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愛の魔法、愛の奇跡

「……いつ頃お会いしましたかな」 


 老婆の蒙昧など果たして取り合うべきなのかも不明でしたが、とりあえず王子の記憶にはない人物だったようです。

 王子として多くの国民に顔を知られた存在であるゆえに、向こうが知っていてもこちらは知らずといった場面はよく起きることではありました。

 しかしこの老婆の場合、どうしてもうさん臭さのほうが先に出てしまいます。


「遊んでる暇はねぇぜ、王子。もうその婆さんのことはあきらめな。これからすぐにも王子の配偶者を決める戦いがはじまるんだ」

「そうですわ。王子様とあたくしが結ばれることを約束する大イベントですわ」


 老婆の耳がぴくり、と動きました。


「そ、そんな戦いがあるのかい?」

「その娘たちは、かわいそうな境遇が続いたがゆえに少しばかり現実と夢、欲望や妄想などがないまぜになっておるのだ。耳を貸す必要はないぞ、ご婦人」


 それは王子の冷静な評ではありましたが、娘たちには不評なようです。


「い、いまさら往生際が悪いぜ? 婚約のキスだって奪っていったくせに」

「あたくしは純潔を捧げましたのに」

「二人ともいい加減に夢から覚めたまえ」


 まぜっかえされても、老婆の興味はそれることがありません。


「……娘っ子よ、配偶者を決める戦いとはどういうことじゃ? 王子の婚約者はあの灰かぶりに決まったのではないのか?」


 口調に鋭さが入ってきました。


「いや、今でも私の婚約者は……」

「「婚約は解消! シンデレラを倒した者が王子と結婚!」」


 妄想病患者二人による合唱を聞いた老婆は突っ立ったまま小刻みに震え始めました。


「婚約解消……? あの灰かぶりと婚約……解消……?」

「いやまだ解消したわけでは……」

「王城を奪われ、監禁までされておいて何をおっしゃっているの? もはや婚約など成立するはずがありませんわ」

「はやいとこブチ殺そうぜー」

「……解消……おお」


 年を経て皺の中に落ちくぼんでいたと思われる目が今や大きく開かれています。


「まことか! ああ神よ、夢が、あきらめかけていた夢がかなうというのか!」


 天を仰いで、おそらく届かないであろう神への言葉を叫びます。両目からは涙まで流しているようでした。


「ご婦人? いや、だ、誰なんだ? まさか……いや、ありえん」


 老婆の様子を見た王子の心に悪夢的光景が浮かびました。その振る舞いに嫌な既視感があったからです。

 でも、心に浮かんだそれを王子は勇気をもって振るい払いました。その悪夢はもう二度と再現されないはずだったからです。


「……報われない愛だった。出口のない愛だった。一方通行の愛、燃え上がることの許されぬ愛。愛。愛。いずくんぞひとひとを愛するのか。だが……おお、神よ、今日この日に我が命あることに感謝いたします」


 老婆は高い空へ向かってなおつぶやいています。もはやただの狂人ではないかという気もしました。

 ですが、それでも王子は避難勧告を続けました。これで聞かぬのであれば、もう致し方ないことでしょう。


「ご婦人、そなたの身上について私は、しかとはわからぬ。命が惜しいのならば、とにかく今はただ早く立ち去られよ。これ以上は申さぬ」


 すると天を仰ぐ老婆の瞳がぐるりと蠢き、王子を捉えます。


「……王子よ。今の窮状から脱したいと望むならば、まだ、まだ一つの道があるぞ」


 老婆は思いのほか低い声で語りかけました。


「我が……我が唇に接吻せよ。さすればそなたを悩ます諸々の問題、わしの『愛の魔法』でもってたちどころに雲霧消散せしめん」


 その言葉には荒地に住む魔女の予言のような迫力がありました。

 王子はぎょっとなって老婆を見つめます。


「はあ? ついに狂ったか婆さん。うまいこといって王子の唇を狙おうったってそうはいかないよ」

「別に助けなどいらないのですわ。あたくしの『愛の奇跡』たるこの髪があれば怖いものなしですもの」


 小娘たちが文句を述べます。


「だまらっしゃい! お前たちに魔法の何がわかる! わしは王子に聞いておるのじゃ。さあ王子、いかがなさる?」


 得体のしれない老婆でした。いや、この者の言う通り、ただの老婆ではなく本当に魔法使いなのかもしれません。


「わしならば王子を助けることができる。くつがえせぬはずの出来事もくつがえしてみせよう。さあ、王子、早く接吻をするのじゃ! ……舌を入れてもいいぞ」


 くつがえせぬはずの出来事をくつがえす、愛の魔法。

 この老婆ならシンデレラと王子を救えるのでしょうか。

 賭けても損はない。一時の接吻などに何のいとわしさがあろうか。

 ……最後のたわごとは聞こえなかったことにしました。


「ご婦人。頼む。わたしと彼女を救って欲しい。では」


 ぶちゅっ。

 小鳥の交尾のようにささやかな、一瞬の繋がり。

 接吻を終え、離れてゆく唇と唇の間に細い銀の逆アーチが光ります。


 すると。

 幻でしょうか。

 それとも光の加減が見せるいたずらでしょうか。

 老婆の体がだんだんと金色の光に包まれていくではありませんか。

 これはいけない。

 この光は……

 無意識のうちに手が銃を掴み、引き寄せていたことを王子は知覚しました。本能のようなものがそうさせたのでしょう。もう王子にはこの老婆が誰であるかの確信があったのです。

 ありえないことが起きたと考えるべきでした。王子は現実を直視することにしたのです。


 しかし今や輝く光が老婆を完全に包んでしまっていました。

 光が大きくなり、やがて——


「王子! 俺だあっ!! 結婚してくれ!!!」


 叫びながら光の中から飛び出した謎の人物。

 視覚情報を感知した大脳がそれを分析する前に、王子は構えた銃の引き金を引いていました。

 反射というやつですね。

 火薬燃焼により急膨張したガスが大気中に轟音を発します。


「うおっ、あぶねっ!」


 なかなかの回避能力を見せて謎の人物がかわしました。


「ああ、すまない。指が勝手にな」

「ははっ、あいかわらずだな王子。死ぬかと思ったぜ。俺もホレ、見た通りあいかわらずだ。いやあ久しぶりだな」


 なんということでしょう。輝く光に包まれた老婆はいかなる不条理の力によってか、調子の良さそうなニヤけた口元に、ひどくウザそうな目をした青年に替わっていました。

 それでも銃は恐いのか、さりげなく片手でもってしっか、と銃身を押さえています。


「あいかわらずって、さっきまで老婦人だったじゃないか」

「まあな。男子三日会わざれば、って教典にも書いてあるだろ? ははは、ぶっちゃけさ、郷里くにでちょいとヤンチャしてたら悪い魔法使いのやつにコロっと老婆に変身させられていたわけさ。でもやっぱり最後に愛は勝つ! こうやって恋人の熱いキッスがその呪いを破ったわけだ! 『愛の奇跡』ってやつ? いやめでてえな! そんなことより王子、配偶者って……」


 冷たい銃身、その先にある銃口が謎の人物の鼻先に突き付けられました。


「王子。かまわないよな?」


 赤ずきんはスチールよりも冷たい声色で、目の前の存在に対する破壊の許可を求めます。


「ま、待て、お嬢ちゃん。王子王子って俺だって一応王子様なんだぜ」

「なんだと」

「あら」


 やりとりの隙を縫ってラプンツェルまでが潜り込んできました。


「王子様なんですの?」

「おうよ。この森を抜けた向こう側に広がる王国は知ってるだろう。その第一王子がこの俺の素顔ってやつだ。へっ、惚れるなよ」


 得意げに両手を広げ、片目をつぶって見せました。


「素敵ですわ。婚約者はいますの?」

「婚約者か。いいか、俺ぐらいになるともうそういう古い習慣には捕らわれねえ。俺の嫁は……」


 少し無精ヒゲが生えかけているアゴがくいくいと示す方向には、無表情のまま銃を構える王子がいました。

 ゆっくりとした動作で、薬室に次弾が装填されていきます。


「まあ。衆道の嗜みがおありですの」

「そんな古臭い言葉で呼ばれたくないね。俺の、いや俺たちの清らかな純愛って呼んで……はっ!」


 乾いた発砲音。

 のけ反ってかわした空間を、銃弾が切り裂いていきます。


「愚かだった。口車に乗せられて、あたら封印された悪魔を解き放ってしまったか」

「おい、人聞きの悪いこというなよ。『愛の魔法』だってウソじゃないんだぜ? 好きになった相手が厭わずに接吻してくれたらこの魔法は解ける、まず人に愛される人物になりなさいっていわれて掛けられた魔法だ。ほら、みごと解けたじゃないか」

「それは愛の魔法っていうんじゃねえ、呪いっていうんだおっさん。王子、ちょっと汚い情景が広がるからヨソを向いててくれ」


 赤ずきんが向けた銃口に金色の影がひらりと現れ、蛮行を押しとどめました。


「なんだよラの字。おまえも狼の餌を増やしてくれる気になったのかい」

「第一王子は渡しません」


 キリっと言い放つラプンツェル。


「何いってんだおまえ。王子に純潔を捧げたとかほざいてたアレはどうした」

「ああ、あれは恥ずかしながら、恐ろしい薬が見せたまやかしの夢。あたくしの本当の王子様はこの第一王子のような気がするのです。いや、気がするではなくこの人なのです」


 澄んだ瞳の奥に闇を輝かせながら宣言しました。


「えっ、嬢ちゃん、そうなのか。へへっ俺に惚れちゃあ苦労するぜぇ。でもまあ俺の愛は広いからな、来る奴は拒まずだ。来なくても俺がそうと思ったら喰っちゃうけどな♡」


 さすが故郷で魔法使いに封じられただけのことはありました。

 しかし、悪の栄えた試しなし。おそらく隣の国では残された第二王子が王位を継承することになるのでしょう。


「それで、もうダメもとで聞いてみるが、くつがえせぬものをくつがえす、という言葉はどういうつもりだったんだ」

 

 冷たい目をした王子が問いました。


「ああ、それそれ」


 なれなれしくもさっそくラプンツェルの肩に腕をまわしています。

 まんざらでもない顔をしてひっついている彼女もなかなかの人物ですね。


「この世を支配する、あのいけすかねえ性のモラルってやつを俺はひっくり返してやろうって思ってな……」

「「くだらん」」


 同時に二つの銃声が轟きましたが、忌まわしい蠢きをなす金色の髪に防がれてしまいました。


 次弾を薬室に送り込む王子の後ろで、赤ずきんがぴくりと動きます。


「王子。茶番はここまでみたいだぜ」


 轟く太鼓。響き渡るラッパの音。

 軍楽隊までいるとはびっくりですが、シンデレラの魔法で作られた軍隊がついに進撃を開始したのでした。

 

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