八話 そして人生は回り始める(主人公のことではない)
「コネというのは、やはり強いものだな。俺には縁のない話だし、正直羨ましい」
「持って生まれたものは自慢できませんし、積み上げた実績も私一人で成したものではありませんよ」
二人は現在ギルドが持つ訓練場の一つにやってきていた。
アグゼは最初、金を払って訓練所の利用をするつもりだったのだが、トワコは自分の名で借りると言い出した。
それに一体何の意味があると思うアグゼを尻目にトワコが手続きを済ませていくと、なんとギルド職員は訓練所の利用料金をタダにしてくれたのだ。
元々利用料金はそこまで高くはないものの、やはりタダというのは嬉しいものだ。
トワコの公爵家という立場と冒険者としての実績があってこそだろう。
どんな施設を使うかと聞かれたとき、アグゼは先程の野次馬のことを気にして、屋外ではあるが壁で仕切られ他者の目の入らない場所を一つ借りることにした。
そしてそこからどうするかと考えたとき、あっさりハイさようならと言うのはなかなか心苦しい選択だなと彼は感じていた。
思うところがある相手だとは言え、それでもアグゼは「義」を尊ぶ。
受け取るものを受け取って、施設の利用に力を貸してもらって、それでもう用はないので帰れというのは……ありえない。
あってはならないことだ。
まだ陽は高く、お天道様も見ているに違いないぞっ。
そんな自身への言い訳もあって、彼はトワコを帰すことなく共に訓練所にやってきていた。
外に出た理由は食事と訓練の二つ、どちらから先にやるべきか。
まぁそれは考えるまでもない。
現状は丸一日何も食べていないうえ、訓練の方もどれだけ時間が掛かるか分からない。
ならばまずは食事から行うのが道理というものだ。
アグゼは備え付けのベンチに座ってから、袋の中に手を入れ中をまさぐった。
出てきたのは綺麗な模様が描かれた雅な箱だ。
二段重ねになっているようで、一つ目の段には海苔が巻かれたライスボールがミッチリ詰め込まれており、もう一つの段には揚げ鶏やローストビーフ、卵焼きなど行楽の際に良さそうな具がこれまたギッシリと入っていた。
量も含めて起き抜けには少々重い内容だったが、腹が空っぽのアグゼにはむしろピッタリだったのかもしれない。
「おにぎりの中身は区切りごとに分けておきました。ほぐした焼きサーモン、サーモンの卵、ピクルド・プラム(梅干し)が入っています」
立ったままトワコが説明をする。
フーンと言いながらアグゼはライスボールを一つ手に取る。
「いただきます」
小さくつぶやいてからそれを口に運んだ。
口の中に旨味と塩気がじんわりと広がる。
悔しいが正直に言って美味い。
モグモグ、モグモグと食が進む。
一個目が食べ終わる頃、長く飲み物も摂っていなかったのに塩気が入ってきたせいで喉の渇きをアグゼは感じ始めた。
と、丁度いいタイミングで横から竹筒が差し出される。
竹で出来た水筒のようだ。
それを受け取って飲み口だろうと思われる穴に口を付ける。
喉を通るのは冷えた茶だった。
「麦茶です。塩気の強い食事に合いますよ。それとこちらをどうぞ」
そう言いながら彼女が差し出してきたのは携帯用のやや小振りなフォークである。
これまたフーンと言いながらフォークを受け取ると、アグゼはそれを揚げ鶏に刺しながら声を掛けた。
「……お前も座れよ。見降ろされながらのメシは気持ちの良いものじゃない」
「分かりました。それでは、失礼しますね」
そう言いながらトワコは同じベンチの弁当を挟んだ反対側に腰を下ろす。
それを確認するとアグゼは食事を再開した。
モグモグ、モシャモシャ、ゴキュゴキュ。
男の手と口は止まることなく動き続ける。
そんなアグゼの食事風景を黙って見ているトワコ。
最初は薄く微笑んでいるようだったが、少しずつその表情が曇りがちになっていく。
「あの……口に合いましたか? その……」
さして表情を変えるでもなく黙って食べ続ける彼の姿に、多少の不安を覚えたようだ。
そんな言葉を受けたアグゼは一旦手を止め、口の中に入っている分をしっかり咀嚼してから呑み込んだ。
そして麦茶をグイッとあおり一息つくと言葉を返す。
「何かを食べてる最中にさ、それを美味い美味いって評するのって、何だか変だと思わないか?」
「えっと……」
「ホントにウマいものを食ってるなら、話す言葉なんかあるはずがないんだ。目の前のソレをもっと味わいたくて、ただ手と口が動く、そんなもんだろ。まぁ今回は俺の腹が減り過ぎてたって事情もあるけど」
別にこれが絶対の真実と考えているわけではない。
友人たちと美味いものに舌鼓を打ちながら会話を楽しむことは、むしろ彼が好むことの一つだ。
ただトワコとはそういう関係ではなかったし、素直に誉め言葉を口にするのはやはりはばかられた。
だが実際、彼女の弁当は美味かった。
そして美味いものをご馳走になっておいて知らんぷりというも、アグゼの流儀ではない。
よって彼は咄嗟に思いついた言葉を繋ぎ合わせ、とりあえずの誉め言葉としたのだが――トワコは口元を両手で押さえていた。
(褒め過ぎだったか? それにしても大げさな奴だ)
半分出任せで話したので何を言ったか実はちゃんと把握できてなかったりするのだが、とりあえず返答はしたということでアグゼはまた食事を再開する。
もし、もうちょっとだけでもトワコを長く観察していたなら、彼女がちょっとどころではない多大な喜びに打ち震えているその様を目にすることになっていただろう。
どうやら少しだけ遠回りなアグゼの称賛の言葉は、トワコのハートにクリーンヒットしたようである。
そんな姿を見ることが無かった事実は、彼にとって良いことだったのか、そうでもなかったのか……。
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弁当を食べ終えたアグゼは竹筒を片手にベンチで静かに佇んでいた。
距離は空いたままだが、隣にはトワコが同じく黙って座っている。
ほどほどに穏やかな日差しが降り注ぎ、気持ちの良い風が二人の頬を撫でていく。
片や燃えるような赤い髪に褐色の肌、黄色の瞳に平均程度の身長ながら鍛え上げられたマッスルボディの男。
片や腰まで流れるプラチナブロンドの髪に透き通るような白い肌、青い瞳に見事なプロポーションの肢体をほこる女。
男は二枚目やイケメンとは言えなくとも「男前」とは称せる力強い精悍な顔つきをしていた。
女は誰もが認める美形であり、全体のバランスの良さも相まって浮世離れした魅力を放っている。
両者は相反するような見た目をしているが、そんな二人が並ぶその様は意外なほどに映える情景になっていた。
そんな一枚の絵は唐突に破られる。
「昨日あのような別れ方をしたのに、わざわざ弁当などこしらえて参上した私の姿は、貴方の目にはとても奇異なものに見えたのではないでしょうか」
アグゼは何も言わずただ目線だけを横にやる。
「とても……とても大事なことに気付いたのです。貴方と別れてから気付くなんてあまりにも遅く、あまりにも酷い……」
絞り出すように言った後、トワコは立ち上がるとアグゼの前に移動した。
そして少し距離を開けた状態で地べたに正座をする。
「償いの話などよりも、私はまず貴方と貴方のお義父様に謝罪をしなければならなかった」
しっかりとした所作で両手を前に付き、彼女は深く、とても深く頭を下げた。
「――――本当に、申し訳ありませんでした」
トワコの心からの謝罪だった。
アグゼはそれを見てゆっくりと目を閉じた。
余計な装飾の無い「ホンモノ」を持ってきやがった、そう感じる。
悔やみ続ける姿を見せられて、出来うる限りの償いの話をされて、そして心からの「ごめんなさい」をされて……。
もし今、誰か完全な第三者が仲裁に入った場合、大半の人はこの話をここで止めるのではないだろうか。
アグゼ自身、これ以上を求めるのは醜い、醜悪であると思わなくもない。
無論彼女への憤りが消え去るなどありえない。
昨日あれほどの爆発をしたばかりなのだ。
それにこれで許してしまうようでは義父さんに申し訳ないという気持ちもある。
こんな簡単にほだされてたまるか、という反発心もある。
俺は――
「怒りを鎮める必要はありません。私が愚劣な罪人であることに違いはないのですから」
二律背反の道理に挟ませてアグゼを苦しめた昨日の二の舞にさせないためだろうか。
頭を上げて、アグゼが思考の袋小路に行かないようトワコは言葉を続けた。
「償いだ何だと小賢しく立ち回ろうとして、第一にやらなければならないことを見失っていた……それは許されないと思った故の行動なのです。決して貴方に何かを願い出るつもりがあったわけではありません。この謝罪を受け取れないと言われることも、当然だと思っております」
言わなければと思ったことを言い切ったのだろう、トワコは一旦口を閉じた。
しかし自身が出した言葉に思うことがあったのか、上げた目線がゆっくりと、少しずつ下がっていく。
「……でも、今こうして言葉にして、分かってしまいました。結局これは、自己満足に過ぎないことだったんですね。……薄々は理解していたのです。貴方の心の平穏を考えるなら言う必要はなかった、そう……感じます」
心の葛藤、後悔、そういった諸々が顔を見ずとも分かる姿だった。
震えながらトワコは、今度は地面にこすり付けるように頭を下げた。
一度目の謝罪に比べると、その動きに感情から来ているであろう乱れが見られる。
「昨日の今日でこのような痴態、申し訳ありません。本当に、本当に……」
うずくまるようにして震えが伴う不格好なその姿は、アグゼに呆れとも取れるような感想を持たせていた。
(浮き沈みが激しいな、自分から言い出しておいてこれか)
だが同時に、アグゼは彼女の本気も感じ取っていた。
今の彼女の姿は、加害者でありながら昨日の中途半端な最後を良しとしないトワコの誠実な心が表れたものだった。
言うべきか言わざるべきか薄々理解していたと言っていたが、そんな迷いがありながらそれでも即日行動を起こしたその心は、まさに本気としか言いようがない。
人はそれを愚かというのかもしれない。
しかし、その嘘のない全力ぶりは認めてもいいのかもしれないとも思えた。
「その謝罪、受け取ろう」
トワコが頭を下げたまま、たっぷり十分は過ぎた頃、唐突にアグゼが口を開いた。
ビクリと一度大きくトワコの背中が反応する。
そして恐る恐る上げられた彼女の顔は、信じられない言葉を聞いた驚愕に揺れていた。
「お前の言うように、これで怒りが静まるわけじゃない。静めようとも思わない。しかしそれとは別に、お前の行動は認められるべきだとも思えたんだ」
言葉を選ぶようにアグゼはゆっくりと喋る。
「十二年ぶりに出会ってまだ一日しか経ってないが、言動からどれだけ罪の意識に捕らわれ続けてきたかはよく分かった。道理も分からない子供の時に起こしたことのせいで味わう苦しみにしては、デカいし、長いな」
自分の過去も思い出したのか、彼は少し遠くを見る。
「だから認めるよ、お前のこれまでを。その謝罪も受け取る、否定はしない」
トワコの両目が大きく見開かれた。
そして顔を両手で押さえると声もなく泣き始める。
「もう一度言っておくが怒りを収めたわけじゃないぞ。要はお前の言う痴態ってやつを気にしないというだけの話だ、その必死さに免じてな。俺たちの関係は昨日と何も変わっちゃいない。償いはそのうちさせる、忘れるな」
顔を押さえうつむいたままだが、その頭はしっかりと動きうなずいていた。
トワコの心は歓喜にあふれていた。
それは単に謝罪を受け取ってもらえたからというだけの話ではない。
実のところ、トワコは十二年前から真の意味で人に褒められ認められるという実感を得たことが無かった。
何故なら過去の罪に対する自罰的な意味を込めて日々生き続けてきたトワコは、これまで鍛錬やラビリンス探索に愚直に邁進する姿を称えられることはあれど、それを本当の称賛として受け取ることが出来なかったのだ。
そもそもトワコが戦う理由を真に理解できている者など周囲にはほとんどおらず(一応身内のごく一部にはいたが)、かと言ってその理由を積極的に広められるはずもない。
行動原理と噛み合わない過度な称賛は重荷であり虚しさも感じさせたが、彼女自身も咎人である己が本当の称賛を味わう資格などないと、今の状態でも構わないというスタンスを続けてきていた。
しかし、本当はそんな空虚な日々に彼女は少しずつ疲弊して、諦めも覚え始めていたのだ。
だが今日、トワコは過去の罪そのものであるアグゼから、まさかまさかの自身のこれまでを認めるという言葉を貰うことになった。
これまで何のために生きてきたのか、その理由もちゃんと知っている他者からの初めての肯定を示されたその瞬間、自分の心が鮮やかに色づく様を彼女は確かに感じ取っていた。
本人は気付いていなかったが、昨日の時点でトワコの心にはアグゼへの淡い想いが芽生えていたのだ。
目の前にいる男への気持ちはさらに高まることになり、彼女はついに自身の心に在るものに気付くことになる。
(これが……。私は、彼に……)
現在のアグゼから見たトワコは敵か、良くて好感度が最底辺にある知り合いといった程度だろう。
己が望む先には暗雲が立ち込めていることは彼女にもよく分かっていた。
加害者が被害者に望む関係としてこれは最悪の部類である、恥知らずと言ってもいい。
しかし、だからといって諦められるような小さなモノではないのだ、この気持ちは。
好きの反対は嫌いではなく無関心、と誰かが言っていたことをトワコは思い出す。
ならば今はまだ「最早アグゼはトワコに心底興味がない」という絶望的な関係には至っていないと言えるのかもしれない。
(憎まれていることは理解しています。憎しみ以外で考えても、恐らくは良くて「超えるべき同業者」や「抱くには足る女」ぐらいにしか想われてはいないことでしょう)
……後者はアグゼの品性をやや馬鹿にしているような物言いだが、トワコの願望込みで出てきてしまったものなのだ。
彼女にアグゼを馬鹿にするつもりなど毛頭ない、勘弁してやってほしいところである。
(でも、暗雲は払ってみせます)
壁があるなら越えればいい、道がないなら作ればいい。
トワコは勝ち取るべき未来のビジョンを垣間見たのだ。
(アグゼ、…………あぁ旦那様、旦那様ぁ)
彼女の人生は、今まさに始まろうとしていた。
ヤンデレ補強の話。
やたらメインキャラが泣くのは何故なのか。
そろそろ冒険に戻したい。