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語彙が死にまして

 本人に、面と向かって、「かっこいい」と言ってしまいました。



 * * *



 休日明けに加えて午後から出勤したために、決済待ちの書類等業務が溜まっていた。

 猛烈に片付けて、訓練メニューもこなして騎士団の寮に帰り着いたシェーラは、ベッドに倒れ込んで顔面から突っ伏し、全力で落ち込んだ。


「はぁ~……言うつもりなかったのに。語彙が死んでて他に何も出てこなくて」


 まさか会うとは思っていなかったタイミングでアーロンと顔を合わせ、面と向かって「かっこいい」と言ってしまった。

 頭が素直になっていて、語彙が死んでいた。


(思っても言わないでしょぉぉぉぉ、ふつう、言わないでしょぉぉぉぉ……!)


 ごろんごろん、と枕を抱えてベッドの上を転げ回る。

 冗談とごまかすには、挙動不審すぎた、自分(シェーラ)の言動が。

 その挙げ句、反応を見るのも恐ろしくて全力で逃げ出してきてしまった。

 不甲斐ないことこの上ない。

 言われたアーロンはびっくりしただろうが、シェーラもひたすら驚いていたのだ。

 まさかそんな、自分に限ってあんな軽率なことを口にするなんて、と。


 シェーラはこの国では十分行き遅れにあたる二十六歳になるまで、恋愛の意味で男性と交流を持ったことが本当になかった。

 それこそ、十代前半であれば「浮ついた」と叱られることはあれど、二十代になれば「当然にして通過していること」に激変している男女のあれこれに、まったく縁がなかったのだ。

 その結果、実年齢に感性が追いつかず、年齢だけ順調に重ねるうちに感覚はねじれにねじれて、恋愛と聞けば「そんな浮ついたこと」と眉をひそめるくらいの潔癖を、いまだに貫いていた。

 とにかく、騎士団で一、二を争う硬派のつもりで生きてきた。

 その自分が、まさか。


 たった一度デートをしただけで、「宗旨替えか?」と言われかねないほどひとが変わったように恋愛にのめりこみ、あまつさえかっこいい男性にかっこいいですねと言ってしまうなど。

 あろうはずが。


「だって、かっこいいんだもん、アーロン様……」


 仰向けになって絶望的な心境で呟き、両手で顔を覆う。

 もはや、理屈ではない、と思い知ってしまった、このしんどさと言ったら。


 いまとなっては、彼にまつわるすべてが恋しく胸が苦しい。

 手始めに、瞳の色である紫を推しカラーとして身の回りに配置しようか、と思うくらいにハマってしまっていた。

 いわゆる、沼に落ちた。

 きわめつけにひどいモンスターが手ぐすねひいていて、落ちたが最後引きずり込まれて生きては帰れない、底なし沼。


 見た目が良いだけの男性なら、これまでも会ったことはある。

 シェーラは、騎士団の中にあって、貴族階級の出身で基本的な教養がしっかりと身についている上に、腕が立つ女性なのだ。

 実際の戦場以外でも、非常に「使い勝手の良い存在」である。

 その最たるものが、華やかな場での要人警護任務。

 夜会や舞踏会といった席で高貴な女性に侍り、身分の高い男性たちと接触する機会も、何度と無くあった。


 そういった相手はたいてい、容姿が良く身なりも整っていて、会話にも品がある。

 シェーラにも礼儀正しく接してくれて、ときには詩的な言葉を贈ってくれることすらあった。

 それでも、心は少しも動かなかった。

 ぴんとこなかったのである。


 それなのに、なぜいまさら、よりにもよって「女泣かせの、いかにもな美青年」の虜になってしまったのか。


(アーロン様が、思っていたより500倍優しかったから? 親切で、真摯にひとの話を聞いてくれて、意外に大食漢で、私が悩んでいたら、押し付けがましくなくリードしてくれたから? やだ、それって完璧ってことじゃない……!)


 理性は「その程度のことで落ちるなんて、ちょろすぎる」と咎めてくる。

 そのくらい気の利く男性は、今までもいたはずでしょう、と。

 アーロンはたしかに顔が良いが、それだけにシェーラとて最初から警戒は怠らなかったのだ。これは気を許してはならぬ、と。

 そういった諸々をかいくぐって、アーロンはひょいっとシェーラの胸の中に飛び込んできた。片隅に、ではない。ど真ん中に。


 それでも、シェーラは本人と一緒にいる間は、あからさまに好意を示すことはしなかった。

 街から遠く離れた山の頂きまで飛び、沈む夕日を見てから帰ってきた。

 寮まで送り届けてもらい、行儀よく別れた。

 キスなんて、するはずもない。ごく普通に挨拶をしただけだ。

 異変が起きたのは、部屋に戻って後手にドアを閉めた段階。木床に膝をついて、へたりこんでしまった。限界だった。


(今日のお出かけは、なんだったっけ。結婚を前提にしたデート? つまり、双方が承諾すれば、私とアーロン様が結婚するってこと? え、結婚!? アーロン様と!?)


 自分がこれまで生きてきて、一番好ましいと思った男性と、すでに結婚までの筋道が描かれているだなんて。

 どうしよう、嘘みたい。嘘だと思う。だって相手はアーロン様だよ? 結婚したら夫婦になって、あの気遣いに満ちた美しい男性が生涯の伴侶になって……私とアーロン様が、夫婦?


 そこで前夜は、意識が途絶えた。

 気がついたらベッドで朝を迎えており、起き上がるなり闇雲に剣の稽古に打ち込んだ。

 そして、バートラムとの約束の時間に合わせて部屋を訪問した。

 そのときには一応、かなり気力を取り戻していた。

 うまくごまかせるつもりになっていた。

 愛想も情緒も足りないつまらない女として、「デートの首尾は上々かと思います」とだけ報告して終わらせるつもりだった。

 

 まさかその場に、アーロンが現れるとは。

 見た瞬間、「あ、好き」と思いが溢れて、自分でもわけがわからなくなってしまった。

 耐性がないとか、経験が足りないとはこういうことなんだ、とわかった。


「どうしよう。アーロン様、ただ王命でデートした相手に入れ込まれるのは、さすがに不快だったのでは。謝りたいけど、具体的にどの項目に関して謝れば……。明確な侮辱をしたわけではない以上、アーロン様も迂闊に謝罪は受け入れないでしょうし」


 ぐるぐると考え出したところで、コンコン、とノックの音が響いた。

 寮の私室に、ひとが訪れてくるのは稀だ。

 何事かと、シェーラはがばりとベッドの上で身を起こし、このときばかりは凛として居住まいを正して誰何(すいか)をした。


「在室です。名前と所属をどうぞ。何か御用ですか?」




※本編に直接関係ありません※


エリク「これ、僕知ってます。ゲイン・ロス効果です」


ユリウス「エリクくん、さすがです! ところでそれは一体どういう効果なんですか?」


エリク「簡単に言うと、優等生が良いことをしているときより、不良だと思っていた相手が良いことしていると気づいたときの方が、好感度の振れ幅が大きいんです。雨の日に不良が捨て猫拾っていたら良い奴に見えるでしょう? それと同じで、元々印象が最悪だったアーロン様が、めちゃくちゃ良い人だったことで、うちの副団長は……」


ユリウス「いや、わかりませんよ。食用かもしれません」


エリク「え?」


ユリウス「悪い奴が良さげなことしてるからってただちに信用するのは危険です。悪い奴は悪い奴ですよ。僕ならまずその不良を滅殺してから、猫を救助します。『猫を好きな人に悪い奴はいない!』とも思いませんからね。どんな条件下でも悪い奴は悪い奴ですよ。その不良、助けるふりして猫食べるかもしれないじゃないですか。許せないですね!!」


エリク「わぁ……食用って、そっちのたとえ話引きずっちゃったか。ユリウスくん、ものすごくしっかりしてるね。というかさすが魔術師団所属、血の気多い……いざとなったら騎士団より全然戦闘集団だよね、そっち……」

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