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― まゆも ―

 銀杏、楓、欅、伊呂波紅葉、檀に、桂。

 旋風となった木枯らしが、色鮮やかな木の葉と共に、足元を吹き抜けて行く。

 抜けるような青空には、ぽっかりと浮かぶ、白い半月。

 流れる雲間から、現れたり、隠れたり。

 連れだって空を渡るのは、

「、、、、、」

 名も知らぬ、鳥の群れであった。

「うわぁ、すごいひと」

「、、、、、」

 すぐ傍らで、そんな声が上がり、袖を引かれた。

 そう言えば、屋敷の門を潜る前から今まで、ずっと掴まれている。

 幾分うんざりしつつも、視線を前方に向ければ、見上げる程に大きな、石の鳥居。

 その先。

「迷子にならないようにしないとね」

「、、、、、」

 参道に居並んでいるはずの露店らは、この日を楽しみとばかりに詰めかけた人々によって、埋もれて見えた。

 布津稲荷、恒例朝市である。




「待て!!」

 どこかで、男の怒号がする。

「わッ」

「ひゃぁッ」

 突き飛ばされた者達が膝を折り、尻餅をつき、騒ぎに振り返る人々は、その姿に思わず道を空けんと、左右に別れた。

 その中を、

「どけッ」

 若い男が髪をふり乱し、一目散に大通りへ向かって駆けてくるのだ。

 その少し後ろで、

「誰か、そいつを捕まえてくれッ!!」

 濃紺の狩衣を纏った大柄な男が、呼び掛けながら、追っている。

 突然の出来事に、人々は我先にと道を空けて、静観の構え。

「くっ」

 追っていた男が、その様子に、苦々しく呻いた。

 無理も無い。

 当事者でなければ、所詮、他人事。

 そんな人々の気質を知ってか知らずか、先を逃げる若者は、ほくそ笑んだ。

 一方、

「ねぇ、何の騒ぎ?何かあったのかな?わっ、、、ちょっ」

「、、、、、」

 背伸びをして、何とか好奇心を満たさんとする童を、袖を掴まれている若者の手が傍らへと引き寄せた。

 砂利を踏む足音が、近づいてくる中、若者は闇色の双眸を、僅かに眇めたのだった。



 不意に、広がる視界。

 人垣によって設えられた、その花道の先。

「むッ」

「おッ」

 前方に佇むは、見知った顏。

 人混みを掻き分け走る二人の男は、思わず短く声を、同時に上げた。

 人々が慌てふためきつつ道を空ける中、中程で取り残されていたのは、棒立ちの若者と、その連れの童。

「おいッ!!そいつは盗人だッ!!捕まえろ!!」

 後方で、大柄な男が、一際大きな声を張り上げた。

 一方、手の中で、重そうな音を立てる巾着を、懐にねじ込みながら、

「へへっ、今日の俺は、ついていらぁなぁっ」

 ― 見逃してくれるだろ、兄弟ッ ―

 ばさら髪を荒縄で結わえた若い男 ―――、盗人が、意味深な一瞥。

 その眼差しが全てを語り、

「、、、、、」

 視線を送られた【若者】 ―――、伯は、こちらへ一目散に駆けてくる【盗人】 ―――、まゆもを見た。

「盗人?どこ、ど、、、ちょっとぉ、何するんだよっ」

 前に出ようとする蓉亜を、背に庇いつつ、

「おいッ!!」

「、、、、、」

 捕まえる素振りすら見せぬ伯に、業を煮やした大男の声。

 そればかりか、

「、、、、、」

 ぷい、とそっぽを向いた。

 ― あ、あいつ!! ―

 人混みを縫って追いかけてくる大男が、濃い眉を寄せ、ぎりり、と奥歯を鳴らした。

 一方、まゆもは、

 ― 恩に着るぜッ ―

 その傍らを、一息に駆け抜けんとして、

「、、、、、」

「うッ、、、」

 違和感 ―――、次いで、体が前のめりに。

 人々の壁が、一歩、また一歩と後ろに下がるその中へ、

「んがッ!!」

 どっ、と転がった。

 足を、引っかけられたのだ。

 シャリ…シャリ…ンンッ…

 懐から零れ落ちた銅銭が、乾いた音をさせる中、

「ててっ、、、」

 すぐ傍らで、何事も無かったように、つったっているのは、

「、、、、、」

 伯。

 腕を組んだまま、これまた、そっぽ向いている。

「てめぇッ」

「んー、、、」

 それまで、憤怒の形相で伯を睨めあげんとした、まゆも。

 だが、それも一瞬の事。

「うっ、、、お?!」

 今度は、目がとろりとして、どこか惚けた顏になった。

「イイ、女、、、」

≪ あ、、、 ≫

 伯の肩の辺り、騒ぎに懐から抜け出した、蟲姫。

 妖艶なその美貌の主はしかし、姿を視られている事に困惑した様子で、伯の背中へと隠れてしまった。

「後で紹介しろ。いいな?!」

「、、、、、」

 こんな時に、まゆもが小声で念押し。

 更に、

「伯、この人と知り合いなの?」

 露骨に、げんなり顔の伯の腕の間から、蓉亜のいらぬ詮索だ。

 蟲姫の存在云々はともかく、蓉亜のこれには、『しまった』とばかりに、伯が額を揉んだところで、

「盗人、大人しくしやがれッ」

「いぃッ、ででででッ!!いてぇッ!!いてぇよ、おっさん!!ちょッ、、、も、観念してんだろーがよぉッ」

 人混みから飛びだした大男 ―――、燕倪がようやく追いついて、まゆもを後手に組み敷いたのだった。




 布津稲荷を出て、大通りを横切り、見慣れた武家屋敷界隈を歩きながら、

「どこかで、聞いたことのある声だと思ったら、燕おじだもの。びっくりしちゃったよ」

 蓉亜が、手を繋いだ相手を見上げた。

「そこを動かないように、と、人混みの中に置き去りにされた時は、わたしも何が起きたのか、もう、さっぱり」

 薄紅色の被衣の女性は、蓉亜を見つめて、苦笑した。

 その拍子にさらさらと、癖の無い雪色の髪が長く、肩から落ちて、

「羽琶おねぇちゃんがいるのに、燕おじったら」

「ふふ、いいのよ。あの人、何事も見過ごせない性格だから」

 羽琶は、北は、御所のある方角を見つめた。

 巾着切り騒動の後すぐ、燕倪は、まゆもを連れ、その足で宮中へ向かった。

 布津稲荷に残された羽琶と共に、市を見て回り、正午近くになったところで、屋敷に送る途中であった。

「でも、凄かったんだ。伯がね、足を引っかけなきゃ、きっと逃げらたんだよ」

 まだ興奮冷めやらない様子で、蓉亜がそう言えば、

「ええ、そうね」

 羽琶が、心なし肩を怒らせている伯の背中を見つめた。

「、、、、、」

 だんまりを決め込む背中は、いつになく無愛想に見えて、

「んー?」

 ふいに、蓉亜が、前方の伯の傍らへ。

「ねぇ、怒ってる?」

「、、、、、」

 いつもと変わらぬ能面のような貌にしかし、蓉亜は、敏感に怒りを感じ取っていた。

 そっと、伯の手に触れると、冷たい指先を握り込んだ。

 ぎゅっと…。

「、、、、、」

 闇に染まった黒き一瞥が、蓉亜を捉え、

「、、、羽琶を、あの人混みに置いて行く気が、しれん」

 不機嫌この上ない、声音。

 それでも蓉亜の手を、邪険に払うような事はしなかった。

 その怒りは、どうやら燕倪に向けられているもののようで…

「でもほら、僕たちもいたじゃない」

「、、、、、」

 蓉亜は、伯の拳を両手で包み込むと、

「それとも、伯の知り合いだったから、怒ってるの?」

「チッ、、、」

 図星の舌打ち。

 そして、それ以上喋ろうとはしなかった。

 口をへの字にしたまま、

「あーっ」

「ふん、、、」

 蓉亜に腕を取られまいと、懐手だ。

 一方、羽琶は、

「伯様、、、」

 その意を酌んで、微笑んだ。

 己の身を、案じての事だと、すぐに気がついたのだろう。

 当代都守がそうであっても、【死人還り】は、人々にとって、未だ、異形の存在。

 大衆の中では、何があるとも知れぬ。

「ねぇねぇ、伯ったらぁっ」

「、、、、、」

 面倒だとばかりに、明後日の方を向いたところで、

≪ 若君、主様を困らせてはいけませんわ ≫

 懐から立ち昇った陽炎が、蓉亜の鼻先で忠告。

「だって、蟲姫ぇ、、、」

≪ 誰でも、心砕いた方を、二の次にされるのを目の当たりにしては、心騒がずにはおられませんもの ≫

「ココロ、砕いた?騒ぐ?、、、そんな事、僕、分かんないよー」

≪ ふふふ。ならば、お教えしましょうね。これは、わたくしの女の勘ですが、つまり主様は、初こ、、、 ≫

 そこまで口に出したところで、

「蟲姫」

≪ あゝッ ≫

 哀れ、蟲姫。

 主の気に障り、霧散。

 媒体のしゃれこうべの中へ、封じられてしまった。

「むー」

 伯を睨む、不満顏の蓉亜。

 その背中を抱いた、羽琶。

「蓉亜。あなたが、伯様がいないと心配になるように、伯様もそうなのよ」

「それって、本当?ねぇ伯、本当?」

「、、、、、」

 蓉亜と共に、顏を覗き込まれ、伯は、たまらず剣眉を顰めた。

 表情とは裏腹に、心なしその耳が、紅潮しているような、、、?

 羽琶は、蓉亜の肩に手を置いたまま、伯の背中を見つめた。

「燕倪様も、そう。困っている人を見ると、飛び出し行ってしまう。今も昔も、燕倪様は、そういう方で、わたしも伯様も、あの方のそんなところが大好きなの」

「大好きなのに、怒るの?」

「そうね、なぜかしら?でも、【大好きだから】が先にあるのを、きっと忘れちゃだめなのよ」

「んー、、、なんだか、分かったような、分かんないようなぁ、、、」

「みんな同じよ、蓉亜。とても難しいから、こうして人は、一緒にいられるのだわ」

「一緒、、、」

 羽琶を見上げる蓉亜が、少し先を行く伯の横顔を、見つめた。

 苛立ちは、どこに掻き消えたのか?

 いつもの能面のような、表情に戻っていた。

 蓉亜が手を伸ばし、伯の狩衣の裾を捕まえる。

 すべらかな、鴉色の狩衣。

 その感触を手の中で確かめながら、

「うん。ねぇ、伯。僕ね、伯が大好きだからが、一番最初にあるんだからね?」

「、、、、、」

 ちらりと、伯が一瞥。

 そのまま何も言わなかったが、不覚にも、

 くるる…

 どこか優しげな喉鳴りは、蓉亜の耳に確かに、届いてしまうのだった。




 陽が暮れて、夜気が往来を占める頃、衛士らが守る宮中の門を、ふらりと出てきた人影が在った。

 闇に紛れしまいそうな、地味な濃紺の狩衣。

 腰に太刀を提げてなければ、町人と変わらぬ容貌だが、背は随分と高い。

 大きく伸びをして、衛士らに労いの言葉を掛けながら、堀に掛かる橋を渡り、

「よぅ」

「、、、、、」

 風に揺れる柳の下。

 その幹に背を預けている一人の若者に、気がついた。

「お迎えご苦労、って、、、お前、歩いて来たのか?」

「、、、、、」

 辺りを見回すが、牛車は愚か、馬も無い。

 人影まばらな往来を、点々と灯された篝火だけが頼りなげに、照らし出している。

 うっそりと貌を上げ、燕倪の前に立ったのは、

「やっぱり、お前の顔見知りだったってわけか、伯?」

「、、、ああ」

 闇夜よりも深い、鴉色の狩衣纏った伯であった。

「こんなところで待ってなくとも、入って来いよ。お前は、都守付きなんだから」

「、、、宮中は嫌いだ。屋敷よりも、煩わしい」

 燕倪と肩を並べて、歩き出す。

 月はまだ出ていないせいか、頭上には満天の星空が広がり、箒星が幾つも流れていった。

 二人の吐息が白く、大気に滲む中、

「まぁ、そうか。実敦殿が悠霧を伴い、陰陽寮に戻っておいでだ。このまま籍を置かれるとの事だ。蒼奘がお前に気を回して、屋敷に近づけぬようにしてはいるが、会いたがっていたぞ?」

「、、、、、」

 首の後ろを掻きながら、とたんに憮然とした顏になる、伯。

 幼少の頃、振り回されたのを、思い出したのだろう。

 そんな伯を燕倪は、星明かりに青鈍へと透ける眸で見つめ、

「お前の【連れ】の件だが、、、」

 伯が足を運んだ、本題へ。

「まぁ、鞭打ち百回でも、素性の一切を吐かないところなんて、若いのに大した奴だよ。普通は、捕まった時点で観念するんだがな。悪びれた様子が無いところなんて、逆に清々しいねぇ」

「今は、どうしている?」

 伯が、相手を案じている事に、どこか珍しさを覚えながら、

「ん?ああ、さすがに今頃は、牢でくたばっているが、二、三日もすれば、縄も解かれるだろう。だが、何せ口が堅い。調書が上がらん事には、釈放も何も、、、」

「身元は、無い。まゆもは、孤児だ、、、」

「、、、そうか」

 そのつながりが、ここに在る彼自身を肯定してくれているように感じた。

 屋敷への近道、入組んだ路地に入ったところで、旋風が巻いた。

 舞い上がった木の葉が頬を打って、顏を顰めたところで、

「【親】のような者も、いた。俺が ―――、殺したようなものだ、、、」

「お、、、はッ」

 燕倪が思わず、辺りを見回した。

 誰かに聞かれるにしては、それはあまりにも衝撃的な言葉であった。

 幸い、路地に人影は無い。

 視界の端を横切り、塀の上へと駆け上がったのは ―――、丸々と肥えた虎猫だった。

「船宿を常宿にしての、巾着切り。その金は、人知れず山で暮らす子らの【糧】。子らは、口減らしに捨てられた者達が大半だ、、、」

「だが、盗んだもので、、、」

「当人も、足を洗うような事を言っていたが、、、」

「ふむ、、、」

 腕を組むと、何かを考える様子で伯に背を向けた。

 そのまま、来た道を宮中へと戻って行く、燕倪。

「燕倪?」

「ああ、すまん。少し野暮用を思い出した。気をつけて帰れよ、伯」

「ん」

「それと、五日後の蓉亜の稽古、忘れんな」

「稽古、、、」

 意味深な燕倪の言葉に、伯は首を傾げたのだった。




 深更。

 野良犬とも、狼ともつかない遠吠えが、遠く遠く聞こえて来る中、

「、、、、、」

 楓の幹に背を預け、伯は、ぼんやりと夜空を眺めていた。

 木の葉の間から垣間見える満天の夜空は、今日の伯の目には眩しすぎて、湖面を通して見つめているのだった。

「、、、、、」

 胸の辺りが、もやもやする。

 忘れようとしたわけじゃない。

 蓋をしたわけでもない。

 ただ、あの時感じた痛みと共に生きようと、せめてそうしようと、心に決めたその出来事を、思い返していたのだった。

 ― ルウシャ、、、 ―

 不甲斐なかったばかりに、失ってしまったような女性ひとだった。

 ルウシャは、山の眷族に加わることで自らの生に幕を下ろしたが、結果的に一行に厄介になっていた伯が、まゆもの、山で暮らしていた子供達の【母】を、奪ってしまったのだ。

「、、、、、」

 それであっても、燕倪の頼みを無視するわけにもいかず、、、。

 、、、眠ろう。

 身を丸めるようにして、湖に背を向けた。

 風の無い夜だった。

 結びつけた無数の羽根も風鈴も、今日は風伯らの訪れも無く、闇に沈んで見えた。

 蟲姫も眠っているようで、吊るしたしゃれこうべの奥からは、小さな寝息が聞こえている。

「、、、、、」

 ――― 、眠れない。

 もどかしく、爪を噛んだところで、

「、、、、、」

 伯は、母屋からこちらへ向かってくる微かな足音を、聞いたのだった。




 そこは、伯のためにと、母屋の対岸に家主が設えた、離宮。

 雨風が強くなければ、楓の梢で眠る癖は治らないが、それでも時折、使うようにしているのは、伯なりに感謝はしているからで、、、。

「、、、、、」

「、、、、、」

 瑠璃を削り出して作った、杯二つ。

 同じく眠れぬ夜を過ごしていた相手を見つけ、『呑もう』と、満面の笑みで誘ったのだった。

 断る理由も無く、結果、こうして家主と肩を並べ、湖面に写り込んだ星空を、無言で眺めている。

 ふと、

「、、、、、」

 傍らの存在を、伺った。

 見慣れたはずの万年小春日和の横顔は、今宵は、かつての【あの人】にも似て、

 ― あれはもう、いつだったか、、、 ―

 どこか懐かしく、流れた年月を想うのだった。

 互いに何も語らず、ただ酒を酌み交わせば、長い夜の内に考えも溶けて、今宵も答えを見いだせぬまま、朝を迎えるのであった。




 ※




 それから、数日後。

「おぉお、伯!!」

 池の向こう側。

 蓉亜の供をして、燕倪の屋敷を訪れた日のことであった。

 時間潰しに、昼寝の場所を選定せんと腕を組んだところで、聞き覚えのある声が掛かった。

 箒で木の葉を集めていた若衆が、大きく手を振っている。

「、、、まゆも」

 思わず目を凝らせば、浮橋を渡り、

「うははははっ、さすがに驚いたか?!籐那殿だけじゃ、奥方さまに何かあったら大変ってんで、この腕っぷしを旦那に買われたんだ。俺、魑魅魍魎系にも鼻が利くだろ?」

 まゆもは、にかっ、と笑ってみせた。

 彼の第六感の鋭さは、えるむに次いでいたのを、思い出した。

 ― これだったのか、燕倪、、、 ―

 燕倪らしいと言うべきか、伯の胸中は少し複雑で、

「給金もいいし、住込みだ。これで、黒鈷にも煙たがられねぇで済みそうだ」

「ここに住むのか、、、?」

「ああ。お前が厄介になっている屋敷とも、そう遠くないらしいじゃねぇか。何かあれば、すっ飛んで行くぜ、兄弟」

「、、、、、」

 喧しくなりそうだと、思ったのかもしれない。

 ややげんなりしたところで、

「ああ、そうだ。約束、忘れてねぇだろうな?!」

「約束?」

「あの別嬪さん、紹介しろよ」

「、、、ああ」

 伯は、腹の辺りに手を置いた。

 手の下では、狩衣が、ややふっくらとしている。

「蟲姫、、、」

≪ あい、、、 ≫

 陽炎ゆらめき、胸元から現れたのは、美しき幽鬼【蟲姫】。

「おおっ、、、」

 赤光放つ双眸に見つめられて、

「なんて、美人なんだ、、、」

 まゆもが、恍惚と溜息。

「最初に一つ、言っておく。まゆも、蟲姫は幽鬼だ、、、」

 そう一言、釘を差せば、

「幽鬼だろと、関係あるかよ。こんなに綺麗じゃないか、、、」

 けろりとした様子のまゆもの一言。

≪ まぁ、嬉しゅうございますわ、、、 ≫

 蟲姫も、にこりと応じてみせた。

「蟲姫、俺は【まゆも】だ。そう呼んでくれ」

≪ まゆもさま、、、 ≫

 梁鬼りょうきの名は、どこへ行ったのか?

 ― あの方、、、どこか、、、 ―

 顎先に手を当て、何かを思い出す蟲姫もまた、まんざらではない様子。

 薄笑みを口元に湛えた伯は、懐のしゃれこうべを、蟲姫に投げ渡す。

≪ あ、、、主さま? ≫

 一度、ゆらりとした、蟲姫。

 媒体を取りこんだその姿、陽射しの元で、人と見まごう実体となり、唐衣も鮮やかに、大地へと舞い降りる。

「蟲姫、ここは燕倪の屋敷の内だ。楽にしろよ、、、」

≪ 主様、あの、わたくし、、、 ≫

 不安に駆られて、蟲姫が伯の袖に縋ろうとするが、

「なぁ、蟲姫。らんちゅうの赤ん坊、見た事あるか?」

 まゆもの誘いに、振り向いた。

≪ え、、、あ、いいえ。らんちゅ、、、なんですの、それ? ≫

「大陸渡来の金魚でさ。今は、俺が世話しているんだ。丸まっこくて、これが可愛いんだ」

≪ 金魚、、、可愛、い? ≫

 真紅の眸が、子供のようにまんまるになる。

 小首を傾げたところで、

「ああ。水甕はこっちだ」

 まゆもの大きな手が、蟲姫の細い手首を掴んだ。

≪ あ、、、 ≫

 自然、つられて歩き出す、蟲姫。

 母屋の建物の一画に消える手前で、まゆもが振り向いた。

 伯の眼差しの先で、片目を瞑って、悦びを表現。

 ― 幽鬼と人、か、、、 ―

 ぼんやりと庭先を眺めれば、木刀を振る、蓉亜と燕倪。

 程近い軒庇の下では、羽琶が縫い物の最中だ。

 それぞれが、ぞれぞれの時を過ごしているようで、

「、、、、、」

 伯は一人、翡翠輪を外した。

 翡翠の角に、群青の髪。

 額の吉祥紋と、菫鳳眼。

 ふわりと風を、狩衣の袂に孕んだところで、

 リン…リリ‥ン…

 聞き慣れた鈴の音が、近づいてきた。

 振り向き様に、大地を蹴ろうとして、

「あっ、待って!!」

「!!」

 ずしりと肩に、纏わりつかれた。

 それでもそのまま舞い上がり、二人揃って、

「離れろ、タオフィ」

「やぁん」

 屋根の上。

 鋭さを増した犬歯を剥いたところで、タオフィには効果が薄く、

「ッ」

「うふふっ」

 そのままいつものように、肩に懐かれてしまうのだった。

 慣れたもので、伯が観念し、強張らせていた体から力を抜くと、

「ねぇねぇっ、逢いたかった?逢いたかった?」

「、、、煩い」

「もーう、相変わらずなんだから。神社の巫女が足りないらしくて、主様に、ちょっと手伝いに行ってこいって言われちゃってさ。市とかあったでしょ?準備やら片付けやら、ここしばらく、あたし忙しくて忙しくてぇ、、、」

「、、、、、」

「でも、でもね、一度だって、伯を忘れたことなんてないんだから」

「う、ぐぐぅッ」

 俄かにタオフィの腕に、首を圧迫されて、

 たまらず呻き声を上げたところで、

「あ、ごめーん」

 ようやく力が緩み、伯が、腕を外させた。

 さすがに、それ以上絡むと逃げ出し兼ねず、心得たタオフィは、その傍らに寄り添うように座って、

「燕倪様、羽琶様、おじゃましてまーすっ!!蓉亜、余所見しないで、お稽古、しっかりしなさいよっ」

 大きな声で、手を振った。

「、、、、、」

 毎度のことながら、屋根でのんびり昼寝をして待とうとしていた伯は、露骨にむっとした顏をした。

 どうやら、琲瑠に行き先を聞いて、追いかけてきたらしい。

「あ、れれ、、、?」

 しきりに辺りを見回す、タオフィ。

 辺りに、いつもの気配が無い。

「ねぇ、今日は、あの【お邪魔蟲】いないの?」

「新しいここの下男と、らんちゅうとやらを見に、屋敷の裏に向かった。じきに戻るだろう、、、」

「ふぅん。ずっと戻ってこなくても、あたしは全然、構わないんだけど」

「、、、、、」

 タオフィが、伯の肩に頬を預ける。

 よせ、と肩で押し返していれば、

「それよりも伯、見てくれた?」

「、、、、、」

 甘栗色の、大きな鈴張り目と眸とぶつかった。

「あたしの舞。市に来たんでしょ?神楽、見なかった?」

「、、、、、」

「伯ったら、どうして神様なのに、神楽を見ないのよぉ?!あたし、一生懸命、伯を想って舞ったんだから」

 今にも掴みかからん勢いのタオフィを後目に、

「、、、お前、天狐の眷族だろう?」

「我が君は、お心広い方だもの。誰を想って舞うかなんて、それぞれだって言うに決まっているわ」

「、、、、、」

 伯は、大して興味もない様子で、片肘をついて横になった。

 不満げに唇を尖らせた、タオフィ。

 ― 見てほしかったなぁ、、、 ―

 少しだけ哀しくなって、思わず、つんと痛む鼻を啜ったところで、

「、、、蓉亜を肩車したが、あの人だかりだ。神楽鈴の音しか、聞こえなかった」

「えっ、、、」

 ― いたんだ!! ―

 背中越しに、ぼぞっと、伯がそう言った。

 それだけでも、タオフィには十分だったようで、、、。

「♪」

 満足気に、にっこりとすると、伯の傍らで空を仰いだ。

 頭上に広がる、どこまでも青い空。

 思わす緩んでしまう頬を、両手で押さえつつ、

 ― おんなじ☆ ―

 晴れ晴れとした大空を見上げるタオフィも、正に、そんな気持ちなのだった。


 久々の更新となります。。。


 本編最終話の前に、本編の土台である先代との回想録をまとめていれば、このまま本編の更新は、いつになることやら~な具合の煬でございます^^;


 伯の初恋。。。身近な相手と、同じ髪の色をした女性。。。きっかけはどうあれ、きっと気になるんじゃないのかな、と。。。そんな彼だからこそ、小浦の地仙の気持ちが分かったのかもしれないなぁ、と。。。


 リアルでも、こんだけ分かりやすいといいのだがと常々思うのは、最近めっきり秋めいて来たからなのかもしれんなwww 

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