口は災いの元とは言うけれど
痛む頭を時折擦りながらウォルさんに着いて行くと、我が目を疑いたくなった。
その原因は目の前の屋敷にある。
そう、屋敷だ。
それは、何処からどう見ても日本の武家屋敷その物にしか見えなかった。
えっと……ここは日本のドコデスカ?
「あれがアーツ辺境伯のお住まいです」
やはりあれがそうらしい。
「なあ、あれって――」
「そう言えば、何処と無くマサト様達の家屋と似てますね」
そんなウォルさんの呟きも耳に入らず、俺は歩を止めて目の前の屋敷を眺め、懐かしさで胸がいっぱいになっていた。
可憐はあそこで戻って良かったかもしれない。でなければ、あいつは泣いていたかもしれないから。
「どうしたマサト? 何呆けておるのじゃ」
ウェスラに肩を軽く揺すられ、俺は我に返る。
「いや、何でもない」
「なら、良いのじゃが……」
それ以上は何も言って来なかった。
その態度は明らかに何か聞きたそうだったが、遇えて俺は口を噤む事にした。
だって、今の俺の心情を話せば、ウェスラが謝るって分かってたから。でも、何時かは笑って話せる日が来ると思う。だから今はまだ……。
「行こうぜ。辺境伯のとこへ。さっさと話を終わらせて戻らないと、ライルが寂しがるしさ。それに、可憐のこともあるし」
懐かしさを仕舞い込み、己を鼓舞するように務めて明るく言い放つ。
「そうですね」
「そうじゃな。ローザが付いておるとはいえ。ライル坊を何時までも放ってはおけんしの」
二人は同意すると前を向き歩き始め、俺も足を動かし、目の前の屋敷へと臨み、教授は相変わらず無言で後ろから付いてくる。
俺達が門前まで来ると、両脇に立つ門番がウォルさんを見て最敬礼で出迎えた。
「お疲れ様です! ガンドー将軍閣下!」
「突然の訪問で申し訳ないが、アーツ閣下はご在宅か?」
「はっ! 既にガンドー将軍閣下の御来訪は、我等が将に伝えて御座います!」
この答えにウォルさんの眉が微かに動き、俺も感心した表情を取る。
ここの兵達の錬度は中々に高そうだ。
そして、もう一人の門番が門扉を開けて先頭に立ち、俺達を中へと誘導し、屋敷の扉を開ける。
「ガンドー将軍閣下とお連れの方々を将の下までお願い申す」
何時からそこに居たのか、屋敷とは不釣合いなメイド服を着た女性が、門番の言葉を受け軽く腰を曲げる。
「此方で御座います」
そのまま言葉少なに俺達の先導役を変わると、背を向けて歩き始めた。
ウォルさんの後を静かに着いて行きながら、俺は心の中で安堵の溜息を付いた。
外観は武家屋敷そのものだが、本当に外側を模倣しただけでよかった。これがもし、内部まで完全に日本家屋を再現されていたら、俺でも涙を流していたかもしれない。そう言った意味で、これはこれで都合が良かった。
幾つかの扉の前を通り過ぎ、一際豪奢な造りの扉の前で立ち止まると、メイドの女性は無言で扉を開け、微かに腰を折ると瞼を落とした。
「此方でお待ちください」
通された部屋は調度品も少なく、在るのは革張りのソファーに一枚板のテーブル。それと、隅の方に置かれた机だけだった。
その机の上にもインク壷と羽ペンが置かれているだけで、他には何も無い。
「随分と質素だな」
ソファーに座りながら、俺はこの部屋に対しての素直な感想を述べる。
「アーツ閣下は質素倹約を旨としてますからね」
直ぐにウォルさんが返した。
暖炉もあるし燭台も複数据え付けられているが、この部屋が日常的に使われる部屋では無い事だけは、窺い知れる。
差し詰め、俺達みたいに訪問して来た者を通す部屋なのだろう。
部屋の中を見回していると、不意に扉の外に気配が感じられ、そちらへ顔を向けると、その扉がゆっくりと開いた。
「待たせて済まんでござるな」
背後から光を受ける黒々としたシルエットと涼やかな声は、どう見ても女性のものだ。
俺は呆気に取られながらも慌てて立ち上がろうとしたが、彼女はにこやかに微笑み、
「そのままで良いでござるよ」
手で制され、俺は腰を元へと戻した。
そして、俺達の目の前に座る彼女――アーツ辺境伯を、改めて観る。
室内に入る込む光を受けて黄金の輝きを放つ髪。切れ長の目に宿る瞳は柔らかな中にも鋭さを宿し、それでいて威圧感を感じさせない鳶色の瞳。綺麗に通る鼻梁とやや低めの鼻の先には、穏やかな笑みを見せる薄紅の唇があった。そして、最たる特徴はその耳だ。そこは彼女の種族としての特徴を雄弁に語っていた。
エルフ族。
ただ、彼女の肌はエルフ族にしては浅黒く、ダークエルフ族なのか? と俺は思った。
それが顔に出てしまっていたのだろう。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべると、俺を更に驚かせる言葉を放った。
「拙者はハイエルフでござるよ」
「は、ハイエルフ?!」
「そうでござる。まあ、斯様な肌の色をしていてはダークエルフと見紛うのも無理からぬ事。だが、拙者はこれでも歴としたハイエルフなのでござるよ」
彼女は鼻息も荒く胸を張るのだが、俺はそれを見て少し悲しさを覚えた。
それは、彼女の胸が、壊滅的な程、なだらかだったからだ。
可哀相に……。
「何でござる。その哀れむ目は」
「あ、いや、その……」
口篭る俺に代わってウェスラがニヤついた笑みを浮かべながら、口を開いた。
「ぬしの胸を哀れんでおるのじゃよ。マサトはな」
「わっ! ば、ばかっ! な、何言ってんだよっ!」
俺は慌てた。
だって、考えても見てくれ。誰だって自身の身体でコンプレックスを持つ部分にズバッと切り込まれたら、気分が悪い。それは男でも女でも変わらない。だけど、女性は男以上の悩みがある訳で、そこは触れていい部分じゃない。
確かに俺は考えた。可哀相と。でも、決して口には出さなかった。顔には出てしまったけど。だけど、そこをウェスラが暴露するのは、これ即ち、俺に死ねと言っているようなものだ。
ウェスラの事を怒りながら恐る恐る彼女の方へ目線を向けると、俯き何やらブツブツと呟いていたと思ったら、突然幽鬼のごとく立ち上がり、腰に佩いていた剣を抜き放ち俺へと向ける。
「拙者の恥部を抉った貴殿は、万死に値するでござる!」
言うが早いかそのまま俺目掛けて突き込んでくる。
俺は咄嗟に身を捻ってかわしながら椅子の背後へと飛び退き、距離を取った。
「今の一撃、良くぞ躱したでござる。だが、丸腰で拙者の剣、何時まで躱し切れるでござるかな?」
言われて腰を弄り、有るべき筈の感触が無い事に驚き、彼女がその手を上げて俺に見せ付けるように剣を床へと放ると、部屋の中に耳障りな音が響き渡った。
手癖の悪いハイエルフだな、おい!
「観念して切られるでござる」
ソファーを乗り越え彼女がゆっくりと迫り、俺はじりじりと後退る。そして、部屋の隅へと追い遣られた時、ノックの音と共に扉が開かれ、
「お茶をお持ちいたしました」
彼女の意識が一瞬逸れた隙に、脱兎の如くその扉目掛けて瞬発した。
ワゴンを押しながら部屋へと入るメイドさんの表情は驚きで目を見開き、体を強張らせてその場で動かなくなっている。が、間髪居れずその頭上の僅かな隙間目掛けて俺は頭から体を放り込む様に跳躍すると、部屋の外へと飛び出して飛び込み前転の要領で着地すると、安堵の溜息を付いた。
だが、それも束の間。
「待つでござる!」
扉を大きく開け放ち、彼女がすぐさま飛び出して来る。
「しつこい!」
一声放り投げると俺はまた駆け出し、全速力で屋敷の庭へと飛び出した。
背を向けて逃げるのは一抹の不安を感じるが、流石の彼女も魔法までは放って来ない様で、剣を振り回しながら「痛くしないから大人しく切られるでござるよ! 良い子は逃げてはいけないのでござる!」と訳の分からない事を口走っていた。
その言動に関しては突っ込みを多々入れたい所だったが、俺の全力を持ってしても彼女を振り切るどころか徐々に距離を詰められているのだから、そんな事に余裕を割く暇なんてある訳がない。
屋敷内の庭を縦横無尽に駆け回り、時には屋根に飛び上がったりもしたが、一向に諦める気配が無く、寧ろその目は血走り、口元を歪めて楽しんでいる節が見受けられる。そして、庭に有る大きな池の辺まで来た時、一瞬足元が滑り、慌てて踏み出した反対の足も笑いの神の采配なのか、石に蹴躓いて体勢を完全に崩し、池目掛けてダイブする格好となった。
しかも、その笑いの神は死神とタッグを組んでいるらしい。
「貰ったでござる!」
背後には剣を振り上げる彼女が居る様だった。
宙を飛んでいる俺には成す術も無く、こんな事で切られるなんて嫌だ! と心の中で叫ぶ事しか出来なかったのだが、体が何かに包まれるような暖かい感覚を覚えた直後、何時の間にか池の反対側に立ち、背後からは盛大な水音が俺の背中を打った。
それに振り向けば、憮然とした表情で池の中に座り込む彼女の姿があるのだった。
その後はお決まりのパターンではあるが、冷水に浸かっている間に冷静さを取り戻した彼女が、池の中で平謝りに謝ったのは、言うまでも無い。
そして、俺は通された部屋へと戻り、彼女は濡れた服を着替える為、自室へと戻って行った。
俺は部屋へと入るなり、ウェスラにジロリ、と睨まれ、
「ふん、他の女子をじろじろ見るからじゃ」
開口一番、こんな事をのたまう。
「あ、あのな――」
「大体じゃな、妻が一緒に居るというに、他の女子に見蕩れるなど、言語道断! それとも何か? ワシの事は飽きた、とでも申すのか?!」
「あ、いや、そういう事は……」
「では何故、見蕩れてたのじゃ!」
「お、女の人だとは思ってなかったから、つい……」
「ほう……。ならば、ぬしは女子なら誰でも良いのじゃな」
何なんだ、この理不尽な物言いは。いい加減俺も怒るぞ。
「何訳の分から――」
「夫婦喧嘩は黒妖犬でも食わぬでござるぞ」
俺の言葉を遮る声に振り向けば、何時の間にかにやけた顔で彼女が扉を開けて立っていた。
「しかし、アイシン様も嫉妬をするとは、やはり、女子でござるな」
彼女は席へと向かいながら、笑顔を崩さずに告げる。
「ワ、ワシは――!」
それに食って掛かろうとするウェスラだったが、それ以上の言葉が続かないのか、顔を紅潮させて彼女を睨み付けるばかりだ。
「そもそも嫉妬するなどという事は、愛する者が居なければ出来ぬでござる。故に、アイシン様が卿を愛しておる証ではござらぬか」
頭から湯気が立ち上りそうな程、更に顔を赤くするとウェスラは俯き「ワ、ワシは、マ、マサトの妻じゃし……」とぶつぶつと言い訳を始めている。
「はっはっは。そんなに照れなくとも良いではござらぬか。喧嘩するほど仲が良い、とも言うでござるしな。拙者は、それが羨ましいでござるよ」
席に座った彼女の口ぶりは、本当に羨ましがっている様だった。
「では、貴女も加わりますか? マサト殿の伴侶に」
今までずっと黙っていた教授が爽やかな笑顔でそんな事をのたまい、彼女の目を丸くさせた。
な、なんちゅう事言い出すんだよ! このアホ教授は!
「ロ、ローリー! おぬしは一体何を考えて――」
アーツ辺境伯が掌を向けてウェスラを静止すると、表情は笑顔のまま、目付きだけが剣呑な雰囲気を醸し出し始めた。
「面白い事を言う御仁でござるな。だが、このジルハルト・ギム・アーツ、今まで幾多の婚姻を申し込まれ様とも、その全てを決闘にて処理してきた誇り高き武士であり、ハイエルフでござる。弱き者の伴侶になる心算など、微塵も無いでござるぞ」
この言葉を受けた時の教授の表情は勝ち誇っていて、俺は悪い予感しかしなかった。
「大丈夫です。マサト殿は、あのドルゲン様を打ち破っておりますので」
ちょっ、おまっ! あんな辛勝じゃ勝った内に入らないっつうの! しかも、あっちは本気じゃねえし! それを何?! まるで俺が圧勝したみたいな言い方して! これ以上誤解を生むような事言わんでくれよ!
「それは違うぞ、ローリー」
お、助かった。
「打ち破ったのではなく、打ち倒したのじゃ!」
俺は愕然として、ウォルさんへ助けを求めるように顔を向けたが、彼は感心したような表情で呟いていた。
「あのドルゲン様を……。これはもう、私では勝てませんね」
何納得してんですかっ! あんたはっ!
「ならば、決闘にてその実力を見せて頂こうではござらぬか」
にっこりと微笑む彼女を見て、俺はまたこの展開かよ、とうんざりした。
何でこう、好戦的な嫁候補ばっかり出てくるのかねえ。