⑥狂人の死
1899年12月26日 朝7時
恐ろしい一夜の明くる朝、クリスはショーンの部屋をノックして、低い声で言った。
クリス「ショーン、クリスだ。無事なら大広間に来てくれ。昨夜の犠牲者は二人だった。詳しいことはみんなが集まってから話す。」
ショーンはベッドから起き上がり窓の外を見た。
相変わらず吹雪が吹き荒れている。既に太陽が昇り始め、月光は届かない。人狼が本来の姿になる時間は終わったのだ。
ショーンはできるだけいつも通りに振る舞うよう、髪の毛を整え、スーツを几帳面にきっちりと着て大広間に向かった。
大広間には、茫然自失の執事が、だらしなく大きな椅子に座り込んでいた。虚ろな目で何事かブツブツ呟いている。ショーンは憐れみと軽蔑の混じった目で執事を見た。この男も昨夜までは冷静な男だったはずだ。しかし人間の理性なんぞ、こんな時にはあてにならない。
クリスは執事のそばに立ち、苛々した様子で紙巻煙草を出しては吸っている。彼の理性もまた、風前の灯火のように頼りない。吸い殻を床に落としては靴で踏みにじっている。初日の彼ならしなかった無作法な振舞いだ。
フランクは、静かにクリスの前に、重厚な金属製の灰皿を置き、たしなめるように言った。
フランク「サンドラと執事が手入れした部屋だ。」
クリスは煙草を咥えたまま、フランクをじっと観察した。そして大きく煙を吐くと、灰皿に煙草を押し付けた。
やがてマリアがネグリジェのままよろめきながら現れ、スーツ姿のニックとフレディがそれに続いた。クリスはまた新たな紙巻煙草に火を付け、深呼吸してから低い声で話し始めた。
クリス「これでお揃いだな。みんなよく聞いてくれ。昨夜、ビルとサンドラが殺された。」
昨夜一睡も出来なかった様子のマリアは、卒倒しかけてソファにもたれかかり、なんとかフランクに細い身体を支えられた。
クリス「昨夜、俺は占い師として、ビルを人狼じゃないかと疑ったんだ…。そこで今朝一番に、水晶を準備してビルの寝室に行った。ビルが出て来るのを待ち伏せて占うつもりだった。
しかし、扉は開いていて…ビルの寝室で、ビルとサンドラが殺されていた。俺が二人の死体の第一発見者だ。」
マリア「おお、恐ろしいこと…でも、なぜ二人が同じ部屋に?」
クリス「俺の見立てじゃあ、人狼は、まずサンドラを別の場所で殺している。その後で死体をビルの部屋に持って行って見せて、ビルの反応を楽しんでから、ビルを殺している。」
ニック「僕とフレディも、さっき、ビルとサンドラの死体を確認してきた。クリスに賛成だね。」
フレディ「ククク…狂人ビルがあの売女を命がけで護衛する訳ぁ無い…この中にいる強欲な人狼は、女一人殺すだけじゃあ、足りなかったわけだァ…」
クリス「強欲な人狼だと!?一晩に二人も殺す凶悪な人狼が紛れ込んでいるというのか!?」
フレディ「あの狂人も売女も、同じ人狼の爪と牙で仲良く殺されている…。」
フランク「フレディ、亡くなったサンドラのことを売女などと…」
フレディ「ククク…アンタにゃあ、あの泥人形が、可憐な少女に見えたかァ…」
ニック「ビルとサンドラの関係については、詳しい人間に説明してもらおう。」
ニックはそう言いながら、執事になみなみと注いだブランデーを渡した。ブランデーを飲み干すと、それまで廃人のように呻いていた執事がはっきりと応答した。
執事「ゴホゴホ…サンドラは…かつて人狼に殺された、この館の主人モーガン様の娘。れっきとした貴族の血筋…。
しかしモーガン様が人狼に騙され、多額の借金を背負い没落する原因を作ったのは、娘であるサンドラ。
私はモーガン様に心よりお仕えしていた。
モーガン様と奥様が心中なさった時に、サンドラは娘としての義務を果たさずに逃げ出した。
私はモーガン様の仇を討つためにサンドラを追った。
そして、サンドラは私にひざまずいて命乞いしてきた…」
フレディ「ククク…アンタ、それから毎晩、サンドラに罰を与えることを生きがいにしていたのか。反吐が出るぜ。」
執事「狼憑きのお前に何が分かる。
ビルなんぞただの成金に過ぎぬ。だからこそ貴族の血筋であるサンドラをメイドにして支配することを楽しんでいた。ビルもサンドラも私も同罪なのだ。」
クリス「それで昨夜は、何が起こったんだ?」
執事「昨夜…サンドラは私に鞭で打たれた後、体を冷水で清めていた。私はおそらくサンドラに睡眠薬を盛られたんだろう、すぐに眠ってしまった。そしてこのありさまだ。」
クリス「あんたが知っていることはそれだけか…やれやれ、どうやらこの執事は芯から、悪趣味なビルの一味だな…とすると次に、俺が疑うのは君だ。」
クリスは、素早く胸ポケットから水晶を取り出し、フレディを朝日の角度から覗き込んだ。
ニック「ああ、報告が遅れたが、フレディは僕が既に占っている。彼は人狼じゃあ無い。長年にわたる狼憑の治療がいつの間にか功を奏していたようで、今や呪われてすら無い、歴とした人間だよ。」
クリス「…俺の占いでもフレディは人間の男だ。となると、人狼の可能性が有るのは…」
クリスがそこまで話した時だった。
ショーン「アーッハッハッハ!!僕が人狼だよ!!」
ショーンが明らかに尋常でない様子で人狼だと名乗った。それを聞いた執事の目に、復讐の光が宿った。ショーンは続けた。
ショーン「そこの二人の占い師の言う通りさ!サンドラは深夜、僕の部屋に逃亡して来て、震えながら助けてくれと懇願して来た。だから殺してやった!
次にあの狂人ビルだがね、彼は人狼の言語を研究していると言っていたね!しかし人狼に独自の言語なんぞ無いのだよ!我々人狼が話すのは人間の言葉さ!人間から盗んだ言葉で人間を騙して殺す能力があるのだからね!僕ぁ、まったく、ビルにはうんざりなんだよ!!!
思い上がった高慢ちきなあの男に、彼がいつも玩具にしていたサンドラの死体を見せてやったのさ!そうしたら、でたらめな唸り声で命乞いしてきたよ!僕ぁまったく、興ざめしたねぇ!ビルは単なる狂人さ!なんの面白味もない男だったんで殺してやったね!」
ショーンがまくしたてるように夢中で話している最中に、執事は内ポケットから、クリスの預けていた護身用の小型拳銃を取り出し、ショーンに向かって発砲した。肩を撃たれたショーンはよろめきながら玄関の扉を開けて、吹雪の吹き荒れる屋外へ逃げた。執事はショーンを追ってとどめの二発目を発砲し、さらに二発の弾丸を撃ち込んだ。
そしてショーンの死を見届けた後、執事は低い声でつぶやいた。
執事「モーガン様、あの時、私はあなたを人狼からお守りすることが出来ませんでした…そしてまた新たな主人とサンドラを人狼によって失った。もう耐えられない、次は私の番だ…」
銃口を自分のこめかみに向けて目をつぶり、引き金を引いた。
しばしの間、部屋に残された者たちは立ち尽くし、玄関の扉から冷たい雪が室内に吹き込んでいた。やがてクリスがかろうじて声を出した。
クリス「ニック、フレディ、もし動けるなら、俺と一緒に外へ出て、ショーンと執事が死んだことを一緒に確認してくれ。」
フレディ「ククク…こんな時の生死確認は全員で行うもんだァ。」
ニック「クリスは分かってないのさ。…あるいは分かってないふりをしているんだが…。とにかくフランク、マリアと一緒に我々についてきてくれ。」
残された生存者たちはおそるおそる扉を開けて外の様子を確認した。館の玄関のすぐ近くで、すでに雪に埋もれかかっているショーンと執事の死体を確認した。フレディは二人の雪を払い、丁寧に調べた。
フレディ「ククク…こりゃあ面白いや、クリス、やはりアンタの銃は一般的なポケットリボルバーだなァ…」
クリス「なにが可笑しい?」
ニック「人狼は君の小型銃じゃあ殺せない。」
フランク「ショーンは人狼じゃあないということか。」
ニック「そう、つまり、ショーンこそが、人狼の言葉を囁く狂人だったのだろう。我々の中に潜んでいる人狼の身代わりになって、執事に殺されることを望んだのだよ。」
マリア「…そんな…まだ、この恐怖は終わらないの…。」
一同はしばし吹雪の中に立ちすくんだ。やがてフランクがマリアの肩に手をかけ、室内に戻って鍵を閉め、暖炉のそばでブランデーを飲もうと優しく話しかけた。クリス、ニック、フレディもそれに続き、呪われた赤い屋根の館へ戻っていった。