子供は無邪気な天使さま
会計を済ませて店を出た後、次に俺達が足を向けたのは、あのオーナーさんに紹介してもらった武具店。
勿論、フェリスとライルも入店可能な店を紹介してもらった。
ただこの、亜人種も入店可能、という条件だが、今でも紹介さえあれば入れる店は意外と多いのだそうだ。
その彼女の話によると、以前、とは言っても、もう五年以上前の話らしいのだが、人と亜人種の夫婦も少ないながらもこの街で生活をしており、冒険者にも亜人種が存在していた事もあって、人族だけ入店可能な店、というのは、その当時、本当に一握りしか無かったのだそうだ。ただ、数年前――正確に言うと三年ほど前――から急激に強まった差別的な排斥により入店不可の店が増え、奴隷に限らず亜人種全般の姿を見なくなった、という事だった。
この話を聞いた俺は、何か引っ掛かる物を感じたのだが、その時は別に気にも留めていなかった。
話は逸れてしまったが、紹介してもらった本当の理由は、どこに何の店が有るのか知らない、というのが大きい。
そして何故、武具店に行くのか、と言うと、ライルの我侭が発端だったりする。
剣を持ちたい、と言ったライルに、まだ早いから、という理由でフェリスがやんわりと駄目と諭したのだが、そこはやはり子供。
「やだやだやだー! 僕もおとーさんみたいに剣もつのー!」
そう言いながら駄々っ子の奥義中の奥義、床に寝そべって両手足をじたばたと暴れさせるあれを遣られてしまったのだ。無論、そうしたからと言ってフェリスが許す筈も無く、逆に声を荒げてしまったのだが、言われて大人しく成る筈もなく、駄々を捏ねるのが更にヒートアップしただけだった。
そして、仕舞いには「おかーさんなんかあっちいけー!」とか「だいっきらいだ!」などと言い始め、ついには「おかーさんはひとりでかえれー!」とまで言う始末。しかも、そんな事を言われたのは初めてなのか、フェリスは愕然とした表情で、その場に崩れ落ちてしまい、さめざめと泣き始めてしまったのだ。
流石の俺もこれには慌てた。なんせ、彼女が泣いた所を見たのは初めてだったからだ。
その原因を作ったライルは知らん顔で俺の脚にしがみ付いているが、これが良い筈はないので、優しく諭して彼女に謝らせる様に仕向け、どうにか彼女を立ち直らせる事には成功した。
そして、きちんと謝ったライルには、ご褒美、という事で剣を買ってあげる事にしたのだ。
その時のライルの喜び様と来たら、飛び上がって全身で嬉しさを表す程だったが、逆にフェリスは不満そうな顔を俺に向けて、何か言いたげな素振りを見せていた。
だが、俺も無条件で甘い顔を見せはしない。
剣は不用意に振り回せば危険極まりない代物だ。人を傷付けるだけでなく、下手をすれば自分自身や身内にさえ不幸を振り撒きかねない。
だからその事を分からせた上で、何故剣を持つのか、それをどう使うのかを教えて、今はこれだけを守ってくれればいいと思い、一つだけ約束させた。
この先時が経てば、約束は増えて行くのだから。
それは、自分の為ではなく〝誰かを守る為に使う〟と言う事。
そんな訳で十分ほど歩いた所に、教えられた店はあった。
掲げる看板には盾と剣が描かれ、遠目にもそこが武具屋だと直ぐに分かる様に成っていて、入り口の扉には、盾の前に交差する剣が描かれていた。
「ここか……」
若干緊張しながら俺は扉に手を掛けて開ける。
すると、武具店独特の鉄と油の匂いが鼻腔を擽り、思わず口元が緩んでしまった。
「こんにちわー」
俺が声を上げるよりも早く、ライルの明るい声が店内に木霊すると、奥の方から、無精髭を生やした気だるげな表情の中年のおっさんが顔を出した。
「んー、ここは家族連れで来るとこじゃねえぞお」
そう告げる声にも、覇気がまったく感じられない。
しかし、そんな事でライルのテンションが下がる筈も無く、満面の笑みを向けて更に元気な声を投げ付ける。
「おじちゃん! 僕、剣をかいにきたよ!」
男は一瞬、キョトンとしたものの、直ぐに表情を和らげると、先程とは打って変わって明るい声を投げ返してきた。
「そっか、ぼうずが剣を買いに来たのか。こりゃ、おじちゃんが良いのを選ばなくちゃいけねえな」
言いながらも目線を向けて来たので、俺達は目礼を持って挨拶とした。
「よーし、それじゃあ、先ずはぼうずのお父さんの剣を見せてもらおうかな」
「いいよー」
勝手に話を進めるとは、我が子ながら恐ろしい。
「いいか?」
断りを入れてくる男に頷き返し、俺は腰から吊るす剣を外して、鞘ごと渡す。
「ずいぶんと重いな」
そう言いながらも、鞘から剣をゆっくりと抜いた男の表情は、驚嘆に彩られ始めていった。
「こ、これは――! ミスリルの剣かっ!」
完全に抜き放つと、刀身に輝く瞳を走らせ、口元には笑みさえ浮かべている。
「見事だ……。こんなにも見事なミスリルの剣を見たのは、初めてだぜ……」
そうして暫くの間、笑みを浮かべながら舐める様に眺めた後、元に戻して溜息を付き、俺に戻して来る。
「それにしてもお前さん、こんな剣を良く手に入れられたな」
再び腰に吊るし直しているとそんな事を聞かれたので、少し迷いはしたが、別に隠すほどの事ではないか、と思い、手に入れた経緯を簡潔に話したのだが、それを聞いていた男の顔が、見る間に驚愕の表情へと変わっていった。
「ハ、ハロムド――だと?! 錬鍛の魔術士と呼ばれるあのお方から渡された、というのかっ!」
錬鍛の魔術士とか、凄い二つ名持ってんだな、と妙な感心をしたが、男の話は止まる気配を見せ無い。
「お前さん、いったい何者なんだ――?。あの方自らが渡すなど、誰からも聞いた事がねえ。しかも、これ以上ない逸品にしか見えねえそれが、完成品じゃねえって、どういうこった……?」
限界まで見開かれた瞳で俺を凝視する男の目は、突如目の前に現れた得体の知れない者を見て、信じる事が出来ない様に感じられた。しかも、そんな有様にも関わらず瞳は輝き初め、探究心を抑えきれないのか、ゆっくりと俺に詰め寄り、両肩をがっちりと掴んでいた。
「なあ、何故、あのお方がそれを渡したんだ。何で、お前さんにしか扱えないんだ。どうやったら、それ以上の物が造れるんだ。――知ってるなら、教えてくれ!」
この剣を渡されたのは、剣が泣いたから、というのが理由だし、これが未完成でその先が有るなど、鍛冶の知識が無い俺に聞かれても答えられる筈がない。
だから、ただ、首を振る事しか出来なかった。
「そう、だよな――。分かる訳、ねえ、よな……」
がっくりと肩を落とす男に、俺は掛ける言葉を持ち合わせていなかった。だが、そんな男に向かって、ライルの朗らかで温かみのある声が浴びせられた。
「おじちゃんならつくれるよ!」
何の根拠も無い一言。
でもそれが、ライルの笑顔と合わされば、力強い励ましの言葉となって降り注ぐ事請け合いだ。
それが証拠に男の顔には見る間に力が漲り、その瞳の輝きを増していたのだから。
「そうだ、そうだよな。おじちゃんがぼうずの剣を選ぶんだもんな!」
「うん!」
男はしゃがみ込んでごつい手でライルの頭をガシガシと撫で、撫でられるライルは嬉しそうに目を細めていた。
そして、ライルに真剣な眼差しを送りながら、その肩に手を置く。
「俺がぼうずに相応しい剣を四日――いや三日だ、三日で造り上げる。それまで、待っててくれるかい?」
暫く男の顔をジッと見詰めていたライルだったが、天使もかくや、と言わんばかりの笑みを湛えて頷いた。
「うん! まってる!」
その返事に男は力強く頷き、拳を握り締めて立ち上がり、全身に気合を漲らせている。
「よし! 最高の一品を造り上げてやるぜ!」
俺達に背を向けて奥へと戻って行くが、足を止めて振り向き、口元に不敵な笑みを浮かべると、小さく、だが、力強い宣言を発する。
「三日後にまた来てくれ。そんときゃ、俺が造り出せる最っ高の品を拝ませてやるぜ」
「分かった。楽しみにしてるよ」
「おじちゃん、がんばれ!」
「おう、任せろ!」
片腕を上げてライルの声援に答えると、満面の笑顔を残して奥へと消えて行った。
「んじゃ、帰ろうか」
「うん」
「俺はここまで何しにきたんだ?」
「それを言ってはいけません」
半ば呆れ顔のフェリスが溜息交じりにそんな事を呟き、教授は苦笑を漏らしていた。
でもそれを言ったら俺だって何しに来たの分からない。
剣を見せ、驚かせて落ち込ませただけだし。
それに、そこから回復させたのは俺達じゃなく、ライルな訳だしね。
そして、その後の帰り道もライルの独壇場だった。
子供は天使、と良く言われるが、ライルの笑顔が正にそれで、侮蔑の視線を悉く微笑ましい視線に変えて見せてくれた。
その笑顔の理由は俺達三人しか知らない。だから、と言う訳ではないがライルが受ける視線の半分は俺達にも注がれ、その視線を心地よく感じて、笑みを零すのも自然な成り行きというもの。そして、俺達の笑みを見てライルの笑顔が更に輝きを増したのは、言うまでもない。
「おとーさん、僕に剣をおしえてね」
突然そう言われた俺は、途方に暮れ、フェリスと教授は顔を背け、笑いを噛み殺していた。
寧ろ俺が教わりたいんだが、どうすりゃいいんだ?