⑦愛しのローラ
1899年12月27日 夕方5時
フレディはこの二日間、一度もモルヒネを注射しなかった。
昨夜は、モブ爺が殺されたことと、人狼がこの中にいるという衝撃のために、強い興奮状態になり一睡もできなかった。悪夢にうなされることもなかったので、モルヒネを打つことを忘れていた。そしてさらに今朝は、サンドラ、ビル、ショーン、執事の四人が亡くなった。
フレディは、人狼の正体を突き止めようと必死に考えた。すぐに疲労困憊し、深い眠りに落ちた。夢の中で、二人の占い師が出てきた。二人は最初、ニックとクリスの姿だったが、やがて、父と母の姿に変わった。両親は、フレディを占うまでもなく、君は人間て、私達の息子だと言った。
俺は人狼じゃあない…。
夢から覚めたフレディは、鏡に映る自分の姿をしっかりと見た。悪夢から醒めた自分の姿を。
両親が人狼に殺されたあの夜から悪夢を見続けていた。今日、あれ以来初めて、夢と現実の境界線がはっきりとわかった。後ろに戻る道が断たれたような、不思議な感覚だった。
「…夢の中で、俺は何度も何度も狼に変身して、あの恐ろしいアヴァロンの盾、実の父親に何度も何度も殺された。…しかしそれはただの、過去の幻だ。吹き飛ばしてやる。」
ずっと積み重ねてきた恐怖を、一瞬で吹き飛ばせる。人生にはそういう瞬間が来ることがある。
長年続いた震えと冷や汗が消えた体で、フレディは、父親のことを思い出した。父は恐ろしいほどに強かった。フレディは、自分の恐怖をよく観察した。幼いフレディは、人狼などちっとも怖がっていなかった。怖かったのは、死ぬ覚悟で、シャンデリアに飛び乗り、金具を斧で割って人狼にとどめを刺した、あの父の、鬼のような形相。
いや、しかし、あれは…
アヴァロンの盾などという、神格化では説明仕切れない、生身の人間の恐ろしさもあったのだ。
領民や領主のためだけではない。
息子を守るために、人狼に向かって行った、必死な、父親の姿であったのではないか。
なぜ、それがわからなかったのだろう。
フレディは、ヨハネの黙示録に出てくる、竜から権威を与えられ、人々に崇拝された恐ろしい獣を、人々が称えて言った言葉を思い出した。
「誰がこの獣と比べられよう。誰がこの獣と戦うことができようか。」
フレディにとって、比類無い恐ろしい獣は、人狼ではなく父親だった。
「息子でありながら父親の後継者となれない俺は、人狼になって殺される運命しかない。そう思っていたんだ。それでずいぶん長い間悪夢にうなされた…今朝までは。」
フレディはほとんど無意識にベッドから立ち上がり、爪を上手に使って自分のスーツを切り裂いた。母譲りの鋭い爪が役に立った。
アヴァロンの領主の、懐かしい声が聞こえてきた。
「親愛なるアヴァロンの盾とジプシーの狩人の息子よ。私は、幼い君のその狩人としての素質を見抜いて、愛しのローラを与えよう。パーティーには愛しのローラを連れていけ。忘れるなよ。」
「愛しのローラ」は、5つのパーツに分解できる組立式銃だ。小さいが美しい魔除けの彫られた純銀製の銃で、領主からもらった特別仕立てのシャツのカフスボタンを、銀の弾丸として装填することで対人狼の武器として威力を発揮する。
フレディは、スーツの裏地やズボンの裾などを切り裂き、それぞれの場所から愛しのローラの部品を取り出した。フレディはずっと、このスーツに常にこの小さな銃を隠し、領主と二人だけの秘密にしていた。実際に取り出すのも今回が初めてだ。
愛しのローラという名前は、初めて人狼が女に化けた事件に由来する。アメリカの田舎で、ローラという美女に化けた人狼を婚約者のマイクが撃ち殺した。マイクの冷静な判断力にいたく感心したアヴァロンの領主が、この銃を秘密に作り、愛しのローラと名付けた。
フレディは愛しのローラを見つめた。銀色に輝く銃が、燭台の灯でフレディの顔を映した。フレディは自分の顔を見て、母親似だと思っていた自分の目が、父親によく似ていることに驚いた。疲れと決意の宿る目だ。命を守るために戦う者の、人間らしい理性の光があった。そして自分の体から、生命の匂いがした。
今なら、人狼に向けて銀製の銃を撃つ母親の姿を鮮明に思い出せる。フレディは今一度、鏡に映る自分に問いかけた。
「アヴァロンの盾の後継者は、罠師に決まっているだと?それを決めたのはどいつだ?」
フレディは罠師ではなく狩人として目覚めたのだった。
「我こそは父の息子。アヴァロンの盾の後継者に、盾は必要ないんだ。この銀の銃と2発の弾丸で、俺は今夜、マリアを護衛して見せる。」
自分の運命を受け入れるのに長いこと時間がかかった。今夜、父と母の子として、戦うことが出来る。
今夜のフレディの心にもやはり、人狼への恐怖は無かった。