映画館
服屋━━━今ではアパレルショップと言ったりするらしいが、この呼び方一つで俺がいかに他人の外見に興味がないのかわかるだろう。
普段、自分の衣服は同じやつを通販で複数買ってそれを使いまわしている。その中にはスーツ入っている。特に何もしなくても、相手がしっかりしていると勘違いしてくれるので、フォーマルな装いは中々便利なのだ。
そんな俺は今、アパレルショップに来ていた。試着室なんて見るのは何年ぶりだろう。そして、俺は今、自分の衣服を選ぶのではなく、相方の着替えを待っていた。
「センセイ、いる~?」
「いるぞ~」
「逃げてない~?」
「逃げたいな~」
「そうなんだ~、じゃあ、後三十分待ってね~」
「待たせ過ぎだろ……」
そう言うや否や、試着室を覆うカーテンがシャッと開けられた。
「どうかな、センセイ~、バッキュン♡」
上半身はブラックのロングレザーコートに白いワイシャツとブラックのネクタイを合わせ、下半身は黒のミニスカートに厚底のロングブーツを履いていた。
クールでスタイリッシュなガンアクション風のコーディネートだった。
手で銃の形を作り、俺に向かってウィンクで『バッキュン♡』と言って来たところは普通に萌えがある。なんというか女スパイって感じだ。カフカのトレードマークの銀髪っていうのが、全身黒のコーデとの対比になっていて、良いアクセントになっていた。
「めっちゃ似合ってる」
「さっきからそればっかりだね~、本当に文系のセンセイなのかな~?」
「知識がないものを褒めるのって難しいんだよ。大学生になるまで、セーターすら知らなかったからな」
「それは重傷だね~」
下着、上着、ズボン、ジャンパー、半袖だけでほとんど通じるとまで思っていた。
「まぁ、カフカのおかげで少しだけファッションに興味が湧いたわ」
小説を書く時に活かさせてもらおうと思う。
「本当~?それは嬉しいね~」
ピース☆ピースと俺に笑顔を向けてくるカフカは可愛かった。
「先生が褒めてくれたし、これも買っちゃおうかな~」
「いや、着たやつ全部買う気かよ……財布は大丈夫なのか?」
「問題ないよ~。これでもお金持ちではあるからね~」
「自分で言うなよ……」
涼しい顔をして、俺に見せたすべての服を買っていた。会計に臨んでいる姿を見ると、お金持ち云々の話は嘘ではないのだろう。そういえば、カフカは俺と出会う時、服がほとんど毎回違った。
「重~い」
「買いすぎだ……」
「え?」
後先考えずに服を購入しまくったカフカの紙袋を俺が受け持つと、カフカが瞳を動かしながら、俺を茫然と見ていた。
「何だよ……?」
「別にぃ~、ただ、センセイはいつだってセンセイだね~」
「どういう意味だよ……
「そのまんまの意味だよ~」
そう言ってにんまりと笑うカフカは生暖かい視線を俺に送ってきた。こそばゆいような照れくさいような気持ちになった俺はさっさと話を逸らすことにした。
「そ、それより、映画行くんだろ?そろそろ時間だ」
「あ、そうだったね~」
カフカとは元々、地元の映画館に行く予定だったが、来場まで時間に余裕があったため、買い物に付き合うことにした。
死ぬほど疲れたわけだが……
買い物を終えた俺たちは、映画館に到着すると、二人分のチケットを購入し、館内へと足を踏み入れた。
「奢ってもらってありがとね~」
「お祝いだからな」
本当は格好つけて、カフカの欲しがる服をすべて奢ってあげられたら良かったのだが、そんなことはできるはずがない。へそくりを崩している俺の財力は映画館を奢るだけでもいっぱいいっぱいなのだ。
座席はスクリーンが見やすい中断のベストポジションを選び、カフカと並んで腰を下ろした。映画館が始まる前に頼んでおいた、キャラメル味と塩味のポップコーンを装備して準備は完了だ。
「センセイは今日見る映画に興味あった~?」
「まぁ……それなりには」
「顔に出過ぎだよ~、ウケる~」
俺の態度を見て、カフカはカラカラと笑っていた。今日、見に来たのは恋愛映画だ。カフカには申し訳ないが、死ぬほど興味がない。
すると、暗転してきた。
「お、始まるね。それじゃあ、またね」
「ああ……」
映画の上映中に話をするのは厳禁というのが俺の考えだ。映画というよりも物語全般に言える。本を読んでる時に邪魔をされたりするのは本当に腹が立つ。
カフカもそのあたりは俺と同じ感性を持っているのだろう。そんなカフカが「一緒に見よう」と提案してきたものだ。それなりに楽しめるものなのだろう。
それにゴリゴリの恋愛物だからといって、安易に敬遠するのはよくない。もし、今後恋愛作品に興味を持てるようになれば、今よりも幅広く本を楽しめるようになるかもしれないのだから。
……そうカフカを信じて、一時間以上が経過した。
結論:クソつまらん
女主人公はある年上の男性に恋をする。しかし、その男性が想いを寄せているのは、主人公の姉だった。叶わぬ恋と知りながらも、彼に振り向いてほしいと願う主人公は懸命にアピールを続ける━━━という物語だった。
改めて、あらすじを思い返してみても、全く面白そうに感じない。
どうせ、最後には主人公を振り向かせて終わりだ。それが恋愛物における鉄則であり、法則だ。先が読めた話に興味は完全に失った。申し訳ないが、トイレとでも言って、外に出ようと思った。正直、これ以上は時間の無駄だと思った。
その瞬間、俺の手にカフカの手がそっと触れた。指先から伝わる温もりに思わず息を飲んだ。
カフカの方に視線を向けると、カフカはスクリーンを真剣な眼差しで見つめていた。意図的なのか無意識なのかは分からない。確かなのは、この映画がカフカの心を強く揺さぶっているということだった。
仕方がない。俺も集中して観るか。
物語を途中で投げ出すのは良くないことだしな……
◇
映画館を出ると外はすっかり夜だった。俺たちは軽く夕食を済ませて、静かな夜道を並んで歩きながら帰路についた。
けれど、俺たちの表情はまるで対照的だった。
「……酷いオチだったね~」
「そうか?俺は面白かったがな」
「え~、センセイの感性謎過ぎるよ~」
入るときと出る時では、俺とカフカの感想は真逆だった。それは━━━
「最後まで努力が実らなかった主人公が可哀そうすぎるよ……救いがないっていうかさ~」
カフカは妹に感情移入していたからなのか予想外のオチにすっかり落胆していた。
「姉は妹に比べてほとんどの要素に対して、勝っていたんだ。そもそも、男は姉を好きだったんだろ?妹には勝ち目が最初からなかったんだ」
「それを言われちゃおしまいなんだけどさ~」
結局、主人公の努力はすべて無駄だった。結局、主人公の想い人は姉を選んだ。姉と想い人が結ばれていくのを阻止しようと全力で足掻いていただけ。少しの隙もない姉に無謀にも挑み、それで負けただけのこと。
駄作というが世間的な評価だろうが、むしろこのリアリティが俺の好みに合致していた。大逆転が起こっていたら俺はこの作品に何も思わなかったはずだ。
「俺はこの女主人公がめっちゃ好きになった」
「ん~、センセイは姉派じゃないの~?」
カフカが俺を訝しむように見てきた。
「俺は最初から勝てないと分かっている戦いに本気で挑む無謀な人間が好きなんだよ」
例えば、俺の仕事で言えば、受験が一番大きなテーマになる。
受験勉強は敗北の連続だ。
問題に挑んでは打ち砕かれ、解けるようになったと思えば、また新たな壁に阻まれる。その繰り返しだ。
何度も挫折を繰り返しながら、それでも最後の最後に受験本番に間に合えば良い。
そんな風に考えても、現実は厳しく、第一志望に合格できるのはほんとうにごく一部だろう。
受験の世界では敗者が大半を占める。まるで夢い追い人のように自分の身の丈に合わぬ志望校を目指して砕け散る。
そんな馬鹿共が好きで何とかしたいと思って、この世界に片足を突っ込んだ。そして、喧嘩をしたのだ。
「ま、そんなわけなんで、俺は主人公が好きだよ。それに、あのガッツがあれば、これから先、姉を超えることは不可能じゃないさ」
映画の中では「負けヒロイン」として終わった主人公も、画面の外では成功を収めているかもしれない。さらに言えば、数年後には姉から恋人を奪っている可能性もある。
この世界はフィクションではない。負けて人生を終わりじゃない。
だとすれば、アレだけ全身全霊で挑んで大敗北を喫した主人公はその財産を新たな勝利への礎とするだろう。
「━━━センセイって変態さんだね~」
「ほっとけ……」
自覚はしてるさ。
「私はそんなセンセイのことが嫌いじゃないけどね~」
「そりゃあ光栄だな」
俺はカフカの荷物を持って歩いていた。カフカの母親が近くまで迎えにきてくれるらしく、俺もその場所までは付き添うことにした。
駅前のロータリーに着くと俺たちは並んでベンチに腰を下ろした。待ち合わせの時間まで、静かな時間が流れた。
数分ほどしただろうか。カフカが静寂を破った。
「━━━私さ、主人公に同情しちゃったんだよね~」
「ん?そうなのか?」
「うん。私にもさ~、優秀な姉がいてね~。いつも比べられていたんだ~」
そう言えば、映画館でも随分、感情移入していたと思ったが、境遇が似ていたからこそ、想うところがあったのだろう。
「毎日、毎日大敗北。負けて負けて負け続けるだけでね~、毎日惨めで仕方がなかったよ」
「そんなにか……」
「うん。全部のステータスが私よりも上だったからね~、マジで勝てる所がないかな~」
「そりゃあ、なんというか……」
恐ろしい姉がいたものだという感想しか出てこなかった。
「もう姉のスペアは嫌だ。劣化版なんて言われたくない。だから、姉以外の誰かになりたかったんだ~」
「だから、カフカだったんだな」
コクンと頷いた。
「今日の映画もさ~、最後泣きたくなったよ。だって、優秀なあの人には絶対に勝てないってまざまざと見せつけられたんだからね~」
カフカは弱々しく笑った。あの映画にはある種の自分の願望を乗せていたのだろう。だとしたら、あのオチはカフカにとって不本意なものだというのはよくわかった。
「でもさ、どこかの誰かさんのおかげで元気は出たよ」
カフカは立ち上がると、暗闇の中、車のヘッドライトが鋭く俺たちを照らし出した。迎えが来たのだろう。
「ねぇ、センセイ」
「ん?」
カフカはこちらを向くことなく、俺に問いかけた。
「月に手は届くかな~?」
「━━━」
俺に背を向けているから表情は見えなかった。
俺が何も言えずに、数秒ほど経つと、カフカは俺に弱々しい笑顔を向けてきた。
「━━━なんでもないよ。今日はありがとね~、またね」
「ああ……じゃあな」
カフカが車に乗り込むとクラクションを鳴らしてきた。多分、俺に向けたものなのだろうが、フロントガラス越しに見える車内は暗く、誰の顔も見えなかった。一応、挨拶だけして俺は背中を向けた。
空を見上げると、厚く重たい雲が空一面を覆い尽くし、どんよりした灰色の世界が広がっていた。
━━━月が見えるのはまだ先だ。
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