エピローグ
あの丘で合流を果たした俺達は今、街道を南下している。
そして俺は、何を忘れているのか思い出そうと、最後尾で必死に首を捻っていた。
「…………思い出せない」
こう、喉元まで出掛かっているのだが、そこから先に上がって来ない、というのが何とも歯痒い。
しかし、ここで少しだけ考え方を切り替える。
「よし! 思い出せないって事は、大した事じゃないからだな! そうだ! きっとそうに決まってる!」
そして、脳内に設置してあるゴミ箱――飽く迄イメージだが――へ悩みを放り込んだ。
大体、思い出せないのは思い出したくないって事なのだ。だから、無理に思い出す必要など何処にも無い! と言うのが俺の持論でも有ったりする。
そんな訳で、一時的に悩みを放り出した俺は、前を行く教授に声を掛けた。
「なあ、聞きたい事があるんだけど」
教授は歩を緩め、俺の隣へと並ぶ。
「何でしょう?」
「準決勝の事なんだけどさ――」
一番気に成っていたのが、それだった。
あの日、何故ナシアス殿下が俺の部屋を訪れ、闘技場にこの国の騎士団とは違う集団が待ち受けていたのか、それがどうしても分からなかった。
「それですか」
「それに、教授はその事を知ってたみたいだったし……」
あの時教授は、計画が台無しになった、と言っていた。それは即ち、あの騎士団の動きを把握していた、と言う事になる。
「それはですね、城を徘徊する鼠から情報を得ていたから、ですよ」
「へ? ネズミ?」
「全ての四足獣は私達の眷属ですから、意識を繋げてそこから情報を得るなど簡単なのです。まあ、命令等は、ごく簡単なものしか出せませんが」
ちょっと待て! 意識を繋げるのが簡単って、どういう頭してんだよ!
「マサト殿はよもや、私の元の姿を忘れた訳ではないでしょうね?」
「あ……」
済みません。完璧に忘れてました。
教授は俺の表情を読み取り、深く溜息を付きながら大きく首を振っていた。
「まったく――これだからマサト殿は……」
「何だよ。その奥歯に物が挟まった様な言い方は」
俺が睨むと、逆に冷たい視線を返され、思わず目を逸らしてしまった。
くそ、魔王と呼ばれる男とも有ろう者が、この程度で怯まされるとは……。不覚!
「良いですか。私は元々頭が三つ有ります。しかも、夫々で並列思考を熟していますから、同時に六匹の鼠から情報を得て、それを処理するなど容易いのですよ。そして、次々と切り替えていけば、あの城程度であれば全体を把握する事等、造作も無い事なのです」
そうやって、説教する様に俺に話し始めた内容は、驚愕の一言だった。
あの日、皇帝陛下とオラス団長が拘束された事を知り得た教授は、直ぐにレジンを動かして、数百万にも及ぶ魔獣の大群でベルンを包囲し、自分は幻術を使いオラス団長に成りすまして、駐屯する騎士団全てを市壁の外へと誘導したそうだ。その際、住民が混乱しない様に騎士団の者を走らせて外出禁止の旨を触れ回らせ、城に勤める者全員を広間に集めてそこから出ない様に厳命し、首謀者が動き易い環境を構築した、と言う事だった。
「それとですね。ナシアス殿下を放って置いたのは、餌として使う為だったのです。案の定、殿下はこちらの思惑通りに動いてくれましたし、黒幕の方も概ね思った通りの動きをして下さいました。まあ、誤算があったとすれば、マサト殿が彼女を救ってしまった事くらいですね」
本当ならば、精神を病んだ殿下に代わり、教授が成りすまして陥れる心算だったらしい。
人の事が好きと言いながらも、自分の計画の為ならば、躊躇無く駒として扱う所は流石、魔獣。
「でもまあ、返って私が動き易くなりましたから、そこはマサト殿に感謝すべき所ではありますね」
「じゃあさ、何で決勝の時、四半刻持たせろって言ったんだ?」
これだけ完璧な作戦なら、別に俺が頑張る必要なかったのでは? との思いから、そんな事を口にする。
「それには理由があります。直ぐに倒されてしまっては恐怖心が育ちませんし、マサト殿が倒された後の安堵感から来る油断も作り出せません。ですから、四半刻ほどマサト殿の強さを印象付け、それを討ち果たせる者が居る事を知らしめる必要があったのです。そうすれば、安堵感から来る油断で、首謀者は安易な行動に走るではないですか。それに、皇帝陛下を動き易くする為にも必要だったのです。まあ、それを見越して私が事前に情報を渡しておいたのですが」
これを聞いた俺は、教授と知謀で争う事は絶対にすまい、と堅く心に誓った。
だって、三つの頭で考えられたら勝ち目なんてないし、どっかのロボットアニメじゃないけど、考える速度だって三倍だ。そんなのに頭一つでどう挑めばいいのだ。
「そういえば、マサト殿は先ほどから何を悩んでいたのですか?」
行き成り話題を切り替えられ、せっかく脳内ゴミ箱に放り込んだ問題が、外へと飛び出してしまった。
「まあ、大した事じゃないよ、たぶん。思い出せないんだしさ」
肩を竦めて苦笑いを返す。
思い出せもしない事に時間を割くなんて、無駄も良い所だしね。
「そうですか。マサト殿がそれで良いのでしたら、構いませんが……。ですが、これだけは覚えて於いた方が良いですよ。気に成っているのに思い出せない、という時は、重要ではあるが優先順位が己の中で低いが為に忘れている、と言う事を」
「どいうい事だ、それ?」
「要するにですね、そこに居る時は何時でも可能であるが故に思い出しもしない、と言う事なのです。ですから、その様な事柄は、大体が取り返しの付かない状況になってから、思い出すものなんですよ」
なるほど、そういう考え方も有るのか、と感心していると、
「そうじゃ、マサトに手紙が来とったぞ」
ウェスラがそんな事を突然告げてきた。
「手紙?」
「うむ、ユセルフからじゃ」
何でユセルフから手紙が、とそこまで考えてから、忘れていたものをやっと思い出した。
「土産と手紙っ! 忘れてたあああ!」
空は蒼く澄み、雲は悠然と流れ、日の光に柔らかく見守られる帰路の中で、俺の悲痛な叫びが蒼穹に空しく響き渡るのだった。
こんな終わり方なんて、あんまりだよ!
神様っ! これも俺がオマケだからなのでしょうかっ?!
これにてヴェロン帝国編、完結です。
次回更新まで、4、5日お時間を頂きますが
それまでお待ちいただけると幸いでございます。