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― 飛鷺姫 ―

 小浦こやす

 東北に伸びる街道を人の足で二日程行けば、視界が開け、盆地に出る。

 かつての都と帝都を結ぶ街道の要所として、旅籠が居並び、物流の拠点として今なお行き交う人々で賑わいを見せる。

 そこからさらに東へ向かうと、三つの川が流れ込む、その名を冠した肥沃な台地が、広がる。

 小浦は、こやす。

 川の水によって運ばれた栄養豊富な土が堆積して出来た土地であり、古くから上質な農作作物が育つ事で、その名を知られている。

「そこの旅のお方、まさかこの山を越えなさるんで?」

 畑で草を取っていた農夫が、畦道を行く若者に声をかけた。

「ええ。山渡やまわたりの修行をしておりますれば、一通り歩いてみるのが、師の教えでございます」

 被っていた笠を上げると、人好きのする笑顔が覗いた。

 脚絆に、手甲。

 腰にぶら下げられているのは、獣の皮で出来た袋と瓢箪。

 背に負った菰、手挟んだ小刀。

 ただ、眼だけが異様に細かった。

「しかし、この山は、、、」

 お節介ついでに口を開こうとして、

「曰くつきだろうが、喰わず嫌いはいけませぬ」

「はぁ」

 それ以上、何も言えなくなった。

 にこにことした顔を向ける若者の顔を伺いつつ、

「そ、、、そうかね」

 念を押すように問えば、

「ええ。お構いなく」

 深く会釈して、そのまま山へ向かって遠ざかる、背。

「、、、、、」

 呆気にとられたような、呆れたような、そんな顔をして見送る農夫の傍らで、

「ちょいとあんた、陽が暮れてしまうよっ」

 目じりを吊りあげた女房が、急かした。

「お、おお」

 再び、長雨で伸びた草を抜くため、しゃがみ込む。

 その耳に、

「嫌だ嫌だ。若いもんが、今日に限ってそれも二人も、お山に取られるなんて」

 腰を叩きながら畝の向こうへと歩む女房の呟きが、聞こえてきた。




 なだらかな傾斜の山肌。

 本来ならば里山として利用されるはずなのだが、一歩足を踏み入れるとそこは、人の侵入を拒む自然の大気で満ちていた。

 頭上では、けたたましい鴉の鳴声。

 野放図に生える蔦や蜘蛛の巣が、行く手を阻み、張り出した根が足を取る。

 本来在るべき獣の姿も、奥へ奥へと進むうちに見えなくなり、昼間だというのに薄闇を張った山懐に迷い込む頃には、命を謳歌する生き物達の声が届かなくなった。

 そこを、傘を目深に被った若者が一人、歩いてゆく。

 腐敗してうずたかく積もった木の葉の大地、苔生す朽木、朝霧で濡れたシダの茂み。

 素足であった。

 黒く丸く、いくつもの蛭がその筋ばった赤銅色の足に吸い付くが、鼻歌を歌いながらいっこうに気にする様子もない。

 時折、何かを調べるようにして、幹を叩いたり、辺りを見回して頷きながら、小川を辿ったりしている。

 やがて、なだらかな斜面を覆う熊笹の茂みに分け入ると、

「っ、、、」

 不意にその体は、音もなく沈んだ。

 ぽっかりとそこだけ開けた、茂みの先。

 青空が、上空に覗いていた。

 その下に堂々たる橡の古木がひとつ、悠々とその枝を伸ばしている。

「、、、、、」

 熊笹の茂みの中から覗った先に、だらりとのびた黒い狩衣の袖。

 よくよく眼を凝らして見れば、こちらを背にして、枝に足を長く伸ばして横になっている者の姿。

 片手を頭の後ろに回しているのか、癖のある黒髪は長く、豊かにれている。

「ぁふ、、、」

 あくびが、洩れた。

 息を潜めるその細い眼差しの先で、伸びていた袖がゆっくりと、腹の上へ。

「良い夢を、見ていたのに、、、」




「!?」

 さすがの若者も、その声音に後方に跳躍。

 帯に手挟んでいた小刀の柄に手を掛けると、

「この森は鋼を嫌う。そこに置け」

 同じ姿勢のまま、低く、声が掛かった。

 言われたとおりに小刀を置くと、若者は笠を手に橡の木に歩み寄った。

「驚いた。昼間と言うのに、くだんの鬼姫に出会えたかと、、、」

 見上げた先に、

「悪かったな」

 涼しげな風貌の若者の、茫洋とした眠たげな顔があった。

「この瘴気の中にあって、ここだけは異質。おぬし、人のなりをした木精か、、、?」

「人に訊ねる前に、貴様が名乗れ」

 不機嫌この上なく言い放つと、背を向けた。

「わいは、牟螺むうらと言う。山渡やまわたり見習いよ」

「伯だ、、、」

 あくびをかみ殺しながら、応じた。

「そなた、この山に棲む鬼姫を探しに来たのか?」

「そのようなものだ、、、」

「では、かようなところで、一体何を?」

「見た通りよ」

「、、、、、」

 そのまま眠たげな声であった。

「暮れるまで、まだ時間がある。わいも、ここいらで一息入れさせてもらいやしょう」

 樫の根元に腰を下ろすと、牟螺は腰に提げた袋から燻した川魚を取り出し、瓢箪を外した。

 それを噛み千切りながら、瓢箪の口を外すと、えも言えぬ甘い香りが、辺りを漂った。

 振れば、たぽたぽと、鳴る。

 ぴくりと、頭の後ろに回された手が、動いた。 

 牟螺が、小さな吸口に直に口をつけ、酒を喉に流し込んでいれば、

「、、、、、」

 上から見つめる、漆黒の視線とぶつかったのだった。




「猿酒と言ってな。猿が、木のうろなどに隠した果実が発酵してできたものだ。これはそれを真似て造ったものだが、滋養があって、体が温まる」

 大きな木の葉を杯にして、いつの間にやら向かいに座ったのが、伯。

 葉の杯の中で、琥珀色の液体から気泡が湧いている。

 朱鷺色の薄い唇寄せれば、甘い香りが鼻を抜けた。

 白く、細い喉が晒され、一息に呑み干した。

 そこでやっとまじまじと、その貌を見た。

 やや癖のある黒髪は、長く背に流している。

 細く切れ上がった剣眉と、長い睫に縁取られた漆黒の眸。

 高い鼻筋と、不機嫌そうにへの字に曲がっているのは、朱鷺色の薄い唇だ。

 端正な貌の造りのせいで、この山に棲むと言う鬼姫が化けたのではないかと言う疑念は、その骨ばった大きな手を見て払拭された。

「甘い、、、」

 赤い舌先が、唇をねぶっている。

 舌に残った後味が、気に喰わない様子だ。

「甘い酒は、お気に召さないか?」

「ん」

 再び突き出された、葉の杯。

 請われるままに注いでやれば、今度はちびりちびりとやりだした。

「伯殿、そなた鬼姫に会うて、何とする?」

 伯の一瞥が向けられても、糸のように細いその眼は、譲らなかった。

 しばしあって、

「さあな、、、」

 杯を手に、梢の上へ。

 再びごろりと横になったその人へ、

「されど、興味半分で森に入られた訳ではなかろう?」

「その時になってみなければ、分からぬと言う事だ、、、」

「左様か、、、」

 牟螺は、呆れた顔を向けた。

「お前は、どうするのだ?」

 首の辺りをぴしゃりとやりながら、伯の流し目。

 牟螺は、手で食べかけの川魚の燻製を弄びながら、

「わいは一目、この山の姫さんを見るだけよ」

「ふん」

「大層美しき姫君だと聞き及ぶ。山を渡る事を生業にしている者で、その名を知らぬ者はいない」

 頬を赤くした。

「そして出来うることなら、その業を解放して差し上げたい」

「ふあぁぅ、、、」

 伯はと言うと、あくびを一つ。

 そのまま、つまらなそうに目を閉じた。

「山渡の念願の一つでもあるのだ。さすれば、この山は再び人の手で開かれる。この森は一度人の手が入っているため、かように荒れ果てた。獣も虫も戻らず、木々は互いに成長を阻害し、水は流れを変えられて行き場を失い、淀む」

「、、、、、」

「森に還すのであれ、共に生きるのであれ、そのような哀しき山を無くすのも、我ら山渡の本懐である。一度人の手が入り、荒廃極めた里山を再生できるのは、やはり人」

「山渡。そのまま山に居座り、根付くと聞く、、、」

 鬱々とした呟きに、

「おうさ。うまくやれば、食いっぱぐれのない商売よ」

「、、、、、」

 力強い声が、応えた。

「村より一手に引き受け、見事里山を蘇らせれば、一生分の食い扶持を得たも同然、、、」

 長々と一人口を動かす牟螺の頭上では、いつしか細い寝息が上がっている、、、




 ひやりとした大気が、肌を舐める。

 牟螺は、ゆっくりと目を開けた。

 風にざわめく木の葉の向こうに、星々の輝きが見えた。

 そのまま、辺りを見回す。

 すっかり暮れ、森には静謐が、占めていた。

 さらに、

「ぬっ」

 梢の上に、あの若者の姿も無い。

― これはしくじった、、、 ―

 舌打ち、一つ。

 猿酒で強か体も温まり、いけない癖でつい饒舌になり、そのまま眠ってしまったらしい。

 体の筋を解しながら立ち上がると、熊笹の茂みに分け入った。

「確か、この辺に、、、お、あった、あった」

 茂みにおいて置いた小刀を、帯に手挟むと、ぐっと伸びを一つ。

「さてさて、姫様はいずこか、、、」

 糸のような目を炯々と光らせて、さらなる山懐に、向かったのだった。


 

 

 息が、凍えるように冷たい。

 大気に触れる肌が、骨の髄まで強張らせるようだ。

 行く手を阻むかのように生い茂る、木々。

 その幹に手を触れながら、よろりと体を前へ押し運んでは、また、別の木に縋る。

 奥に向かう程に、体が軋む。

「は、ぁ、、、はぁ、、、」 

 それなのに、足を止めることが、出来ない。

 ここはすでにの幽鬼、蟲姫が領土と言うことか?

「は、、、ハッ、、、」

 両手はだらりとし、やがて前屈みになるように項垂れると、その姿がぶれはじめた。

「ガ…ア・ア…」

 朽ちたる葉を蹴り、木々に肩をぶつける様を、無数の黒くつぶらな眸が眺めている。

 梢に腕を掛け、幹にしがみつき、あるいは葉の裏や大地の中から。

 全身に絡み付くような、違和感。

 それは、虫達の視線。

 転がり出るかのように、熊笹の茂みから、夜空が覗くその下へ。

「ぅぅぐ、、、」

 喉を掻き毟しり、身震いが激しくなると、カッと目を見開いた。

「ぅぐああッ」

 堪え切れず、開いた口腔から、白い糸が噴出した。

 右手がもがき、その爪でもって抵抗するが、あえなく絡め取られるとそれは、見る見る伯の体を覆ってしまった。

「、、、、、」

 やがて静寂が訪れ、取り残されたのは、巨大な繭、一つ。

 虫達も息を殺し、その時が来るのを待っているのか?

 雲に覆われていた月が貌を覗かせ、光が差し込むと繭はそれを受け、静かに燐光を放ち始める。

 青白く透ける繭の中に、浮かび上がる人影。

 長く垂れた黒髪が抜け落ちると、短く縮れ始め、

 ゴ…ゴキ…ィ・リ・・・

 手足を広げたまま固定されていた華奢な骨格が、鈍い音と共に変化する。

 肩を押し上げるのは隆々と発達した、筋肉。

 手足が、鈍く耳障りな音を立てながら、伸びてゆく。

 さ・さらさ・ら・・・

 闇の中から、近づく衣擦れの音。

 大気が、張り詰める。




― !! ―

 ようやくの思いで足跡を見つけ、追いかけた先、異変に身を潜めた。

 息を殺し、茂みから覗いた先に、繭と化したあの若者の姿。

― たてくらいにはなりそうだと思っていたが、最初はなからあの若造、巣食われていたのか!? ―

 しかし、そうと分かっても、足が動かない。

 好奇心がその場に留まれとばかりに、足を大地に縫い付けているのだ。

 蟲姫。

 その美貌は、魂を抜くとまで言う。

『背を向けこの場を離れよッ』、と本能が言う。

『見たいッ』、と牟螺の中の男が言う。

 牟螺は、葛藤していた。

 かといって、選択肢の中に『助ける』の文字は、ないらしい。

 さてどうしたものか、と繭から眼を離せずにいると、

― む、、、 ―

 耳に心地よい、その音は、、、?

― よぅしっ ―

 近づく衣擦れの音に、その意志は、固まった。

― せめて、一目っ ―

 ただ、見たい。

 それに尽きた。

 見通せぬ闇の彼方から、とてつもない冷気が吹き付けて来た。

 全身の毛穴という毛穴が、総毛立つ。

 己の肩を抱きながら息を殺し、目を凝らすと、月光が繭に差し込んだ。

― これはっ ―

 同時に、闇から抜け出した、その姿。



 キリィイイいいアルルルル…

≪やはり、いらしてくれた、、、わたくしの、、、≫

「つッ!!」

 それは声には程遠い、細く甲高い、劈くようなものであった。

 心根の穏やかな者は、それだけで気を病んでしまうかのような音に、牟螺は耳を押さえて大地に伏した。

― なんとも凄まじい、、、 ―

 耳を押さえつつ、顔を茂みから覗かせれば、晴着の紅が眼を引いた。

 そしてその顔が、とろけた。

 繭を、抱き包む鮮やかな紅の唐衣の袖。

 月光を浴び、色を纏う肌は、透けるように白かった。

 うねっていた黒髪は豊かに波打ち背に流れ、その瑯たけた横顔を縁取る。

 頬に影を落す長い睫に縁取られた鈴張り目と、ふっくらとした丹色の唇。

 幼子のように頬を擦り寄せると、その手指の爪が赤々と伸びた。

 羽化の時を待ちきれぬようにして引き裂くと、白い羽毛の如く舞い上がる、糸であったもの。

 溜息のように零れたその、声音。

 髭の剃り痕の青々とした、屈強な若者の姿。

 浅黒い、その肌。

 物言わぬ、物憂げな鳶色の眼差し。

≪嗚呼、、、≫

 舞い落ちる羽の中に立つその裸躯に、縋りついた。

 月灯りに伸びた二つの影が、重なり、融ける。


 


 寂しい。

 哀しい。

 憎い。

 嫉ましい。

 そして、何よりも、いとおしい。

 厚い胸板に、朱が滲む。

 食い込む爪と、女の歯。

 貪らんとして貪欲に、肌をまさぐる冷たい肌。

 重ねても重ねても、けして熱を持つことはない二つの人が、茂みの中でもつれ合っている。

 想いの丈を、ぶつけるその相手。

 蟲姫の赤々と濁った眸には、かつてのその人の姿が映っていた。

 褐色に焼けた肌は、なめした革のように張りがあり、どこまでも逞しい。

 太い首に腕を絡ませれば、無精髭も精悍な彫の深い男の貌があった。

 濃い眉の下の鳶色の眸が、何も言わずにただただ穏やかに、蟲姫を見つめている。

 裳裾を細いその柳腰に絡みつけたまま、女はその眸を見つめ、男の腰の上で身悶えた。

 溜息が、男の胸に冷たく霜をおろす。

 指に絡まりつくその髪を、男の手が絡めては、引き寄せる。

 重なった、唇の感触。

 女は、その人の顎の下に額を寄せ、眸を閉じた。

 なんという、甘美な時間。

 永遠に続けばと願って止まなかった、その人との一時ひととき

 女は、ようやくそれを手にしたと、疑わなかった。

 その声を、聞くまでは、、、




「そんなに良い男かよ、、、」

 うんざりしたような声音が、辺りに響いた。 

≪!?≫

 咄嗟に胸に抱き寄せた、男の体。 

 恍惚とした表情で、美しき幽鬼の逢瀬を垣間見ていた牟螺の意識も、冷や水を浴びせられたかのように我に返った。

― なっ、、、あんなところに?! ―

 見上げた先の高い椎の枝から、冷ややかな眼差しが、重なる男女を睥睨へいげいしている。

「くだらねぇな、、、」 

 鬱々とした、どこか憤りにも似たものが、大気を凍りつかせている。

― どうなってんだ?!あの若造、確かに、、、 ―

 自ら吐いた糸に包まれ、別の姿となってしまったはずなのに、、、

 愕然とする牟螺など視界に入らぬのか、梢に寝そべっていた声の主が、地上へ降り立つ。

 ふわりと袖を翻らせ、舞い降りたのは紛れも無い、伯。

「あんたの想いもその身も、とうに朽ち果てたと知れ、、、」

 蟲姫に歩み寄りながら、伯は手を伸ばす。

 このままでは、何かとんでもない事が起こる。

 美しい獣を、揺り起こしてしまうような、、、

「よせっ」

 堪らず茂みから飛び出した牟螺の静止の叫びもむなしく、その手は男に縋りつく蟲姫の顔を覆った。

「生きながらに虫共の苗床になりたいか、、、?」

 その唸るような低い声音に、初めて気がついた。

「あ、痛!!てててッ」

 肌に食い込む無数の牙を。

 痺れるような鈍痛や、むず痒さ。

 それまで、暖かな獲物にありつき、大人しくしていた黒くつぶらな眸を持つもの達が、うぞうぞと衣の下で蠕動を始める。

 ばたばたと衣を叩けば、鈍い音と共に蜘蛛や百足、螻蛄や蟋蟀、蚯蚓や蠍が足元に蟠った。

「うぁあわわっ」

 さすがに取り乱し暴れる牟螺を尻目に、そのまま力任せに引き剥がせば、

 ビ・ビビリィイ・・・ッ

 ヴ、ヴヴヴ、ヴブブブ―――ッ!!

 何かが剥がれる鈍い音と共に現れたのは、黒々と蟠る虫の塊。

 一斉に羽ばたき、或いは大地に溢れ、毀れた落ちる。

 そして、

≪ぎぃああああ―――ッ≫

 迸る、絶叫。

 貌を押さえ、まるで舞っているかのようにふらつくその人を、ただただ穏やかな眼差しで、武沙那が見つめている。

「や、やりおった、、、」

 耳を押さえ、足で虫共を踏みつけながら呆然とする牟螺を他所に、伯は、

「ふん。随分と年季の入ったつらをしている」

 虫が飛び退る中、平然と、手にした蟲姫の貌を、見つめた。 

 かつてはたおやかな小面こおもて能面のうめんであったのだろうか?

 今となってはところどころ欠け、胡粉は剥げ、その貌はお世辞にも小面特有の若々しい娘らしさが窺えなかった。

 それどころか、

「成る程、生成なりかかりか、、、」

 目尻は切れ上がり、鼻はもげ、朽ちて崩れたのか、口は裂けていた。

「人にも戻れぬ、鬼にも成れぬ。逝く先は、無限坂の深き闇か、、、」

 愉しげに喉を鳴らす音だけが、飛び行く虫の群れの中から確かに聞こえる。

― あの若造め、笑ってやがるっ、、、 ―

 茂みから半身を乗り出したところで、冷たい汗が背筋を這う。

 底知れぬ恐怖の対象は蟲姫から、その若者へ。 

 ブブッ、ヴブヴヴ――ッ

 頬や胸に容赦なくぶつかり、そのまま衣に張り付くのは飛蝗に黄金虫、蟷螂、土蜂、玉虫。

 その数は、増すばかり。

 まるで無限に湧き出すかのようで、

「こりゃまずいっ、た、退散退散っ」  

 牟螺は袖で顔を覆いながら、身を低くして逃げ出した。

 その様子を遠目に眺めながら、

「まぁ、、、」

 胡粉の剥げた能面の唇の辺りを指で辿り、爪先で弾く。

 硬い音が響いた。

 この感触を伯の唇は、覚えていた。

「畏れを忘れた人なんぞには、その素顔、晒すにはもったいなかろう、、、」

 薄笑いを隠すかのように、伯はその面で口元を隠したのだった。




 手の間から湧き出す、むし、虫、蟲。

 その勢いは止まらず、闇夜に白々と浮かび上がった女の裸躯は、華奢な双肩を激しく上下させている。

 その喉が、震えた。

 グギルハハキ

≪何故だッ≫

 劈くような耳鳴りの中の声を、伯は僅かに目を眇めただけで聞いていた。

≪確かにその身に同化したはず、、、≫

「この身で暮らし、それなりに年も経た。手慰み程度に、身を守る術は身に着けた、、、」

≪引きちぎったと言うのか?この百数年、研磨し続けた我が想いの丈を、、、≫

「引きちぎる?俺の体内に入った時すでに、我が眷族がそっくり包み込んでいたのさ。俺の腹の中でそいつは目覚める事無く、封じられていた、、、」

 舌を長く出したその先に、透明の粘塊質の小蛇らがうぞうぞとばかりに鎌首を擡げ、二つに割れた舌をちろちろと覗かせた。

 腹に巣食わせた、眷族の姿であった。

「俺だと思ったそれは、我が眷族が読み取り、映したるものだ」

 顎を指した先に、穏やかに微笑み見つめる愛しい男の、姿。

≪アぁァ、、、≫

 その姿が、ぬるりと手の内から滑り落ち大地に蟠ると、潮の香りが漂った。

 男の姿を映していた液体は大地に浸み込み、青々とした輝きのぎょくが、宙に浮かび上がる。

≪ぬぐ、、、おのれぇい、、、≫

 手の間から、赤い筋が噴出す。

 白い手を濡らしたのは、血涙。

≪返せッ≫

 吹き付ける、瘴気。

 目を細めると、伯は胸に掛けた翡翠の連珠に手を掛けた。

 そのまま引きちぎると、それまでお構いなしに飛び回っていた虫たちが、一斉に離れた。

 近づけず、対峙する二人の周りを、遠巻きに回っている。

「誰が返すか、、、」

 枝珊瑚を思わす翡翠の一対の角。

 うねる群青の髪。

 額の金の吉祥紋と、鳳眼菫色の異形の若者。

 伸ばされたその手に集まると、青い輝きを残し、そのまま大地に吸われていった。

「おかしなもん、飲ませやがって、、、」

 そのまま手に力を込めると、鋭く伸びたカラマイトグリーンの爪が、食い込んだ。

≪や、、、やめよっ≫

 甲高く澄んだその声音。

「認めろよ」

 刻まれた笑みが、深くなる。

 そしてそのまま、爪は深々と青々とした魂魄を突き刺し、

「あんたはただの死霊だと、、、」

 握りつぶした。

 何の手応えも無く、指の間を零れて行く、青い粒子。

 広げたその手の中に残ったものは、片羽を失った、烏揚羽カラスアゲハ

≪あぁあっ≫

 悲痛な叫びが、耳を突いた。

 その舞い落ちる片羽も、その手に触れる事無く、粒子と化して消えてしまう。

≪そ、んな、、、ぁぁああ、、、≫

 大地に臥し、肩を震わせ噎び泣く女の声に、

「分かってたんだろ、あんた、、、」

 伯が、口を開いた。

「これは、あんたの男への想念だ。男の魂魄でもなんでもない、、、」

≪うそ、、、≫

 灰鼠色したその手が、震えた。

≪ならば、この想いを否定され、すべてを砕かれたわたしに、何が残ると言うのだ、、、≫

「なら、勝手にそう思え。また新しい魂魄こんぱくを抱いて、鬼の真似事でもするがいい」 

 うんざりしたように、

「何度でも、壊してやる、、、」

 喉の奥で唸るように吐き捨てた。 

― わたしには、もう、、、 ―

 どれ程の夜を、心細く過ごして来ただろう。

 朽ちる我が身が、獣や虫らの命の苗床となる様を、呆然と眺めて過ごすうちに、いつしか従うものとなったが、それでも声無きもの達の慰め。

 礼金目当てに森に入った者達の、卑下た蔑みを聞くうちに、怒りに身を焦がした。

 それでもいつか、その人が迎えに来るのではと淡い期待を抱いて、年月は過ぎ去って行った。

 懐から毀れた青い輝き。

― お前には分かるまいッ、、、 ―

 それを見つけた時の幸福感を、、、

 身は朽ちても、魂だけはこの山に自分を迎えに来てくれたのだと、そう想った。

 輝きは蟲姫の問い掛けに応える事はなかったが、変わらずそこに在った。

 それだけで、孤独な蟲姫には、充分だった。

― こんな事なら、、、やはり山を降りねば良かったわっ、、、 ―

 転機となったのは、どこか懐かしいような香りに誘われ、山を降りた時だった。

 人にしては珍しく、白い髪の男を見かけた。

 その人の広い背は、ことのほか心地よく、肩につかまり都に入った。

 そして、かつて過ごした屋敷の記憶に心躍らせ、立ち入った木立の中で、見つけた。

 風の無い夜だった事も、幸いしたのかもしれない。

― すべて、台無しじゃ。そなたのせいでっ、、、 ―

 無防備な寝顔の、その姿。

 蟲姫の切望が、愛しい人の姿を、伯に映し出させたのかもしれない。

 この地を訪れ出逢った導きを、蟲姫は信じて疑わなかった。

 体内深くに巣食わせれば、その魂が芽吹いて、きっと迎えに来てくれる。

 幾年月もの孤独も、ようやく報われるのだと、信じていたのに・・・

≪う、、、ぅぅ、、、≫

 うねる黒髪の辺りから、すすり泣きが、洩れてきた。

 耳につく、不快に甲高い、その調べ。

「、、、、、」

 憮然とした面持ちのまま、伯が手にしていたものを投げた。

≪あ、、、≫

 大地に平伏す蟲姫の鼻先に落ちた、能面。

 その貌は、野盗に剥ぎ取られ、好き者の面打ちに売られたと言う。

 面打ちが打つ小面はどれも美しき姫の貌となったが、それ故に耐え切れず、発狂したとも聞き及ぶ。

 伯は、それを知っているのだろうか?

 否。

 知るはずも無い。

 この先、それを知ろうとも思わないだろう。

 この若者の興味の度合いなど、その程度。

 気に喰わぬ。

 ただそれだけの理由で、力任せに壊し続けるだけなのだから。

「そのように生きるのなら、必要なものだろう」

 背を向け、彼方の闇に青く滲むその姿が、言った。

 骨ばった手が、震えながら表面をなぞった。

『そんなに良い男かよ、、、』耳に残る、その声。

 遠ざかる背を、乱れた黒髪の隙間から見つめた。

 異形の、その若者。

− 砕かれ、血肉を失ってもわたしは今だ、この世に在る −

 この想いが砕ければ、もうこの世に在る事は無いと思っていたのに、、、

 華奢な肩に触れ、そして、大地に手をついた。

 愕然とながらも、それは確かな事実。

― わたし、は、、、 ―

 蟲姫の手が、転がっていた石を掴んだ。

 大きく振りかぶると、白い息がひとつ、漂った。

― 貴方への想いも、わたしの貴方への想いも、わたしをここに繋ぎ止めるものでは、なかったというのなら、、、 ―

 石が、振り下ろされた。

 

 朽ちた木が割れる、乾いた音。

 僅かに、剣眉が跳ね上がる。

「、、、、、」

 振り向いた伯は、手に石を持ったまま、こちらを窺う者を見た。

 ばさらに乱れ、うねる黒髪。

 瞼も鼻も唇も無い、赤茶けた面が、こちらを見つめている。

 ただ、眼窩の奥に赤々とした鬼火が燻っていた。

 頬の辺りから、白く蠢きながら這い出すのは、蛆であろうか?

 ぬめぬめと赤黒く濡れた顎先で、羽を休める蛾の姿も見受けられる。

「、、、、、」

「、、、、、」

 交錯する、眼差し。

「、、、、、」

 耳の後ろを掻きながら、少し何かを考えている様子。

 それから程なくして、意を決したように一つ鼻から息を吐くと、

「我が前で膝を折るのなら、、、」

 伯は手を、差し伸べた。

 ブブ…

 大人しくなった虫を従え、茂みを渡るその姫が、おずおずと手を重ねた。

「歓迎するぞ、、、」

≪ぁ、、、≫

 小さく、白い吐息が零れた。

 蟲姫の身が小さく震えると、蜘蛛の子を散らすように霧散する虫の群れ。

 やがて、それは虫の奔流となり、辺りを包み込んだ。

 衣だけを残し崩れ去る、薄い女の身体からだ

 指先が、硬い手足を持つ甲虫となり、鼻先をかすめて飛び去って行った。

「、、、、、」

 先ほどよりも激しく、体を巻き上げんとばかりに渦巻く、虫の群れ。

 その真ん中で、群青の髪を靡かせ、その様を腕を組んで見上げる、伯。

 感情の一切を失った眼差しは、冷ややかすらあるが、差し込んだ月明かりを映すと、僅かに目を眇めた。

 蟲姫の強かさを知ってか知らずか、それは、どこか哀れみを含んでいた。

 この若者には珍しく、蟲姫の置かれた境遇に同情を寄せただろうか?

 頬、胸、足。

 ばちばちとぶつかる無遠慮な虫達が、薄茶の紗幕となって飛び去って行くと、

 こと…リ…

 足元に、白く転がるものがある。

 朽ちた晴れ着のその中に、一つ。

 それは、やや小振りな、、、

 しゃれこうべ。

飛鷺姫ひさぎひめ、、、」

 袂で掬い上げるようにして腕に抱くと、伯はくつろげた懐に仕舞った。

 ほんのりと漂う芥子香を共に、今はまだ明けぬ空の下。

 魔鳥の如く、鴉羽色の狩衣の袖が、翻る。


 帝都のメンバーで、蟲姫が、今のところ一番、気に入りな、煬です。


 いじらしく、それでいて、どこか妖艶。

 したたかなのに、意中の相手の前ではしおらしくなってしまう。

 そんな彼女を描けたらな、なんぞ、思っております。

 

 え、二番目?

 

 これが意外と、胡露なんですな。

 あの歪んだ性格、ドSっぷり、まーよく似てますわ。

 ええ、僕に、、、(爆)


 で、ようやく伯。

 もう、本編でも、助かってる。

 なにせ、一番、HP高いからwww

 痛い思いは、みんな、ちびに押し付けて、乗り切ろうと、筆を持つわけですわ。。。


 だからせめて【海藍】、海の色を表す中国語でハイランは、それはもー蒼奘さんの数多の嫌がらせ乗り越えてきた、伯の強さが、一番強調できたらいいな、とか、思っております。


 これからも、むっつりひっそり更新して参りますので、おかわりしてくれている方々、、、


 ひっそりアクセスで応援、宜しくお願い致します*.:*:.。.: (人 *)

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