秘密の話をするときは
親友同士の菜帆と楓花。菜帆の転校が決まりそうだが、それを楓花に打ち明ける前に、二人の仲はある出来事で断ち切れてしまう。
「菜帆。お父さん、転勤かもしれないわよ」
おやすみなさいを言いにダイニングに入ったら、お母さんから言われた。九時ごろ仕事から帰ってきたお父さんが、夕飯を食べている。
「お父さん、ほんま?」
「ああ、今の支社が三年目だから、そろそろなんだ」
真っ先に楓花のことが頭に浮かんだ。隣の家に住んでて、学校まで毎日いっしょに行き帰りしている、同じクラスの親友。
小学校入学の春に、あたしは今の家に引っ越してきた。初めて楓花と会った日のことはよく覚えている。お母さんといっしょに引っ越し挨拶をしに行ったら、楓花のお母さんが「うちにも同い年の娘がいるんですよ」と、楓花を呼んでくれた。
最初、楓花は恥ずかしそうに下を向いていた。あたしも何を話したらいいのかわからなくて、二人で黙っていた。楓花のお母さんが
「ちょっと遊んでいく?」
と誘ってくれて、あたしは二階の楓花の部屋に上がらせてもらった。入ってすぐ、楓花の部屋の窓から、あたしの部屋にかかってるギンガムチェックのカーテンが見えた。昨日、お母さんといっしょにお店で選んで、吊るしたところだ。
「あたしの部屋、あそこだよ」
あたしが指さすと、楓花がちょっと顔をあげた。
「そうなん?」
「うん」
あたしたちは窓辺に並んで、外を眺めた。正面にはあたしの部屋の窓。横の方に首を伸ばすと、道路が見えて、その奥に小さな公園があった。
「どこから越して来たん?」
「とうきょう」
「へー」
「その前はさっぽろだったかな? 冬、寒いところ」
「引っ越しは初めてじゃないんや」
「うん、二回目。でも本当は三回目なんだって。あたしが小さくて覚えてないだけ」
楓花は部屋に並んでいる絵本を一冊抜き出した。『ひっこしやさん』って書いてある。
「いっしょに読まへん?」
あたしたちは頭を寄せ合って、ページをめくった。楓花が読んでくれて、あたしは絵を眺める。ネズミ一家のつくる新しい家は居心地がよさそう。末っ子ネズミがいたずら好きで、家のあちこちに面白い仕掛けを作る。その絵がおもしろくて、あたしと楓花はきゃーきゃー笑った。
「楽しそうやねぇ」
楓花のお母さんがジュースを持って入ってきた。
「菜帆ちゃん、学校始まったら楓花といっしょに登校してくれる? この近所に小学生の女の子がおらんのよ」
あたしと楓花は、顔を見合わせてうなずいた。
引っ越してきたころ、周りの人の話す言葉が面白かった。お店の人の「まいど」、近所のおじいさんの「おはよーさん」。楓花の話し方も、言葉の終わりが飛んだり跳ねたりする。二人でいっぱいしゃべるうちに、気が付いたら楓花と同じ話し方になっていた。
楓花の家には、絵本とか本がたくさんあった。学校から帰ってきて楓花の家で遊ぶときは、よくお話の続きを作った。『ぐりとぐら』がカステラの代わりにお好み焼きを作る話を考えたときは、すごく面白かった。ぐりとぐらはいろんなお好み焼きの材料を集めるんだけど、どんぐりときのこのお好み焼きなんかは普通で、トカゲのしっぽとかクマのフンとか、絶対食べたくない具を探してわぁわぁと盛り上がった。
三年生になって、初めて楓花と同じクラスになった。クラス発表を見たとき、二人でピースをした。登下校も、授業中の休み時間も、家に帰ってからも、あたしたちには毎日毎日、話したいことがある。
今のあたしたちのブームは糸電話。理科の時間に「音の伝わり方」で糸電話の実験をしたら、楓花が面白がった。家に帰ったら、それぞれ部屋の窓から糸電話をやってみようと楓花に誘われた。お互いの顔が見える距離だけど、震える糸から耳元に伝わる言葉は、いつもと全然違って聞こえる。楓花はワクワクしていた。
「菜帆、今度から内緒話は糸電話でやろう。それで、糸電話やってること、二人だけの秘密やで」
「うん、あたしが楓花に話したことも誰にも言うたらあかんで」
あたしは糸電話よりも、二人だけの秘密があることがうれしかった。だって、「二人だけの秘密」があるのは、親友の証だから。楓花もきっとそう思っている。
お父さんが転勤するかも、という話を聞いた夜はなかなか眠れなかった。ここに引っ越してきたのは、ちょうど幼稚園を卒園したとき。まだ小さくて、引っ越しの意味も分かっていなかった。でもあたしはもう三年生だ。お父さんの新しい勤務地は、九州の方になるらしい。地図で見たら九州は遠かった。引っ越したら楓花とは簡単に会えなくなる。
「まだ正式決定じゃないの。決まるまでは誰にも言ったらだめよ。楓花ちゃんにもね」
お母さんには先にそう言われてしまった。あたしが楓花に何でも話すのを知っているから。
もう、いっしょにいられなくなる。休み時間に誘い合ってトイレに行ったり、家に帰って来てから糸電話で秘密を打ち明けたりもできない。引っ越すことを最初に伝えたいのは楓花なのに、言っちゃいけないなんて。
あたしのお腹に「楓花にしゃべりたい」空気がどんどんたまっていった。お腹がパンパンに腫れてはじけそうになったとき、ふっと、考えが浮かんだ。
あたしには一つだけ楓花に言ってないことがある。ううん、楓花だけじゃなくて、お父さんにもお母さんにも誰にも言っていないこと。引っ越しの話の代わりに、それを楓花に打ち明けよう。
あたしのとっておきの秘密は、将来の夢のこと。
あたしはシンガーソングライターになりたい。テレビで見た、ギターを弾きながら歌う人。自分で作った曲を大勢の人の前で歌う。聴いてる人はにこにこしながら手拍子をする。そういうことができたらすごくうれしいだろうなと思う。
でもテレビに出ている人はみんな目が大きくて髪がサラサラだ。シンガーソングライターは歌だけじゃなくて見た目もよくないとダメなんだ。あたしは自分がかわいくないことはわかってる。特に、笑うとなくなるこの細い目は大嫌い。だから、こんなあたしがシンガーソングライターになりたいなんて、絶対誰にも言えない。だけど楓花にならこの秘密を言えると思った。
次の日、楓花を糸電話に誘った。
「楓花、これから教えること、絶対、人に言うたらあかんで。絶対、絶対やで」
あたしはいつもよりも強く念を押す。楓花は右手を挙げて誓いをたてた。
「わたしは菜帆の秘密を守ることを誓います。そんで? どうしたん?」
あたしはすぅっと息を吸った。
「あたしな、将来、シンガーソングライターになりたいねん。自分で作った曲をギター弾きながら歌うやつ。曲つくったから聴いてくれる?」
「えー、すごい! 聴く聴く!」
すごく恥ずかしかったけど、あたしは紙コップをマイクにして歌った。歌詞は、あたしが好きなものとか好きなことを並べて、それが好きな理由を説明する内容。歌っている途中はドキドキして、終わったら楓花になんて言われるかと思うと、おでこからも背中からも汗がたらたら流れた。
歌い終わって紙コップを口から話すと、楓花はちょっと涙を浮かべてパチパチと手を叩いてくれた。
「菜帆が歌手デビューしたら、絶対聴きに行く」
その言葉がどんなにうれしかったか。よかった。最初に聴いてもらえたのが親友の楓花で。
あたしはもう少しのところで、お父さんの転勤の話もしてしまいそうになった。喉元から出そうな言葉を、何とか必死で飲み込む。あたしがもじもじしてると思ったのか、楓花はきらきらした目で言った。
「もしかして、他の曲も聴かせてくれんの?」
楓花にも言えない秘密があるのが苦しくて、一瞬泣きそうになったけど、首をぶんぶんと振った。
「ううん、作ったのはこの一曲だけ。新曲ができたらまた聴いてな!」
登校したら、後ろの黒板に大きな絵がかいてあった。真ん中に大きく「糸電話❤」と字があって、二人の女の子が糸でつながったコップを持っている絵だ。一人は目が細い線で描かれた、あたしと思われる女の子。もう一人は、体が小さい、楓花と思われる女の子。
あたしはびっくりして、なんて言ったらいいのかわからなかった。周りの男子たちがにやにやしながらこちらを見ている。
誰がかいたんだろう、なんであたしたちの秘密を知ってるんだろう。あたしは誰にも言ってないし、楓花だって誰にも言ってないはず。わけがわからなくて、思わず隣の楓花を見た。顔が真っ赤だった。あぁ、糸電話遊びがばれたこと、恥ずかしいんだな。それはあたしもいっしょ。ちっちゃい子みたいに思われるのがわかってたから、二人だけの秘密にしてたんだし。そう考えていたら、楓花のひきつった声が聞こえた。
「もしかして、菜帆、誰かにしゃべった?」
「あたし?」
楓花が何を言ってるのかわからなかった。
「わたしは誰にも言ってへん。わたしじゃなかったら、菜帆しかおらんやろ」
あたしは、黒板の絵を見たときよりもっとびっくりして、大きな声を出した。
「誰にも言うてへんで! あたしが言うわけないやん!」
楓花の言葉に頭をガーンと殴られたみたいだった。あたしたち親友じゃないの。親友との約束を破るなんて絶対ない。楓花もそうじゃないの? なのにあたしを疑うなんて。
あたしの中に怒りと悔しさがわいてくる。二人の秘密をみんなの前でからかわれて、大事にしてきたことがぐしゃぐしゃに踏みにじられた。それだけでもすごく嫌だけど、楓花に疑われたことは、からかわれたのと比べものにならないぐらいショックだった。
あたしは楓花の側を離れ、黙って黒板のいたずら書きを消した。その日は、楓花とは口をきかなかった。誰とも話したくなかった。
次の日の朝、もしかしたら楓花が「ごめん」と言って、いつもみたいにいっしょに学校に行けるかな、と思った。インターフォンが鳴ったらすぐに家を出られるように、ランドセルを背負って玄関で待っていた。でも玄関はしんとしたまま。お母さんに「何やってるの、遅刻しちゃうわよ」と言われて、仕方なく家を出た。
一人で学校に行く。つまんない。いつもなら楓花と、昨日見たテレビの話とか、宿題でわからなかったこととか、しゃべりながら歩く。でも今朝は口を結んで、遅刻しないように走った。走りながら、学校行きたくないなと思ったら、足が勝手にのろのろ歩きに変わった。
教室に入ると、何か変な雰囲気だった。みんながあたしを見て、何か言いたそうだけど言えずにいる感じ。
後ろの方で、男子たちがあたしを見てニヤニヤ笑ってる。そのうち、目を細めて、適当な鼻歌を歌い始めた。なんなん? これ?
多香美に手招きされた。
「菜帆、ちょっと」
多香美はクラス一の噂好きだ。あたしは、多香美と話したことはほとんどない。
「なんかな、菜帆がシンガーソングライターになるって噂が流れてんで」
どうして、それを? 頭の上に雷が落ちたみたいで、目の前が真っ白になった。
楓花にしか話してない将来の夢。一瞬、楓花がしゃべったと思った。体中の血が頭に流れて、息が苦しい。はぁはぁと息をするうちに、少しずつ血が下に落ちていく。あたしは大きく息を吸って吐いた。
昨日、楓花に疑われたとき、ショックだった。今、噂を流したのは楓花だと決めつけたら、あたしも親友を疑ったことになる。
楓花に聞いてみよう。疑ってるんじゃない。どういうことか確かめるだけ。
あたしは丸一日ぶりに楓花に近付いた。
「楓花」
楓花はあたしと目を合わせなかった。あたしはそれだけで泣きそうになったけど、でも我慢して声を振り絞った。
「シンガーソングライターの話、なんで噂になってるか知ってる?」
楓花は黙っている。あたしはこらえきれなくなった。
「もしかして、楓花が話したん?」
楓花は、きっ、とあたしの顔を見た。
「わたしは二人の秘密をばらされて、すごい悲しかった。もう、菜帆のことが信じられへんようになった。菜帆かて、わたしと同じ思いをしたらええねん」
楓花の声がすぅっと遠のいた。代わりに男子たちのでたらめな鼻歌が大きく聞こえてくる。あれはあたしのモノマネなんだ。
やってもいないことを疑われて、その上、心の内にしまっていた大切な秘密をクラス中にばらまかれた。そんなことをする楓花はもう親友じゃない。どんなに謝られても許さない。
そのときから楓花としゃべらなくなった。いつも二人でいたから、あたしは一人ぼっちだ。ときどき楓花をちらっと見ると、楓花も一人だった。でも関係ない。どうせお父さんの転勤が決まれば、あたしはこのクラスからいなくなる。楓花とだって顔を合わせずにすむ。
何日か経っても、お父さんの転勤はなかなかはっきりしなかった。お母さんは
「仕方ないのよ。お父さんの会社はいつもそうだから」
と、はっきりしたことは教えてくれない。
楓花と話さなくなって、二週間もたった。最近、楓花があたしの方を見ているのがわかる。体育の授業が終わって下足室に向かうときとか、昼休みに一人で本を読んでいるときとか、楓花がもじもじしてあたしの方に寄ってきたそうにしている。もしかしたら、謝ろうとしているのかもしれない。
本当は、あたしも仲直りできればいいなと思った。でも、シンガーソングライターの話をばらされたのを思い出すと、やっぱり許せなくなる。それに仲直りしたって、じきに別れなきゃいけない。あたしは楓花を知らんぷりした。
やっとお父さんの新しい赴任先が決まった。社宅の場所もわかって、お母さんが新しく通う学校に問い合わせてくれたら、その学校は二期制で明後日から学校が始まるらしい。
「きりがいいタイミングで転校した方が、菜帆も新しいお友達をつくりやすいんじゃない」
お母さんはそう言う。明日、担任の先生に転校の手続きをしてもらって、その日中に九州に移動、明後日から新しい学校に通い始めると決まった。
お父さんもお母さんも、あたしの学校に合わせて動くために、バタバタしている。もし楓花とケンカしていなければ、こんなに急な転校なんて絶対したくなかったと思う。でも、楓花と口をきかない間に、あたしは一人でたくさんのことを考えた。転校する覚悟もできた。
親友って何だろう。いっしょ遊べるのが親友? おしゃべりが楽しくて、いっしょにいたいと思うのが親友? あたしは自分の親友を疑ったりしない。もし親友と思っている相手が自分を信じてくれないとしたら、それは親友の関係じゃないと思う。
次の日、転校の手続きをしなきゃいけなくて、朝早くにお母さんと学校に行った。
「こんなに急だと、お別れ会もできないな」と、先生は言った。先生とお母さんといっしょに教室に向かう。あたしはクラスのみんなに「さようなら」の挨拶をして、入り口で待っているお母さんと学校を出ることになっていた。
あたしがみんなの前でぺこりと頭を下げると、突然、楓花が立ちあがった。ガタン、と椅子が後ろに倒れる。楓花の泣きそうな目があたしを見ている。一瞬、仲直りできたらよかったのに、と思った。あたしが将来の夢を楓花に打ち明けなかったら、こんなことにならなかったのかもしれない。でももう遅いよ。
あたしは今回のことで、一つ、学んだ。
どんなことがあってもお互いを信じられる人、それを親友というのだと。
バイバイ、楓花。あたしにそれを教えてくれたクラスメイト。
(了)