国家転覆駄目絶対
いまいち状況のつかめていない様子のエレーナのほっぺたをイルザはぺちぺちと叩く。
羞恥心と困惑により抜け出ていた魂が返ってきたエレーナはこの場にいるはずのないイルザの姿に首を傾げた。
「あら、イルザってば今日は来れないと言っていたじゃない」
今回の夜会に当たって親友のイルザには勿論招待状を送っていた。しかし、先約があるとかで断りの返事を受け取っていたはずだ。
先ほど会場内を見回った時もイルザの姿はなかった。
「ええ、そのはずだったのだけれど義姉狂いの幼馴染を止めるという使命感に駆られた王太子様に連行されてしまったのよ」
そう言ってため息をつくイルザの目線の先には不敬にもレオンの腕を振り払い「痴漢ですって呼べば一発だと思うの」とあくどい笑みを浮かべるユリアナ。
レオンは大して気にした様子もなくヘラヘラとして「それ自分にも返ってくるんじゃない」とごもっともな意見をし、ユリアナは再び舌打ちをかます。
そんな中エレーナは一つ気になる単語を拾い上げた。
「あの、幼馴染ってどういうことかしら」
ユリウスと王太子と、イルザは知り合いだったとでも言うのか。そんなことは今まで一度も聞かされたことがない。自分だけ仲間外れにされていたという事実に、エレーナは突如自分の足元が揺らぐ感覚に襲われた。
自分は市井の生まれなのだから王太子と関わりがないのは当然だが、それでも何か話してほしかった。
エレーナの顔色が白くなっていくのを見かねてか、そこまでユリアナに好き勝手されていたレオンが口を開く。
「本当はエレーナ嬢とも親交を深めたかったのだけれどどこかの義姉偏愛者がそれを邪魔してきてね。ユリウスの徹底ぶりには脱帽だよ」
聞けば三人は言葉もしゃべれない頃からの腐れ縁らしく、ごく幼い頃はしょっちゅう王城で遊びまわっていたという。しかし、エレーナがクーベルン家にやって来てからと言うもののユリウスはぱったり遊びに顔を出すことは無くなり、クーベルン家に行こうものにもイルザはまだしも男だからという理由でレオンは立ち入り禁止にされたらしい。
それならエレーナを王城に呼び寄せようと考えたがユリウスにひどい脅しをかけられてかなわなかったとなんでもなさげに話すレオンに、エレーナはだらだらと汗を流すしかない。
王太子に向かってなんという無礼を働きまくっているのかこの義弟は、と視線を向けるとユリアナはバツの悪い顔をする。だって王太子にエレーナが目つけられたら国滅ぼしちゃうかも、じゃない。かわいこぶっても国家転覆を王族の前で示唆していることには変わらない。
物騒なことを平気でのたまう義弟にドン引きしつつ、エレーナはイルザに保護され離れを出た。
ちなみにユリアナは夜明けまでレオンからお説教コースらしい。これですこしでも矯正されたらいいのだがそんな都合のいい話はないだろうと半ばあきらめた様子のエレーナであった。
エレーナの自室に入ってきたイルザは勝手知ったる様子でベッドに座った。エレーナもその隣に腰かけ、改めてイルザの姿を見る。
イルザは何故かメイドの格好をしており、エレーナはそのことについて触れて良いのかずっと迷っていたのだ。
「ねえイルザ、あなたいつからメイドになったの」
「ああこれ?あの変態が変装するようにって渡してきたのよ」
「変…態…?」
伯爵令嬢である友人の口から飛び出したとんでもない単語にエレーナは怪訝な顔をするが、イルザは淡々と語る。
「ええ変態よ。詰まった襟からちらりとのぞく首に興奮するんですって。…だいぶアレよね。でもね、これを着てあの変態の傍にいるだけで特別手当が貰えるのよ、お得だわ」
イルザの家は古くから続く伯爵家だが、年々暮らしが細くなっているのは有名な話だ。
領地に問題を抱えているわけでもないのだが、イルザの両親はお人よしがすぎて利用されてしまうようで、そんな両親を見ているイルザはだいぶお金にうるさい。
親友がとんでもないお金の稼ぎ方をしていることに心を痛めながら、しかし自らも自由にできるお金がないエレーナは何も言えない。
「いいのよ、ここで王太子に媚び売ってゆくゆくは息子の教育係になってがっぽがぽになるんだから」
自らが王妃になるとかではなく息子の教育係、というところがイルザらしい。
そんなイルザはレオンが戻ってくるまで帰れないからと夜明けまでエレーナの部屋に居座ることを決めたようだ。
エレーナは今更夜会に戻る気も起きず、イルザと共に朝まで語り明かすことにして使用人にお茶を持ってこさせた。
色々ありすぎて自分がすっかりライナーのことを忘れてしまっていたことに気づかぬまま、エレーナの夜は更けていく。