ブチ柄子馬はある日何かを踏んづけた ~馬鹿王子またはキラキラ男で毒でハエの末路~
「乙女ゲームは馬狂いによって成立しませんでした」を先にお読みいただくことをおすすめします。
視点がころころ変わるのでご注意ください。
私の名前はルチル。
父は「無敗の名馬」とも呼ばれるシトリン、母も「女帝」という呼び名を持ついわゆる良血馬というものらしい。
一歳になって初めての秋、雨上がりの空の下でこっそり放牧場を抜け出し気分良く走っていたら変なものを踏んづけてしまった。
なにやら小汚い人に見えなくもないシロモノである。
そしてひどく臭う。
本当は触れたくもないがしょうがない。
人間だとしたら助けなければお父様に叱られると思うので拾って帰ることにしよう。
万が一人間だとしてもこんなに汚いのを兄妹の中で今のところ私一頭だけの自慢のブチ模様を汚したくはない。
それの首の後ろあたりを適当にくわえて比較的きれいな水溜まりにボトリと落とした。
なんかカエルを踏み潰したときと似たような音がしたがまあたぶん大丈夫だろう。
前足で適当に転がし、洗う。
ただそれは思っていたよりも汚れていたらしく水溜まりが汚れていくだけで臭いはそのままだった。
これじゃ意味がない。
……面倒くさい。
拾うのをやめようかとも思ったがそういえば近くに川があった気がする。
襟首をもう一度くわえ、ズリズリと引きずり川まで行くことにした。
川に着くと口のものをブンと放り投げた。
水しぶきとともにバッシャンといい破裂音がする。
そのままにしていたらきれいになるかなと思っていたらそれは無抵抗に沈んでいこうとするから驚いた。
なんで泳がないんだ?
え? ご主人様は普通に泳いでたから泳げるもんだと……?
でもお父様はご主人様は人間の中ではかなり優秀なほうだと言っていたような………
まさか人間って泳げないのが普通だったりする?!
うっそでしょ?!
そのことに考えが至り、慌てて川に飛び込んだ。
ズブズブと沈むそれにうまく身体を滑らせて背の上に乗せた。
岸に上がり、いつもは身体を震わせて水を落とす所だが背の上に力なく乗っているそれを落とすかもしれないので今日は我慢することにする。
ずぶ濡れのまま元の放牧場へと向かった。
放牧場に戻ったはいいものの背の上の人間もどきを洗うのに手間取ったとはいえ放牧に出たのは昼前だったからか誰も厩舎の近くにはいなかった。
ゆっくりと背の上のものを降ろしてから嘶きを一つして仲間たちを呼んだ。
――ヒヒィイイィィーーン――
鳴き声が響き渡るとともに近くにいた仲間たちがパラパラと集まってきた。
この囲いの中には親離れを済ませた同年代の牝馬しかいない。
ここでのボスは私だから数分ほど待てばたいていの子たちが集っていた。
「ルチル? びしょ濡れじゃない?! 何かあったの?」
特に仲の良い鹿毛のフォシルが聞いてきた。
前足で人もどきを指した。
「これ拾っちゃった」
「え? 何これ?」
他の子たちも興味深げに人もどきの臭いを嗅いだり鼻先でつついたりしている。
知らないものではあるがここにいる皆は好奇心旺盛な子が多い。
皆けっこう怖いもの知らずだが私の怖いものは現時点で一つ、怒ったときのご主人様である。
わらわらと皆で人もどきをつつき回していると足音が聞こえてきた。
私たちの背丈くらいある柵を軽々と越えられる白く輝く馬体を持つ馬はここには一頭しかいない。
お父様だ。
危なげなく着地したお父様は悠々とこちらにやって来た。
「ルチル、なんで皆を呼んだんだ? これは一体?」
皆を見回すお父様の困惑がありありと感じ取れた。
「お父様! 変なもの拾っちゃったの。これなぁに?」
お父様なら何でも知っているに違いない!
良いところに来てくれた。
お父様は人もどきに顔を近づけると一瞬で耳を伏せた。
「ゲッ?! こいつ! あのハエ野郎じゃないか! なんでここに?!」
いつも穏やかなお父様がご主人様とお母様以外のことで怒っているところを初めて見た。
他の子たちはそもそも立派なボスとして知られるお父様が怒っているところを見たことがないのですっかり怯えてしまっている。
「この人もどきダメなものだったの?」
「……そ、そのだな。ダメというか。あぁもう! ルチル、これ動かないように見張っといてくれ! すぐに戻ってくる」
お父様は私にそう言いつけると再び柵の外に消えていった。
*****
いつもと変わらぬ午後、執務を済ませているとジェイドが入ってきた。
深刻な表情をしているその男は宰相の息子で俺の側近の一人だ。
「皇太子殿下、ご報告がございまして……人払い願えますでしょうか?」
その言葉に何も聞かずに人払いをする。
「どうした? おまえがこうして頼むことは珍しい。何かあったのか?」
「妃殿下のご出身国に忍ばせていた密偵から報告がきまして、王と王妃の死亡が確認されました。そして王子の行方知れずとのことでございます」
「ほぅ? ついに死んだか。思っていたより長く持ったものだな……それにしてもあの馬鹿が生き延びるとはなぁ」
あの国が国としての枠組みをなさなくなってからすでに数年が経過している。
まだ生きているらしい王子はともかくとして王と王妃が今まで生きていられたのが不思議なくらいだった。
「その馬鹿について私は妃殿下にはご報告を上げていませんがご存じでいらっしゃいました。それともう一つ、妃殿下が牛の置物らしきものを作らせているとのことです」
「牛の置物? アイリスが? 馬ではなくか?」
あの馬狂いの妃が馬以外のものをモチーフとした置物を作るなど珍しいどころではない。
この国に来てから初めてのことだ。
「確かに牛の形をした物のようでございました。それも人が一人十分に入ることのできる大きさの物でして……」
人の入るほどの大きさの物はただの置物ではなさそうだ。
それの心当たりが一つだけあった。
「もしやそれは……中が空洞で真鍮でできているものか?」
「その通りですがなぜお分かりに?」
真鍮製で中が空洞になった人が入る大きさの牛の置物……いや、それは置物ではない。
拷問器具で処刑器具だ。
「……アイリスよりも早くあの馬鹿を捕らえて処分しておけ。最後の情けだ。苦しみなく逝かせてやれ」
「御意に」
「もしアイリスが先に奴を捕らえても構わん放っておけ。あ奴の運が悪かっただけの話だからな」
そこまで話し終えたところで窓からけたたましい音と共に白馬が飛び込んできた。
飛び散るガラスをものともせずに部屋に入り込む。
「は? シトリン?! というかどうやってここまで来たんだ?! ここは三階だぞ!」
窓を割って入ってきたというのになぜか傷一つとしてない。
いつもは俺の言葉にはフンッと鼻息を一つするかしないかであるこの馬がどこか焦っているようだった。
普段は主人である妃以外を乗せようとしないのだが今日は乗れとでも言うように鼻先で自分の背を示して見せた。
どうやら緊急事態のようだ。
恐る恐るシトリンの背に乗る。
「殿下!」
ジェイドの焦る声が聞こえるが構ってはいられない。
「箝口令を敷いておけ! くれぐれもアイリスの耳に入れるな!」
そうジェイドに言い残すと同時にシトリンは執務室の窓から飛び出した。
うまく屋根から屋根へと飛んでいるが普通の馬の身体能力だとあり得ない動き方をしている。
『世界一の名馬』の名は伊達ではない。
地面に着く頃に息の上がった栗毛の馬がいることに気が付いた。
どうやら途中まで付いて来たはいいもののさすがに屋根の上には来られなかったらしい。
「ウィーランドまで連れてきていたのか? シトリン本当に何があったんだ?」
――ビヒィンブヒィンヒヒイイィィン――
二頭が勢いよく鳴き返してくるが何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
*****
馬たちの鳴き声訳
「ご主人が大っ嫌いなハエ野郎を娘が見つけてきちゃったんだよ!」
「ご主人様なら嬉々としてキラキラ男殺しそうだしさ!」
「「ご主人(様)が怒ってるの見たくないんだってば! ご主人(様)の番ならなんとかしろ!!」」
シトリンとウィーランドはジュラに無茶ぶりをかましていた。
*****
アイリスの管理する放牧場から叫び声が漏れている。
「私は王国の王太子であるジョン・ソラーノ・ロペスだぞ! 無礼な馬どもめ! 馬を見るとあのくそ忌々しいアイリスを思い出させやがる! 私が今こんなめにあっているのももとはと言えばアイリスのせいだ! えぇい! さっさとどかんか~!!」
それは馬の群れの中心付近から発せられているようだった。
声が大きくなっていくにつれて二頭の耳がどんどんと伏せられていく。
ウィーランドは目つきが険しくなっており、シトリンに至っては今にも歯をむき出しそうになっていた。
シトリンの姿を認めたのか群れの中から白黒のブチ模様をした牝馬がひょっこりと顔を出した。
他の馬は何ともないのにこの馬の毛皮だけがぐっしょりと濡れていた。
「あのブチはルチルか。シトリンが慌ててきたのは娘のためか」
亡国の王太子も濡れているようだから詳しくは知らないがルチルが何かしたのだろう。
にしてもまさか馬があれを見つけるとは思っていなかった。
完全なる予想外である。
ひょっとすると馬のほうが密偵よりも優秀なんじゃないかとも思えてきてしまう。
「でシトリン俺に何をさせたいんだ?」
その言葉に反応したのかシトリンが鼻息を一つ吐くとウィーランドが心得たとばかりに器用に囲いの入口を開けて群れに入っていった。
少ししてウィーランドの口にはぎゃいぎゃいとわめくボロ雑巾のようになった男が咥えられていた。
ズルズル引きずりあまりにもうるさかったのかウィーランドに頭を蹄で小突かれて気絶したそれをシトリンの足元に乱暴にも投げてきた。
汚物でも見るような目でそれを見下ろしたシトリンは渋々という風に口に咥えると俺を降ろすことなく歩き出した。
ウィーランドも一緒に連れて着いた先は堆肥場だ。
馬糞などの排泄物を収集し発酵させて肥料に加工するための場所である。
シトリンは降りろとでも言うように体を震わせた。
素直に降りるとシトリンは堆肥場のど真ん中にそれを落とした。
前足をうまく使っておおかたそれの顔以外が見えなくなってしまうと満足したとでもいうように鼻を鳴らす。
近寄ってきたシトリンの言いたいことが何となくでも理解できてしまった。
「俺を呼んだのはアイリスにバレないようにしろということか。それで馬糞と同じように捨ててこいと?」
――フルゥゥン――
同意するような鳴き声にため息を一つ。
「おまえらがあれだけやらかしといてアイリスにバレないのは奇跡だぞ。あの馬狂いがおまえらの異変を感じないとでも? いややれるだけやってみよう……しょうがないこれは俺が処理しておこう。もともとそのつもりだったしな。シトリンおまえは濡れたままの娘をなんとかしてこい。おまえの世話係ならアイリスに濡れたなんてわからないくらいうまく手入れできるだろうさ」
それを聞き終えると了承したかのようにシトリンはさっさと走り去っていった。
残ったのはウィーランドだ。
「さてウィーランド。おまえが残ったのは俺を宮殿まで送るためだな? 頼んだぞ。気絶しているあれが目を覚ますまでに全て終わらせなければな」
俺を背に乗せたウィーランドは風のように駆けだした。
*****
アイリス
「あの馬鹿が逆恨みしてそろそろこっちに来る頃だろうと思って準備しておいたのに知らせがない……おかしいな」
ジュラ
冷や汗をかきながら
「良い暮らしをしていた王子がいきなり何もかもなくしたんだぞさすがに野垂れ死んだんじゃないか? そんなに気にするな」
アイリス
「いや、あの糞にも劣る毒みたいな男はゴ○ブリ並みに生命力が強いから国が滅亡してもなかなか死ななかったんだろうしな。それに……」
ジュラ
「それに?」
アイリス
「昔、シトリンに遊びで毒草を食べさせやがったことがあってな。量が少なかったんでシトリンは無事だったがあんまりにも腹が立ったんで致死量レベルの同じ毒草を盛ったことがある」
ジュラ
「……は?!」
アイリス
「軽い腹痛を起こして一日寝込んだだけだった」
ジュラ
「…………それは人間か?」
アイリス
「裏工作を完璧にしていたのと症状が軽すぎて毒を盛ったことを疑われることもなかった。だがその分直接殺さないと死なないということもわかった。だから今回こっちに来たら確実に息の根を止めてやろうと思ってたんだがなぁ。……気にしすぎたか」
ジュラ
「あれは確実に処分した。大丈夫……なはずだ。」(小声)
*****
馬たちの会話
「ねぇお父様。あの人もどきどうなったの?」
「あぁご主人の番がなんとかしてくれたから気にするな」
「あれ拾ってきたらダメだった?」
「いや、ある意味大手柄だ。さすが僕の娘!(ルチルが見つけてきてくれたからご主人の怒っているところを見ないですんだ)」
「そうだぞ!(ご主人様が嬉々としてあれを殺してるところなんか見たくない)」
「それなら良かった~!」
※シトリンは特殊な訓練を積んでいます。マネしないでください。
シトリンは馬鹿王子に毒を盛られたことを知りません。なんかお腹痛くなってご主人が泣きながら般若の形相で看病してくれたけどなんだったんだろくらいの認識です。馬鹿王子が自分のご飯に手を加えているのを知っていたらたぶんそもそも食べなかったと思われます。
馬たちの会話でシトリンのツッコミしてたのはウィーランドさんです。
ウィーランド
栗毛の四白流星。競馬は先行型でシトリンほどじゃないけど勝ち星多い賢い馬です。
ルチル
シトリンの娘。白に黒のブチ柄。実は目が青かったりする。