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撃殺の赤ずきん

 王子は追われていました。

 立ち向かうすべなどありません。

 ただ、逃げるしかありませんでした。

 逃げて逃げて、野を越え山を越え。いつのまにやらここは大きな木々がひしめく深い深い森の中。


「ずいぶんと遠くまで来てしまった。どこなんだ、ここは」


 道だと思っていた道はいつのまにか消え、今はもう森の木々の間をさまようように通り抜けて行くしかありません。馬などとうに乗り潰していました。


「この深さ、国境の大森林だろうとは思うが……まずいな、すっかり迷ってしまった」


 木々の間に見え隠れする空はもはや夕暮れの色をしています。宿でもあれば借りたいところですが、こんな森の中に宿があるはずもありません。


「野宿するしかないか。まさか狼なんかいないだろうな」


 護身の武器など小さな短剣以外、何も持っていません。酔狂な狩人はナイフ一本と一頭の猟犬でもって大きな猪を狩ったりするそうですが、王子にそんなマッチョな趣味はありませんでした。

 だんだんと肌寒くなってくる森の空気、あたりはますます暗くなっていきます。


「なにか聞こえる。あれは……」


 聞こえてきたのは狼の遠吠えでした。言霊ことだまなどといいますが、やはり滅多なことは口にできませんね。


「冗談じゃないぞ。くそっ、何か、木こりの小屋ぐらいないものか」


 森の中の道なき道を半ばパニックになって走り出します。

 恐慌状態になって注意が不十分になったのか。

 あたりに漂う獣の臭いに王子は気づきませんでした。

 突然、前の茂みが大きく揺れたかと思うと、大きな黒い熊が飛び出してきたのです。


「うわっ!」


 さすが野生。瞬きする速さで間合いを詰めてしまいます。熊は王子の前で立ち上がり、哀れな獲物を引き裂くべく必殺のベアクローを振りあげました。


「くっ」


 王子の身を守る物はといえば、とっさに抜いたオモチャのような短剣と、薄布におおわれただけの両腕のみ。

 その時です。耳をろうする轟音が響き、熊の眉間に赤い花がパッ、と咲きました。


「なに……銃か?」


 狩人でしょうか。続いて何者か、足早に近づいてくる音がします。

 その一弾で動きを止めた熊はぐらりと傾いてどう、と倒れました。

 倒れた巨体に素早く影が走り寄り、その頭部に二発、容赦のない弾丸をさらに撃ち込みます。

 森に響き渡る銃声を聞きながら、王子は呆然とその人物を見ていました。

 

「き、君は」


 熊の絶命を確認してなお、その人物は油断なく熊と周囲の様子に気を配りながら銃に次弾を装填しています。まだ王子が見たこともない銃でした。大きな熊を一撃で倒す銃を王子は知りませんでしたから、おそらく他国の、ずいぶんと高性能なシロモノなのでしょう。


「人に名を尋ねるときは」


 その長い猟銃の筒先からはまだ青白い煙が立ち上っています。


「まず自分から名乗っちゃどうだい? ハンサムさんよ」


 銃を持つ人物は王子を振り返り、ばっ、と見栄を切るかのようにマントを翻しました。

 フードから零れ出る射干玉ぬばたまの黒髪。

 羽織るのは獲物の返り血を思わせる、紅のマント。


「あ……赤ずきんか」

「ははっ、みやこのほうじゃそんな名で呼ぶやつもいるらしいね。いいだろう、そう、あたいは『赤ずきん』さ」


 その名を讃えるように狼の遠吠えが続きます。


「う、噂、いや名声は聞いている。助かったよ赤ずきん。わたしは……すまない、今はまだ名乗れない」

「訳アリってことかい」

「すまない」


 そうかい、とつぶやいて、赤ずきんはごそごそと自分の胸の辺りをまさぐります。そこからするっと引き出したのは使い込まれた鈍色にびいろのスキットル。

 

「じゃあハンサムさんでいいのかい」

「いたしかたない」


 取り出したスキットルから一口飲むと、王子にさしだします。


「飲むかい」


 まさか毒……ではないだろう。王子は礼をいって人肌のぬるい酒を一口飲みました。

 ひどく荒い印象のウィスキーでした。ですが、体は温まり、腹に落ちた熱い感触によって気分も落ち着いてきたようです。


「でかい熊だったねぇ。ん? こいつは見かけない顔だ」


 熊の人相など人が見てわかるものなのでしょうか。赤ずきんは倒した熊の検分をしていました。






 赤ずきん。

 かつて国境近くの大森林には辺りの狼たちを統べるという巨狼が棲んでいました。悪しきけもので、近くを通る旅人や巡礼者、商人たちを襲い、人々に恐ろしい被害を与えていたのです。たかが獣といえども無視できない被害に、ついに王様は討伐隊を送りました。ですが、巨狼とその一味、討伐隊が追えば国境の向こうに逃げ、一方で隊が不在の場所を狙って襲うといったていで、まるで効果があがらなかったのです。王様の面目はまるつぶれ。しかたなく人々は大森林を迂回するようになり、おかげでこの界隈はすっかり寂れてしまいました。あろうことか獣に人類が負けたのです。嘆かわしいことです。それが、ついに倒されたという知らせが都に届いたのは最近のことでした。この地の少女が単身巨狼に戦いを挑み、見事あの恐ろしい獣を倒したというのです。王様は喜び、田舎ではなかなかの財産になるであろう金額の褒美を与えました。

 しかし、それがいけませんでした。少女は己の武力が金になることを覚えてしまったのです。狼が倒され、人々が森の道を利用しようとすると、今度はあの少女が道をふさぐのです。森の中での安全を保障するかわりに金品をよこせと要求するのです。

 人々は溜息をつきました。獣の脅威は去りましたが、今度はその座に赤ずきんという新しい「狼」が就いてしまったのです。

 赤ずきん。

 今その名は、怪物を倒した英雄に向けられる畏れと、容赦のない収奪者に向けられる恐れとを同時に込められて、人々の口に上るのでした。

 王子を助けてくれた彼女。その代償として何を要求してくるのでしょう。

 それでも。王子は彼女の望む物が何であれ、とにかく今は頼るしかないのです。この場所がおそらくは国境近くの大森林であるとすれば、彼女の護衛はやはり必要でした。法の力の届かぬ大森林、逆に考えればそこは潜伏するのにもってこいの場所です。無法の地で生き残るには彼女の力はやっぱり魅力なのでした。


「赤ずきん。助けてもらった上になんなんだが……わたしはこの森に迷い込んでしまって難儀している。よかったらその、今夜の宿を貸してもらえないか」

「ああ、そのつもりだよ。この辺りは狼が多いからね。熊もそうだが、あいつらは容赦ない。ここで野宿なんかしたら骨も残らないさ。ついてきな」


 深い森のその奥、小さなせせらぎを見下ろす場所に赤ずきんの小屋はありました。


「宿と呼べるほどのもてなしはできないが、食事と寝床ぐらいは提供できるよ。まあ多少シラミには喰われるかもしれないけどね、宿代だと思ってあきらめな。ははっ」


 その小屋は丸太を組んだだけの粗末なもので、確かに見てくれは良くありませんでしたが、とりあえず頑丈そうには見えました。狼や熊の襲撃なら防いでくれそうです。


「で、聞いていいかい? ハンサムさんはなんだってこんな森の奥まで迷い込んで来たのさ。見たところ狩人ってふうじゃあないね」


 簡易なカマドに鍋をかけ、何かの肉と香草を煮たものをぐるぐるかき混ぜながら赤ずきんはそう尋ねました。


「追われている。何に追われているか、それはやはり今は言えないんだ」

「へえ。そいつはまだあんたを追いかけてきているのかい? この森の奥まで」


 王子の顔に影が入ります。


「わからない。追ってきていないことを願う」


 赤ずきんは首をすくめました。


「そうかい。まあいい、ほら、メシにしよう」


 木の椀に鍋の中身を入れ、黒パンを一切れ突っ込みます。


「喰いな」

「ああ、助かる。ありがたくいただこう」


 硬い黒パンをスプーン代わりに使って、椀の中身をすくいます。

 単純な塩味と香草、そして獣の臭い。ですが、暖かい食事は疲れた王子の体にぐっと沁み込んでいきました。


「うまいな」

「たんと喰いな。……夜は長いんだから」


 夜、という言葉に何か含みがあるようないいかたでした。

 見れば、赤ずきんはその紅のマントを脱ぎ上着を脱ぎ、室内とはいえ、ずいぶんとラフないでたちになっています。


「人と話すのは久しぶりだよ。どうしてか、このところあまり往来がなくてね。せっかく森が平和になったのに」


 細い首筋を晒すようにして頭を傾げ、長い黒髪をまとめていた髪留めを外すと、しなやかな髪は流れるように広がります。


「たまに会うといえば毛皮の仲買いをするじいさんぐらいのものさ」


 王子を見下ろすハシバミ色の眼にも何か熱のようなものが籠っているようです。


「ねえ? 都から来たのかい? 向こうじゃずいぶんもててたんだろうねえ。どう?……それともやっぱりこんな田舎の娘には興味ないかい?」

「あ、あかずきん……」


 まだ中身の残った椀を持ったまま、王子は目の前に立った赤ずきんを見つめました。

 薄布のチュニックだけをまとった赤ずきん。やや日焼けしたその肌は、しかし健康な若い娘の輝くような魅力を発散しています。頬を紅潮させて王子へと近づけてくるその顔といえば、狩人と月の女神のように端正で、りりしいものでした。そして、意外にもその瞳の奥に残されている無垢な少女らしさを気づかせて王子の心をどきん、と反応させます。


「わ、わたしは……」

「いいだろ?」


 近づいてくる濡れた桃色の唇。

 王子の唇とそれが今まさに繋がるかに思えました。


 どんどんどん!

 つかのまの甘い夢を破る音がせまい小屋に響き渡ります。


「もし! もし! 道に迷って難儀しております! 後生ですからたった一晩、宿を借りさせてくださいまし! もし!」


 なおも繰り返される打擲音。何者かがこの小屋の扉を叩いているのです。

 音を聞いて、赤ずきんの手にはすでにあの銃がありました。

 小さい声で「あれが追手か」と尋ねます。しかし、王子はふるふると首を振りました。


「もしもーし! 開けてくださいまし!」


 赤ずきんは忌々しそうに舌を鳴らすと、脱ぎ捨てていたマントを無造作に羽織りドアの前に立ちます。


「こんな時間になんのようだ! おおかた魔女か妖精の類いだろう?」

「滅相もない。あたくしは信心深い善良な旅の娘でございます。森で道に迷い難儀しているのでございます」

「ひとりか」

「ひとりでございます。わけあって旅をしているのでございます」

「どこから来た。どこへ行くのだ」

「それは……森の向こうとしか。話せば長い事情が」


 赤ずきんはそうっと扉を、少しだけ開けてみました。

 扉の隙間の向こうには、長い金髪を垂らした美しい娘が立っていました。何か大きな袋を提げています。


「どうか一晩の宿を。お手間は取らせません」

「……狼に喰われちまえばよかったのに」


 ちいさくつぶやくと、昂っていた野生の途絶を惜しむように遠くから狼たちの悲しそうな遠吠えが返されました。

 





 娘の荷物はその大きな袋だけでした。


「あたくし、ラプンツェルと申します。お見知りおきを」


 目の覚めるような優雅な会釈で王子に微笑むラプンツェル。

 砂糖菓子の甘さで王子の心をとろかすその笑顔。再び王子は鼓動が早くなってしまうことを意識しました。なかなかちょろい王子のようです。


「よろしく。わたしは……毛皮仲買人だ。わけあって名は秘している」

「まあ、素敵ですわね。あたくし、謎めいた殿方って大好きですの」

「おい、ラの字」


 邪魔を喰らって不機嫌な赤ずきんでしたが、それでも殊勝なことにラプンツェルの分まで食事をとり分けてくれました。


「喰え。それとあまりその人に迷惑をかけるな。だいたいその大袋には何が詰まってるんだ」

「乙女の秘密ですわ。あ、ごはん。はい、いただきますわ。ありがとうございます……あとあたくしラの字ではなくてラプンツェルと申しますの。憶えておいてくださいな。ええと、鉄砲屋さん?」

「赤ずきんだ!」

「あら、ごめんなさい。赤ずきんさん」


 椀の中に無造作にぶちまけられた夕食をぱくつきながら、ラプンツェルはしげしげと二人を眺めます。(無作法ですね)

 

「あの……失礼ですが。お二人はご夫婦?」

「そうだ」


 間髪入れず赤ずきんが肯定しました。


「待ちたまえ」


 突然の偽証を王子は否定します。


「あら、やっぱり違いますの?」

「では婚約者だ」


 頬を赤らめながらも赤ずきんが食い下がります。


「本当かしら」

「本当だ」


 赤ずきんは胸元から例のスキットルを引きずり出すとその飲み口とおのれの唇とを指さし、ジト目で王子をにらみつけます。


「誓いのキスをした。婚約は成立している」


 先ほどのやりとりを思い出します。――飲むかい。たったそれだけのやりとりが婚約の誓いだったとは。山で働く者たちにだけ通ずる、特殊なヤマ言葉、いや森言葉のようなものだったのでしょうか。


「え? なに? そうだったの? いや、ちょっと待って! そんなわけないよね」


 よもや間接キスにそのような束縛があるとは王子も知りませんでした。突然のことで口調が崩れてしまいましたが、気をとりなおして反論します。


「い、いや! わたしは独身だ! 婚約者はいるがそれは君ではない。助けてもらったことには感謝しているが、それとこれとは話が別だ」


 王子の言葉を聞いて、娘二人の顔がにやり、と妖しくほころびます。


「独身なんだ」

「独身ですのね」


 王子の背筋がぞくり、とすくみました。頭の奥で、何か本能的なものが鳴らす警鐘が響いています。

 この二人は、捕食者プレデターだ。かわいい顔をして、こいつらはあちら側の住人なのだ。

 心なしか二人の眼が鋭く光ったような気がしました。

 逃げ道は一つ。小屋の扉をちらり、とみると意図を察したのか、赤ずきんが冷たく言い放ちます。


「ああ、今頃森の中はあたいの倒した熊を喰らおうと集まってきた狼どもが縦横無尽に走りまわっているだろうね。あのデカい肉をそのまま置いてきちまったのは失敗だったかね」

「まあ、恐ろしい。ここはひどくみすぼらしい小屋ではありますけど、造りだけは無駄に頑丈ですから中に居るぶんには安心ですわね」

「あははは」

「うふふふ」


 うおおーん、わおーん……まるで申し合わせたかのように、やや近いところから狼たちの遠吠えが響き渡ります。

 どうにもなりません。

 王子は、今夜ばかりは運を天に任せて神の慈悲にすがるしかないことを知りました。




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