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- 烏玖慧那 -

 細く差し込む、陽の光。

 息も凍える、霜の降りた大地に立った若者は、

「、、、、、」

 懐に差し入れていた手を、引き出したところであった。

 蝋のように白い手であった。

 桃色貝のような爪が、赤く色づき、ぱっくりと爆ぜた果実の表皮に、触れた。

 ざらつく、感触。

 茶色の硬い瘡蓋のようなものが、ところどころに張り付いている。

 見てくれとは対照的に、透き通ったくれないが、分厚い皮の奥で鮮やかに弾けているのだった。

 捻るようにして、その一つをもぎ取ると、熟れた顆粒が霜を落とした大地に散らばった。

 若者が、歩き出す。

 手には、柘榴。

 それを齧りながら、僅かに残った草や、木の皮を食む鹿の群れの中へ。

 鹿は、鼻をひくつかせただけで、何事も無かったかのように再び口を動かしている。

 若者は、鹿の背や首に触れながら、群れを抜けた。

「、、、、、」 

 目の前を、兎の親子が跳ねて行った。

 白い靄がたつ小川では、水浴びをする小鳥。

 そこに食べかけの柘榴を放り投げると、驚いた虹鱒が白い腹を見せて跳ねた。

「、、、、、」

 べたつく指を舐めながら、見上げた先。

 灰色の岩壁。

 聳える峻険な山肌が、随分と近くに見えた。

 白い息を一つ吐くと、若者は鶸色の衣の袖を翻し、跳躍。

 細やかな刺繍を施した、藤色の帯。 

 長い長衣の裾と相まって、雉の尾のように流れた。

「、、、、、」

 そのまま跳躍を繰り返し、垂直にそそり立つ岩肌の一画に舞い降りる。

 息を整えると、軽やかに岩肌を蹴り、一息にその頂へ。

 

 

 

 ある木は葉を落し、また紅葉し、様々な彩りを見せる樹海が彼方、眼下。

 風雨の浸食により切立ち、取り残された大地の上。

 荒涼とした岩ばかりの頂が、ぐるりと囲むようにして守る大地が、もう一つ。

 そして、その大地が守る本質が、鎮座。

「斗々ととう、、、」

 優美すらある、山裾の曲線。

 その中腹から、傾斜が急になり、いっきに天高く聳え立つ。

 頂、遥か彼方の雲の中。

 神々しさよりも、その姿、荘厳の一言に尽きる。

 斗々烏。

 所々、白々と雪を頂いた大地を覗き込む、淵に立つと、

「待てッ」

「何者だ?!」

 更に上空より、誰何の声。

 緩慢な仕草で見上げれば、背に黒き翼を持ち、手に二又の鉾と太刀をそれぞれ提げた、大柄な天狗が二人。

「、、、、、」

 彼らの力強い羽ばたきで、背に流していた黒髪が、巻き上がる。

 重くなる瞼と、朱鷺色の唇からいて出る、溜息。

 その様子に、天狗が殺気立つ。

「名乗れぬと言うのか?」

「怪しき奴め」

 槍を向けられると、

「其を聞けば、膝を折る先、違えるぞ、、、」

 どこか茫洋とした漆黒の眼差しが、二人を睨め上げた。

 薄い唇の端に、酷薄な笑みが湛えられていた。

「こやつ、化生の類かっ」

 身構えた、二人の天狗。

 だらりと手を下ろし、無腰の若者は、殺気を浴びてもどこかおっとりとした、構え。

 その様子が、一人の天狗のざわついた胸中を、更に逆撫でした。

「ええいっ、愚弄しおってっ」

 それまで怒りで震えていた拳が、ぴたりと止まると、鉾の切先が、若者に向けられた。

「お、おいっ」

 静止の声を聞かず、

「ぬんッ」

 短い気合が、大気を震わせる。

 鋭い突きを入れた、刹那、

「止さぬかッ」

 凛と響いた、その声音は?

 しかし、勢い止まらず、

 − 捕ったッ −

 確かな手応え。

 脇腹を突き刺し、大地にめり込む ―――、鉾。

「むっ」

 その耳元に、

「生半なえものでは、俺を縫いとめる事など、できぬよ、、、」

「ッ」

 振り向いた間近に、その貌があった。

 深淵を映し込んだ、闇色の双眸。

 総毛立つような色香と、底知れぬ不気味さが垣間見え、

「くッ」

 離れようと鉾を引こうとしたが、ビクともしない。

 それどころか、体も。

 鉾を挟んだ脇が、その腕をも捕らえ、身動きを不可能にしているのだ。

『さて、どうしてやろうか』、とでも言いたげな、不敵な笑みを湛える、唇。

 猛者の、相対した事のない相手への怯えを他所に、そう思案していると、

「お待ちをっ、、、」

 頭上から、もう一度、あの声が掛かった。

 澄んだ龍鱗を刻むのは、透明な翼。

 華奢なその体躯に纏うのは、質素な薄墨色の衣の重ね。

 しろがねの髪と、氷河の蒼さを湛えた、その眸。

 蒼い紋を、雪のように白いその肌に刻む、これもまた異形の少年が雲間から現れ、舞い寄った。

「斗々烏の、、、」

 口元に浮かんでいた笑みは、掻き消えていた

 眼を眇め、若者は男を突き放した。

 精々、花を揺らす程度の力を感じた、刹那 ―――、

「ぬぁっ」

 男の体は、大地に叩きつけられていた。

 呻き声を上げる男には目もくれず、異形の少年は、若者の前で膝を折ると、

「久闊でございます、冥海めいかいの君」

「、、、、、」

 能面の如き表情のまま、佇むその指先に恭しく、ぬかづいた。

 名残惜しそうに、少年が【若者】の指先を離すと、

「母御の腹の内に在った頃、以来だが、、、」

【若者】、伯は、素早く手を袖の中へ仕舞った。

 その袖がもぞもぞしているのは、指先をどこかで拭っているためだろう。

「ええ。皆、息災にしております」

 どこか熱っぽい、その視線から逃れるように、淵に立つ。 

「この地は嫌いだ。さっさと案内しろ、、、」

「では、どうぞわたしめにおつかまりくださいませ。奉峰殿ほうれいでんまで、御案内致します」

 頬を赤らめ差し出すその手を、

「、、、、、」

 一瞥。

 ふわりと、その身が揺らいだ。

「あ、、、」

 若鮎の如く身を躍らせると、その身は大地から離れる。

 風を受け舞い上がり、群青に染まる、黒髪。

 翻る鶸色の袖と、はためく藤色の帯。

 唖然とする若者の視線の先、伸ばされた腕は、

「そこにいるんだろう、風伯。俺を地上へ、運んでくれ」

 体の下に舞い寄った薄い霧を、掴んだ。

 眼を凝らせば、その霧の粒子が、細やかなシロウオの如き姿だと窺えるだろう。

「おおっ」

 やがて、その薄霧が長い尾を引きながら集まると、大きな翼を持つ白き化鳥けちょうに似た姿へ。

 膝をつき、風にはためく髪を鬱陶しそうに掻きあげながら、伯は上空を見上げた。

「斗々烏の風を、従えなさるか、、、」

 腕を組み、『さっさと来い』とでも言いたげな視線を受け、

「さすがに、【冥海】の御名を冠する御方、、、」

 誰に言うでもない小さな呟きの後、少年も後を追うようにして翼に風をはらんだのだった。

 

 

 

「仰々しい出迎えは無用だと、知らせたはずだ、、、」

 今にも、逃げ出したい。

 大勢の天狗族の、期待や羨望のような熱がこもった視線の先で、伯は袖に仕舞った拳を、握り締めた。

 唇の端から毀れた、その苦鳴にも似た呟きを、

「すみません。どうしてもと、祖父が、、、」

 傍らの少年が、拾った。

「ぐ、、、」

 ぎりりと、奥歯が鳴る。

 人垣ならぬ天狗垣が、できているのだ。

 先ほどの【守】二人が、急ぎ来訪を頭領に知らせたのだろう。

 天狐遙絃所有の【花車】でこの地を訪れれば、先ほどのような状況も回避できたのだが、伯は、それを嫌がった。

 単純に目立つ事が、嫌いなのだ。

 溜飲を下すと、伯は大地に拳を付けた天狗族の中を、斗々烏の麓にあるやしろ、奉峰殿へ。

 社の脇に、巌のような体躯の男が待っていた。

「あんたは、、、」

「大天狗が頭領、祇威」

「、、、ああ。覚えている」

 本当に覚えているのかと、疑いたくなるような声で応じた。

 以前、帝都の屋敷を訪れたその顔を思い出したが、薄ぼんやりとしか思い出せなかった。 

「若い守が、先走った事をしたようだな。すまない」

 祇威が頭を下げると、その傍らで、小柄な女も、頭を下げた。

「大したことじゃない、、、」

 天狗らの手前、その頭領に頭を下げられるのは、いい気がしなかった。

 二人が頭を上げるのを見計らって、伯は、女を窺った。

 特徴的な、翠がかった海松色の翼。

 臈たけた、優美な女だ。

 目にする事は無かったが、以前聞いた心音が、

 とくん…とくん…

 と、鼓膜を震わせる。

 記憶が、告げるのだ。

 彼女が、【雫玖菜】、だと。

「貴殿らのお陰で、我々は斗々烏と共にこうして、生きている。何度礼を言っても、足りないくらいだ」

 以前、霊峰斗々烏に殉じる水脈、地脈が、雫玖菜と翠狗の子を巡って、里が凍りつく未曾有烏の危機を、迎えた。

 当時の都守、銀仁と共に、この地を訪れたのは、伯がまだ顕現して間もない童子の姿であった頃だ。

「、、、、、」

 その頃、ここを訪れた記憶は、確かに在る。

「こうして再び、我らの頼みに応じてくれ、一同嬉しく思う」

「、、、、、」

 伯は、露骨に嫌な顏をした。

 まだ、何もしていないうちから、そんな事を言われる筋合いはないとでも、言いたげだ。

 下がれとばかりに手を振ると、麻で織られた幕をむんずと掴んで、逃れるようにその向こうへ。

「おっ、、、」

 思わず、その背に続かんと身を乗り出したところで、

「おじい様、後は、わたしめが、、、」 

烏玖慧那うくえな、、、」

 祇威に、後から来た孫、烏玖慧那が声を掛けた。

「む、ぅ、、、」

 伯を追いかけ、足早に麻の幕を潜って行ってしまう孫を、どこか寂しげな祇威の顔が、見送った。

 

 

 

 総檜の社。

 長い渡殿を行けば、見上げる程に急な階段が前方に、待ち構えていた。

 太い九柱に支えられた、社の中枢へと至る、空中回廊。

 肌が、泡立つ。

「、、、、、」

 階段の中程で、さすがの伯も袖で鼻を覆った。

 甘ったるい、なんとも言えぬ香りが、そうさせるのだ。

 見回せば、とっくに落葉を迎えるはずの樹海が、青々とした葉を茂らせ、季節はずれの花々が文字通り、狂い咲いている。

「先日、文でお知らせした通り、今年は雪が少なくて、、、」

 ようやく追いついた烏玖慧那が言えば、

翠狗すいくは、どうした、、、?」

「父は、白帝の命で、この時期は南に降りております。秋を告げ、冬を喚ぶ当面の間は、まず戻りません」 

「、、、、、」

 観念したかのように、歩き始めた。

 延々と続く檜の階段を、一歩一歩、踏みしめるように上る。

 以前、【彼の人】と共にこの地を訪れ、そして、この階段を上った。

「、、、、、」

 あれから、随分と時が経ったものだ。

 ― 己は、未だ、この地に在る、、、 ―

 ふと、そんな事を思って、自嘲気味に浮かんだ笑み。

「冥海の、、、?」

 烏玖慧那が、不思議そうな眼差しを向けた。

「、、、なんでもない」

 階段を上がりきったところで、三つ足の大鴉が彫られた重厚な岩戸が、待ち受けていた。

 力任せに押し開くと、

「、、、、、」

「うっ、、、け、ほっ、、、けふっ」

 思わず伯は顔を顰め、烏玖慧那は咽込みながら、その背に縋りついた。

 ― これは、、、 ―

 岩戸の内側。

 かつて訪れた時には、最奥に鏡を据えた祭壇。

 四方に渡された渡殿の中央には、吹き抜けの闇。

【龍門】がその【常闇】を、満々と湛えていたはず。

 だが今は、行く手を、遮られているのだ。

 組まれた木々から芽が生え、枝が伸び、辺りは檜の枝葉で覆われていた。

 粗方内容は、届けられた文で知ってはいたが、まさかこれ程までとは…

 ― この香り。霊紫が、どこからか流れ込んでいるのか、、、? ―

 枝を手折り、踏みしだくその背から、

「斗々烏も、何も答えてくれないのです、、、」

「答えるものか。龍門あっての霊山だ。何も知らぬさ、上の事情はな、、、」

「そんな、、、」

 なんとも哀しげな烏玖慧那の声音。

 どさくさに紛れ、いつまでも背にから離れぬ少年に、

「岩戸の向こうで待っていろ。足手まといだ、、、」

 情なく言い放つ。

 小さな溜息が聞こえ、

「後戻りなんて、出来ません。どうぞ、後ろをご覧下さい」

 烏玖慧那が、けろりと言ってのけた。

「見たくない、、、」

 容易に想像がついて、伯は、緩慢な蛇の如く手首に絡まる蔦を、鬱陶しそうに払いながら進んでいく。

「そう意地を張らずに、冥海の、、、」

「、、、、、」

 伯は、無視した。

 二人が入ってきたはずの入り口は、木々の枝に閉ざされていた。

 突き進んでいく事しばらく、苔むした欄干に出くわした。

 もう、何百年もそうして、他の侵入を阻んでいるかのように見えたが、

「たった、十日で、、、」 

 で、ある。

 伯は、欄干から身を乗り出した。

 眼を凝らせば、深淵が確かに在る。

 だが、吹き付ける霊紫の強烈な香りは、

「上、か、、、」 

 見通せぬ木々の彼方上空から、吹き付けている。

「何か、手が、、、?」

「流れ込んでいるのは、霊紫で間違いないようだ。元を、特定するしかあるまいよ、、、」

「おお、それでは、辿っていただけるのですね?」

 腕組みで、上空を睨んでいた伯は、

「、、、気乗りはしないが、な」

 鬱々と言った。

 長衣を脱ぎ、帯を解く途中で、

「、、、、、」 

 舐めるような視線に、気がついた。

「あ、、、お着物を、お預かりします」

「そんな事はいい。あっち向いてろ、、、」

「どうしてです?」

「どうしてもだ」

 肩を押され、しぶしぶ背を向けたのを確認すると、伯は肩から衣を脱ぎ落とした。

 無駄な肉など微塵もない、象牙色の肌。

 眼を凝らせば、薄く緑の龍燐が紋様のように刻まれているのが、分かる。

 群青の髪が、ざわざわと靡けば、

 ドォオオオ・・・ンッ・・・

「うっ」

 衝撃に、たまらず膝を着いた、烏玖慧那。

 すぐに眼をあければ、

「あっ、、、」

 そこは、かつての社の内部。

 急いで首を巡らせた、その先。

 天井部分。

 吹き抜けとなったそこは、そらを巡る龍脈への点。

 仄暗い空が、嵌め込まれていた。

 うねるようにして、見る見る彼方へと遠ざかるのは、長い孔雀にも似た尾鰭の、巨躯。

「一瞬の内に、漂う霊紫を吸収した、、、?!」

 烏玖慧那は、漂っていたはずの香りが霧散したのを感じながら、なんとも言えぬ戦慄を覚え、己が肩を抱いた。

「これが、純粋なる神霊の力。我ら血肉によって発生した半端者とは、まるで、、、」

 戦慄は、やがて羨望に変わり、

 ― その力やはり、、、 ―

 そして、

 ― 欲しい、、、 ―

 歪むのであった。


 海藍編を添削すれば、本編の筆が止まり、リアルを満喫しようとすれば、筆が折れるるるる。。。

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