三十四話 姉と妹、女と少女
「三人とも特に怪しい動きは無く、ラズマードを出て真っ直ぐジェンデールの領地に帰っていった、と……」
「えぇ。キキョウはもうちょっと追跡して、それが確かなものか見届けるらしいわ」
「彼女はそういったところがしっかりしていて助かりますね」
アグゼやトワコ達が住む元民宿の一室で、とある話し合いが行われていた。
「まぁ多くの見物人の前で行われた決闘の報復で何かを仕掛けるようじゃ、それこそ貴族の名折れよね。やるとしてもそれはおそらく鍛え直した後での正式なリベンジマッチでしょう。なら、当面の問題は無いと見ていいんじゃないかしら」
「私もそう思います。……窮地に陥ってからの逆転の一打、あれは本当に見事な勝利でした。あの決闘に水を差すような無粋な真似をすればどう評価されるか、ジェンデール伯爵令息もそれが分からぬ方ではないはずです」
決着の時の情景を思い出したのか、トワコは恍惚とした様子を見せる。
トワコとセネカの二人が話していたのは、先日行われたばかりのアグゼとルートヴィッヒの決闘の後始末のことだった。
具体的には事の終わりに完全に気絶してしまっていたルートヴィッヒが目を覚ました後に何かバカなことを仕出かさないか、その動向を探ること。
キキョウが影から張り付いて調べた限りではどうやら素直に敗北を受け入れているようで、とりあえずは一安心といったところである。
「そう言うってことは、こちらからも特に何かをすることは無いって考えていいのね? てっきりお嬢のことだから、アグゼ君の敵は全て滅殺っ、みたいな物騒な台詞が飛び出すんじゃないかとヒヤヒヤしたわ」
「フフフ、それは酷いですね。確かに私の全ては『アグゼ』のために存在し、使われます。しかしだからこそ、彼が下した采配を無視するような愚かな選択を取ることは、あってはならないのです。手に入れた勝者の権利、それを放り出して落ちていく敵の手を掴んだアグゼの勇姿、それを思えば私の気持ちなど、全くもって考慮するに当たらない問題ですね」
何を持ってその人のためとするのか。
トワコはそれを自分なりに考えて、場合によっては己を律することも必要だと戒めているようだった。
ただ、わざわざこのように話すということは、トワコの中にはアグゼの敵となった存在に何かしらの制裁を加えたいという意識があるのだとも思われるが。
「私もキキョウも貴方に仕える者として、やれと言われればどんなことでも完遂してみせる覚悟はあるわ。でも可能なら、あんまり血生臭いことはやらせないでほしいわね。死臭を漂わせる女達が、あんなに可愛い妹の傍にいるのは好ましいことではないもの」
「ええ、それはもちろん心得ていますよ。さて、それではこの話はここまでとしましょうか。我々にはもう一つ、考えなければならない大きな問題があるのですから」
「大きな問題?」
先程までのモノに並ぶような話題などあったかな?、そんな気持ちで頭を捻るセネカ。
それに対してトワコは極めて真面目な、深刻な顔をする。
「……冒険者ギルドにてアグゼに色目を使う女性が確認されました。アグゼはこれから名が上がっていくことが確定している稀代の英雄。そうした存在が出てくることも分かってはいたのです。しかし……いざ実際にそれを聞いてしまうと、私の心は激しくかき乱されてしまいました。いつか必ず彼の隣に立つという私の目標に揺るぎはありません。けれども、残念なことに彼の傍、英雄に寄り添える場所を占有するなどという権利は、私には一切無いのです」
「……えーと」
「アグゼが所望するならば、かの女性がアグゼの傍に並び立つことも、私は涙を呑んで許容いたしましょう。英雄は色を好むと言います。彼がそう望んだ時に、それを否定するなど、正妻(予定)としてはあってはならない…………いえ、むしろ積極的にその管理に動くべきなのではないでしょうか」
「お嬢、貴方疲れてるのよ」
セネカは優しくトワコを労わるが、少しだけ目がイッちゃっている聖女の熱弁は止まらない。
「ただ、英雄の近くにいたいと願う者全てを許していては、アグゼも心休まる時が無くなってしまうことでしょう。彼の正妻(予定)として、最低限の素質、資格があるのか身辺調査を――
「あーーーっっ!」
ごく近く、同じ建物内から悲鳴が上がった。
その瞬間、バカ話をしていた二人の様子が一変する。
椅子に座っていたトワコはそれを跳ね飛ばす勢いで立ち上がると目の前の机を一瞬で飛び越して、そのままドアを開け悲鳴の発生源の部屋に駆け込んだ。
その部屋の中では少女がベッドに腰を掛け、何かを持っていた。
トワコは少女の前で膝をついて、彼女の手を取る。
「フィルティ、大丈夫っ? 何があったの!?」
数瞬遅れで部屋に入ってきたセネカは部屋に一つだけ付属している窓の傍に素早く寄ると、視線を意識するようにその身を隠しながら外の様子を伺った。
「……異常は無いわ」
室内も特に荒らされたような形跡はない。
害意のある何者かによる干渉などではないようだが……。
「お、お姉、ぢゃ……」
フィルティが涙声を出しながらトワコを見る。
その手にあったのは少女のお気に入りの人形であるドゥイーブだ。
ただ、よく見るとそこにはちょっとした災難が起きていた。
「これは……首が千切れそうになってしまったのね」
「ふ、ぐ、ふじゅうぅう」
トワコに状況をはっきりと告げられたことで、フィルティの顔から涙と鼻水が溢れてきてより酷いことになる。
人形が少し傷付いただけ――言葉にすればそれは日常のよくある一コマであり、取り立てて騒ぎ立てるほどのことでもないと余人には見えただろう。
しかしフィルティにとってその人形は亡き母の形見の一つであり、アグゼと出会うまでの孤独な日々を支えてくれた掛け替えのない家族でもあったのだ。
ただ、寂しさに耐えるために強く抱きしめられ続けた人形は生地のほつれなどが見え、あまり綺麗とは言えない状態になっている。
首元から中身の綿が見えてしまっているのも、誰が悪いと言った話ではなく致し方なしと考えるしかないところだった。
「お話、読んで、あげてで、ぞれで、抱っごじたら……」
この世界は文化・文明レベルから考えるとかなり高い識字率を誇っていた。
要領がいいとはいえスラム出身のアグゼが問題なく本を読めるという点からも、文字を学ぶ機会の多さなどがうかがい知れる。
とは言え当然全ての人間がそのチャンスに有り付けるわけではなく、実際フィルティはアグゼと出会った時、まだ文字の読み書きが出来なかった。
当人としてはそんな自身に不満があったようで、トワコから魔法のレッスンと並行して文字の勉強も受けており、今日は一人の時間があったのでトワコから譲り受けた児童書を自分だけで読んでみようと意気込んでいたようだ。
「泣かないで、フィルティ。貴女のお友達に起こった不幸は悲しいことだけれど、それは決して取り返しのつかないことではないわ」
優しく語り掛けるトワコは懐からハンカチを取り出した。
「ほら、拭いてあげるから動かないでね」
「ん゛……」
言われるがままに動かず顔を拭いてもらうフィルティ。
一通り拭き終えた後、少女の目元は赤く腫れていたが新たな涙が出てくることは無かった。
取り返しのつかないことではないという言葉を受けて、一応の落ち着きを取り戻したようだ。
まぁだからといってそれでいきなり表情が晴れたりするわけもなかったが、しかしそんな彼女に新たな手が差し伸べられる。
「そのぬいぐるみ、私に預けてもらえないかしら?」
先程までの気を張り詰めた戦士の顔は鳴りを潜め、今はいつもの余裕あるお姉さんといった表情でセネカがフィルティに声を掛けた。
「……治じてぐれるの?」
「えぇ、私に任せて。大丈夫、腕の方なら安心して良いわ」
握った拳を胸に当てながら、彼女は自信満々に応える。
「最近お嬢がマフラーを編んでたでしょ? 彼女に編み物を教えたのって、実は私なの」
セネカは見た目はちょっとばかり派手めなお姉さんといった感じだが、実際は家事全般が得意で面倒見が良いデキる人物であった。
「セネカの裁縫の腕は私以上です。何も心配することはありませんよ」
「まぁ多少時間は欲しいところだけどね」
軽く告げるセネカに対して、フィルティは縋るような顔で鼻をすすりながら人形を差し出した。
「この子を治じてあげで……お願いじまず」
「えぇ、任されたわ」
そう言ってから、セネカは少し何かを考えるような素振りを見せ、続く言葉を口にする。
「お嬢、フィルティと一緒に気分転換の散歩にでも行ってみたらどう? ついでに夕飯の材料も買ってきてくれたら助かるわ」
「それはいいですね。今日は私も家に閉じこもり気味だったし、今はちょっと歩きたい気分なんです」
両手を合わせて、トワコはセネカの言葉に賛同した。
「今日はキキョウがお仕事で外に出ていますし、どの道買い物で一度は外に出ないといけませんからね。それで、どうですか? フィルティは一緒に散歩に来てくれますか?」
「……うん、行ぐ」
「良かったわ。それじゃあ外に出る前に、一度水場に行って顔を洗いましょうか。そのままじゃ、せっかくの可愛い顔が台無しですもの」
頷くフィルティ。
そんな少女の手を引いて、トワコは部屋の出口に向かって歩き出した。
「それでは、後のことは頼みますね」
セネカはそれに軽く手を振って返事をした。
二人が退室し、部屋に一人になってから少しだけ時間が経過した後、セネカは小さく息を吐く。
フィルティの叫びが聞こえたときは何が起こったのかと心底驚いたものだが、大したことではなくホッとしたというのが正直な感想だった。
わりとすぐに泣き止んでくれたし、今はトワコが気を遣っているので問題は無いだろう。
後はぬいぐるみさえ修復できれば、オールオッケーである。
セネカは事を成すために、仕舞っていた裁縫道具を取り出すべく立ち上がった。
「それにしても……」
己にとって主人ではあるが、同時に妹のような存在でもあるトワコのことを想う。
トワコが取ったフィルティへの対応は、とても真摯かつ丁寧なものだった。
それはアグゼの妹だから、という点は当然あるとは思われるが、それ以上にフィルティ自身が既にトワコにとっての大事な家族だからなのだろう。
そうセネカは捉えていた。
敵には苛烈に、身内には慈愛を持って接する。
それはまさにファンドリオン家の血筋の者が持つ気性そのものだった。
言葉で取り繕うよりも強く雄弁にそのことを語る姿。
しかしそれは――
「……ファンドリオンの者だと称えられて、今のあの子が喜ぶかは、ちょっと微妙なところよねぇ」
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「今日の夕食はフィルティの好きなものにしましょうか。何が良いですか?」
「……お鍋。お鍋がいい」
「あら、フィルティってお鍋が好きだったの?
「初めてお兄ちゃんが作ってくれたご飯だったから」
「まぁ、アグゼとの思い出があるのですね。……ちなみに味付けはどんなものでした? 彼はどんな具を好んでいましたか?」
トワコとフィルティは食材を取り扱う市場を目指して歩いていた。
見た目に類似点がほとんど無い二人だが、話しながら歩くその様子は家族と称しても遜色のないものだった。
顔を洗い、会話を通して落ち着きを取り戻したフィルティの顔にもはや憂いは無い。
作戦が上手くいったようで、トワコも一安心といったところである。
お喋りをしながら進んでいると、目的地が見えてくる。
ラズマードは大きな都市であり、複数ある市場はそのどれもがいつも賑わいを見せていた。
屋台や出店も数多く目移りしてしまうほどで、食材選びに不足は無い。
さて、どこから周ろうか、そんなことを考える二人だが、そこに声を掛ける者たちが現れた。
「聖女さま、こんにちわぁ!」
「こんにちわっす!」
「どうも、こんにちわ」
少女が一人に少年が二人。
トワコはそのうちの二人には見覚えがあった。
「こんにちわ、こんなところで会うなんて奇遇ですね」
元気の良い少女と落ち着きのある少年は、以前講習会を開いたときに質問をしてきて会話を交わしたことがあった。
そして残る一人に対しても、何となくアタリがついたトワコはそのことを聞いてみる。
「無事に仲を戻すことが出来た、そう考えても良いのでしょうか?」
「えっと……はい、あの時の助言のおかげで友達と仲直りが出来ました。本当にありがとうございます」
「フランシスが急に謝ってきて、どうしたんだって聞いたら『聖女さまがアドバイスしてくれたから決心できた』って言ってました。聖女様のおかげで、コイツとまた普通に話せるようになって……ありがとうございました!」
以前、落ち着きのある少年は友達と言い争いをしてしまい、それを吹っ切るための言い訳を求める姿をトワコに見せた。
彼女はそんな少年に、過ちに対して背中を向けるのではなく、真っ直ぐに向き合うことの大切さを教えたのだ。
どうやらその助言は少年を救うことになったようだ。
トワコはそのことに安堵した。
少年たちが行った口論の争点は「単独で迷宮探索を行う冒険者がいるかいないか」、つまりアグゼについてのことであり、その話は巡り巡って、
結果的に長年のトワコの苦しみを終わらせ、今の幸福な日々を迎える切っ掛けになっていた。
つまり図らずしも少年たちは、トワコの恩人とも呼べる存在になっていたのだ。
恩人が笑顔を見せてくれる、それは素直に嬉しいことである。
「貴方たちの力になれたようで嬉しく思います」
その言葉を受けて子供たちは互いに頷き合った。
ふと、良い笑顔だった少女が何かに気付いたようにトワコの後ろに目をやった。
「あれ、その子は……?」
彼女が認識したのは、トワコの後ろで気付かれないように小さく隠れていたフィルティだった。
そこまで外向的ではないフィルティは、同年代の子供が一気に押し寄せてきたことに気後れしてしまっていたようだ。
そんな妹分の姿を見て、トワコは良いことを思い付いたと言わんばかりの顔を見せる。
「フィルティ、皆に挨拶しましょう」
「え……」
フィルティの肩に手を置きながら前に押しやる。
心の準備が出来ていない少女は戸惑いを隠せなかった。
しかし何度かトワコと三人の子供たちの顔を見比べた後、心を決めたのかフィルティはややうつむきながらも口を開いた。
「フィ、フィルティ、です」
言葉を聞いた子供たちは「それなら自分たちも」といった具合に次々に声を上げる。
「俺、エンリケ!」
「私はダフネっていうの」
「僕はフランシスです」
「三人とも、元気があって良いですね。では私も、改めて自己紹介をさせていただきましょう。私はトワコ・ファンドリオン、これからもよろしくお願いしますね」
トワコはさらに言葉を続けた。
「この子は私の妹も同然の存在なのですが、貴方たちの間でも話題としても挙がった『単独で迷宮探索をする冒険者』の男性の妹でもあるのですよ」
「えっ、あの赤の剣士の?!」
「ほ、本当ですかっ!?」
子供たちはトワコの台詞に強く食い付いた。
「三人とも、興味津々といった感じですね。どうですか、フィルティ、彼らに貴方のお兄様のことを聞かせてあげるというのは。きっと皆、喜びますよ」
「……そうなの?」
フィルティはトワコの顔を見て、そして子供たちの顔を見た。
エンリケとダフネはウンウンと首を大きく縦に振り、フランシスも軽くだが頷く。
「……うん、わかった」
提案を了承したフィルティを見て、トワコは小さく微笑んだ。
彼女が初顔合わせをしたフィルティと三人の子供たちを見て思ったこと、それはこの子たちならフィルティの良き友達になってくれるのではないか、ということであった。
三人の少年少女は皆素直で元気があり、また大きな喧嘩をしてもちゃんと謝ることでその仲を修復することが出来る素晴らしい人間性を持っていた。
歳も近いようだし、好意的に見ていると思われるアグゼの妹に対してならば、そう無下に扱うことは無いだろう。
(後は貴方次第だけど……がんばって、フィルティ)
姉は小さな妹の背を優しく押すのであった。
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ラズマードは大きな迷宮が近く、それに付随する人の流れの恩恵を強く受けた豊かな都市であった。
おかげで公園やベンチなど他の都市ではあまり見られない公共の施設も複数存在していた。
トワコが買い物をしている間、市場の近くにあったベンチの一つを占有し、四人の子供たちは雑談に興じていた。
「アグゼさんって、やっぱ強ぇんだよな!?」
「うん、すっごく強いよ。私の前に人さらいが現れたとき、ジャンプキックでそいつらを蹴り飛ばして護ってくれた」
「おぉーっ、剣だけじゃないんだ! すげぇっ、カッコイイ!!」
「そのアグゼさんって魔法も使えると聞いたけれど、それも本当なのかな?」
「そうだよ。火を着ける、怪我を治す、夜の森でも周りが見える。私が知ってるのはそれぐらいだけど、使える魔法はもっと多いみたい」
「それは……すごいなぁ。でも、そうだよね。一人で迷宮に入るなら、やっぱりそれぐらいの実力はあって当然だよね」
彼らはアグゼのことで盛り上がっていた。
エンリケはアグゼに憧れるように目を輝かせ、フランシスは何かに納得するかのように頷いている。
「ねぇねぇっ、私はアグゼさんを見たことないんだけど、カッコイイ人なのっ?」
「カッコイイ。大人で、優しくて、それでいてカッコイイ。お姉ちゃんもメロメロ」
「やっぱりそうなんだっ。いいなぁ、聖女様が惹かれるぐらいなんだし、きっとお似合いの二人なんだろうなぁ」
「うん、お似合い。お兄ちゃんとお姉ちゃんは素敵な二人」
ダフネはアグゼ個人よりも、最近吟遊詩人の口から聞くようになった新進気鋭の冒険者が尊敬する聖女のパートナーであるという噂について、色々と想像を巡らせているようだ。
それに対してフィルティは、アグゼとトワコが同じ感情を向け合っているというような発言をする。
フィルティにとって二人の第一印象は王子様とお姫様で、分かりやすく対になるような存在だった。
そして身近に暮らす中でも二人の仲に問題があるような様子は一切見たことが無かったし、トワコの方はこれでもかというぐらいにラブラブ光線をアグゼに送っているように少女の目には映ったぐらいなのだ。
アグゼはたくましい男性ということもあってそうした感情を表に出さず内に隠していると捉えることも出来たので、ハッキリ言って二人がパートナーではないと否定する材料を見つけることの方が難しい。
(お兄ちゃんは強くてカッコイイし、お姉ちゃんはキレイで何でもできる。大きくなってもっと魔法が上手になったら、その時は間に入って三人でラブラブ)
情操教育も済んでおらず倫理観なども育ち切っていないフィルティは、純粋に「そうなりたいな」という将来設計を思い描いた。
「冒険者ってすげぇよな、成功したら聖女様みたいな綺麗な人と恋人に成れるんだぜ。フランシスもそう思うだろ?」
「……うん、そうだね。でも危ないよ? 冒険者がダンジョンに向かって帰ってこなかった話だって、よく聞くじゃないか」
「ぅ、そりゃあそうだけどさ……」
大成すれば富と名声が手に入る。
それは子供たちにも魅力的に聞こえる話だったが、しかし常に死の危険がまとわりつくと聞けば尻込みしてしまうこともまた当然であった。
「そっか、冒険者って危険な仕事なんだ……あ、そうだ、フィルティちゃん」
「なに?」
「アグゼさんに会ってお話って出来ないの? 私、色々聞いてみたいなぁ」
「いいな、それ! 俺も会って話がしたいっ」
会話の流れ的にダフネとエンリケが言い出したことは、決しておかしな話ではなかった。
しかし、それに引っかかるモノを感じた人物も中にはいたようだが。
「え、頼むって、エンリケはアグゼさんと知り合いなんでしょ? わざわざ人に頼まなくてもいいじゃないか」
「ぁ、いや、その……た、確かにアグゼさんとは話したことはあるけど、それは偶然見かけた時にこっちから話し掛けて、ちょっと挨拶とかしただけだから……」
「その程度の関係で知り合いだなんて言ってたの? まぁ君のことだから、そんな感じだろうとは思っていたけどね」
大きな喧嘩をしたことがあっても、何だかんだで彼らの仲は本物らしい。
エンリケは噂の冒険者のことを口にするときに「その人とは知り合いなんだ」と自慢げに話していた。
エンリケの見栄っ張りな部分も理解していたフランシスは、そんな友達の悪癖を予見していたのか、呆れ半分に軽く流して済ませている。
「お兄ちゃん、今日は迷宮に行ってて、帰りは多分明日か明後日になるって言ってたから……」
「そうなんだぁ。アグゼさん、今日の探索もやっぱり一人で向かったの?」
「うん。他には狼のラグロだけ」
「噂通りのスタイルってことか、すごいなぁ」
「きっと、今日もモンスターをガンガン倒してるんだぜ!!」
少年少女はアグゼが鮮やかな戦いを繰り広げる姿を想像していたが、フィルティは唯一人、それとは違う想いを抱いていた。
(迷宮探索って、やっぱり危険なんだ。お兄ちゃん、大丈夫かな)
フィルティにとってアグゼはこれ以上ないほどの強さを持った人だった。
武器を持った相手を空中殺法で倒す実績や、有用な魔法をいくつも使える特別性、何より単純に見た目の筋肉量などがそれを示していた。
しかし、そんな兄でも傷付くし、苦しみ泣いてしまうことがある事実を彼女は知っている。
ラビリンスというものが危険な場所であることを把握してはいたが、それを改めて他者から聞かされたことで、少女の中で不安が生まれ少しずつ大きくなっていく。
(怪我してないかな)
アグゼと夜を違う場所で過ごすということは、実は彼と出会った時から数えて今回が初めてだった。
日中は訓練や軽い依頼などで家を留守にすることはあっても夜は必ず近くにいて、寝る前には就寝の挨拶を交わすことが最近は当たり前となっていた。
そんな当たり前が今日初めて崩れ、しかも兄は危険な迷宮の中で一夜を過ごすというのだ。
(お兄ちゃん)
トワコ、セネカ、キキョウの三人が義務感などではない確かな親愛を持って自分に接してくれることをフィルティは実感していた。
しかし、それでもやはりフィルティにとっての一番は、思い出の中の母を除けばアグゼしかあり得なかった。
フィルティのために危険に身をさらし、こちらが聞いていると知ることなくフィルティのために命を懸けるという本心からの宣言をする。
そんな光景を見てしまったなら、絶対の信頼を返すしか取れる手など無いというものだろう。
(……言えない)
少女は想う。
危険だから、自分が不安になるから、どうにかならないかなどと……言えるはずがない。
今のフィルティの生活資金は、全て保護者であるアグゼが出しているのだ。
そんな兄が日銭を稼ぐために、仕事として自分と出会う前から続けていた冒険者という職業。
急に沸いて出て来たような己が、それに口を出す権利などあるはずがない。
フィルティは幾度目か、心の中でつぶやいた。
(……お兄ちゃんに会いたい)
“いるよぉ いるよぉ お兄ちゃん いるよぉ”
唐突に聞こえてくる、人ならざる何かの声。
常人ならば心臓が跳ね上がっていたところかもしれない。
しかしフィルティはそれに「急に声を掛けられた驚き」以上の驚嘆などは見せることが無かった。
それは少女にとって馴染みのあるものだった。
“ブラザー発見 ブラザー発見 随伴僚機のウルフ軍曹も確認!”
“お兄ちゃん 向こう お兄ちゃん あっちぃ”
土で出来た人型と、その上に乗る水で出来た人型。
可愛らしくディフォルメされていたそれらは、高い魔法の素養を持つ者にしか関知することのできない精霊そのものであり、先程の声は精霊たちからの語り掛けだった。
フヨフヨと近くを浮遊するそれらは他の子供たちの目には映っていないようだったが、そういうものだとこれまでの経験で知っていたフィルティはそれについて彼らに言及することは無かった。
それよりも気になることは、精霊たちが兄が近くにいると告げていること。
聖霊は決してフィルティに嘘を吐かない。
いつだって自分の想いに助力してくれることは、フィルティ自身よく理解していることだった。
ならば、今回も彼らの言うことは事実なのだろう。
だが、そうなると何故兄がこの近くにいるのかという疑問が沸き上がってくる。
今日戻ってくるというのは予定に無かった話だ。
何か予定外の出来事が起きたのだろうか。
もしかしたら大怪我をして、帰らざるを得ない事態に陥ったのだろうか。
「フィルティちゃん、どうしたの?」
他の子供たちが急に様子の変わったフィルティを心配して声を掛けてくるが、少女はそれに応えない。
代わりにピョイっと跳ねるように立ち上がると、小さく呟いた。
「行かなきゃ」
「行くって……あ、フィルティ!?」
彼女は駆け出した。
精霊に導かれるがままに。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。




