不法侵入駄目絶対
今日も今日とて夜会で良さげな令息ウォッチング―――もとい婚約者探し。
エレーナは目の前であれこれとつまらない話をする男性に適当に相槌を打つ。
話はびっくりするほど面白くなく、見た目も平凡だが最近貿易で栄えている伯爵家の次男だ、結婚相手としては申し分ない。
今度こそ、深いお知り合いになれないものか―――熱い視線を送ると、それに気づいた相手はうっすらと頬を染めた。
これは、いける。ゆっくりと距離を詰め始めた、そんな時だった。
「おねえさま、そちらの方は?」
まるで体当たりするように突っ込んできた水色のふわふわ。
バランスを崩したエレーナをその原因が華麗に引き寄せ抱きとめる。
顔がぶつかりそうなほど近づき、エレーナは思わず赤面する。
「え、ええと。こちらはグランディオ伯爵の次男、ヴェルナー様です。すみません、この子はユリアナと言って私の義妹ですの」
先ほどまでの弾丸のような勢いはどこにやったのか、ユリアナは完ぺきな淑女の礼をとり、にっこりと微笑む。
蜂蜜色のふわふわと手触りのよさそうな髪を持ち、瞳とおそろいの空色のドレスを纏ったユリアナはその場の誰よりも可憐で美しい。色彩や顔立ちは整いすぎて作り物のようで近寄りがたいものを感じるが、一度笑えばいくつも花が咲いたかのような華やかさがあり、夜会に出席するたびに紳士淑女の視線を奪っていく。
とたんにヴェルナーの顔は茹でだこのようになり、それを見てしまったエレーナは一瞬で無の境地に立つ。
―――ああ、またやられた。
エレーナからみれば勝ち誇ったような笑みを浮かべるユリアナは男性の名残惜しそうな視線をシャットアウトし、エレーナを無人のテラスに連れ出した。
「何度言えばわかりますの、おねえさま」
「私は諦めないって言ったでしょう」
エレーナはしっかりと自分の足で立ち、ユリアナを見据える。
苛ついた様子のユリアナは温度を感じさせない空色の瞳を細めた。
「いい加減諦めて、おねえさまは結婚相手なんて見つける必要ないの。大人しく家に籠ったら?」
「そんな、私は侯爵家のために…」
「本当に侯爵家のためを思うなら家にいるべきよ。それとも、また私を泣かせたいの?」
にたりと悪魔のような笑みを浮かべるユリアナにエレーナはひくりと頬をつらせた。
そうこうしているうちに、ユリアナは笑いながら星のような涙をぽろぽろと零し始め、両手で顔を覆い泣きまねを始める。
「おねえさま、どうしていじわるするの…?私はおねえさまと仲良くしたいのに」
愚図るユリアナの周りにはあっという間に人だかりが出来、その視線はエレーナに注がれる。その中には先ほどの男性もいて、嫌悪の表情を浮かべていた。
ここまで来れば何を言っても無駄だ。エレーナは諦めて案山子よろしく棒立ち無表情になり、それを見てユリアナは顔を覆った手の向こうで愉快そうに口を歪める。
「ご、ごめんなさい…泣くつもりはなかったんです。私、もう帰りますね」
「…付き添うわ。みなさま、失礼いたします」
今更何を言うか、と言わんばかりの視線の痛いこと。エレーナはすたすたとその場を去り、ユリアナは俯きながらその後を着いていった。
屋敷への帰路。二人きりの馬車の中は気まずい空気が流れる。
「ごめんなさいおねえさま。…また悪評が増えてしまいましたね」
にこにこと笑うユリアナの頬を張ってやりたい。エレーナは体を衝動に任せかけたが、すんでのところで思いとどまった。
「いい加減にして。一体いつまで続けるつもり?」
「おねえさまが結婚を諦めるまで、ずーっと」
エレーナは淑女にあるまじき舌打ちをかまし、顔も見たくないとひたすら窓の外をにらみ続けた。
昔は、実の家族ではない割には良い関係を築いていた、と思う。
しかし、ある一件をきっかけにあの子はすっかり変わってしまった。
そして、その原因は自分にある―――エレーナはやる瀬のない気持ちになり、自室の屋敷に着くや否や自分の部屋に直行した。
その後ろをユリアナも追ってきていたが、目の前で扉を閉められ部屋の外で何やら喚いている。
「おねえさま、仲直りしましょう?」
美味しいお茶を持ってきたの、と下手に出るエリアナだが、エレーナはベッドに突っ伏してピクリとも動かない。
「あなたが金輪際私の邪魔をしないのなら喜んで!」
「…それは無理だわ」
「じゃあ仲直りもしない!今日はもう放っておいて」
待っても出てこない義姉にユリアナは仕方がない、と自室へ向かった。と言ってもエレーナの隣室だ。
侯爵令嬢の自室にしてはシンプルすぎる部屋に入ると手早くまどろっこしいドレスから寝衣に着替える。
これまた質素なつくりの執務机についたユリアナはだらしなく肘をつきながら、いつの間にか積まれていた書類に手を伸ばす。ランプの明かりを頼りに仕分けをしていると、エレーナが自室に閉じこもってから大分時間が経っていることに気づいた。
静かに席を立ったユリアナは引き出しから針金を数本手に取り、ポケットに忍ばせる。
ベランダに出て夜空を見上げると、今日は三日月だった。忌々しいと睨みつけるが、見れば見るほど自分を嘲笑っているように思えて視線を逸らした。
こんな厄介な体にならなければ今頃…いや、もしかしたらエレーナは既に嫁いでしまっていたかもしれない。その点では都合がいいともいえると自虐めいた笑みを浮かべ、ユリアナはベランダの柵に足をかけ、隣に飛び移った。そのまま手早くガラス戸のカギをこじ開け、中の様子を伺う。
「おねえさまったらあの後寝てしまったのね、かわいい」
ドレス姿のままのエレーナは顔を顰め、寝苦しそうだ。
恐らくコルセットをしめたままなのがよくないのだろうとユリアナは手際よく姉からドレスやコルセットをはぎ取り、丁寧にしまってやった。
そうするとエレーナは寒そうに身震いをする。ユリアナは仕方がないな、といった風で義姉に布団をかぶせ、自身もその横にもぐりこんだ。
艶々とランプの明かりに照らされる漆黒の髪はエレーナの色白な肌とのコントラストが扇情的で、今は閉ざされているが翡翠色の瞳は魔力でも持っているかのようにユリアナの心を狂わせる。ほう、と吐息をもらしユリアナはエレーナの髪を手櫛でといた。
「わかってるよ。こんなこといつまでも続けられないってことは。…おやすみ、エレーナ」
自信を締め付けるものがなくなり呑気な表情で眠りにつくエレーナの額に、ユリアナはそっと口づけた。
小鳥のさえずる音にゆっくりと意識が浮上する。エレーナはなんとなく肌寒さを感じ、隣に温かいものがあることに気づきぎゅうと抱きしめた。
温くて、すべすべしていて気持ちいい。しかしこのぬくもり、妙にごつごつしている…そう思いエレーナがうっすら目を開けると、そこには朝日に照らされまばゆく輝く蜂蜜色があった。
「おはようエレーナ。朝から情熱的だね」
俺はいつでも大歓迎だけど、とベッドに横たわりにこやかな笑みを浮かべる男にエレーナは目をかっぴらき勢いよく離れようとする。しかし、逆に抱きしめ返され動くことを阻まれてしまった。
「駄目だよエレーナ。この前勢いよく頭から落ちたこと覚えてないの?」
「そ、それもこれもユーが私のベッドに入ってくるからでしょう?ひゃあ、いつの間に私こんな格好に」
下着しか纏っていない自身の姿にエレーナは顔を赤くするが、ユーと呼ばれた男性は平然な顔をしている。そんなユーもバスローブ姿だ。
「ああ、それはユリアナがやったから安心して?」
「なにが安心して、よ。ユリアナもユリウスもどちらもあなたじゃない!」
びしりと指をさされた男、ユリウスはユリアナと同じ空色の瞳を細めて笑う。
ユリウスはとろけそうな笑みのまま、形の良い薄い唇からとんでもない言葉を発した。
「エレーナ、今の俺は男だからあんまり動かれるとあらぬところがドキドキするからやめてほしいな」
「ひぃ、とにかく出ていって頂戴、あとでお父様に叱ってもらうから」
恐怖からか目尻に涙を浮かべるエレーナを見て、流石にこれ以上はまずいとユリウスは渋々ベッドから降り、ガラス戸から出ていった。
やはり父に部屋を離すように圧力をかけるべきか。エレーナは支度をするために廊下に控える侍女へ声をかけた。