう。


顔出ししていないということはメディアに出演したくないとか、身バレをしたくないとか色々あるのだ。


ただ、俺の好奇心が祭にお前の正体は【TT】(ラブ)なのかと聞きたいと言っている。


知りたい。確認したい。疑いを晴らしたい。


でも、もし違ったら?


リスクが大きすぎる。


だけど、リスクを天秤にかけても、聞いてみたいという欲求が強まる。


そんな色々な葛藤を乗り越えてでていたのは━━━


「━━━受かったら遊びに行くか?」


「え?」


やらかした……


沈黙が訪れる。いつもはやかましい祭が目をぱちくりして固まっていた。壊してしまった、空気を取り繕うとして、訂正しようとするが━━━


「それ、本気ですか……?」


祭が一歩詰め寄り、真剣な眼差しで問いかけてくる。その表情を見て、冗談だと言うことはできなかった。


「……まぁ受かったらな」


「言質、とりましたよ?」


「お、おう。受かったらだからな?」


とりあえず、後期受験に向けて……て、こいつ


「祭、授業中だぞ」


「ん」


スマホをしまえと言おうとしたら、祭が無言で画面を見せてきた。そこには桜が舞い散る桜の中に浮かぶ、たった二文字の。


『合格』


「は?」


脳が一瞬フリーズした。何度も瞬きをして、画面を凝視した。ギギギと視線を横にずらすと、祭がにっこり笑っていた。


得意げに、悪戯が成功した子供のように。


「さっき言ったじゃないですか。良いニュースがあるって。第一志望は受かってました。イエイ!」


「先に言えよ!」


思わず叫んでしまったが、すぐに口を抑えて、取り繕う。祭にどういうことかと視線で鋭く訴えたが、祭に反省の色は見えなかった。


「だから、良いニュースと悪いニュースがあるって言ったじゃないですか~早とちりは良くないゾ☆」


NAGURITAI☆


「はぁ……じゃあ、悪いニュースって何だよ……」


「本当は後期受験が終わった時にビックリさせようと思ったのに~、ご褒美で釣るなんて先生のテクニシャン!サプライズがなくなっちゃったじゃないですか~」


「知らねぇよ……」


祭の声が弾んでいた。楽し気な調子が妙に場違いで、ついびぼやいてしまった。


俺はペンを机に投げ出し、背中を椅子に預けた。背もたれがギシッと鳴る音が、緊張の糸が切れた合図のように響いた。


「それにしても、先生ったら。私のためにこんなご褒美を用意してくれていたんですね~!可愛い~!あ、それとも、特定の生徒を依怙贔屓するクソ雑魚先生って言った方がいいですか~?」


「疲れてるんだから、追い打ちしないで……」


机の端に置かれた参考書を手探りでつかみ、無造作に顔の上にのせる。ひんやりとした表紙が、火照った頭を冷却してくれた。


色々言いたいことはあるが、それを差し引いても━━━


「……なんだ。祭が受かってくれてよかったよ」


「素直な先生ってキモイですね」


「泣くぞ?」


俺の感動の一言をキモいの一言で貶しやがった。


タイミングよく鐘が鳴った。勉強らしい勉強はしていないが、それでもいつもより疲れたのはなぜだろう。


「一応、これで私の受験は終わりです。合格が決まったので、後期を受けることもありません。受験料の払い損ですね」


「そうかい……」


なんというか身体から力が抜けた。これで、この問題児から俺は離れることができるわけだ。とはいえ、どこか胸の奥が温かい。祭が自分の道をしっかり歩んでいけることに、ほっとしているのかもしれない。


「あ、先生」


「ん?」


俺が感動に浸っているというのに、情緒を壊して顔を覗き込んできた。


「先生。ご褒美の約束。忘れないでくださいね?あ、これ、私の連絡先です」


スマホを差し出してきた。


「いや、生徒と交換するのは不味いって……」


「もう、生徒じゃありませんよ。進センパイ(・・・・・)


「その呼び方、違和感しかねぇな……」


祭は俺と同じ大学・同じ学部・学科に進学することになった。これまでの「先生と生徒」という関係か「先輩と後輩」の関係として、同じキャンパスライフを送ることになる。


「先生の性格上、連絡先を交換してなかったからあの約束は無効だなとか考えそうじゃないですか。逃がしませんよ~?」


「よくご存じで……」


多少の葛藤はあったが、生徒ではなくなった以上、連絡先を教えるのはルール違反ではないだろう。しぶしぶ、俺のLINEを教えた。


祭がコートを羽織り、立ち上がった。そして、俺に一度頭を下げてきた。


「それじゃあ、先生。改めて、半年間ありがとうございました」


「俺は何もしてねぇよ。祭が頑張っただけだ」


「それもそうですね」


そこは納得するところじゃないだろ……


「先生が暇な日は把握(・・・・・・)している(・・・・)ので、ちゃんと遊びに連れていってくださいね?」


「━━━わかってる……」


逃がす気はないらしい……


まぁ口に出した手前、逃げるのは良くないか。


祭は最後にもう一度俺に頭を下げると、軽い足取りで教室を出ていった。軽く外を覗くと、廊下で出会った他の先生たちに、ひとりひとり頭を下げて挨拶をしていた。その様子を見て、見慣れた顔がどこか遠く感じられた。


「さて、気合を入れますか」


次のコマから別の生徒がくる。俺は頬を叩いて、次の授業準備を始めた。


ただ、少しだけ心に謎がくすぶった。


バイトのシフトが入っていない日ではなく、暇な日と言ったのはなぜだろう━━━

『重要なお願い』

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