五歳 ー 始動する物語② ー
進んだ先には、等身大の女神像と、大きく床に描かれた魔方陣があった。
神官に陣のなかへ入るよう促され、リュナンは陣の中央に立つ。
「それでは、手を組み祈りを捧げてください」
素直に応じたリュナンは、そのまま膝をつき心のなかで神へ訴えかける。
ーーーぼくに、ちからをください。
直後、ふわりと浮くような感覚と同時に柔らかな声音が耳朶を打つ。
「お待ちしておりました、リュナンさん」
「え…?」
思わず目を開けた先に、青みがかった銀色の髪を靡かせた麗しき美貌の女性が立っていた。
「あら。まだ記憶が混濁されているようですね。しばしそのままでいてください」
手を翳され、身を固くする。しかし、すぐに彼は目を見開いた。
走馬灯のように脳内に様々な映像が流れ込んでくる。その情報量に瞑目しても、瞼の奥に映り込み、消えない。
しばらくその場で立ちすくみ、流れ込んでくるそれらをやり過ごして長い静寂のあと。
リュナンは瞼を押し上げた。
「ーーーそっか。思い出した。………お久しぶりです、アウローラ様」
「ええ、お久しぶりです」
柔らかに笑んだ女神ーーーアウローラは、流れるように一礼する。
「まずは五年もの間、ご連絡を取れず申し訳ありません」
「仕方ないですよ。……制約、なのでしょう?」
そう言いながらリュナンは五年前ーーー生誕前に彼女と邂逅した出来事の記憶に回帰した。
「あれ、ここは…」
気がつくと、譲原流星は知らない場所に立っていた。
「ようこそ。譲原流星さん」
そんな流星の前に降り立ったのは、後光を背負った美女。誰だと誰何することも忘れ、流星は思わず魅入る。
「あ、すみません。あなたは…」
「アウローラと申します。あなたの世界でいうところの、神様…のようなものでしょうか?」
「………えっと、ふざけてます?」
「いたって真剣なのですが…まぁ、まずはどうしてこの場に来たのか、思い出して頂きましょうか」
手を翳され、自らのなかのーーー記憶の海とでも言うべきところへ意識を沈められる。
それで、流星は唐突に理解した。
「そっか。俺……事故に巻き込まれて」
「はい。衝突した車が飛んだ先にいたあなたは、車に押し潰されて即死でした」
しかもあの事故は、必然のものだったらしく、自分の死は避けられぬものだったらしい。
事故に巻き込まれた流星はそのまま輪廻転生の環に加わるはずだったが、それを曲げてアウローラは彼を呼び出した。
理由はひとつ。
「あなたの記憶を引き継いだままにするかわりに、私の世界で救ってほしいかたがいるのです」
「……それは、いったい?」
「彼女の名はフィリオーネ。私の世界で現在、王太子妃と目されている少女です」
神には不文律、というものがある。侵してはならない境界線がある。
それは、一人の人間に固執してしまうこと。
誰か一人を優遇すれば、それは災いの波紋を呼び起こす。誰かが羨み、妬む。
平等を謳う神々にとって、それはあってはならない。ゆえに、世界を創造した神は、世界を管理する上で制約を課した。
ーーー過干渉は許さない、という制約を。
神はそのうえで、世界を管理する存在たちを産み出した。ーーーアウローラも、その一柱。
世界を管理する神の僕たる者たちは、その不文律を基に世界を管理する。
いわく、人に才を贈るのはひとつだけ。
いわく、一人を優遇しない。
いわく、神託を与えるのは五歳の一度きり。
様々な制約のなか、彼らは世界を廻していた。
ーーーけれど。
本来の未来軸が歪み、世界に混沌が生まれた。
それは、少女の神託が始まり。
「フィリオーネの神託が、入れ替わってしまった」
神託は一度きり。それは変えられない。
しかし、何千何万にも及ぶ人の参詣を裁くには、ある程度の譲歩や妥協が不可欠だった。
彼女の運命が狂ったのは、そのシステムによる弊害。
「神官が、彼女とともに神託を受けた別の令嬢のものと取り違えてしまったのです」
結果、彼女は皇太子妃としての教育を受けることになった。
彼女の運命を縛り付けることで国の未来を明るいものにしようとした。
彼女の運命ーーー否、取り違えられた令嬢の『国を隆盛させる王の母になる』という未来を。
その勘違いは、彼女が皇太子に嫁ぎ、子を孕んでも是正出来なかった。
彼女の子は、腹のなかで死んだのだ。
失望にまみれた視線を向けられ、怯える彼女の元に、ひとつの報せが届く。
それは、皇太子の子を身ごもった令嬢の存在だった。
皇太子が別の者に心を寄せ、自分を次代を産む道具としか思っていないことに薄々気づいていた彼女は、その存在が側室として上がってくるのを見つめるしか出来なかった。
彼の存在は順調に子を育み、やがて産んだ。
ーーー悲劇の始まりは、その五年後。
神託によりその子が与えられた運命で、神託が取り違えられたことが判明したのだ。
そうなれば、もうどうにも出来なかった。
彼女は皇太子妃の座から転がり落ち、側室となった。
側室の座に留まったのは、正妃となった令嬢が、帝王学を修めていないからだった。
未習得の知識を得るまでの間、王妃の代理として様々な実務を執り行うよう厳命された。
運命を狂わされた彼女ができるのは、国王からの命令に従うことだけ。
回りは自身を便利屋のように使うなか、本来の筋書きに戻った令嬢は幸せそうに王太子の傍で笑っていた。
神官の取り違えだというのに、彼女に対して周囲は冷たかった。
王妃の座を射止めるために、わざと神託を取り替えたのではないか。
そのようなことまで囁かれ始めて、彼女は少しずつ壊れていった。
笑顔を忘れ、涙が枯れて。
悪夢に魘され眠ることすら出来なくなって。
やがて、病に倒れた。
病に倒れた娘など、役にもたたぬ。
王太子が下したのは、無情の縁切り。
故郷へ戻った彼女が見たのは、疲弊した大地だった。ーーー狂った運命は、家族すらも、巻き込んでいた。
裏切りの一族として周囲から謗りを受けた家族は、領地の者たちと、なんとか日々を生きていた。
共に耕し、糧の多くを民に分け与え、自分たちはわずかな食料で食い繋ぐ。
そんな日々を贈る彼らに、管理者たちは領地の恵みを増やし、少しでも糧となるよう働きかけた。
だが、悪意はそれらすらも根こそぎ奪い去っていく。明日を生きられる食料を残し、他領が捨て値同然の金で持ち去っていく。
管理者たちができたのは、見守ることだけ。
やがて、民も疲弊し、領主である彼女の父は、決断した。
汚名をすすぐため、戦場に立ったのだ。
しかし、長くは持たなかった。
長年の仕打ちは軍にまで及び、彼女は父親を失った。
失意のもとそのまま病床のなか若き身空で儚くなった彼女には、弟がいた。
彼は、父と姉を喪い激怒した。
自らの過ちを一族に擦り付けた教会の聖職者たち。
彼女の心身を痛め付け、放逐した王族という名の権力者。
そして、心ない噂で父の命を軽く見積もった軍に至るまで。
ーーーすべてを、憎んだ。
小難しい説明ですみませんm(_ _)m
前置きになる前提が長くなって申し訳ない……っ
ヒロインに辿り着くのが長いよー(´Д`)