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憤怒の赤、狂い咲く華  作者: 徳川万次固め
32/36

三十一話 終わったようで終わっていないこと

「ルートヴィッヒ様」


「若様っ!!」


 どっかりと地面に座り込んだルートヴィッヒの元に二人の若い女性が走り寄る。

 姿はどちらも旅装束だったが、おそらくは家臣や従者といった存在なのだろう。


 同時にアグゼのところにもトワコがやって来た。

 手には落ちていたアグゼの兜と、水をたっぷり入れた大きなジョッキを持っている。


「お疲れ様でした、アグゼ。一杯いかがですか?」


「あぁ、助かるよ、貰おうか」


 ジョッキを受け取ると流し込むようにその中身を飲んでいく。

 喉を通る冷たい液体がたまらない。

 短絡的だが「この一瞬のために生きている!」と言いたくなるほどに、決闘後の水のガブ飲みは美味かった。


「――――っぷは。ぬぅぅ、美味すぎる」


「ふふふ、豪快な飲みっぷりですね」


「俺にお上品なモノを期待されても困るんだがね」


「今のは誉め言葉ですよ、本当です」


 実際のところ、アグゼの品性は一言で表すなら中庸と言ったところであった

 だが、全ての人が教育を享受できるわけではないこの世界では「下品」というものは幅が広く、そこに属してはいないというだけでアグゼは平民の冒険者としてかなり上等な部類だと言えた。

 食事では出来るだけ音を立てない、風呂や水浴びは欠かさないなど、一緒に生活するようになってから知ることになった彼のそういったところは、貴族のトワコの眼にとても好ましく映ったものの一つである。


 しかし、だからこそそんなアグゼが見せる荒々しい仕草や男臭さが、トワコはこれまた大好きだった。

 前述の品性のこととはまた別に、彼女の「女」の部分を敏感に反応させるモノに、どうしても惹かれる感覚があったのだ。


 まぁ総括するなら、トワコはアグゼの様々な面を様々な視点で愛しているというだけの話である。

 ちょっと言い方を変えるなら――――恋は盲目、というところか。







 決闘が完全に終わったので、ギルドの職員たちが訓練場から見物客を追い出すように動き出す。

 元々この場はギルド側の配慮で設けられていたようなものだし、促さなければいつまでも居座り続けるような輩もいるのが冒険者である。

「訓練の場の提供」という本来の商売の邪魔にもなるので、彼らの行動は当然のことだった。


 ゾロゾロとその場を後にする冒険者たち。

 彼らの中にはアグゼとルートヴィッヒの健闘を称え、声を掛けてくれる者もいた。

 アグゼはほどほどに愛想良く言葉を返すが、ルートヴィッヒは地面に腰を落としてうつむいたままだ。

 心も体も酷く疲弊してしまったのだ、反応しなくてもそれに文句を言う者はいなかった。


(分からん話ではないが……困ったな)


 喉を潤して一息ついてさてどうするかと考えたとき、必要なことを果たすためにとりあえずルートヴィッヒに声を掛けなければならないなとアグゼは思ったのだが……正直に言ってどうそれを切り出せばいいのかが分からなかった。

 今のルートヴィッヒの心情を考慮すれば声を掛けても無視される可能性は十分に高かったし、そんな塩対応をされても見物客たちと同様、アグゼが腹を立てることはなかっただろう。

 しかし勝者の権利として、あらかじめ取り決めておいた報奨はしっかりと受け取る必要があった。

 それは権利であると同時に義務でもあったのだ。

 そこを雑に扱ってしまうようなら、二人の決闘自体が一気に陳腐なものに成り下がってしまう。

 実際に闘った当事者の一人として、それは避けなければならないという気持ちがアグゼには強くあった。


 とはいえ、じゃあそうするか、というのもなかなかに塩梅が難しい。

 今回の場合だと「貴様が勝ったときには何でも言うがいい。どんな内容だろうと私が聞いてやろう」とルートヴィッヒが言っていたので、言葉通りに受け取るならそれこそ全財産を根こそぎ奪うことすら可能になってしまうのだが、アグゼはそんなことを平然と口にできるほど人情が足りない人間ではなかった。

 確かに難癖付けてケンカを売られたようなものだし、腹が立ったのは事実だ。

 痛い目にもあった、情けない気持ちにさせられる展開もあった。

 しかし、だからといってそれだけで相手を破滅させてしまうのは……ハッキリ言ってちょっと引く。

 加えて言うと、そのご無体なやり口はルートヴィッヒの傍にいる従者たちの職を奪うことになるうえ、貴族家を一つ潰すような真似をしたとなればどこからか暗殺者の一人ぐらいは送られてくる可能性も否定はできなかった。


(何事にも限度ってもんがある。それだけの話だ)


 色々な観点で愉快な結果にはならないだろうと推測できる賞品は口に出さず放棄して、ではどうするかとアグゼは改めて考える。


(あんまりバカなことは言いたくないが、それでも貴族に勝ったんだし万ぐらいの金は要求しても問題はないか? ……んー、言い出しにくい)


 まぁこのぐらいはイケるだろ、という線の想定は出来るとはいえ、それはそれとして伏した相手に金銭を要求するという行為は素晴らしく心苦しいものがあった。

 アグゼは頭をかき口を開くことに難儀していたが、沈黙は別のところから破られた。


「トワコ嬢、聞かせてもらえないだろうか。貴女にとってその男は、一体どういう存在なのだ?」


 ルートヴィッヒが従者と思われる女性たちに支えられながら何とか立ち上がり、震える口でトワコに問い掛けていた。

 問われたトワコは怒りや嫌悪感などはもはや欠片も見せることは無く、穏やかな口調で返答をする。


「この人は、アグゼは……私が私でいるために、とても大事な人なのです」


「…………」


「この縁は、十年以上前から続くものです。決して軽い繋がりではありません。もし、仮にアグゼがどこか遠い所へ行かなくてはならない事態になったなら、私はそれに付いていくつもりです」


「貴女は、そこまで……」


 事情を知らない者が聞いたなら、どう考えても愛を紡ぐようにしか聞こえない言葉。

 ルートヴィッヒは大きな衝撃を受けたようだ。

 一方で隣のアグゼは、トワコの台詞に「贖罪や償いってヤツは、言葉にすると愛の告白みたいだな」という感想と、少しばかりの気恥ずかしさを覚えていた。

 いつもの彼なら二人の間柄を他者に誤解させるような言い回しは訂正させるところだが、今回はルートヴィッヒのトワコへの慕情を終わらせるために必要なことだと考え、口を挟むことを控えている。


「ルートヴィッヒ・ジェンデール様、例え決闘で貴方が勝っていたとしても、隣に私が立つことはなかったでしょう。その心に応じられないことを申し訳なく思いますが、どうかお引き取りを……」


「……そうか」


 一つの恋が終わりを告げた。

 哀愁を漂わせる彼の姿に、掛ける言葉があるはずもない――――と考える周囲に反するように、ルートヴィッヒはさして肩を落とすこともなく、アグゼに顔を向けながら意外なほど力を張った声を出した。


「アグゼだったな。次に闘うときは、私が圧倒的な力で貴様を捻じ伏せてやる。覚悟していろ」

 

「…………ん゛?」


 一瞬、言われていることが理解できなかったアグゼは、何とも言い難い返事をする。


「それまで、誰にも負けるんじゃないぞ、分かったな」


「は???」


 告げられている内容が再戦についての話だということに気付いた彼は驚いた。

 これ以上無いような形で想いを跳ね除けられて、なぜそうなるのか。

 トワコの言葉を受け入れたのなら、普通はそんな考えに行き着くはずはない……よね?


(この場合、涙を吞みながらもトワコの意を汲んで退散するって、そんな感じの流れになるんじゃないのか?)


 どういう思考回路をしてやがると思いつつ、慌ててアグゼは聞き返す。


「待った、ちょっと待った。次に闘うときって……さっきの会話の後で、またヤるってのか? なんでそうなる?!」


 アグゼの様子とは対照的に、ルートヴィッヒは至極落ち着いた態度を取っていた。


「二人の間にあるものが、今の私では到底どうにも出来ないぐらいに大きなものであることは理解した。ならば、私がやるべきことはより強く大きくなることだ。ソレと比してなお無視できないほどに強大な存在になった時、私は再びトワコ嬢の前に現れよう」


 こ、こいつ……。


 まさにポジティブ、超ポジティブ。

 その眼中に己の存在が映っていないというならば、無理矢理にでもその視界に入ってみせるとルートヴィッヒは豪語したのだ。

 何というスーパーガッツ、褒めてもいいぐらいの前向き具合だ。


 しかしそれによって「また相手をしてもらうぞ」と言われたアグゼの心境はたまったものでは無かった。

 別に再戦したらもう勝てないとかそんな気持ちになっているわけではない。

 ただ、好き勝手にアレコレ言われて喧嘩して、それに勝ったのにまたこっちの都合を無視しつつ、そのまま話を進めようとするルートヴィッヒの自分勝手さに辟易していたのだ。

 そもそも、今回の決闘の処理が全て終わったわけでもないのに、もう次のことを話しているのはあまりにも調子が良すぎる。

 アグゼはそのことについて釘を刺した。


「アンタなぁ、こっちはまだ『何でも願いを叶えてやる』っつう賞品を受け取ってないんだが。それなのにもう次の決闘の話をするとかさ、認められると思ってんのか?」


「うっ?! そ、それは……」


 どうやら敗者の責務のことは完全に頭から抜けていたようだ。


「何でもってことなら、俺の裁量次第でそっちの全財産をむしり取ることすら出来るわけだ。次ってやつが、ちゃんとやって来ればいいなぁ」


「ぐ、ぐぬぅ」


 本当はそこまで酷いことをするつもりはなくとも、あまりにも自分本位な相手に優しい態度を取っていられるはずもない。

 アグゼはわざとらしいぐらいのネチネチとしたトークアタックを仕掛けた。

 それに対して、ルートヴィッヒはハッキリと狼狽した様子を見せる。


 くくく、さてどうしてやろうかな、などとちょっとした悪役思考に入るアグゼ。

 彼の近くに立つもう一人の関係者のトワコは、涼しい顔の下で実はもっと苛烈なことを考えていたりしたので、それに比べたら大分可愛いものだったが。


「あ、あのっ、すみませんっ! できれば、手心と言うか、そのっ……何とかっ、なりませんか!?」


 陣営の情勢に圧倒的な差が生まれる中で、それに物申す者が登場した。

 ルートヴィッヒの従者と思われる二人の女性、そのうちの小柄でより若く見える方がオロオロしながらアグゼに懇願してきたのだ。


「若様はジェンデール家の嫡男だけど……でも権限があるわけじゃなくて、あんまりお金とかも出せるわけじゃなくてっ」


「お、おい馬鹿者、余計なことを言うなっ」


「へ? ……なに?」


 アグゼとルートヴィッヒのやり取りを黙って見ていられなくなったであろう彼女の言葉は少々要領を得なかったが、しかしそれには聞き逃すことが出来ない内容が含まれていた。

 ルートヴィッヒが制止しようとするのに対し、アグゼは思わず一歩踏み出しながら聞き返す。


「ひっ。そ、その……」


「私が代わります、ソラリス。ルートヴィッヒ様も、ここは抑えてください」


 いっぱいいっぱいな同僚や主人を見てマズいと思ったのか、もう一人の背が高く如何にも「仕事ができる女」といったイメージを持たせる女性が前に出て来る。


「お話に割り込んで申し訳ありません。私はグレース、そしてこちらはソラリス。ともにジェンデール家、そしてルートヴィッヒ様に仕える者です。はやるお気持ちがあるとは思いますがアグゼ様、どうか話を聞いては頂けないでしょうか?」


「……どうぞ」


 眼鏡の奥に鋭さを秘めた目を見せる彼女は、丁寧な口調で弁明の機会が欲しいと申し出た。

 まだ事を荒立てる状況ではないし、平民のこちらを立てる悪くない対応をしてくれる女性に、アグゼは続きを促した。


「有り難う御座います。まず一つ、説明させて頂きたいことがあります。それは貴族家において、その財産などを動かす権利を有する者は、原則として爵位を持った当主のみである、ということです。これはルートヴィッヒ様のような跡取りとて例外ではなく、はっきりと申し上げますと、アグゼ様が得た『何でも願いを叶えてもらう』という権利の行使は、ルートヴィッヒ様の意思とは関係なく実質的には不可能なのです」


 最初からブッ飛んだ要求をするつもりなどは無いのでそれが出来ないと言われても問題は無かったが、それとは別にルートヴィッヒに資産の裁量権がほとんどないという話は驚きだった。

 同じような立場のわりにはかなりの金を動かしていたトワコの方に視線を移す。


「彼のような領土持ちの貴族の子弟は、その多くが当主から領土の一部の管理者に任命されることで、貴族としての仕事や責務を学びます。そして任された領土の中で複数の事業を取り仕切り、そこから生まれた利益により個人の資産を作ることが慣例となっています。動かせるお金は並みの平民よりはずっと大きくとも、アグゼが想像するほどの規模ではない、と考えるべきでしょう」


 トワコは貴族の知識がろくにないであろうアグゼに話の補足をする。

 性別や環境などによって異なる点が色々あることに加え、トワコ自身は冒険者として動く中で既に下級貴族レベルの個人的財産を築き上げているなど例外はいくつもあったが、それは今重要なことではないので話題にする必要はない。


 トワコの言葉を受けて、グレースは頭を下げつつ話を続ける。


「その通りです。ジェンデール家としての資産は使えないので大きな妥協を呑み込んで頂き、そのうえでルートヴィッヒ様が差配できる金銭の範疇で最大限のものを提示することが、こちら側が行うべき最低限の礼儀、なのですが……」


 歯切れが悪くなり、言葉が止まってしまう。

 グレースは主人であるルートヴィッヒに振り返りその顔を確認するが、彼はムスッとした表情で視線を逸らしていた。

 ただ、それを了承と受け取ったのか、彼女は改めて口を開いた。


「ルートヴィッヒ様は嫡男、跡取りの第一候補ではありますが、ジェンデール家には他にも候補が二人ほど存在しています。どちらも政や商いに才を見せており、ルートヴィッヒ様の立場は決して盤石なものとは言えません。そして、ここしばらくルートヴィッヒ様は迷宮に潜り鍛錬を続ける日々を送り、事業関連のことはやや御座なりになっていて、資金の借り入れまでしている状態です。ここで更なる財の放出を行うことは、次期当主の座は手放すことと同義となりましょう」


 なんかコレすごいことを聞かされてないか、とアグゼは思っていた。

 まぁその感想は概ね合っていると言えるだろう。

 ジェンデール伯爵家という貴族の内情を、一介の冒険者如きにペラペラ話すなど普通はあり得ない。

 しかしアグゼのご機嫌次第でルートヴィッヒの進退が決まるとなれば、それを穏便な方向に持っていくためには普通ではないレベルの誠意を見せる必要があった。

 借金というどう考えても他者に聞かせたくない話題が従者の口から出ても、不機嫌な顔を見せながらもそれを黙認するといった具合に、現在非常にマズい立場にいることはルートヴィッヒ自身もちゃんと弁えているようだ。


(貴族と言っても、大変な奴もいるもんだな。まぁそりゃそうか)


 アグゼの心の中で同情的なものが徐々に大きくなっていく。

 ただ、彼らを助けようと配慮するなら、こちらが損を丸被りする必要があるわけで……


(あ゛ー、向こうから仕掛けてきた決闘に勝ってなんも無しとか、そりゃあ酷いぜ。でも、まぁ、たまにはクールなイケメンになっちゃうのも――)


「――なので提案をさせて下さい。アグゼ様、今回の決闘の賞品として、私が貴方様の物になります。部下でも召使いでも、文字通り物として扱って下さっても構いません。伯爵家の財産と比べればあまりにも小さなものではありますが、どうかそれで留飲を下げては頂けないでしょうか?」


 唐突なグレースの提案、それはかなりブッ込んだ内容だった。


「へい?」


「は?」


「なっ、グレース、何を言う?!」


「姉さんっ、そんなのダメだよっ!」


 純粋に驚くアグゼ、怒気が滲み出るトワコ、そして提案を許容できず声を荒げるルートヴィッヒとソラリス。

 その場の誰もが穏やかではいられなかった。


「そんなの……っ、姉さんがいなくなったら支障が出る事業がいくつもあるんだよ!? それじゃあ事態は変わらないじゃない!」


「そうだ、お前の支えで私が当主になればより多くを動かすことが出来る。奴もより多くを望むことが可能となれば、一時の猶予を設けることも承諾するはずだ。お前がその身を犠牲にすることはない!」


 グレースの考えを認められないルートヴィッヒとソラリスはそれを翻させようとする。

 感情論ではなく損得などの理詰めで説得を試みようとする二人だったが、その声には抑えきれない親愛の気持ちが漏れ出ていた。

 グレースはそんな彼らを見て少しだけ寂しそうな笑みを見せた。

 しかしそれを一瞬で消し去ると、落ち着いた様子で二人を諭していく。


「こんな状況が不意に訪れても大丈夫なように、これまでの仕事は全て引き継ぎが容易に行えるようコンパクトにまとめてきました。後任には誰を選んでも大丈夫なはずです。それに最近の借り入れなどは、鍛錬に時間を費やすという明確な理由があって行わざるを得なかったこと。本気で取り組んでくださるなら、ルートヴィッヒ様が当主になられることはこのグレース、一切疑っておりませんよ」


「グレース……」


「しかし私に疑いはなくとも、アグゼ様にしてみればそれを信ずるに足る理由はありません。名誉とプライドを掛けた決闘の勝者の彼が、何一つ得るものが無くこの場を去るような事態になれば、それこそルートヴィッヒ様の名は地に堕ちてしまいます。私の身を捧ぐことは最低限の担保…………これは必要なことなのです」


「……それなら私がっ、私が行きますっ」


「ソラリス、それはダメよ」


「なんでっ!?」


 如何様な言葉を受けても、グレースの冷静さは崩れない。


「もう適齢期を過ぎているような私ならともかく、まだ若い貴女にこの役目はさせられないわ。これは年上の、長女の仕事なの。理解しなさい」


 血縁の妹や主人のために彼女が行おうとしていること、それは端的に言えば身売りであった。




 身売り、その言葉を聞けば多くの人は顔をしかめるだろう。

 しかしこの荒々しい世界において、それは「裏」の産業の一つとして確かに存在していた。

 身体というモノはまとまった額を稼ぐことを可能とする有力な商品であり、人によって質こそ違えど如何なる生まれであろうとも所持している最後の売り物でもあったのだ。

 助けてくれる者が誰もいない中、ただ朽ちることを待つのではなく需要があるところへ売買を持ち掛けるその行為は、言い方が悪いかもしれないが生産的であるとすら言えた。


 また一応産業として成り立っている以上、それは完全にどうしようもないほど無常で無法な代物というわけでは無かった。

 安くはなるがあくまでただの労働力として扱ってもらうか、増額を考えて夜のお相手もこなすことを承知するか。

 そんな諸々等を契約で選ぶ自由は一応残されていたのである。。

 まぁ身売りは「学ぶ」という機会を得られなかった者が行うことが多いので、そういった彼らが食い物にされるケースは往々にして存在していたのだが。




 それはともかく――――グレースの行いはそれなりに合理的なものだった。

 文字通りの捨て身の覚悟は、相手の譲歩を迫るのに一定の効果が期待できる。

 グレースが今の主人の元から出ていくことは、財の放出などとは違い「粗相を仕出かした従者を解雇した」といった具合にただの人事の話として押し通せるので、ルートヴィッヒの失点にはなりにくい。

 事が上手く運びルートヴィッヒが想定通り当主に成れたなら、そこから身柄を買い戻すという選択も可能になる。

 グレースがルートヴィッヒたちを抑えるために話した内容も考慮すれば、彼女がこうして矢面に立つことは本当によく考えられていると言えた。


 アグゼはそんな全てをこの短時間で把握できたわけではないが、それでもグレースがとても理知的で頭の回る人物であることは理解できていた。

 いや、理解させられたと言ってもいい。


(良い人材だ。手元に置いておきたいって奴は、大勢いるだろうな)


 年齢はおそらくアグゼより多少上といった程度。

 容姿も言動に即したクールビューティーといった感じでなかなかの上物である。

 客観的に見て、今回の決闘の報奨として彼女を獲得することは「何が何でも全てを奪い取ってやる」という無茶を考えないなら、まぁ十分なモノだと言って問題は無かったに違いない。




 引き留めようとするルートヴィッヒとソラリスに対して、己の提案の理由を顔色を変えることなく説明し続けるグレース。

 そして二人が返せる言葉が無くなった頃、彼女は澄ました顔のままアグゼの方に振り返り頭を下げた。


「話を中断してしまい申し訳ございません」


 謝罪の後、グレースは真っ直ぐにアグゼの眼を見ながら言葉を続ける。


「改めて、提案をさせて頂きます。此度の決闘の報奨は『私がアグゼ様の物となる』ということで、どうかご納得いただけないでしょうか?」


 一度上げた頭を再度下げながら出された提案であった。


 これはアグゼ側から見ればデメリットは無いに等しい話である。

 グレースは(フィルティへの説明などを除けば)いてもらって困るような人物には思えなかったし、経緯を考えれば外聞が悪いということもなかった。

 むしろここでこの提案を受け入れることは慈悲であり、逆に蹴ってしまうことはグレースの心意気を台無しにしてしまう所業だ、という見方も出来たことだろう。


 しかし――


「――悪いな、その話は遠慮させてもらう」


 男の口から出たのはまさかの断りの言葉であった。

 その返答に、聞いていたほとんどの面子が驚きの感情を見せる。

 唯一トワコのみ、とても満足したような顔になっていたが。


「こ、この程度では、お気に召しませんでしたか?」


 声が微妙に震えている。

 これはグレースにとって予想外なことであった。

 計算高い彼女は調査で得た噂やこれまでの態度などから、アグゼという男が慈悲や思いやりを十分に持っており、そうした気持ちでこちらの提案に乗ってくれると確信していたのだ。

 しかし、アグゼはそのようには動いてくれなかった。

 厄介なことに、何が不満なのか読み取ろうとしても、男の表情や口調には全く感情が表れてはいない。

 大きな物欲か、気高すぎる義憤か、そんな内情が判断できず、グレースはその優れた頭脳をもってしても打開策を練ることが出来なかった。




(あぁ、これはダメだな)


 己の心の中に静かに湧き起こる怒りと嫌悪感、それをアグゼは能面のような顔で表に出ないよう取り繕っていた。


 グレースの提案はなかなか思い切ったもので、道徳的な面などで眉をひそめる者が出てもおかしくない話ではあったが、アグゼにとってはそれ自体は特に問題の無い、確かな利があると思える話だった。

 冒険者の中ではかなり真っ当な良識を持つ部類とはいえ、それでも彼は武力が物を言う戦士として生計を立てている元ストリートチルドレンの男なのだ。

 弱肉強食的な考え方の全てを粗野だの野蛮だのと非難するような繊細さは持ち合わせてはいなかった。

 むしろ普段の彼ならグレースのことを憐れみながらも、決闘の戦果としては上々だと満足してその報奨を受け取っていた可能性の方が高かったはずである。


 ただ、今の彼の胸中には、そんなことを許容させない強い感情が渦巻いていた。


(これじゃあ、あのクソカスどもと同じじゃないか)


 思い出されるのはつい先日、フィルティを狙ってこちらに襲い掛かってきた人買いの二人組のことだ。

 思考も言動もクソと称するのに相応しい奴らだった。

 そんな怒気を誘う過去を思い出しつつ、今を振り返る。

 内容は全然違うが「心に反して離れ離れにさせられそうになっている家族がいる」というシチュエーション。

 それはあの胸糞悪い出来事をアグゼに連想させるもので、しかもよりにもよって、アグゼの配役はそのクソ野郎どもの立ち位置だったのだ。


(その気は欠片もないんだろうけどな、こいつは全く笑えんぜ)


 妹の声を振り切り、身売りをしようとする姉。

 己にとって完全に地雷だったものを見せられて、アグゼはグレースの提案を突っぱねることを決めた。


 ただし、そうなるとグレースが言っていたように勝者に何も与えず帰らせることになり、名誉を大事にする貴族としては軽くない傷を負うことになってしまいかねない。

 せめて自己犠牲の精神を見せたグレースの心意気には応えよう、彼はそう思うのだった。




 キョロキョロと周囲を見渡すアグゼ。

 するとちょうどいい物を見つけたようで、彼はそちらに近付いていく。


「そのトレイって私物かな?」


「えっ、こ、これですか?」


 彼が話しかけたのは酒場でパライバと駄弁っていた時にサービスをしてくれた給仕の女性だった。

 彼女は他のギルド職員のように訓練場から冒険者たちを退場させる仕事に就いていたのだが、決闘の当事者たちに対しては話し合いが終わるまでは待ってもいいかと気を利かせて、少し離れた位置で待機していたのだ。


 そんな彼女はまさか急に話を振られるとは予想しておらず、アグゼの問い掛けにしどろもどろになりながら返答をする。


「い、いえ、酒場の備品ですけど……」


「そうか。それじゃあ悪いがそいつを俺に貸してくれないか? 大丈夫、破損させたらちゃんと弁償するからさ」


「私は構いませんが…………えぇと、どうぞ」


 用途は分からないが、自分が今一番推している人物からの頼みということもあって、彼女は戸惑いながらもトレイを渡してくれる。

 それを受け取ったアグゼは礼を述べてから改めてジェンデールの面々の前に戻ってくると、それをルートヴィッヒに突き出した。


「これを持て」


「な、何を言って、いる?」


「いいから。それを両手でしっかり掴んで、腹の辺りで構えてろ」


 強引に木製のトレイを渡してくるアグゼに強く言い返せないルートヴィッヒは、それを受け取ると言われたとおりに腹の前に持ってくる。

 アグゼはルートヴィッヒの姿勢を確認して一度頷くと、二歩ほど後退してから――


「他の奴らは下がってろ」


 ――忠告を挟みつつ、右の拳に力を込め始めた。


 アグゼの考えを読み取った女性陣は慌てて距離を取る。

 ルートヴィッヒも行われようとしていることを何となく理解はしたのだが、疲れやら色々な出来事が重なり低下していた判断力ではどうすべきか答えが出せず、ただ狼狽えることしか出来なかった。


「ちょ、まっ、や、止めろ!」


 アグゼはグレースの提案を突っぱねると決めたとき、ではどうするかと考えた。


 Q,今回の事態はどうやってスタートした?

 A,ルートヴィッヒがこちらにイチャモンをつけてきた、それが始まりだった。


 Q,決闘が終わったのに、事態の収拾がつかない理由は?

 A,ルートヴィッヒが負けたときのことをろくに考えず、出来もしないことを口にしたせいである。


 誰に問題があるのかは明白だった。

 従者であるグレースが苦渋の決断を下し、それを聞いたソラリスが悲しんでいるのも根本はルートヴィッヒのせいだった。

 よぉし、ならば何もかもをチャラにする代わりに、彼には少しばかり痛い目にあってもらおうではないか。


「やめ――」


「黙れ」


 バギャンッ


 腹の前に構えられた木製トレイに対して放たれた、踏み込みながらの右のボディアッパー。

 それはトレイを粉砕し、幾分か減少させたうえでなお大きなエネルギーをルートヴィッヒに与えた。

 吹き飛ばされた彼はゴロゴロと二回ほど後転した後、大の字になり完全に気絶してしまっていた。


 フン、と鼻を鳴らしてからアグゼは告げる。


「『一発ブン殴る』。勝者の権利は、これに使ったことにしておいてやる」


 手をプラプラさせながら、彼は言葉を続けた。


「そもそも勝者の俺がこんだけ痛い目にあってるのに、決闘に負けたそっちがかすり傷一つないんじゃ不公平ってなもんだ。とりあえず、頭にタンコブでも作ってから帰るんだな」


 アグゼの取った行動、それは彼のちょっとした不満を解消すると同時に、ジェンデールの面々の立場や面子を守るものだった。

 ルートヴィッヒはグッタリと気を失っているが、それは疲労と衝撃による合わせ技によって起きたものであり、後に残るような怪我はできてはいない。

 パンチの威力のほとんどがトレイの破壊に使われたことは、トレイのそのバラバラになった有様を見れば明らかだ。

 ルートヴィッヒが負ったダメージはせいぜい腕や背中のちょっとした痛み、それに加えてアグゼが言ったようなタンコブが後頭部にできた程度だろう。

 そしてそれだけで「何でも願いを叶えてもらう」権利を終わらせるというのだから、これは実質的には権利の放棄であった。


 気絶したルートヴィッヒ、主人に駆け寄りその身を案じるソラリス、ついでに突如起きた事態にビックリする給仕の女性は、アグゼが特大の温情を与えた事実に気付いていない。

 それを理解していたのはこちらに対して深々と頭を下げるグレースと、アルカイックスマイルで状況を見守っていたトワコだけである。


 後方彼女面をキメるトワコは小さくつぶやいた。


「その優しさに私も救われたのです。貴方という人は本当に…………お慕いしています、旦那様」



難産かつちょっと半端な終わり方になってしまったので、次回はその補足などの短めの話ということで早めに投稿できればいいなぁと思っています。


なお、作者は身売り云々に関して肯定するつもりは一切ありません。

しかし拾ってくれる社会システムや団体が少ないであろうこのような世界観においては、こうしたアレコレがなければ村やスラムに死体がゴロゴロ転がることになりそうなので、作中の流れに合わせて描写しただけです。

そこのところ、ご容赦下さい。


感想や誤字報告は本当に助かるし励みになります。

ありがとうございました。

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