現実はフィクションを越えられない
一夜明けた今日は準決勝戦。
俺は午後から試合なので、それまで出来るだけ体を休める為に、部屋にある敷物を集めてそこで寝ていた。
尤も、これは昨日の夜から、と言った方が良いかも知れない。ベッドの代わりに使っていた長椅子が壊れてしまった為、そうせざるを得なかった、と言うのが正直な所でもある。
魔力を回復させる意味でも寝る事が出来るのは良いが、食事だけが儘ならないのには困った。
ここに運ばれて来る食事は、小さなパンが一つと軽い野菜スープだけ、という腹の足しにもならな量。しかも、それが一日一回なのだから、俺の腹具合は推して知るべし。
そういった事情もあり、体力温存の為にも控え室では極力寝て過ごす事にしていた。
「腹減ったなあ……。でも、暖炉に火が入ってるだけマシだよな」
俺がずっと居る所為もあるが、常に備え付けの暖炉では炎が揺らめき、部屋を暖めてくれている。しかも、薪を焼べる必要も無く燃え続けているのだから、これほど便利な物はない。
「これも魔装の一種なのかな?」
今更ながらそんな事を口にしてみるが、どうでも良い事だったりもする。
何故そんな事を呟いたのか、というと、要するに俺は暇なのだ。
話し相手も居ないし、かと言って、暇潰しが出来る物も無い。本は何冊か有るのだが、精霊文字をマスターした訳ではないので、読む事も出来ない。
体力の消耗を考えれば、剣の素振りは以ての外だし、室内で魔法の練習をする訳にもいかない。
そうなればやる事など、考え事をするか、独り言を呟くか位しかない。
なので、呟く比重が高く、このままでは癖になりそうな気配だ。
そんな時、腹の虫が、飯はまだか、と元気良く鳴いた。
「せめて昼飯くらい出てくれればなあ……」
あんな軽い食事でも、食べれば腹の虫はしばらく黙るのだが、生憎と食事が出て来るのは試合の後。その間、飢えを満たすのに口に出来るのは水だけ、という何とも断食に近い状態だ。
「カツ丼食いたいな……」
お陰で考える事も自然、食べ物が中心となっていた。
そんな物を頭に思い浮かべてしまえば、余計に腹の虫も不満を募らせると言うもの。
結果、収まるどころか、余計激しさを増しているのだった。
そして、一際大きく腹の虫が鳴くのと同時に、扉が勢い良く開き、
「お食事にしますわよ!」
明るい声と共に、半裸の女性が仁王立ちしていた。
「ざ、残念皇女様!」
飛び起きると同時に思わず口走ってしまった。
「私のどこが残念なのですかっ!」
「あ、いや、その……」
口篭る俺をほんの僅かな間だけ睨み付けた後、直ぐに部屋を見回し、訝る表情を見せる。
「それよりも、この部屋にテーブルは御座いませんの?」
「昨日までは有ったんですけど……」
「昨日まで?」
「はい」
「それがどうして今日は無いんですの?」
「壊れたので」
「…………正直に仰い」
胸前で腕を組み、半眼になって睨み付けられて居るのだが、正直、俺の目は皇女の胸にしか行かない。
「やっぱ、大きいよなあ」
「何が大きいのです?」
「胸」
思わず素直に答えてしまった。
「貴方は何処を見ているのですかっ!」
や、やべえ!
「い、いや、胸が余りにも綺麗なもので、つい……」
苦し紛れにそんな事を言ったのだが、何故か残念皇女様の頬に朱が昇った。
こんなので助かった、のか?
「そ、そんな事よりも、テーブルですわ! 嬉しいですけど……」
やっぱ、この皇女様の思考回路おかしいよ。
「ですから、先ほど壊れた、と言ったじゃありませんか」
「では、そういう事にしておきましょう」
残念皇女様は振り返ると手を数回叩き合わせる。と、メイドさんが五名、ワゴンを押して部屋に入って来た。
その上には暫くぶりに見る、まともな料理が載っていた。
「ナシアス殿下、どちらに置けば……」
メイドさんの一人が困惑した表情で残念皇女様にお伺いを立てている。
「そのままで宜しいですわ、って、椅子も御座いませんの?!」
ええ、それも壊れました。
「仕方ありませんわね。――他の部屋から持ってらっしゃい!」
「はい!」
メイドさん達は一斉に駆け出して行き、直ぐに椅子を二脚とテーブルを運び込み、テキパキとセッティングを整えていく。
俺はというと、本物のメイドさんが働く姿を、床に座ったまま、ぼうっと眺めていた。
いいなあ、メイドさん。今度着てもらおうかな、メイド服。
準備も終わり、残念皇女改め、ナシアス殿下が席に着くと、
「それでは頂きましょう。さあ、貴方もお座りなさい」
「へ?」
「早くなさい。冷めてしまうではありませんか」
「あ、はい」
立ち上がり椅子に座ると、目の前には豪華な食事があった。
「質素な食事ですが、ここでは致し方ありませんわね」
バケットに山盛りのパンと分厚いステーキに野菜サラダ、ポタージュの様なスープにデザートの果物、俺にとっては豪華な食事も、ナシアス殿下には質素とは、これぞ正しく身分から来る価値観の違いというやつか。
やっぱり俺は庶民なんだな、と自覚した瞬間だった。
しかし、一口含んで俺は思った。
不味い。
どうやったらこの素材をこんなに不味く出来るのか、思わず真剣に悩んでしまい、ナイフとフォークが止まってしまう。
「どうしたのです?」
「あ、いえ……」
せっかく用意してくれたのだ。ここは文句を言わずに頂くべきだろう。とりあえずは腹の足しになるし、パンは不味くないから、良しとすべきだ。
そう思い直し口に運ぶが、何がどう不味くしているのか、考察し始めてしまった。
まずステーキだが、ハッキリ言って焼き過ぎなのと、香辛料の使い過ぎだ。お陰で肉の旨味がまったく分からないし、硬くて仕方が無い。ポタージュの様なスープはコクが足りてないし、付け合せの野菜に至っては、単純に塩と胡椒に油が掛かっているだけだった。
俺はこれを作った奴に腹が立った。
料理を舐めてんじゃねえぞ、ごらあ!
結果、食事をしながら俺の表情は徐々に険悪なものへと変わり、それを正面で見ているナシアス殿下の表情は、怪訝なものへと変わっていった。
「お顔が怖くなってますわよ?」
「そうでしょうね。今、猛烈に頭に来てますから」
「何に怒っているのです」
「この料理を作った人に対してですよ」
「私に、ですか?」
「――え?」
俺は怒る事も忘れて呆けた。
「これ、私が作りましてよ?」
何言ってんだ、この皇女様は。
「本当に?」
「本当ですわ」
俺は溜息を付くと、哀れみの視線を向ける。
「何ですか。そんな目で見詰められると、気持ち良いではありませんか!」
身をくねらせ始めてしまった。
もしかして、変態?
「一つ、聞いても良いですか?」
問い掛けると動きはピタリと止まり、紅潮している顔を向けてくる。
「何ですか、改まって」
「非常に言い難いんですが、罵倒されると……」
「嬉しいですわよ?」
余りにも残念な答えに、溜息を付いて目を伏せた。
綺麗なだけに、余計残念っぷりが際立った瞬間でもあった。
「私もお聞きしたい事がございますの」
突然のそんな事を告げられ顔を上げると、ナシアス殿下は真剣な面持ちになっていた。
「今朝からち――陛下とイグリードが見当たりませんの。貴方、何か知ってらして?」
「いえ。試合の時以外はこの部屋から一歩も出ませんから……」
「そうですの」
そう言うと、殿下は食事を再開した。
どういう事だ? 皇帝陛下と団長さんが居ないって。
*
ナシアス殿下お手製の食事を何とか食べきった俺は、食後のお茶を飲みながら、久々にゆったりとした時間を過ごしているのだが、頭の中では先ほどの疑問が渦巻いている。
今朝から姿の見えない皇帝陛下と団長さん。
それが意味する所は、何かが動き出した、と言う事。となれば、ここから先の試合は何かが違ってくる可能性がある。
それでも俺が遣る事に変更を加える必要はない。
今まで通りに演じるだけだ。
残酷に、残虐に、無慈悲に蹂躙する。
人間では敵わないと思わせる、ただそれだけ。
「貴方は――優しいですわね」
「え?」
突然そんな事を言われ、思考を中断してナシアス殿下を見る。
「この食事、自分で作っておいて何ですが、お世辞にも美味しいとは思えませんでしたのよ? それを、貴方は全て食してくれました。これを優しいと言わずして、何といえば良いのですか」
「でも、俺は怒りましたよ?」
ナシアス殿下はゆっくりと首を振り、少し憂いを帯びた表情で話し始めた。
「それは致し方ない事ですわ。あのような物を食したのですから。ですが、本当は覚悟しておりましたのよ? 罵倒される事を。でも、貴方はその怒りをぶつけてはきませんでしたわよね? それだけで、十分過ぎるほど優しいのではなくて?」
一生懸命に作った物を悪く言われるのは、確かに堪える。それは俺だって同じだ。ただ、その事が分かっても尚、何も言わないというのは、ナシアス殿下の言うとおり、一種の優しさなのかもしれない。
「そんなの、買い被り過ぎですよ」
俺は優しくはない。優しく見せているだけだ。
嫌われるのが怖いから。
「なら、そういう事にしておきますわ」
微笑ながらカップを持ち上げ口に運ぶ殿下の指には、幾つもの切り傷が刻まれていた。
「その指……」
それを見てしまったら、殆どの男ならば必ずこう思うだろう。
もしかしたら俺の為に、と。
それが自惚れなのだ、という事は分かっている。皇女殿下ともあろうお方が、こんな平民に毛が生えた程度の俺の為に態々切り傷まで作って料理をする訳が無い。分かってはいても、やはり目に入ってしまっては、そんなふうに思ってしまうのは悲しい男の性、というものだ。
「見つかってしまうとは迂闊でしたわね。でも、勘違いなさると困りますから言っておきますわ。あの五人組のメイドに言われただけですので、間違っても貴方の為、という事ではありませんの」
「は、はあ――」
ツンデレのツの字も無い言葉に俺は、間の向けた返事を返すだけで精一杯だった。
まあ、実際にツンデレなんて居る訳ないし、大体、ツンがデレたら、デレデレになるだけだしな。
そんな事を思いながら気を取り直した俺は、ある事実を見逃して居た事に気が付いた。
それは、何故皇女殿下が料理をしたのか、と言う事だ。
普通、身分の高い者は必ずと言って良いほど、お抱えの料理人が居る。それに、主にそんな事をさせれば、即クビになる事は本人ですら分かり切っている事。それなのに何故、料理をさせたのか。そこに思い至った時、皇帝陛下と団長さんの姿が見えない、という事がやけに胡乱に思えてならなかった。
「もしか――」
俺の言葉を遮り、扉をノックする音が室内に木霊すると扉が開き、
「時間だ、来い」
居丈高な態度の見慣れない騎士が立っていた。
その騎士はナシアス殿下の姿を見て、一瞬驚くように目を見開いたが、直ぐに口元に卑しい笑みを浮かべて小さく何かを呟く。だがその声は、俺達の耳まで届く事はなかった。
「何時もの人は――」
「早くしろ!」
瞳に苛いの色を微かに滲ませ、威圧するような声音を吐き出す。
気付かれないように溜息を小さく付き、椅子から立ち上がり立て掛けてある剣を腰に佩き、男の方へと踏み出すと、傍らにはナシアス殿下が腰に剣を提げた姿で並んでいた。
「殿下はここで――」
「私もご一緒しますわ」
「ですが――」
「何だか一人で居てはいけない気がしますの」
これは女のカンってやつか?
フッとそんな事を思った瞬間、舌打ちが聞こえた様な気がして男の方に目線を向けると、忌々しげな表情になっていた。
これは、殿下も連れて行った方がいいな。
男の表情から何か有りそうな事を読み取った俺は、殿下に向けて小さく頷き、止めていた足を動かした。そして、男に連れられ通路を無言で歩き、扉を抜け闘技場へ出た瞬間、事態が急速に動き始めた事を知った。
観客は弓を構えた弓士とローブを纏った魔術師に、本来一人の筈の相手は、数えるのも馬鹿らしい程の騎士団に夫々変わり、そして、それを率いるのは、マリエ・ノムル第二師団副団長だった。




