[完結]⑨クリスからの手紙
1900年1月10日 朝9時
フランクは、ネス湖湖畔の小さな村の、朝焼けの差す病室の、清潔なベッドの上で目を覚ました。ニックに裂かれた左胸には、丁寧に包帯がまかれてある。フランクの世話役の看護婦は、病室に入ると、フランクの目覚めに驚き、また心から喜んで、これまでの成り行きを優しく話し始めた。
吹雪の止んだ日の朝、太陽の光とともに、美しい女がこの村に現れた。彼女は顔面蒼白で、この病院の扉を叩き、必死に助けを求めていた。女はマリアと名乗り、一晩中走り続けてきたかのように、満身創痍の様子だった。友人が人狼に襲われたので医者が必要だ、馬は手配するから早く来てくれと、必死に懇願してきた。
善良な医者が支度をして外に出ると、女の姿は無く、見事な馬が一頭、自分に乗るようにと医者に催促した。医者は不思議な気がしたが、馬に跨ると、馬は疾風のように駆け出して、あっという間に彼を呪われた館に運んだ。
館には重傷を負い瀕死のフランクとクリス、それから絶命した人狼の姿があった。なんとかフランクとクリスを蘇生させると、館の主人ビルがこの日の朝にあらかじめ手配していた乗合馬車が到着した。医者はそれに2人を乗せて病院に戻り、精魂込めてできる限りの治療をした。
クリスは全身を強く打ち付けていたが、フランクほどの重傷ではなかったし、フランクも順調な回復の兆しを見せた。マリアと名乗る女は2人の容態が安定したと聞くと、安心した様子でよろめいた。彼女も休息をとると、順調に回復した。そして警察に取り調べを受けた後、フレディの弔いをする為に、アヴァロンへ向かった。
クリスはフランクよりも早く目覚め、去年の大みそかの前に退院した。そして、三人分の治療代としては十分すぎる金額を払い、丁寧に礼を述べた後、調べたいことがあると言って旅立ってしまった。
以上が看護婦がフランクに話した内容だった。最後に彼女は、そこの引き出しに、三日前にクリスからあなた宛てに届いた手紙を入れてあるから、どうぞご覧なさいと言い残して去った。
フランクはもどかしい思いをしながら体をねじり、どうにか引き出しからクリスからの手紙を出した。封筒を破ると、得体の知れない、銀色の動物の毛がはらりと落ちた。それを見てなぜかフランクは、マリアの美しい黒髪を思い出した。
_______________
親愛なるフランク君
君の勇敢さに心から感服する。病院への謝礼は払ってあるので存分に休養してくれたまえ。
フレディの葬式は世紀末の大みそかに行われた。アヴァロンの領主は高潔な人物で、心からニックのことを信頼してフレディを任せていた。ニックが饒舌な人狼だったことは伝えていない。ただ、フレディがある狂人の館で恐ろしい人狼から女を守り、死んだという事実のみを彼には伝えた。彼は長いこと黙って考えていたが、愛しのローラを受け取り、フレディの死を受け入れた。
俺は客人として手厚くもてなされたが、葬式の翌日旅立った。旅立つ前に、フレディが世話をしていた番犬を、領主が直々に見せてくれたよ。子供をたくさん産んで、領地の周りをいつも警備しているらしい。女達を館に囲い込んで護衛する時代は、過ぎ去りつつあるようだ。
アヴァロンの黒犬は、狼に見紛うような姿をしているが、立派に人間を護衛している。まるで狩人フレディの生まれ変わりのようじゃないか。君にも見せたいくらいだよ。
フレディの葬式にマリアンヌの姿は無かった。
フレディの亡骸について、おやと思ったことがある。銀色に光る動物の毛が、フレディの胸についていた。女の髪の毛のように美しいが、あれは妖狐の毛だ。フレディの亡骸が、獣に食われないように、彼に寄り添って寝ずの番をしていた、妖狐がいたんだ。
俺は、マリアンヌについて少し思うところがあったので、ブルターニュ地方へ向かった。
思った通り、そこでも、マリアンヌに会うことは無かった。
しかし、彼女は、今回も、それから魔女裁判の時もそうだったが、馬よりも速く雪降る暗い山道を駆け抜けて、町はずれの村まで医者を呼びに行った。何度やってみても、どう考えても、そうじゃないと時間の計算が合わないんだ。
俺はさらに彼女について調べた。マリアンヌのパトロンだった地主は、大の東洋贔屓で、シルクロードで財を成した商人とゆかりのある人物らしい。日本や中国には、人を化かすキツネがいると聞くが、その中には、シルクロードの商人になついて、西欧までついてきたものもいるかもしれない。
俺は、命の恩人である彼女が、万が一、キツネだったらと考えると、とても彼女を占う気にはなりゃあしない。占い師に、化けの皮を剥がされた妖狐は、ひどく苦しみ、二度と人間に寄り付かなくなるという。マリアンヌが、俺の前に姿を見せることは、二度とないだろう。
君も彼女に惚れていただろうが、どうか見逃してやって、遠くからそっと彼女の幸せを願ってやろうじゃないか。彼女はもしかしたら、パリで踊っているかもしれないし、雪山の中で、傷が癒えるまでおとなしく過ごしているのかもしれん。どちらにしたって、あれは、人に害為すものではない。これ以上の真相の追求には、一文の価値も無いと、誓って言おう。
しかし、親愛なるフランク君、もしもだよ、君がまた、薔薇の咲き誇る美しい庭園で、彼女と再会することがあったとしたら、その時は、このクリスの心からの敬意と感謝を、彼女に伝えてくれたまえ。
君の忠実なる友人、クリス
_______________