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― 蓉亜 ―

 楓の古木。

 いくつも細枝に括り付けられた風鈴が、風を捉えて囁く。

 それはわんわんとしつつも、けして不協和音ではなく、ひどく耳に心地よい調べとなる。

 どうも、一つ一つ探し歩いては買い足し、このように結んでいるらしい。

 その梢に向かって、

「ねぇっ、ねぇってばっ」

年の頃八、九歳程の童が一人、忙しなく声を上げている。

 その視線の先。

 幹に背を預け、眼を閉じていた若者は、うっそりと瞼を押し開けた。

「、、、、、」

 鴉羽色の狩衣。

 肩に長く流れるのは、群青の髪。

 一対の枝珊瑚のように伸びた、翡翠の角。

 額に浮かぶ金色こんじきの吉祥紋に、細い剣眉けんび

 その姿、異形。

「煩い、、、」

 端正な顔立ちなのに、忌々しさがその鳳眼菫色の双眸に現われていた。

「稽古の時間」

 水干姿の童が、下で手を振っている。

「、、、、、」

「早く早くっ」

「勝手に行け」

「僕が鬼に齧られてもいいの?!」

「、、、、、」

 しぶしぶ枝から舞い降りると、懐から翡翠輪を取り出し、首に掛けた。

 異形は、黒髪の人の若者の姿へ。

 慣れたもので、その袖を掴むと、童は往来へと走り出たのだった。



 天高し、鰯雲。

 暦の上ではとうに重陽を迎えた、初秋。

 しかし、まだまだ強い、陽射しのもと

「いちッ、にッ、さんッ」

 大男の前に、童がいる。

 手に木刀を提げ、男の掛け声に合わせて振り下ろしている。

 開けた庭。

 低く湖面に這うように枝を伸ばし、そこから力強く空へ向かう、臥松。

 遥々東の山から切り出された岩々が織り成す、瀟洒かつ重厚な空間が、今日はひどく賑やかだった。

「、、、、、」

 それを、軒庇の下に座り、顎を両手で支えつつ見守っているのが、

はく、お前も来いよ」

 その伯である。

 毎度毎度、そのように鬱々とした眼差しで眺められる方にしたら、やり難いのかもしれない。

 男が声を掛けても、

「嫌だ」

 いつものこと。

 にべもない。

「いつも大変ね」

 その傍らに、盆を持って座る女性ひとがいる。

 流れるような白い髪。

 たおやかなその人が、よく冷えた梅酢の飲み物を差し出した。

羽琶うわ

「暑かったでしょう?」

 こくりと頷いて、氷が浮かぶ青磁の杯を手にした。

「今年も遠野の梅が大きく実ったからと、みずはの母上様が送ってくれたの。どう?おいしく出来てる?」」

 こくり。

 羽琶は、扇で風を送ってやりながらにこにこしている。

 どうも伯は、羽琶の前では昔のまま。

 その様子を遠くから眺めていた男は、

「ありゃ、やっぱり羽琶殿に惚れとるな」 

 妻となったその人と伯のやり取りに、気が気でない。

「知らなかったの?」

 その呟きに、甲高く澄んだ声が応じた。

 童が、黒目がちな眸で見上げていた。

「なんだ、蓉亜ようあ。お前知ってたのか?!」

 肩に木刀を乗せた童、蓉亜の溜息だ。

「そりゃ分かるよ。いつも、羽琶おねぇちゃんの前だと、おとなしいもの。燕おじこそ、ずっと気づかなかったの?」

「お、おぉ、、、」

「おねぇちゃんの前じゃ、猫被ってるんだ」

「、、、、、」

 少し複雑なのか、むくれている蓉亜の姿。

 掛ける言葉を探していれば、

「蓉亜、燕倪様、ぬるくなる前に、一息入れては如何です?」

 何も知らぬ羽琶の澄んだ声音が、呼ぶ。




 稽古の帰り。

 伯は蓉亜にねだられて、しぶしぶ帝都の門を出た。

 刈入を待つばかりとなった稲穂が風に遊び、触れ合う涼やかな音。

 土手を埋め尽くさんと咲き狂う、曼珠沙華のあけ

 その燃えるようなくれないの中に、鴉羽色の狩衣を纏った若者が、佇んでいる。

「蓉亜、、、」

 一面に広がる黄金色の原で虫を追い、駆け回っていた蓉亜は呼び止められて、振り向いた。

 花を蹴散らしながら畦道に這い上がり、見上げた先に、

「、、、、、」

 じっと、どこかを見つめている、伯。

「なに?」

 指差した先。

 肘に切り傷。

 茂みを駆け抜け、枝に引っ掛けたのかもしれない。

 手首をむんずと掴むと、

「あ」

「動くなよ、、、」

 そっと懐紙で持って拭ってやった。

「いくぞ」

 血が止まったのを確認すると、伯はそのまま蓉亜の手を離した。

 夕暮れ刻、茜空。

 芒が揺れる、秋の原。

 糸で結んだ赤蜻蛉を連れ、二人が畦道を歩いてゆく。

 この分では暗くなると、そう思ったのか、先を行く伯の足が心なし、速い。

 置いてかれまいと小走りになる蓉亜に、

「、、、、、」

 先にいた伯が、立ち止まり、振り向いた。

「ん」

 ぶっきらぼうに差し伸べられた、手。

「伯、、、」

 その手を取ると、再び背を向け歩き出す。

 ぐいぐいと、引かれるに任せ、その背を見つめた。

 背ばかりは高いが、線が細い。

 平素、楓の木の上で眠り、風鈴の音を子守唄に過ごす、この異形の守役。

 その手は大きく骨ばっていて、何より、力強かった。

「、、、、、」

 道中、珍しく黙りこくる蓉亜に、剣眉を跳ね上げ訝しげに後ろを伺う、伯。

「なんだ、、、?」

「え」

「何を考えてる」

 首をかしげ、思い出そうとしたが、

― 何だっけ、、、? ―

 たわいもなくて、忘れてしまった。

「、、、、、」

 鼻で息をついて、再び前を向いた伯に、

「今、呆れてる?」

「いや」

「顔に書いてあったよ」

「いつもの事だしな、、、」

「えぇえ?!」

 物心ついた時、すでにこの若者は異形の姿のまま、屋敷のうちにいた。

 兄弟のいない蓉亜が、伯に懐き、後をついて回るようになっても、何の不思議もない。

 彼にとっては紛れもなく、兄のような存在なのだ。

 もっともそう思っているのは、今のところ蓉亜だけのようで、伯にとっては屋敷のあちらこちらから、やれ付き添いに、弟はどうした、面倒を頼むと、家主から母親、使用人に至るまで口煩く言われ続け、うんざりな様子は否めない。

「余所見をするな、、、」

 碧王門を潜り、市街の往来へ入ると、俄かに人通りが多くなった。

 今度は伯に袖を掴まれ、商店が並ぶ脇を歩いている時の事だった。

「わっ」

 辻から走り出てきた男に押され、尻餅。

 その拍子に、手から糸がすり抜けて、

「あっ」

 ふわりと舞い上がる、赤蜻蛉。

 手を伸ばした先の空高く、宵闇の中にまぎれて消えていった。

 せっかく、屋敷の皆に見せようと思っていたのに。

 裾を払って立ち上がり、そこでようやく気がついた。

「伯?」

 その人の姿が、無い。




 男の足は、速かった。

 人垣を難なく掻き分け、人気の無い薄暗い界隈へ。

 この足で、何人を養って来たことか。

 絶対的な自信が、彼を振り向かせなかった。

 水路を飛び越え、船宿が軒を連ねる辺り。

「へへ、、、へッ?!」

 懐に仕舞った筈の、胴巻きが無い。

 慌てて振り向いたその先に、

「これか、、、」

 古びた石灯篭にもたれる、痩躯。

 手に弄んでいる胴巻きが、重そうな音を立てた。

「てめっ」

 ばさらの赤毛を無造作に束ねた若者は、その襟に掴みかかろうとして、

「久しいな、、、」

 艶然と笑むその若者の貌に、眉を寄せた。

 纏う彩こそ違うが、

「おま、、、」

その造作を、確かに男は覚えていた。

「おまえ、ハ、、、ハクか?!」

 その問いに、若者はこくりと頷いたのだった。




「お帰りなさいませ、蓉亜様。お一人、、、ですか?」

 篝火に薪を加えていた琲瑠はいるが、小首を傾げた。

「裾も汚れて、、、」

 とにかく中へ、と門の内。

「兄上様は、、、」

「分かんない。探したけれど、いつもみたいにいなくなって、、、」

「まったく、いけませんねぇ。弟君を残して、あれ程どこかに行っては困るのだと、旦那様が言い聞かせた筈なのですけれども、、、」

 琲瑠の溜息に、

「いいんだ。僕といても、ちっとも愉しくなんてないんだし。もう、伯なんて嫌い」

「若様、、、」

 さすがに今日は堪えている様子で、項垂れながら汪果と共に母屋へ消えていった。

 その背中を見送りながら、

「この分では、やはりいけませんねぇ、、、」




 札付きが集まり船宿界隈の酒場に、不釣合いな者が席を取った。

 やや癖のある黒髪を長く背に流した、象牙色の肌を持つ黒い狩衣の若者。

 そして、赤毛を纏め、髭の剃り跡も青々とした精悍な男だ。

 垢染みた灰鼠の着物を纏い、半袴。

 逞しい腕と脛が、覗いている。

「まぁ、呑めよ」

「お前の金ではあるまい」

「固いこと言うんじゃねぇよ、兄弟」

 土埃がついたままの瓶子を掴むと、土杯かわらけに白濁した酒が注がれた。

「聞きたい事は山ほどあるが、なぁ、ハクよ。お前こんなところで何してんだ?」

「それはこちらの台詞だ、、、」

「俺か?」

 一息に杯を干すと、今度は伯が男の杯に酒を注いでやった。

 同じく、杯を干すと、

「見ての通りさ」

 酒臭い息を吐いた。

「年頃にもなって、山にいられるかっての」

「まゆも、、、」

「おっと、今の名を教えてやるよ。よぉっく覚えておけよ。俺はな、梁鬼りょうきってんだ」

「りょうき、、、」

 干した魚を齧りながら、

「おうよ。で、お前はどうした?」

「どう、とは、、、」

「急に居なくなっちまって。別にあれはお前のせいなんかじゃなかったってのによ」

「、、、、、」

 あの日、山の中で起きた出来事は、今も生々しく覚えている。

 言葉を失い、酒を舐めるその横顔に、

「それに、その姿、、、」

 問いを、変えた。

 土器かわらけに揺れる、濁った酒を見つめ、口を開く。

「簡単だ。自らを封じる事を、覚えたのよ」

 ただ、それだけだ。

「封じる、ね。当時は何の不思議も無かったが、人の中で暮らしてみると、なんとまぁ、、、」

 冷静に己の置かれていた状況に気づくと言うのか、目の前の若者に対して疑問が湧いてくる。

「聞くな。俺にも、まだ分からん事がある、、、」

「そう、だよな、、、」

「ああ、、、」

 伯が、瓶子を抓んで振った。

 空になった瓶子。

「それに、、、」

 やや年増の飯盛り女が、後れ毛を気にしながらいそいそ受け取る様を見つめ、薄く朱鷺色の唇を微かに、吊り上げた。

 その眼差しを受け、恥じらいながらもちらちらと流し目を送るのを、分かっているのに素気無すげなくする、伯。

 どこかの貴族の子息の如き姿格好とは裏腹に、世間擦れしたその仕草に目を眇める、梁鬼。

「今は、仕えるべき主人がいる」

 低く澄んだ声音が、干された杯の上に吐き出された。

「へぇ、どんな仕事だよ」

「鬼を、狩っている、、、」

 一瞬ぎょっとした梁鬼に、流し目。

「なんだ。冗談か、、、」

「ふ、、、」

 意味深な笑みを湛え、新たな瓶子が届くのを待って、伯は席を立った。

 手のひらから零れる、銅銭。

「なんだ、もう行っちまうのか?」

「ああ。ここは、俺の奢りだ。またな、まゆも、、、」

 すぅっ、と外の闇へ消えたその背を、名残惜しげに見送りながら、

「だから梁鬼だって、言ってんだろが、、、」

 呟きが、秋月冴える夜気に、滲んだ。




 遅れて入った当直の者と、ようやく交代した偉丈夫は、千草ちくさに乗って御所を出た。

 静謐漂う界隈に、ゆっくりとした蹄の音が響いていた。

「う〜、冷え込んでくるなぁ、、、」

 雲間から、細い月が顔を覗かせて、男の彫深い容貌を、浮き彫りにする。

 ややこけた頬と、白いものが混じり出した無精髭。

 その鈍色にびいろの眸には、何ともいえぬ愛嬌があった。

「やれやれ、、、」

 硬そうな髪は後ろに流し、机上の仕事に追われたせいか、肩の辺りをほぐしている。

 その視線の先。

 調度、屋敷から往来に突き出した柳の老木の枝が、枝垂れるその辺り。

 茫洋と佇む人影、一つ。

燕倪えんげい

 抜け出してきたのは、腕組みで漆黒の狩衣を纏う、

「伯、、、」

 その若者。

「脅かすなよ。蒼奘かと思ったぞ、、、」

「ふ、、、」

 その相手が、どちらか指しているのかすぐに分かって、伯は微笑んだ。

「どうしたんだ、こんな時間に」

ささの相手を探していた、、、」

「野良犬みたいなヤツだな」

 ふわりと舞い上がると、そのまま前に座ってしまった。

「ずいぶんと苦い酒を、呑んでしまってな、、、」

 体ばかり大きくなって、物言いこそ変わったが、仕草などはやはり昔のまま。

 いや、もしかしたら、幼い頃を知る燕倪には、そのまま甘えているのかもしれない。

「その年にもなって俺の膝に入るのは、お前くらいだぞ」

 その問いを、伯は鼻で笑った。

「もう一人はいつ増えるのだ?俺には、玉のような嬰児ややこの姿が見える、、、」

 厚いその胸板に背を預けると、うっそりと目を閉じてしまう。

「なっ、、、」

「俺の見立ては外れん。知っているだろう、、、?」

 赤面した男を尻目に、くつくつと喉を鳴らした。

「まぁ、俺も気が長い方では無い。海に還る前に、早いところ見せてくれよ。ついでに言うと、喜べ、女子おなごだぞ、、、」

「おーまーえっ」

「静かにしろよ、左の中将。こんな所を人に見られて、どう説明するつもりだ、、、?」

「、、、、、」

 しなだれかかり、うっそりと目を伏せて、あろう事か手綱を持つ腕に白いその手が、いつの間にか絡んでいる。

 朱鷺色の薄い唇が、愉しげに歪んでいるのを見て、燕倪が溜息。

蒼奘あいつも相当なものだったが、、、お前、俺の事嫌いだろ?」

 性格で言えば、こちらの方が随分と性質たちが悪い。

 顎の下。

 細い吐息が、

「ふ、、、」

 唇から漏れた。

「あんたは好きだよ、エンゲ、、、」

 霊紫。

 青紫の燐粉が闇夜に甘く、香る。




「静かにしろよ。羽琶殿が起きてしまうからな」

 土蔵を開けたところで、手に燭台を持った伯が中へ。

「屋敷に迎えたと言うのに、その呼び名は変わらんのかよ。情けない」

 その呟きに、

「なんだと?!」

「しっ、、、静かに、、、」

 くすくすと、遠野でいつか聞いた笑い声だ。 

 冷やりとした暗がりの中、茫洋と照らし出されたのは、整然と積み上げられ居並ぶ、酒の入った壷やら瓶子

 封に書いてある酒の名も確認せず、とりあえず手近な所から、瓶子を二つずつ小脇に抱えると、庭に突き出した釣殿つりどのへ。

 羽琶が屋敷に入る事が決まり、あつらえた小さな管弦の舞台。

 とうに花を終え、葉を落す時を待つ藤が種子を結び、屋根を覆っている。

 その板の間に、瓶子が並んだ。

 漆が塗られ、沈金によって描かれた三日月と、螺鈿の星々。

 その杯に、伯が酒を注いだ。

 透明な液体が満ちると、描かれたそれらがゆらゆらとした。

 中天には、弓張月。

 杯を干した後、返杯しようとした相手は、それを眺めていた。

群青色の髪を流した、異形の姿。

 燕倪が見慣れた、伯の姿であった。

「で、どうしたんだ」

「、、、、、」

 長い付き合いだ。

 この若者が、何か思う事があるのだと、この男、案外現れた時には気づいていたのかもしれない。

「言ってみろ」

 杯を朱鷺色の唇に当てると、

「皆、ここにいてもいいと言う」

 小さく言った。

 晒された細首を、鈍色の眼差しが見つめている。

「あんたには、羽琶がいる。蒼奘と筝葉には、蓉亜がいる。だか、俺には、、、」

 還る時を逃してしまったのか、ふと、そんな事を考えているらしい。

「伯、、、」

「俺には、もう誰もいない、、、」

 一抹の寂しさのようなものが、その菫色の眸に滲んだ。

 神に名を連ねる者でもある反面、今のその面持ちでは、人の中に長く居過ぎたのかもしれない。

「後悔してるのか?」 

「いや。あの日、ここに残ったのは、俺の意思だ」

 杯に、酒が注がれた。

 底で揺れる輝きを見つめながら、

「産まれたばかりの蓉亜を見て、ソウの気持ちが、少しだけ分かったような気がしたんだが、、、」

「伯、、、」

嬰児ややこというものは、真っ白で、透明だ」

 煩わしくも辺り構わず泣き喚く。

 その癖、温もりに縋り、すべてを委ねて眠る姿は、かつての自分の姿だった。

「お前と同じ気持ちを、あいつはお前を抱き上げて知ったんだろうよ」

 ま、俺はもう少し先のようだがな、と苦笑した燕倪。

「それがだんだん大きくなって、気づくと俺の後ろにいるんだ。振り払えば、かまびすしく泣いて、俺を困らせる、、、」

 気がつくと、いつも袖を握られていた。

「興味があったはずなのに、最近ではそれが煩わしくて、、、今では正直、どうしていいのか、分からない」

 空になった瓶子を転がし、新しいものの封を外す。

「腕の中にいるだけなら、その耳を塞いで守ることもできるさ、、、だがな、伯」

 珍しく、中々減らない伯の杯に、注ぎ足してやりながら、

「お前もそうだったんだぞ」

 穏やかな眼差しが、見つめる。

「俺が、、、」

「ああ。まだ、何も分からない筈なのにな。腕を払いのけて、どこにいてもお前は駆けつけた。傷だらけになっても、、、」

「、、、、、」

「俺達は、お前よりもずっと長く生きている。俺達こそ、お前を守らなきゃいけないのに、いつの間にか、お前は俺達の腕の中からすり抜けて、同じところに立っていた」

 小さな背中が、懸命に皆の活路を開こうとする姿勢こそ、まぎれもなく異形の鬼に立ち向かってきた燕倪の、活力。

 ことり…

 燕倪が己の杯を、置いた。

「そうやって、この地に縛られているのなら、それがお前が答えを見出そうとして、見失っているやつなんじゃないのかな?」

「、、、、、」

 小さく口を開けた伯。

 その髪を、いつかと同じ大きな手が、くしゃくしゃと撫でやった。

 あくびをかみ殺しながら、そのままごろりと横になり、片肘枕。

「見えないかもしれないが、それはな、ちゃんとそこに在るものなんだ」

「エンゲ、、、」

「答えを急くなよ。お前はまだ、若いんだから。ようは、今どうしたいか、が重要なんじゃないのかねぇ、、、」

 とろりと酒に酔った眸が、彷徨った。

 瞼が、重くなり、

「まぁさ、俺はお前がなんと言おうとも、なんであれ、お、えが、、きだよ、、、」

 閉じられた。

 酒気を帯びた吐息が、微かな寝息に、変わった。

「、、、、、」

 転がった瓶子が、板の間に、一つだけ。

 それを眺めると、朱鷺色の唇がへの字に歪んだ。

「あんたがいなくなったら、誰が俺の酒の相手をしてくれるんだよ、、、」

 憮然としつつ、瓶子を一つ傍らに引き付ける。

 肩膝を抱え、柱に背を預けたまま見上げた先に、西に傾く月と瞬く星々。

 どこかで鳴く、羽虫の音。

 庭を渡る、秋の風の冷たさ。

 その夜。

 月明かりに見守られながら、その人の傍らで、伯はいつまでも杯を離そうとはしなかった。




 翌朝。

 朝露を結んだ竜胆を飾るため、庭に出た羽琶は、

「まあ、、、」

 目を細め、微笑んだ。

 視線の先に、二人の姿。

 仰向けになり高鼾の燕倪と、その腹を枕にして瓶子を抱き、身を丸めるようにして眠っているのが、伯。

「こんな所で、、、」

 その声音は、子を見つけた母を、思わせた。

 そっと、伯の体に己が衣を掛けてやると、羽琶は足音を忍ばせ釣殿を、後にしたのだった。




「、、、、、」

 小さな溜息が、零れた。

 紅葉にはまだ早い、楓の木。

 その梢に、伯の姿は無い。

 戻っているとばかり思ったのに、いないとなると不安になり、途端に哀しくなった。

− 何か、あったのかなぁ、、、 −

 とにかく、汪果に相談しようと渡橋を渡り、大池に浮かぶ中島から平橋へ。

 草履を脱いで、欄干に手を掛けて、

「!?」

 急に、足が動かなくなった。

― どうしよう、、、 ―

 母屋の長く突き出した軒庇。

 その腕木に絡まる、大蛇。

 じっと、こちらを見据えるのは、金色こんじきの眸。

− 父上はいないし、、、 −

 鎌首を擡げ、今にも飛び掛らんばかり。

― 琲瑠ならっ ―

 その人を呼ぼうとしても、金色の目に囚われ、動くことが出来ない。

 しゅうしゅうと音を立てる青い舌が、禍々しく見えたのは、ゆっくりとその顔が近づいて来たから。

 シャァアアア―ッ

 咄嗟に目を瞑り、叫んだ名は、

「伯っ」

 その名であった。




 釣殿に差し込む、強い陽射し。

 瞼が揺れ、鈍色の眸が眩しそうに覗いた。

 上半身を起こしたところで、腹の辺りに重み。

 空になった瓶子を抱いて、丸くなっている者がいる。

「ふ、、、」

 あどけない寝顔を晒した、その人の貌。

 体ばかりが大きくなっても、翡翠の角が生えても、燕倪にとっては今も変わらぬ弟分だ。

 起こさぬようにと、再び寝転がった。

 あの日から、随分と長い月日が経っているように、感じた。

 ふと思い出すのは、任を終え、この地を離れたあの男。

 今頃何をしているのかと思えば、腹の重みが消えた。

「!!」

 目の前で霧散する伯のその体に、跳ね起きれば、

『ご指名だ。帰る』

 池に水滴が落ちる涼やかな音と、どこかすっきりとした伯の声が、聞こえた。




 ピシャ・・・ン・・・

「う、、、」

 その音に、恐る恐る目を開けば、

「伯っ」

 鮮やかな群青が飛び込んできた。

 着崩れた鴉羽色の狩衣。

 寝癖のついた、長い髪。

 異形の守役の背中が、そこにあった。

 そして、その人が突き出した象牙色の腕には、

「あ」

 喰らいついた大蛇の顔。

「こいつっ」

 足元に転がっていた、石。

 それを掴むと、蓉亜が振りかざし、

「伯から離れろよっ」

「よせ」

 伯の手が、それを阻む。

「だってっ」

「俺は、いい、、、」

 吸い込まれそうな深い菫色の、眸。

「いいんだ、、、」

「ん、、、」

 蓉亜の手から零れ落ちた石を確認すると、その眸が赤みを帯び、不穏な色を滲ませた。

 己の背に、蓉亜を入れながら、

「ずいぶんと舐めた真似を、、、」

 咬まれた方の手が、拳を握った。

 次の瞬間、

 ブンッ

 空気を裂く鈍い音と共に、大蛇は大地に叩きつけられた。

「わわ、、、」

 腕の間からそれを見ていた蓉亜が、伯の腰にしがみつく。

 小さく苦鳴を漏らした大蛇が、よろりと大池の方へ這い出だした。

 その尾を、

「俺が礼節ってものを、教えてやろうか、、、」

 素足のまま、伯が踏みつける。

 身をうねらせ、大蛇がもがく。

 苛立たしげに舌打ちすると、

「まったく、、、」

 腕を組み、憮然とした様子で足を上げた。

 ようやく自由になった大蛇は、緩慢な動きで、池の中へ。

 やがて、

「うわっ」

 恐る恐る池の淵を覗き込んでいた蓉亜が、伯の背中に逃げ込んだ。

 視線の先。

 人の手が、池から生えていた。

「やれやれ、都守ともなると、とんだ番犬を飼っているもんだね、、、」

 間延びした声が響き、人の顔が覗いた。

「おっと、失礼、、、」

 もう一度池に手を入れると、その手に烏帽子。

 水が滴る、柳色の直衣。

 池から姿を現した者はそのくせ、ひどく平凡な若者の姿をしていた。

「そうか、君はあの時の、、、」

 しげしげと伯を見つめ、微笑んだ。

「俺もあんたを覚えている。確か、、、翠狗すいく

「いやね、近くを通ったものだから、寄ったんだよ」

「当屋敷の門を叩かぬ者、家主の子息に牙を剥く者、当方は、客と呼ばん」

 露骨に咬まれた方の腕を摩る伯に、

「少しからかっただけだ。牙は立てなかったろう?」

 のほほんと言ってのけた。

 憮然とした、伯。

「しかし、この子が都守の、、、」

 背に隠れたままの蓉亜に、顔を近づけて、

「な、なに、、、?」

「ふむ。これは面妖な、、、」

 腕を組んで首を傾げれば、ぼたぼたと浮き草が落ちた。

 その先を続けようとした翠狗に、

「都守は不在だ。お帰りは、しばらく先になる。酒の相手なら、俺が務めよう」

 有無を言わさぬ眼差しが、注がれる。

 細い金色の眸がおっとりとそれを受け止めると、

「では、そのように、、、」

 にこり、微笑んだのだった。




 炊事場に立つ、汪果おうか

 急ごしらえの酒席の肴は、何がいいのかと思案顔のそこへ、

「ねぇ、汪果。あの蛇の人は誰なの?」

 客人を迎えるからと、伯に追い出された蓉亜である。

 汪果の袖を、引いている。

「昔のお知り合いよ。わたくしも、初めてお目にかかったから、、、」

「母上は知っているのかな?」

「では、母上様の待つ、勝間のお山へ行ってみましょうか?」

 にこにことする汪果に、

「今年は行かないよっ」

 毎年夏になれば避暑を兼ね、三月の間、母子は勝間の屋敷へ帰省していたのだが、今年は蓉亜が残ると言い出したのだ。

 仕方なく、屋敷の者に蓉亜を任せ、馴染めぬ都の暑さに体調を崩す筝葉だけが、帰った次第である。

 汪果から逃げるように、蓉亜は酒蔵に向かった。

 薄暗いその先に、箱を動かす琲瑠の姿があった。

「琲瑠」

「なんですか、若様?」

「あの蛇の人、知ってる?」

 階段に座った蓉亜を、下の土蔵にいた琲瑠が見上げる。

「まだ若様がお生まれになる前に、北の山中にて出会ったお方だと伺っております」

「僕、嫌だなぁ。蛇だなんて、、、」

「はははは」

 からからと笑う琲瑠が、丸みを帯びた深緑の瓶を腕に、上がってきた。

 布で、瓶を丁寧に拭きながら、

「見てくれが重要だと本当にお思いなら、若様、この先、この都の未来なんて計れませんよ」

「父上みたいに言わないでよ。僕は、燕おじみたいに武官になるんだから」

 むっとした蓉亜を見つめ、にこにことしている。

「琲瑠、お酒」

 そこへ軽やかな鈴の音と共に現れたのが、琥珀色の鈴張り目の若い娘。

 袖無しの青紫系の薄衣を重ね、帯は高く結び、腕には羽衣。

 可憐な萩の花簪を頂いた明るい榛色はしばみいろの髪は、柔らかくうねり背に流している。

 細首に、小さな鈴が結ばれている。

「何を持っていけばいいの?」

「マギの国のグラスは、汪果に聞いて下さい。後は、氷と庭の酢橘を切って添えて」

「分かった」

 琲瑠の持つ瓶をひったくると、娘は廊下を駆けていった。

 その様子を見つめていた蓉亜が、

「タオフィはいいな」

 ぽつりと呟いた。

「どうしてです?」

「だってさ、伯といつも一緒にいるじゃない」

― そういうものですかねぇ、、、 ―

 嫌いだと言って、翌日にはけろりとしてその人を探す。

 人の子の天真爛漫さは時として、琲瑠の考えが及ばないところに行き着くものらしい。

 大蛇の一件で、いつもの二人に戻ったかと思えば、またこれだ。

「産まれる前からの縁ですが、、、」

 遠ざかるその小さな背中を見送りながら、

「こればかりは、流石によく分からないものですね、、、」

 誰ともなく零れた、琲瑠の溜息だ。




「これはずいぶんとつややかな、、、」

 翠狗の目尻が、下がっている。

「、、、、、」

 離宮の部屋には、いつの間に持ち込まれたのか、几帳にあでやかな女物の着物が掛けられていて、伯はうんざりした。

「普段、この屋敷を使わんのでな、、、」

 さすがに奥の間は、その魔の手及ばす、簡素ながらも大池に面していた。

 その向こうに、母屋が窺い見える。

 池を渡る風は、植えられた木々の下を潜って冷え、吹き抜ける。

「しかし、あの都守の倅が、あれであったとはな」

 何を思い出したのか、くすくす笑う、翠狗。

 誤解したままの翠狗に、

「人の事は言えまいよ。天狗の娘に手を出した者が、偉そうに笑うな」

 いらついた様子を隠さず、伯が釘を刺した。

「ああ、そうであったな」

「、、、、、」

 相手はけろりとしたものだ。

「しかし、なんと言うのか。あの都守にしてあの子では、神通力が未熟な、、、」

「その都守の子ではない」

「む、、、?」

「元々、冥皇の命を受け、人の器を預かっていたにすぎん」

「では今は、、、」

「冥府にて、理をその魂魄に刻んだ人が、この都を負っている」

「ふむ、しかし解せぬなぁ、、、」

 顎に手を当て、首を傾げる。

「あの都守に纏わりついていた童が、何故未だにこの地に留まるのだ?」

「、、、、、」

 とたんに口を噤んだところで、

「失礼致します」

 燐とした、若い娘の声。

 手には、酒器が載った盆を提げている。

「ほ、、、これはこれは」

 にんまりした翠狗の方を向くと手をついて、頭を下げた。

「この姿では、お初に、おめもじつかまつります。妻のタオフィと申します」

「まったく、懐かしい顔ぶれじゃないか?」

「、、、、、」

 声も出せず、額の辺りを揉んだ、伯。

「あの時の野狐が、こんな美人になるとはねぇ。しかし水臭い。かように美しい奥方を貰っては、この地から離れることなどできないよ」

「まぁ、恥ずかしい、、、」

 赤くなるタオフィの態度に、伯はかえって項垂れた。

 一通り給仕を済ませると、肴を持ちに下がっていった。

 その背中を、にこやかに見送る翠狗。

「言っておくが、俺の妻ではないぞ、、、」

 ぶっきらぼうに吐き捨てると、

「分かっておる」

 静かに、男が言った。

 訝しげに剣眉を跳ね上げた伯を、穏やかに見つめながら、

「そうそう、忘れられるものではないよ。人も、神も、、、」

「、、、、、」

 見透かされるような、その細い瞳の奥の輝き。

 視線を逸らせた伯を見て、

「はは、図星であったか、、、」 

 からからと笑う、翠狗。

 先ほどまで、凄味をきかせていた者とは思えぬうろたえようであった。

「いや、終わり無き我らの身の方が、余程堪えるのやもしれぬな、、、」

 助け舟のつもりが、

「終わり無き身、か、、、」

 余計に辛く、させたらしい。




 暁降あかつきくだち

 星々が瞬くその空に目を凝らせば、西へ南へと急ぐいくつもの、白く長い竜の姿が見て取れる。

 そのどれが今宵の客であったのか?

 今となっては、見当もつかない。

 翠狗を見送り屋敷に戻ると、

「、、、、、」

 野狐が丸くなっていた。

 うつらうつらしているのは分かっていたが、さすがに柄にも無く給仕に徹し、気疲れしたのだろう。

 その体に、傍らに脱げ落ちていた衣を掛けてやると、伯は母屋へ渡った。

 家主の在宅時には、燈明の明かりが灯る母屋の廊下も、今日は深藍に滲んだまま、ひっそりと静まりかえっていた。

 途中、開け放たれたままの蓉亜の部屋の前を通り、

「蓉亜、、、」

 小さくその名を、呼んだ。

 蚊帳を吊るしただけの褥に丸くなるその背は、その呼び声にも、すやすやと寝息を立ててたままだ。

「、、、、、」

 庭へ、出た。

 渡橋を渡り、その先へ。

 楓の梢に腰を下ろすと、いくつかの風鈴が鳴いた。

 幹に凭れ、頭の後ろに回した手。

「、、、、、」

 ざわつく胸の裡を誰に言うでもなく、深い溜息を一つして、眼を閉じた。

 夜が明けるまでの静寂が、今は少し、疎ましい、、、

 


 本編を書き進めるつもりでしたが、頭の中で寄り道する者達が大変多く、整理したいがために綴ってみました。まだまだ拙いですが、本編を含め、お眼に留めて戴けたら、嬉しいです。。。


 更新は不定期。。。頭の中で寄り道すれば、またひっそり更新致します。。。


 琲瑠が出した酒は今回、ラムです。ロックでライムを搾って飲むのが一番。オススメは、我が師に教えてもらったプレジデンテ。日本で入手できるだろうか?


まぁ、洋酒は肝臓に特に負担大だから、程ほどに。。。


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