心の声に従え!
エピローグ書いてた心算が、普通の話になってしまった……。
あの後俺が意識を取り戻したのは、全てが片付いてから一週間も経った頃だった。
何故そんなに掛かったのか不思議に思い、理由を聞いた所、あの闘技場の仕組み――というか、オラス団長が施した竜族固有の魔法が、俺に対してはまったく発動しなかったそうなのだ。
しかも、治療師による治癒魔法すら受け付けない、とくれば、どれだけ皆が慌てたかなんて、簡単に想像出来る。
でも、皆が慌てる中、ライルの一言でウェスラとキシュアは冷静さを取り戻し、他の皆に対して「絶対に意識は戻る」と断言したそうだ。
その一言、と言うのが、
「おとーさんがだいじょうぶって言ったとき、目が赤と青になった!」
という事なのだが、どうも、肉体的に中二病状態になったらしい。
これを聞かされた時の俺は、目を見開いて首を傾げる事しか出来なかった。
だって、そうだろう?
俺は典型的な日本人で、瞳の虹彩は濃褐色だ。間違ってもヘテロクロミアではない。
それも赤と青なんて、それこそどっかのファンタジー小説とかに出て来る人物じゃないか。
まあ、こっちの世界に召喚されてからと言うものの――特にヴェロンに着てから――中二病的な魔法名を唱えたりはしているが、肉体そのものは決して中二はしていない筈なのだ!
身体能力を除いて。
でも、それを聞いたあの二人が納得したと言うのだから、そこは蒸し返さない事にしている。
だって、俺が否定するって事は、ライルを否定するのと同義だし、そんな事を口にしたら、泣かれてしまうのが目に見えてるからね。
それと、この国の問題である亜人種差別だけど、完全に片が付いた訳ではないが、首謀者の自白で全容は掴めた、と聞かされた。
どうやら亜人種差別に託け、皇帝陛下を引き摺り下ろして、この国の権力を手中に収めようと画策していたらしい。
まあ、首謀者に言わせれば、権力の一極集中を取り止めて分散をする為、という事らしいのだが、そんなの嘘に決まってる。
要は自分がその座に着きたかっただけだなのではないか? と俺は見ている。
ま、そこは俺が判断する所じゃないけどさ。
尤も、どこの世界でも権力欲に執り付かれた輩の考える事が何故同じなのか、苦笑が出てしまったのは確かだ。
そんな訳で、今は共謀者を全て引っ立てている所でもある様だ。
ここから先は俺が関与する事は出来ないし、する心算も無い。
後はこの国の自浄作用に任せる他はないと思う。
そして、無実の罪で鉱山送りになった亜人達は近々解放されるとの事。
ただ、開放してもすぐには職に就く事も出来ないだろう、という事で、まずは国で雇い入れ、公共事業を起こしてそこで働いてもらう事に成っている、という事だった。
ま、色々皇帝陛下とその側近の人達が頑張っているから、この問題も徐々に解決して行く事だろう。
でも、俺が遣った事が消え去った訳じゃない。
この国の為とは言え、一人を死なせ、もう一人は介護無しには生きられない体にしてしまった。
これだけはどんなに頭を下げても元に戻る事は無く、俺の犯した罪として、今後も背負っていかなければ成らないだろう。
ただ、ほんの少しだけ救いだったのが、手足を失った人はマリエ特製の魔装義肢で普段と変わりない生活に戻れている、と告げられた事だった。
でもこの魔装義肢、マリエの趣味が全開で反映された物らしく、この人、ヴェロン帝国の全騎士の中で最強の座に躍り出てしまったらしい。
ま、オラス団長さんを除いてと、注釈は付くが。
それこそ三個小隊を相手取っても敵無しの無双振りを発揮しているのだとか。
しかも、何故か俺に感謝しているそうな。
騎士ってのはつくづく因果な商売だな、と遠い目をしてしまったのは記憶に新しい。
そんなこんなで、俺達のヴェロン帝国での滞在も終わりを告げようとしていた。
唯一つの問題を残して……。
*
傷も完全に癒え、旅立ちを明日に控えた昼下がりに俺は、彼女と始めて出会った場所で向き合っていた。
何故そんな場所でと、不思議に思うかもしれない。でもその場所は彼女――マリエから指定してきて、俺が了承したから、と言うのが理由だ。
「マリエはこれからどうするんだ?」
「そうだな。陛下とオラス団長に請われてしまっては、この国を離れる訳にはいかないしな。マサト様との婚約は解消、といったところか……」
寂しそうな笑顔を向けられて、俺は何とも言えない気持ちになった。
陛下と団長さんが彼女を引き止めた理由、それはあの弓の腕前だ。
俺だって皇帝陛下の立場だったら、あれを見れば引き止める。でも、今の立場ではそれが分かっていても、何とも遣る瀬無い気持ちになってしまうのだ。
「これをライルが知ったら、泣くだろうなあ」
ライルは彼女の事をすでに母、と認識してしまっている。だから、一緒に来ないと知れば、悲しむのが目に見えて分かるのだ。
「それは……」
そう言って彼女は押し黙り、苦悩を滲ませた表情で俯いてしまった。
「まあ、ライルに取ってもこれはこれで一つの経験だし、この先幾らでも別れってのはあるからね。ここで経験出来て良かった、と思わせるしかないさ。それに、年に二回くらいなら来れるから、その時は甘えさせて遣ってくれると嬉しいかな? あいつも大きくなれば一日でここまで来れるだろうし、そうなったらマリエも俺の所へ来れるだろ? それまでは、この国を守っててくれよ」
マリエの肩に手を置いて微笑み掛ける。
でも、何だか自分に言い聞かせてるみたいに感じるのは、何でだろう?
「そう――だな。会えなくなる訳ではない、のだよな。分かった。その時は母としての勤めを存分に果たさせてもらおう。マサト様――殿下の事、宜しく頼む」
それに肩を竦めておどけながら言葉を返す。
「俺は親馬鹿だからな。頼まれなくても宜しくするさ」
互いに微笑を交わして手を握り合い、
「それじゃ、またな」
「――マサト様も、体に気を付けて」
別れの言葉を送り、しばらく見詰め合った後、俺は背を向けて歩き出す。そして、十数歩程離れた所で、背中越しに、思いの丈が詰まった短い言葉を投げ掛けられた。
「マサト様! いつか――いつか私が嫁ぐその時まで、待っていてくれますか?!」
その声に口元に笑みを浮かべて振り返り、
「何時までも待つ訳ないだろ! だけどな! 必ず迎えに来る! その時マリエは、俺の妻だ!」
彼女の笑顔は、月明りの元で咲く月下美人の様に儚げに見え、俺は思わず手を伸ばしそうになったが、拳を硬く握り締めてそれを堪え、再び踵を返して歩き始める。そして、数歩も行くと、心の中に誰のものだか分からない声が、木霊し始めた。
(お前はこれでいいのか?)
――良いわけないだろ。
(ならば、どうしたい)
――分からねえよ。
(本当に?)
――どういう意味だ。
(こんなのが望んだ結末なのか?)
――違う! 俺はっ!
(なら、思うままに動け。今のお前にはそれが出来るだけの力があるだろ?)
――でも、それを遣ってしまったら……。
(お前は前に言ったじゃないか、殺すって。それも、彼女達の不幸を。そこにあの娘は入らないのか?)
――それは……。
そうだ、俺はあの時誓ったんだ。彼女達の不幸を殺すと。
(悲しむぞ? 息子が、妻が、そして――お前の心が)
――どうすりゃいいってんだよ!
(簡単な事じゃないか。お前はここでは悪役なんだろう? だったら最後までそれを貫き通せばいい)
俺はそこで歩を止め、空を見上げた。
(魔神を演じ、魔人となり、終には魔王と呼ばれた者よ。ここを去る最後のその時まで、見せ付けてやれ。お前の力を)
振り向き、小さくなる彼女の後姿を見詰め、そして――。
「風よ! その力の全てを解放し、我が肉体に宿れ! 限界突破!」
彼我の距離を刹那の時間で詰め、マリエを抱き抱えると、純白の羽を広げ上空高く飛び上がる。
そして、驚きの目を向ける彼女に視線を落としながら口元を緩めた後、眼下に向かって声を張り上げた。
「聞けい! ヴェロン帝国臣民よ! マリエ・ノムルは俺が頂く! 因って! この国より連れ出させてもらう! これは魔王たる俺が決定した事だ! 例え皇帝陛下であろうとも、文句は言わせん!」
そう宣言し、町の人の視線を集めると、彼女の唇を奪う。
「これよりマリエ・ノムルは我妻として生き、そして死ぬ! 祝福せよ! 新しき妻の誕生を!」
眼下から一斉に祝福の声と拍手が沸き起こり、マリエは口元を両手で押さえ、その瞳には涙を溜めて、俺を見詰めていた。
「いいよな? と言うか、嫌とは言わないでくれよ? このまま連れ去るんだからさ」
苦笑気味の笑顔を向けて告げると、彼女の目からは涙が溢れ出し、それと同時に震える声で問い掛けてくる。
「ほ、本当に――私を、妻として、連れて行って、くれる、のか?」
「マリエは俺の妻で、ライルの母だ。置いて行ける訳、ないだろ?」
途端、俺に抱き付き、声を上げて泣き始めてしまった。
「それでは諸君! また何時か、相見えよう! その時まで精々楽しく暮らすがいい!」
一際大きく羽を羽ばたかせて街の外へと向かいながら、皆に念話を飛ばす。
――と、言う事なんで、急いで街の外へ出るように! 集合場所はあの丘な! 異論反論は認めない!
――まったく、おぬしという奴は……。
――本当にもう、無茶苦茶なんですから。
――魔王に相応しい最後だな。
――自分から増やしちゃうなんて、マサトくんらしくないよー。
――マリエおかーさんもいっしょなんだね!
――流石です。最後の最後まで演じ切るその心意気。私もお付き合い致しましょう。
――我も付いて行くぞ。
――おいこら! 何だこれは?! 何で念話なんて使えんだよ! まさか、おめえも魔獣人なんじゃねえだろうな!
ゴンさんは相変わらず平常運転だなあ。
あ、そうだ。礼を言わなければいけない人が居るんだよな。ここに来てから迷惑掛けっぱなしだったし。
――バロールさん! 本当にお世話になりました!
――おう! また来いや! いつでも歓迎するからよ!
顔を合わせて挨拶は出来なかったけど、皆が無事に過ごせたのは、全部この人のお陰なんだよな。
――それじゃあ、皆! 出発だ! ユセルフへ帰るぞ!
全員の声が頭の中に響き渡る中、俺はマリエに顔を向けて、謝罪を口にする。
「ごめんな。両親に挨拶もさせず、こんな連れ出し方して」
本当ならばきちんと別れの挨拶をさせてやりたかった。でも、こうでもしなければ連れ出す事が叶わなかっただろう事が、物凄く悔やまれる。
だが、それに彼女は首を振ったのだ。
「問題ない。既に別れの挨拶は済ませてあるから。それに、父も母も、こう成る事は予想していたようだ」
マリエの腕が市壁の方へと伸ばされ、有る一点をを指差した。
そこには、男女が二人で寄り添い、こちらに向かって手を振っていた。
「あれは――」
「私の両親だ」
誇らしげに、でも、少しだけ寂しさを含んだ声音でそう告げられる。
俺はそんな彼女を見た後、一旦制止すると、
「義父上! 義母上! マリエは頂いていく! 我らとの間に子が出来たならば、連絡差し上げる故、顔を見に来るがよい! その時は、我が家族一同上げて、歓迎致そう!」
尊大な言葉の中に、精一杯の感謝を込めて叫んだ。
そんな俺の言葉に、マリエは驚きの中に感動を混ぜ込み、再び目に涙を溜め、眼下では彼女の父が涙に暮れる母を優しく抱きながら、大きく息を吸い込むと、声を張り上げた。
「魔王様のお言葉、確と賜りました! 娘を、宜しく頼みます!」
そう告げて頭を垂れた後に此方を見上げた顔には、寂しさを乗せていた。
俺はそれを見て、これが娘を嫁に送る父親の顔なんだな、と感慨深く思った。
「マリエの不幸は俺が殺す故、安心するが良い!」
何処まで出来るかなんて関係ない。降り掛かる全ての不幸は俺が全部引き受けて殺し、皆が幸せに成れる未来を掴み取るだけだ。
「もう行くけど、いいのか?」
俺は彼女に何か言いたい事はないか、と暗に促し、マリエが俺の目に視線を合わせたのを見計らい、小さく頷いた。
「私は今より、マサト様と幸せに成りに参ります! 父上! 母上! 生み育てて頂いた恩、生涯忘れませぬ! どうか御無理なさらぬ様、御体をご自愛して、長生きして下さい!」
「マリエ! お前も元気でな! 何か困った事が有れば何時でも手紙を寄越せ! その時は出来る限り力になるからな!」
「用事など無くてもいいから、何時でも遊びに来なさい! この街は貴女の故郷なのですから!」
二人の言葉をマリエは硬く目を閉じ聞いていたが、その隙間から滴を零して光を反射させる。
「父上! 母上! 今日まで、有り難う御座いました!」
感謝の念を力の限り乗せて放つと、瞳に溜め込んだ涙を溢れさせていた。
やっぱり別れに涙は付き物だよな、などと思っていると、眼下の人々がざわめき始め、俺達を柔らかく包み込む日差しが遮られる。
それに訝り空を仰ぎ見れば、そこには巨大な竜が此方を睥睨していた。
『魔王よ。その娘、置いていってもらおう』
これが、オラス団長の本当の姿……。
漆黒の鋼の如き鱗が全身を覆い尽くし、口の中には俺よりも太い牙が並び、その背で羽ばたかせている羽を一凪し様ものなら人間など軽がると吹き飛んでしまいそうだ。
そして、冷たさを宿す黒い瞳。それで睨まれれば、どんな生き物であろうとも身が竦み動けなくなるに違いない。
だが、臆する事は無い! 俺は魔王と呼ばれる男なんだから!
「ふっ、俺が言う事を聞くと、思っているのか?」
『ならば、力付くで聞かせるまでよ』
まったく、最後の最後でこれか。でも、見せ場としては最高の舞台、とも言えなくはないな。
「遣れるものなら、と言いたいとこだが、良いのか? 俺達がここで争えば、大勢の無辜の民が死ぬ事に成るぞ? 尤も、俺は一向に構わぬがな」
明らかに狼狽する気配が伝わってくる。
ま、どうせやる気なんて向こうもないだろうし、ここは口八丁でいきますよっと。
「さあ、どうする! 俺を止める為に、民を巻き添えにするか否か、答えよ!」
人の時と違って、表情が読めないのは面白くないな。ま、気配が駄々漏れだからいいけどさ。
「それとも、貴様の正体をここでばらそうか? 面白い事になりそうだからな」
おおう、何か、怒ってるみたいだぞ。そんな気配がビシバシぶつけられてくるぜ!
「しかし、貴様もそれは望むまい。そこで一つ、提案がある」
『提案、だと?』
乗って来ましたね!
「そうだ」
『言ってみよ』
よしよし、旨く釣れました。魚よりチョロいぜ!
「この勝負、一先ず貴様に預ける。俺と戦いたくば、ユセルフまで出向いて来い。そうすれば、マクガルド陛下立会いの下、受けて立つ、と約束しよう」
竜は眼を瞑り、逡巡している。
大分迷ってるみたいだけど、これで引き下がってくれると、俺としても非常に有り難いんだけどな。でも、こればっかりは予想出来ないからなあ。
そんな事をつらつらと思っていると、視線の圧力を感じて我に返る。
『良かろう。その提案、呑もう。だが、期日は此方で決めさせてもらうぞ』
「突然でなければ、構わんさ」
俺が返事を返した直後、掛かる圧力が弱まるのを感じ、それと同時に心の中で安堵の溜息を漏らした。
『其の時まで鍛えておく事だ。今の貴様では、俺の本気には敵うまいからな』
そう言い残してゆっくりと舞い上がって行き、遥か上空へと消えていった。
それを見ながら、これって、教授の仕業なんだろうなあ、と思い、ついでに、お陰で要らん約束しちまったじゃないか、などと心の中だけでごちる。
だけど、俺の口元は緩み、思った事とは裏腹に楽しみで仕方なかった。
「義父上、義母上! 何れまた、会いましょうぞ!」
羽ばたきを大きくすると、ウェスラ達との合流地点へ向けて、俺達は飛び立つのだった。
でも、何か忘れてる気がするんだけど、何だったっけかなあ?




