1話
密室殺人 探偵 槇原隆法の手帳
1話
その頃、槇原は少し儲かったことで東北の温泉宿に向かって居た。槇原はクタクタに疲れる程、働いていて少しずつ仕事を減らして数日間の休みをとって事務所を休業し汽車の中で弁当を食って居た。
時は昭和38年の3月、まだまだセピア色した写真が見れた頃の槇原は35歳と探偵業としては今風に言う所の「イケイケ状態で仕事も順調に伸びていた」と、誰もが考えていた。
そして袴に着物を着て下駄を履いて大きな風呂敷には着替えの衣類を入れて景色を見ながらのどかな田舎を眺めて居て、時折、汽車の中に設置された石炭のストーブに下駄を脱いで足を向けて暖を取っていた。
温泉宿に向かうのは槇原だけではなく大勢の人間たちがそれぞれの用事で汽車の中は満員ではないものの、汽車が揺れるたびに椅子に腰かける人間たちも同様に揺れていた。そして窓の外は一面が雪化粧していて、その寒さが伝わってきそうだった。
そして汽車の中では煎餅をかじる裳のスルメを口にくわえながら酒を飲む者と、ある意味で騒然としていて大声で笑う者や話に夢中になる者で見て居て楽しい気分を槇原は笑みを浮かべ汽車が駅に到着するのを待って居た。
そして汽車に揺られること数時間でもうすぐで駅に到着すると、槇原は大きな風呂敷を担いで出口へと下駄の音を響かせた。そして槇原の他にも駅で降りる客達もまた汽車の出入り口に向かい降りると今度は別の客達が乗り込んで来た。
汽車から降りた槇原は軽い風に舞い上がる雪に両手を擦りながら足元から伝わる寒さに身体を震わせ「カランコロン」と、下駄の音を響かせ大勢の客達に押されるように駅の中に入るとそこにあった大きな石炭ストーブの前に立って暖を取った。
そして駅舎の中に通るような大声で「〇〇旅館です!! お客様はおりますでしょうか!」と、槇原達は男の方へ近づくと男は「お車を用意しておりますので着いて来て下さい!」と、槇原の他の客達は順番に駅舎を出ると馬が引く馬車に順次乗り込んだ。
馬車の中は快適で石炭ストーブの温かみに客達は「ホッ!」と、一息ついたようだった。かくいう槇原もその中の一人であったが他の客達は当時、流行りのズボンと背広を着て居て女や子供でもその流れであり、袴に下駄は槇原だけだった。
そして馬車に揺られながら一時間ほどしてようやく温泉旅館に到着して旅館の前では大勢の関係者から「いらっしゃいませ!」と、出迎えを受け客達と槇原は次々に旅館に入って行った。そしてここでも大きな石炭ストーブが活躍していた。
槇原はそんな温泉旅館に笑みを軽く浮かべると、着物の女性に連れられて部屋に案内されテーブルの前に座ると、着物姿の女性は手早くお茶を入れ、槇原は受け取ってくれるか解らないがチップを手渡そうと差し出すと見事に断られた。
そして着物姿の女性は槇原に頭を下げて静かに部屋を後にした。そしてお茶を飲みながら窓の外に目をやると真っ白になった景色にしばらく「ぼ~」と、してから部屋の中を起ち上って見ると8畳ほどの部屋に6畳ほどの寝室があって畳の香りに癒されていた。
そして部屋の外の廊下に耳を澄ますと廊下を楽しそうに笑う客達の歩く音にも風情を感じテーブルの上に置かれたお茶を飲んで温泉旅館の賑わいを楽しんでいた。そして火鉢をテープの方へ寄せると両手をかざして暖をとった。
槇原は着物と袴を脱ぐと部屋にあった浴衣に着替えると心と身体を清めるべく温泉に向かうと温泉の中は真っ白い湯気が立ち込め槇原を驚かせた。そして槇原は鏡に向かって身体を洗うと備え付けのカミソリでヒゲをそった。
そしていよいよ槇原は広くて大きな風呂に身体を浸すと、足元から温泉が体内に抜けていくような錯覚に陥った。温泉の中では数十人の客達が無言のまま身体を清めたり温泉に浸かったり時折、天井から落ちる冷たい水に驚いてびっくりする客の声も槇原にとって楽しいひとときであった。
風呂に浸かる事、一時間の間に休憩をとって浸っていた槇原は、外にある岩で囲まれた露天風呂に足を向け外の寒さが心地よく思えるほど槇原は満面の笑みを浮かべて風呂に入ると、これまた室内の風呂とは全くの違いに包まれていた。
そして風呂から出た槇原の楽しみの一つでもある冷えたビールを買い求め手に持つと部屋へと移動して、コップに注ぎ一気に槇原の喉を潤した。そして「これこれ、これだあー♪」と、独り言を言いながら二本目のビールをコップに注いだ。
部屋でビールを飲んで一息つくころの午後六時ごろ、部屋に着物の女性達が次々に名物料理を運び入れその光景にも槇原は感動していた。そして酔いが少し回っていた槇原は女性達に、心づけと称して「裸で申し訳ないが」と、数百円を無理やり押し付け槇原は晴れ晴れした気分で料理に舌鼓をうった。
槇原にとっては初めての旅行であって、ましてや一人旅は生まれて、このかた味わったことのない温泉旅行は目の前の御馳走と日本酒で口直しして次の料理に箸を伸ばしては一人笑みを浮かべるひとときであった。