②マリアンヌの魔女裁判
1899年12月24日、午後8時
ビルは皿の肉を切りながら、マリアを見た。マリアの命を値踏みする悪魔の顔つきだった。
ビル「あんたが、フランスで野垂れ死に寸前のところで、儂の手紙を受け取ってやって来た、踊り子マリアンヌかね。じかに会うのは初めてじゃが、その顔は見覚えがあるぞ。今年ずいぶん新聞を騒がせた魔女裁判の被告人じゃな。」
ビルはそう言って、このような楽しいおもちゃを捕まえたことにうっとりとしながら、ワインを眺めた。ジェントルマン・クラブのニックとショーンに、マリアという獲物を自慢する浅ましい獣のようだった。
マリアンヌはフォークとナイフを持ったまま、断頭台へ向かうマリー・アントワネットのように胸を張った。食卓を囲む男達は、好奇の眼差しをマリアンヌに向けた。
ビルは咳払いをして、ブルターニュの魔女裁判について知っている限りのことを話し始めた。
ビル「あんたは3年前、ブルターニュの歯抜けのよぼよぼの地主を虜にして、あんたの一座のために、小さなオペラ館を建てさせた。
それもわざわざ、人目につかない闇深い森に、よっぽどの好きものの…、いや、好事家を自称するお得意さまだけが通えるオペラ館を。ふん、お高いもんじゃな。
ブルターニュの閉鎖的な村人たちは、そのオペラ館の金持ち連中はみな死人のように不気味な目をしていて、あんたに魂を吸い取られているようだと陰口をたたいていた…
…これは失礼。マリアンヌ、あんたは自分の美しさをよーく分かっていて、女のひがみなど気にせんだろう。それでも、あんたがフランスの田舎女たちから魔女と罵られた噂はここまで届いていてなぁ…哀れで胸が痛んだよ。
とにかく、あの晩、マリアンヌの一座はその怪しげなオペラ館で、老いぼれのパトロンやどこの馬の骨ともわからん連中と、奇妙な宴をしておった。
その時、突如、恐ろしくでかい一匹の人喰い狼が現れて、一座の男達に次々と襲いかかった。マリアンヌ、あんたはその時、あんたを守って重傷を負った男達を見捨てて、自分の命惜しさに一目散に逃げたそうじゃな。
一寸先も見えない闇深い森から、ブルターニュ地方南部の小さな村まで、女の足では走ったところで2時間はかかる。あんたはハイヒールも履かずに裸足で、ドレスもあちこち破れて、何度もつまづいて転び、たまに失神しそうになりながらも、やっとこさ村にたどり着いた。
やぶれかぶれの半狂乱の犬のような姿で、深夜、町医者の家という家の扉や壁を叩いて、気狂いのように助けを求めて喚いたそうじゃな。その姿はまるで、誰にも相手にされず必死に物乞いをする気狂い娼婦のようだったという証言もある。
しかし、哀れな気狂い娼婦に連れられて医者どもが馬車を駆り出して呪われたオペラ館にたどり着いた時、なんと、すでに一座の男達は全員こときれていた。しかし、あんただけは無傷じゃ。この惨たらしい惨劇について一体、あんたにはなんの責任も無いのかね。」
ここまで話すとビルは、一息ついて、赤いワインを飲んだ。マリアンヌは微動だにせずじっと静かに目の奥でビルを睨んでいた。フランクはさっきからビルの話し方を不快に感じていたが、それを指摘するものは居なかった。ビルは続けた。
ビル「疑問点は大きくわけて二つじゃ。
まず、あの晩マリアンヌ達がしていたことは、本当に歌や踊りの練習なのか?
マリアンヌ、あんた本当は、男達を黒魔術で虜にして、あんたを奪い合い殺し合わせ、それを眺めて楽しんでいたのではないか?
そして次の疑問点じゃ。
検死の結果、男達は皆、二足歩行する何かに追いかけられている。そして、2メートルほどの高さから鋭利な爪のような刃物で肩から心臓を裂かれ、喉笛を噛み切られて息絶えておる。これはマリアンヌの、人喰い狼に襲われたという証言と矛盾しておる。
つまり、凶暴で鋭い牙と爪を持つ、狼のような2メートルの大男があそこに居たはずじゃ。マリアンヌ、あんたはいったい何を隠している?」
ビルはマリアの方へ体を乗り出し、マリアの秘密を暴こうと意気込んだ。
ショーンは静かに話を聞いていたが、ビルの口から狼という言葉が出るたび、こめかみをピクリとさせていた。フレディは相変わらず陰気で不気味な笑みを浮かべ、ニックは嘲るような薄ら笑いをしながら、それぞれの皿から食べ物を口に運んでいた。フランクは、気遣うようにマリアを見ていた。
誰一人としてビルの話に口をはさむ者は居なかった。
ビルは調子良く続けた。
「当然ながら世間は、無教養な踊り子より検視官の証言を信じ、これは人狼の仕業だと見破った。
あんたは自分から搾取して来た憎い男達を、黒魔術で人狼を操って殺した罪で、魔女裁判にかけられた。しかし周囲からいくら蔑まれても、あんたはまた黒魔術かなにかで裁判官をたらし込んで、無罪を獲得しおった…
…つまり、あれはマリアンヌが黒魔術で呼び寄せた人狼の仕業ではなくて、腹を空かせた狼の仕業じゃったということになった。
事件が一件落着したとて、人の口に扉は立てられぬ。新聞もあんたの証言のいんちきぶりをやかましく攻撃しておったが、今夜はあんたの口からじかに、その事件の顛末を聞きたい。
マリアンヌ、あんた、あの時本当は、ブルターニュの森で、何をしていた?」
マリアンヌは、ビルの真剣な眼差しを見つめ返した。そして鈴のような蠱惑的な高い笑い声をあげた。一同の緊張が解けて陰鬱な空気が一気に消え去る様な、しんから愉快そうな笑い声だった。
マリア「…うふふ、ビル、あたしは、ただの踊り子、それだけよ。」
マリアに意味ありげな目線を投げられたビルは、さらに追及した。
ビル「あんたは魔女ではないと言うのかね?」
マリア「お望みなら魔女のように振る舞うわ。だけど、それがあたしのすべてだと勘違いなさらないことね。」
ビル「それじゃあ一体、誰があんたの仲間を食い殺したというのかね?」
マリア「ビル、あなたもよくご存知の通り、人狼は、人に紛れ込んで嘘を吐きますの…。」
マリアンヌはそう言って、潤んだ目でビルにもたれかかった。
ここまで静かに聞いていた心霊研究家のニックは、ナプキンで口を拭き、ナイフとフォークを置いて、やれやれという顔で話に入った。
ニック「よく分かったよ、マリア。君の一座に人狼が紛れ込んでいたんだね。そいつはきっと、君の恋人だった男だ。君を遊び半分に嬲り殺すつもりで近づいた人狼だ…。
君に正体がバレて一座に居づらくなったんで、逆上して皆殺しにしたんだろう。君は襲われる寸前で、いちはやく異変に気が付いたんで、うまいこと逃げおおせたってわけだ。
君はその恋人が忘れられず、彼をかばうつもりで狼の仕業だと証言したんだろう。しかし悲しいかな、彼の正体は人狼だ。マリア、君は騙されていたんだよ。」
ショーン「人狼に騙された女の話は後を絶たない。彼奴等はずる賢く言葉巧みだからな。」
クリス「人狼に騙されてなお、生き延びた女か。」
クリスは、マリアンヌの顔をまじまじと眺めて意味ありげに笑った。マリアンヌはクリスの興味津々の視線を感じながら、こう返した。
「あらあたし、昔付き合っていた男のことなんて、なあーんにも覚えちゃいないわ!」
これを聞いてフランクが笑い出し、それに釣られて食卓にいたほとんど皆が笑った。
「あたしは男の夢で出来ているんだから、過去なんかいくらでも想像で作り上げて楽しんでちょうだい。美しい夢だってたまには、悪夢になるものだわ。」
マリアンヌははっきりとそう言うと、グラスの赤いワインを飲み干した。
マリアンヌが話し終えると、暖炉のそばでうつらうつらしていたモブ爺が、ソファからずり落ちて頭を強く打ってしまった。ビルはそれを見ると、指を鳴らして執事を呼んだ。
ビル「そこのもうろくした老いぼれを、寝床へ運んでやれ。」
執事はモブ爺に肩を貸して、モブ爺はよろよろと起き上がった。
モブ爺「う、うーん…、ここで道化は退場、か。ごきげんよう、親愛なる、吹雪で呪われた屋敷に閉じ込められた可哀想なみなさん!もし、この中に人狼が交じっていたら、今夜誰が死ぬのじゃろう……ハッハッハ…怖い、怖い!では、また明日。」
モブ爺は執事によりかかりながら、おぼつかない足取りで階段を登っていった。その後ろ姿を忌々しそうに見つめていたショーンが、ナプキンで口もとを拭きながらつぶやいた。
ショーン「おやまあ、ずいぶん不吉な冗談を言うご仁だ。それに彼はずいぶん酒臭かったじゃないか!」
クリス「しかし、あの爺さんの話には筋が通っている。なんせ、人狼は満月の夜にその本性を現すからな。」
ビル「今夜は満月じゃがこの館から見える満月は特に妖しく美しい。この吹雪の夜でも、その輪郭がはっきりとわかる。」
フランク「人狼は人に紛れて嘘を吐くのが上手いというけれど、僕たちは人狼の嘘を見破れるのだろうか。」
マリアンヌ「いやだわ、よしてよフランク。人狼の嘘を見破ってしまったら、男たちはただ殺されるだけだわ。」
もしも、この吹雪の夜に、この中に人狼がまじっていたら・・・?
ブルターニュのオペラ館の一件のような惨事が起こるのだろうか。不吉な影に怯える彼らを、人狼に殺されたというかつてのこの館の主人の肖像画が、静かに見下ろしていた。
ショーン「こんな吹雪の夜には、風の音すら人狼の唸り声に聞こえるものだ。まったく、くだらんね!」
ニック「そうかい、ショーン?意外と奴らは、近くにいるのかもしれないぜ。」
フレディ「ククク、人狼の殺し方ァ…俺ァ知ってるぜェ。」
フレディがそう言うと、マリアンヌは希望に満ちた目でフレディを見た。
しかし、心霊研究家のニックがため息を吐いて暗い声でこう言った。
ニック「フレディ、いい加減なことを言うなよ。君が人狼に立ち向かったところで、君の両親の二の舞になるだけだ。」
フレディ「ククク…俺はあの二人の後継者なんかじゃない…俺は狼憑きだ。」
ビル「なるほど、フレディ、次はあんたの不幸話を聞こうじゃないか。」