Second
「何にもうまく行かないな……」
夏の夜、時計の針が夜中11時になろうとしていた。女子高生としては決して外に出てはいけない時間帯だ。しかし、私は銀髪を靡かせ、ギャルのような恰好をすることによって夜の闇に紛れていた。
通報されるのを避けるための、私なりの自衛策だ。今の私を女子高生だと思う人間などいないだろう。
もう一つ、私がこのような恰好をするのは嫌いな自分自身を偽れるからだ。優秀な姉と比べると、私はどうしようもない劣等生だ。そんな自分が、あの人と血をわけた姉妹だという事実が、何よりも耐え難かった。
もしかすると、別人のように振舞うことで、私は自分を保とうとしていたのかもしれない。
気まぐれにコンビニ立ち寄り、甘いアイスを手に取る。コンビニ裏には良さそうな場所が見つかったので腰を下ろして、アイスを口に含むとひんやりとした甘さが広がった。
火照った体を一瞬で冷やしてくれるその感触がたまらなく心地よかった。だけど、冷静になるにつれて、冷水を浴びせられたような気分になった。
「本当に私は何ができるんだろ……」
旨の奥に広がる広がる情けなさで、膝にうずくまった。
勉強もできなければ、スポーツもできない。それでも好きなことがあったから、頑張っているのに、全く成果が出ない。無能なお前は何をしても、無能なんだよと突きつけられているように感じて、自分に絶望した。
時間とともに、アイスが静かに溶けていく。滴る甘い雫がアスファルトを濡らしていくのをただ眺めている。何もしない時間がこんなにも重く、苦しく感じる。
もう諦めようかな━━━そんな考えが、頭の片隅でゆっくりと説けていくアイスのように広がっていく。
「あの、大丈夫ですか……?」
「え……?」
不意に声をかけられて、私は固まった。スーツを着こなし、整った髪型で清潔感を漂わせながら、疲労を滲ませた青年が私を見降ろしていた。
「あ、え、と」
私はしどろもどろになりながら、どうすればいいのか分からなかった。目の前の彼も二の句を告ぐわけでもなく、ただ私が何かをするのを待っていたが、頭をポリポリと搔きながら、私の手元を指差した。
「アイス……」
「え?あ」
いつの間にかアイスはすっかり溶けきってしまった。万年金欠の私にとって、たった一本のアイスとはいえ、貴重な贅沢だった。それがこんな風になってしまって、私は溜息をついた。
すると、彼は何も言わずに、コンビニへ向かった。ほんの二分と経たないうちに、彼は戻ってきた。手には、私が買ったのと同じアイスが二本━━━。
「どうぞ」
「……何のつもりですか?」
二分もあれば、冷静になる。こんなことを善意でやると思えるほど、私は子供ではない。もしかしたら、JKに手を出して、遊んでいる危ない男なのかもしれない。そう思った私は少しだけ警戒しながら距離をとろうとした。
すると、彼は少しだけ困ったように頭を掻いた。
「……何ででしょうね?普段の俺なら、こんなことはしないと思います」
私に特別感を持たせるナンパアピールか……?いや、それより、まさか━━━?
「貴方の姿が今日泣かせてしまった生徒にそっくりでね。なんか放っておけなくなったというか……俺も何をしているんだか……」
私はその言葉を聞いて確信した。
すると、彼はすぐに踵を返して、私に背を向けた。ただ、私はそんな彼の様子を見て好奇心という名の悪戯心が目を出した。
「待ってよ~」
「ん?」
彼が私の方を見た。
「せっかくだから、少し私とお話しようよ~、元々そのつもりだったんでしょう?」
「まぁ……」
ほらほらと私はそっと手を伸ばして隣の石畳を叩いた。彼は私の意図を汲み取ったのか、ためらいがちに視線を落としながら、少しだけ私から距離をとって座った。
「お兄さん……じゃなくて、おじさん名前、何ていうの?」
「え?俺、まだ二十歳を超えたばかりなんだけど……坂本進です」
彼は大きなショックを受けていた。その顔は青ざめ、言葉を失っている様子だった。そんな彼の姿を見て、私の胸の奥がスッと軽くなるのを感じた。長い間、鬱積していた感情が晴れたようで、ようやくやり返せたという満足感が込み上げてくる。
「ははは、冗談だよ~。私はね━━━」
自己紹介をしようと思って、脳裏によぎったのは今日のことだった。
「━━━カフカだよ~」
「何だそれ……」
彼━━━坂本進は私の言葉に笑っていた。
「何が可笑しいの?」
「いや、俺の生徒、塾の先生をやってるんですけど、世界史で丁度、その名前を教えたなぁと思ってね」
クスクスと可笑しそうに笑っていた。私はその姿を見て少しだけ不思議だった。彼はあまり感情を表に出さないタイプだと思っていたので、その笑顔が新鮮に感じられた。
それから━━━偽名を使っていたことは、あっさりと見破られてしまったらしい。
まぁどうでもいいか。
「じゃあ、センセイなんだ~。後、敬語はいいよ~」
「あ、それじゃあ、お構いなく」
自分と私を比べて、彼は年上だと思っていたのか私の言葉をすぐに受け入れた。
「それで何があったんだ?」
「ん~?」
「三十分近く様子を見てたんだがずっと動かなかったから……」
「……センセイのエッチ」
「なんでだよ……」
自分の痴態を晒したことに私は恥ずかしくなっていた。
一応、心配はしてくれていたのだから、やはり悪い人ではないのだろう。
「本当に何でもないんだよ~、ここの所、何もうまくいかなくてね~、全力で取り組んでるのに、結果が伴わなくてつらくてさ~」
言葉にすると、浮き上がったテンションがまた下がってきた。
「しんどいし、もうやめようかなと思ってさ~」
弱みを見せることに意味がない。それでも何だか吐き出したくなった。彼が何と声をかけてくれるのか気になった。
「俺は、弱みを見せられても『知るか、んなの自分で解決しろ』っていう派なんだがな」
「なんかそんな感じする~、1人で何でもできちゃいそうだもんね~」
「……まぁ、そうなのかもな」
センセイはアイスを一口食べながら、空を見上げた。
なんとなく、私の姉に似ているような気がした。一人で何でもできちゃう人間だから、私のような無能にも無意識にそれを押し付ける。
ただ、センセイは暗そうに下を向いた。
「━━━だけど、今日、それで生徒を泣かせてな」
「へぇ……」
「『先生は人の気持ちが分かってない!このあんぽんたん!』って言われてな…俺はどうすればいいのか分からなくなった」
「……簡単だよ。助けてあげればいいじゃん?センセイとは違って、何もできないんだよ。その子は」
言ってて暗くなるが、センセイはゆっくりと首を横に振った。
「それだけは駄目だ」
「何でよ……」
「そんなことをしたら、半年後に祭が泣くことになる」
センセイの横顔を見ると、苦しそうだった。
「受験で俺は手を貸せないんだ。だから、1人で戦える力を身に付けなければならない。じゃないと、本当に祭が不幸になる……」
苦虫を嚙み潰したような表情で過去を振り返っていた。すると、ハッとしたように、私の方を見た。
「わ、悪い、カフカの悩みを聞くはずだったのに、俺の愚痴になっちまったな」
「ううん、センセイの気持ちはよくわかったよ。その子が大事なんだね~」
「まぁ……失敗ばかりの俺を信じてくれた生徒だからな。それなりに思い入れも……ある」
アイスを最後まで食べ終えると、センセイは棒を確認した。ハズレだったようで、少し肩を落とした。
「それに俺は祭に大きな期待をしてるしな」
「そうなの?」
「たかが受験程度で何を言ってるんだって思うかもしれないが、この地獄を乗り越えたら、祭は何か大きなことを成し遂げるような気がするんだ」
「━━━随分、買いかぶるね~」
「そりゃあそうだ。生徒を信じない先生がいてたまるかよ」
不器用そうに、不敵な笑みを浮かべた。センセイは本当にその生徒を信じているのだろう。
ただ、この人は本当に不器用だ。姉と似ていると思ったが、全然違う。完璧さからどこよりも遠くて、優しい人。
ふと、気が付くと私の抱えていた劣等感が私の中からすっかり消えていた。
「それでカフカはどんな悩みがあるんだ?」
「う~ん、なくなっちゃった」
「え?そうなの?」
「センセイの話を聞いてたら、こんなところで油を売ってる時間はないと思ったんだ~、家に帰って頑張らないとね」
私はほっぺに手を当てて、ニカっと笑う。
「━━━そうか、それなら良かった」
心の底から安心しきったセンセイを見ていると、私も嬉しくなった。立ち上がって、服にくっついた埃を払った。
最後にセンセイにアドバイスをあげようかな。
「センセイは今まで通り頑張るべきだと思うんだ。むしろ、ブレないで突っ切ってほしい」
「ああ……ありがとう」
それで失敗したから迷っているのだろう。同じことを繰り返すだけなのではないかと思っているのだろう。だから、ここからが本当のアドバイス。
「だけどさ。その子が頑張ってたらさ、少しでいいから褒めてあげてよ~」
「褒める?」
「うん。それだけでその子は次も頑張れると思うよ~、どれだけ高い壁であったとしてもね~。それなら先生の考えとはズレてないでしょ?」
一人で頑張ることが大事なのはセンセイの話を聞いていたらよくわかった。だけど、ある困難を乗り越えたら、褒めてあげてほしい。それが欲しくてまた新たな困難に挑むと思うから。
「……分かった」
「絶対だからね~?」
「まぁ、努力はする」
「『愛してる』って囁いたり、ハグとか、キスとかのご褒美もあげるともっと頑張ると思うよ~?」
「そんなことしたら、クビになるわ!」
「ははは、怖~い」
私は、気分がよくなった。そろそろ家に帰って夢のために頑張ろう。
「それじゃあ、帰るね。それから、私、ここによく来ると思うから、また話そうね」
「まぁ、俺も仕事帰りでよく通るから、たまになら」
踵を返して闇の中を歩く。つい先ほどまでは纏わりつくように感じてた夏の夜が、今はまるで祝福するかのように、優しく包み込んでくれていた。
ふと、私は思い出したように、アイスの棒をひっくり返した。そこには『あたり』の三文字が書かれていた。
「ふふ、さぁ、頑張ろうかな~」
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