七話 目覚める力
「ふぁあぁぁ~~……」
昼過ぎに起き出したアグゼは目を擦りながら欠伸をした。
夜の活動において無視できないレベルの灯りの燃料代が掛かるこの世界で、昨夜アグゼは珍しく遅くまで夜更かしをしていた。
「まぁ、たまにはね」
昨日色々あったのは事実だが、その中でも特に大きな遅起きの理由は――
「……よし、今も感じられる」
――昨夜目覚めた魔力について、色々と試していたことにあった。
そう彼はこれまで感じることのできなかった魔法の力というものを、感覚で理解できるようになっていたのだ。
魔法が存在するこの世界においても、実際にそれを行使できるものは少数だ。
才能に恵まれるか、長い勉学の末にその術理を身に付けるか、儀式などで無理矢理に付加するか、もしくはそもそもエルフなど魔法に愛された種族に生まれるか。
それらはどれも、望めば誰でも叶えられるというものではない。
生まれたときから魔力を肌で感じ取れるような才能を持つことや、そうした種に生まれつくかどうかというのは、誰にもどうしようもない。
そして勉学や妙な儀式などで後天的にどうにかしようというのは、結局金がある者にだけ許されたアプローチ方法なのだ。
故にアグゼは己が魔力を理解できるようになるとは思ってもいなかったのだが。
「こんな手があったとはな」
おそらくは身体機能がイカれる程の激烈な負の感情を味わったせいなのだろうとアグゼは推測する。
その手の知識にあまり堪能ではない彼にはそれ以上の結論は出せなかった。
しかし……。
「……血に繋がりは無くとも、縁はあったってことなんだろうかね」
魔力を一点に集めてみる。
じんわりと何かが全身を巡り、それが塊になっていくのが分かる。
そしてそれを掌の上に出るように集中すると、浮かび上がってきたのは黒い靄のようなものだった。
そう、それはかつて義父が見せてくれたものと同質の力だった。
アグゼは魔法の系統の中でも特に呪術、つまりカースメーカーの力に目覚めたのだ。
十二年前、ファンドリオン家で過ごした最後の夜、アグゼは義父から呪術についての知識などを教えてもらうという約束をした。
結局それは果たされることなく終わったのだが、今になってその原因となったファンドリオンとまた関わることになり、まさかそれが呼び水となってかつて望んだ力を得ることになるとは、全くもって予想外としか言いようがない。
驚きがあった。
戸惑いもあったし、喜びもあった。
そして昔を懐かしんで、少しばかりの哀愁も感じていた。
「まぁ何にせよ、新しく得た力だ」
経緯はどう在れ、冒険者としてこれを腐らせるなど愚の骨頂である。
アグゼは今の住処である宿屋の一室に、義父の遺産である魔法についての蔵書を数冊持ち込んでいた。
これまではせいぜい娯楽のための読書に過ぎなかったのだが、今改めて読み返すと見方が変わったことで様々な発見があり、ついつい一からしっかりと読み返してしまい、気が付けば朝となっていたのだった。
これまでのところ、アグゼは魔力の集中や流れの把握などばかりやっていてまだ実際に魔法の行使を試してはいなかった。
借りている部屋はさして大きくもない一室だし、宿の住人は自分だけではない。
素人の生兵法がつまらない問題を引き起こす可能性も否定できないし、好奇心よりも優先すべきものがあるだろうと彼は自分に言い聞かせていたのだ。
ならばいつ、どこでそれを試す?
答えは簡単だ、魔法の失敗までも最初から考慮しているところに行って心置きなくチャレンジしてみればいい。
となれば向かう場所は一つ、冒険者ギルドである。
冒険者ギルドは依頼の斡旋や素材の買い取りなど以外にも、武器を使った試合や派手な魔法の使用にも適する訓練所の提供も行っていた。
アグゼ自身、そのお世話になった経験もあった。
昨夜は知識の履修だけに努めることにし、実践はそこで行うと決めていた彼は行動を起こす。
「ぁー、腹……減った」
だが動き出した途端、彼は自分の腹がスッカラカンなことに気が付く。
昨日はまぶたを腫らした情けない顔になってしまい、文字通り誰とも合わせる顔がない状態になってしまったこともあって、どこかの店に寄ることなども一切しなかった。
そして宿に戻ってからは魔法のことで頭がいっぱいになっていて空腹など気にする余地が一切なかった。
一晩経って多少落ち着いた今になって、彼は自身が昨日はろくに食事を取っていなかったことに気付いたのだった。
幸いギルド併設の酒場は朝や昼にもやっているので、そこで腹を満たすかと計画を思い描く。
着替えをしてから多少身だしなみを整えた後、アグゼは冒険者ギルドへと向かった。
----
(今声を掛けられたりは……まさかな)
昨日、今ぐらいの時間にこの場所で話し掛けられ地獄の一丁目に連れていかれたことから、何となくそんなことを思いつつギルドの扉を開けるアグゼ。
だが彼の心配事こそ起こりはしなかったものの、どうにもギルドの雰囲気がいつもと違う。
この時間帯にしては人数が多く、表現し辛いが何というか皆ソワソワしつつも何かを牽制しあっているようだった。
「声を掛けるんじゃなかったのかね?」
「う、う、うるせーよっ。お前こそっ、ど、どーなんだよっ」
「うん、そーだね。……少し待ってくれないか? その、タイミングというものがね……」
妙な会話が聞こえる。
一体何なんだと思いながらそんな野郎たち(一部女性も含む)の視線の中心を探すと――
「え゛」
居た。
知った顔だ、昨日見たばかりの顔だ。
物憂げな表情でうつむき加減のトワコが壁際に立っていた。
何かを入れたさほど大きくはない手さげ袋を両手で持っており、いかにも「私、人を待っています」といった様子であった。
(これは……もしかしなくても、待っている相手は俺か)
昨日の今日で一体何の用だと思わなくもない。
一日経ち魔力に目覚めた興奮もあってか、彼女を見ても昨日のような激しい感情の揺らぎは起きてはこなかったが、だからといって親しく話し掛けるようなつもりもなかった。
街中でチラッと見掛けただけなら離れるように迂回すれば済む話なのだが、生憎ここに来た目的を果たすには、どうしても彼女の視界に入る必要がある。
仕方ない、まぁ目的が俺でない可能性もあるし……、などと思いつつ、アグゼはギルド内の酒場に向かって歩き始めた。
「ぁ、アグゼ」
案の定というべきか、トワコはアグゼを見掛けると小さく声を上げた。
嬉しそうに、それまでのアンニュイな空気を完全に捨てた笑顔をもって。
途端、ギルド内の空気が変わった。
アグゼはゾワリと全身の毛が逆立つような感覚を味わった。
軽く周囲の様子を伺うと、その原因は簡単に判明した。
嫉妬や好奇など様々な視線が己に向けられていたのだ。
落ち着いて考えればそうなった理由を説明することは難しくなかった。
客観的に見てトワコはとても魅力的な女性である。
そのうえ一流の冒険者であり、婚約者のいない公爵家の娘でもある。
お近づきになりたいと考える者は数えるのも馬鹿らしいぐらいにいて当然なのだ。
また同じ冒険者でありながら、これまでアグゼとトワコが顔合わせをしたことがなかった点からも察せられるのだが、トワコが属するパーティー<リム―バーズ>は迷宮探索をメインの活動としているうえ、その評判や名声故にわざわざギルドに来なくても必要とあらば仕事の方から訪ねてくるという立場だった。
つまり今回のようにトワコがギルドに一人で顔を見せることは、それ自体がやや珍しい出来事でもあったのだ。
講習会などで見かけることはあっても交流は持てない、そんな有名人が一人で待ち惚けしていて、ある男が見えた途端に急に嬉し気な笑顔を浮かべる。
これはもう二人の関係を邪推するなという方が無理があるだろう。
「あれって<センチュリア>のアグゼ?」
「変わり者だとは思ってたけど、意外な関係だなー」
「クソッ、なんであんなやつがっ」
耳を澄ませば色々な声が耳に届いてくる。
ちなみに<センチュリア>とはアグゼのパーティー名である。
所属メンバーは現在一名と一匹。
(そりゃあ見た目が良いことは認めるさ)
しかし今のアグゼは、トワコに対して妬みなどを除く純粋な恨みを持つ数少ない存在の一人であった。
彼女へ向ける目が周囲の人間と違ってくることも仕方のない話である。
無論それをこんな公然の場で見せれば、どう周囲に反応されるか分からないような彼ではない。
「こんにちは、アグゼ」
「……よぉ」
ぎこちない返事だった。
トワコを雑に扱わなければならないという妙な義務感すら薄っすら感じているアグゼからすれば、これでも十分な妥協である。
「何しに来たんだ」
「渡さなければならないものがあることに気が付きまして……それを届けに参りました」
「渡すもの?」
「依頼の報酬です。昨日のことは貴方への依頼だったことはお忘れでしょうか。色々あって有耶無耶になってしまいましたが、私自身冒険者である以上これを蔑ろにすることは許されません」
「ぁ、そうか。そうだな……」
報酬の受け取り、それは冒険者にとって文字通りの死活問題だ。
償い云々での金銭の受け取りは拒否したアグゼだが、これはそれとは全く別の話である。
色々あり過ぎて完全に報酬のことが頭から抜け落ちていた事実を情けなく思いながら、彼は素直にトワコに近付いた。
彼女は微笑みながら持っていた袋を差し出してくる。
報酬に糸目はつけないと言っていたし、アグゼに対してならそれはなおさらのことだろう。
なので彼はこの場でいくら包んでくれたのか確かめたりする気もなかったが、それにしてもこれは……。
「報酬だけには見えないが……これは?」
「お弁当を作ってきました」
(え゛)
またしても驚愕の声が出そうになるが、今度はそれを内心に押し止める。
何を考えているか分からんが痛いところを突いてくるな、というのがアグゼの感想だった。
弁当の差し入れは事件の償いとしては明らかに小さ過ぎる。
逆に言えば、そもそもこれは償いとは違う謝意だか厚意だかの気持ちだと言外に示しているのだ。
それにストリートチルドレンとしての出自や、どん底に落ちた経験などから食べ物を粗末に扱うということなど彼に出来るはずもない。
というか、この状況でこれを受け取らないヤツは、そこからどうなるか想像できないバカであるとしか言えないだろう。
そういえば弁当と言っていたが、俺が今日ここに来る保証は一切無かったはずだ。
俺が今日ギルドに来なかったら……いや、そもそも一体いつから待っていたんだ?
……考え出すと段々恐ろしくなってくる。
周りから何対もの目線が注がれる中、アグゼの腕は一瞬止まりかけるがそのまま差し出された荷物を受け取った。
「あぁ、助かる」
「はい!」
アグゼはややぶっきらぼうに言うが、トワコはこれまた嬉しそうに頬を赤らめながら返事をした。
「うわー、人当たりは悪くない人だと思ってたけど、結構な内弁慶なのかな」
「男女の仲だ。外向けと違うこともあるだろう」
「チッキショウ!」
(訂正させてー)
心の中で、思わずギャグ顔になりそうな情けない声を上げるアグゼ。
確かに今の彼は少々俺様系の男に見えるのかもしれないが、それは彼の望む姿ではない。
アグゼ自身は誠実で実直な男を目指しており、少しでもそう見えるよう頑張ってきたはずなのに……。
色々な意味でいたたまれなくなった彼は早々にこの場を立ち去りたくなったが、このままトワコを放置していったのでは最低野郎のそしりは免れない。
新たな邪推を集める可能性はあったが、アグゼはトワコを連れて移動することにした。
食事はこうして手元にあるので後は――
「俺は訓練場を借りに来たんだが、どうする? 一緒にくるか?」
「お呼ばれしたならば断わる理由はありません。お供いたします」