最期
掘り出し物
俺はどうやら人より違った目を持って生まれてきたらしい。
それは正確ではなく、そしてとても曖昧なものなのだが、モノの寿命が見えるのだ。
寿命とは言うがモノは生きてないし、当然命もない。
生き物では無いからその境界も曖昧だし、死の意味も曖昧だ。
多分、俺が一つのモノとして見た物体がそれとしての用途を保てなくなったときに”死ぬ”んだと思う。
その”死ぬ”直前のモノがわかってしまう。
それが、何も面白くない人生に神様が授けてくれたたった一つの特別だった。
俺は本屋で働いていた。
ここのモノの寿命はとても長い。
本なんてものは大事に扱われるし、一度読んだら棚の中だろうから当然だろう。
ただ、漫画の棚だけは死神に溢れている。
多分買われていった後にガキに破られたりペットに食われたりするのだろう。
黒い靄がかかる漫画を一つ手に取る。
これが寿命の手前のモノ。
こうなるとこいつは後三日と生きてはいないだろう。
更に”死ぬ”時期が迫ると靄が濃くなり触れたくもなくなってくる。
ここに置いてあって本が”死ぬ”ことはそうそう無いから買われて天寿を全うするのだろう。
買われた後の商品がどうなろうと興味がない。
気持ち悪く靄のかかったそいつを俺はそっと棚に戻した。
暇つぶしを終え、仕事に戻ろうとしたときにふと目が行った。
文芸書の棚に、靄のかかった本がひとつ、ぽつんと置いてあった。
その本が何かは俺には興味がなかった。
その本が何故”死ぬ”のかに興味があった。
一冊1500円など下らないその棚に、数日で買われて数日で"死ぬ"本があったのだ。
俺はその本を観察することにした。
誰が買っていって、どのような扱いをして、何故"死ぬ"のか。
もちろん仕事中に客の後をついていくことなどできないため、最後は憶測でしかわからないのだが。
それでも知りたかった。
つまらない人生のスパイスになると思ったから。
観察して一日目は常に見張っていた。
人が近くを通るたびに反応して振り向いたし、意味もなく近くをうろうろしたりもした。
そんな期待と裏腹にその日は何事も無く終わった。
観察して二日目はそれとなく見ていた。
今まで売れなかった本がすぐに売れるわけ無いと、たまに見る程度になった。
売れないその本は、やはり売れなかった。
三日目になった。
黒く淀んだ靄の濃さは、その本が後数時間の命だということを告げていた。
後数時間で”死ぬ”本がそこにある。
もしやこいつは売れないでここで”死ぬ”ことになるのでは、という疑問がよぎった。
本として生まれ、読まれるために日々を送り、そして誰にも読まれること無く”死ぬ”。
あまりにも悲惨な最期だと思った。
目的を持って生まれてきて、それなのに、そんな簡単なことも達成できずに死んでいく。
まるで自分を見ているみたいで、胸を締め付けられるような痛みが襲った。
この本の末路は絶対にこの目で見届けたい、そんな思いを抱きはじめた。
その時には、最初に抱いていた興味という感情は、完全に、同情に変化していた。
昼下がりの頃だろうか、昼飯を食べ終わり、平日で客もいないこともあって、満腹からくる睡魔に襲われていた。
まさか仕事中に寝るわけにもいかず、また、”本”のこともあってか、目だけは冴えていた。
すっきりした本棚に並べられた中で、ひときわ黒く淀む一冊の本。
ある程度距離はあっても、確認できるくらいの存在感であった。
そこに一人の少女が来た。
今までにも、近くを人が通ることはあったが、周りの本に似合わない可愛らしいお客ということもあってか、殊に目がいった。
珍しい運命の本だけに、珍しい客に買われていくのだろうか。
珍しい客は、どうしてその本を”殺す”のか。
その少女の後ろ姿を見ながら、そんな空想に耽っていると彼女は何も買わずに店を出ていってしまった。
売れなかった。
やはりあの本はここで”死ぬ”ことになるのだろう。
それがどうやってかはわからないが、絶対に見届けよう。
あの本の最後を・・・、あの本の・・・、あの本・・・?
目をやった棚にはさっきまで確かに在った本が消えていた。
周りに、いや、寂れたこの本屋に、他の客は居なかった。
俺は店を駆け出した。
人の少ない通りに、先ほどの少女が一人歩いていた。
走った。
店の被害などどうでもいい。
万引きがどうとかそんなことは関係ない。
知りたかった。
あの本の最期を、ただ知りたかった。
とことこと、安堵したような、そんな感じで歩いていた少女に追いついた俺は声をかける。
店にちょっと来てもらえますか、確かそんな感じのことを言ったと思う。
万引きがどうでもよくてもやはり体裁というものがある。
見つけたからには店にしょっぴかなくてはならない。
嫌です。
俺の耳に入った言葉は、明確な否定だった。
じゃあ、鞄の中を見せてもらえるかな、と、当然の言葉を続けた。
嫌です。
二度目の否定だった。
その鞄の中に、会計を通してない、うちの本が入ってるよね、そう言って鞄に触れようとした時、彼女は大きく鞄を引いた。
口の開いたその鞄からは、本だけが、あの本だけが飛び出し、宙を舞った。
その本は羽が生えたように羽ばたき、飛んでいるように見えた。
その羽ばたきは美しく、輝いていて、その後ろで駆けていく少女の姿なんかは、目に入らなかった。
永遠にも思えたその本の輝きの最期は、唐突に訪れた。
道路側に飛び出したその本は、当然車に跳ねられ、タイヤの下敷きになった。
読むなどと言うことは到底できそうにない姿になったその本は、日の光を浴びて、穏やかな表情をしているように思えた。
棚にずっと眠っていた、読まれることのなかった本の、あっけない最期だった