疑惑が沸き始めました
ライルが人化した事で宿の料金が増えるかと思い聞いたのだが、それは杞憂だった様だ。
バロールさんは笑いながら「ガキは人数に入らねえよ」と言ってくれたので、それでは、と言う事で甘えさせて貰う事にしたのだ。
それと彼の服についてだが、これは、フェリスと教授とライルに俺の四人で買いに行く事に成った。
本当は教授と俺だけで行く心算で居たのだが、ライルが一緒に行く、と駄々を捏ね、フェリスが何とか諭そうとしたものの、差別とかそういった物に無縁の子供には理解出来る筈も無く、仕舞いには「僕が一緒じゃやなの?」と涙目になられてしまい、こちらが折れる他無かった。
泣く子と地頭には勝てぬ、とは良く言ったものだ。
そう言う訳でフェリスも着いて来る事になり、バロールさんから事前に連絡も入れて貰って、あの服飾店へと出向き入ろうとした所、彼女とライルが店員に入店を断られてしまい、少し困惑したが、程なく姿を見せたオーナーさんのお陰で入店が許可され、俺は胸を撫で下ろした。
ただ、店員を納得させた理由が、俺があの服を着て半日街を歩いただけで、売り上げが倍増した、とかいう理由だったのには苦笑いしか出て来なかった。最も、売り上げに貢献した者の連れを入店させないなど、倫理に悖る、とかご大層な事も口にしていたので、要は、売り上げが上がったからそのお礼、と言う事のようだ。
入店後の服選びはフェリスとライルの自由にさせ、嬉しそうに服を見て回る二人を眺めながら、目を細めていると、突然、オーナーさんがぽつりと呟いた。
「以前は人と亜人のご夫婦も多かったのよね」
昔を懐かしむような、そんな気配を漂わせる彼女に少し驚いて顔を向ける。
「そうなんですか?」
彼女は小さく頷き、目を細めながら、懐かしそうな表情を作った。
「うちはね、元々亜人向けの商品が多かったの。今でこそ人用のが主だった商品になってるけれどね」
だが、直ぐに寂しそうな表情へと変わる。
「そうだったんですか。でも、何でそうなってしまったんです?」
嬉しそうにはしゃぐ二人を眺めながら、彼女はまた口を開く。
「あの御触れが出されてから少しずつ減っていってね。二年くらいしたら、来なく成っちゃったの。お陰で店は傾き掛けちゃうし、持ち直すまで大変だったわよ」
肩を竦めて苦笑いを浮かべていた。
彼女が口にした御触れは、たぶん、奴隷解放と関係が有るのだろう。
「その御触れって何なんです?」
思い切って聞いてみる。
「あなた、知らないの?!」
目を丸くされてしまったが、こればっかりは仕方ない。俺はこの国の人間ではないし、こっちの世界に来たのだってまだ、数ヶ月なのだから。
「ええ、俺はこの国出身じゃありませんしね」
肩を竦めて苦笑を漏らすと、彼女は一応、納得した様で「それなら仕方ないわね」と呟いていた。
「出された御触れはね〝犯罪奴隷を除く奴隷の亜人種に給金を支払う事〟なのよ。それも一月に支払う額は、最低でも銀貨十枚って決められてたの。これって、人に比べれば凄く安いのだけれど、これを聞いた奴隷の亜人種達は喜んだ、と聞いてるわ。当然よね。だって、今までタダで扱き使われてたんですもの。でもね、それとは逆に良く思わない者達も居たのよ」
彼女の目が、分かる? と問い掛けてくる。
「奴隷を囲っている人、まあ、この場合は貴族とか一部の商人辺りでしょうね」
彼女は頷き、話を進める。
「あなたの言うとおり、そいつらが一斉に反発したの。でも、皇帝陛下直々の御触れだから表立って意義を唱える者は居なかったみたいだけどね」
そりゃ反発もするだろうな、と俺は思った。
今まで無給で働かせていたのに、急に給料が発生するなんて、奴隷を使う意味が無くなるからな。
「しかし、それでしたら少し位は奴隷を見掛けても良い筈ですが?」
今まで話を聞いているだけだった教授が、いつもの柔和な表情ではなく、若干険しい表情を浮かべ、口を突っ込んでくる。
「それは俺も不思議に思ってたよ。差別がきついだけで居なくなるのはおかしいからね」
ベルンに着てから抱いていた違和感。それは差別がきつい、という事ではなく、奴隷制度があるのに奴隷をまったく見掛けない、という事だった。
「それは私にも分からないわ。ただ、奴隷を殆ど見なくなったのは数年前からって事だけね」
「それは急に、なのでしょうか?」
教授がすぐに疑問を差し挟む。
だが、彼女はそれに首を振った。
「気が付いたら、って感じかしらね。そもそも、私達みたいな庶民には縁が無いし、縁が有ったとしても、知り合いが借金の形に奴隷に落ちた、ってくらいだから」
確かに庶民には関係ないし、関係する事もまず無い。彼女が知らなくても当たり前だろう。ただ、差別が急に強まった事と、奴隷が居なくなった事は何かしらの関連性が有るとしか思えない程、奇妙にも時期的に一致している。
「教授、これって……」
険しい表情を崩さずに、教授は頷いた。
「ええ、何か有りますね」
首を突っ込む気は無いが、どうにも気に成って仕方が無い。でも、これ以上何かを探れば確実にやばい気がしてきたのも事実だ。
「あなた達、何かやらかす気じゃないでしょうね?」
オーナーさんが怪訝な表情で俺達を見た。
「しませんよ。第一、一介の冒険者に何が出来るっていうんですか」
肩を竦めて苦笑いを見せる俺に「それならいいけど」と少し安堵した表情を見せる。
それに俺には、ユセルフ王国で待つ二人とお腹の子の為にも無事に帰る、という役目がある。そうそう厄介ごとに巻き込まれる訳にはいかなかった。
「おとーさん、これみてー」
重苦しい空気を吹き飛ばす様に、ライルの明るい声が響き、顔を向ければ、
「おんなじー」
小走りに近付き足に抱き着いたその姿は、コートも含めて俺とまったく同じ物を着込んでいた。
「これって……」
俺が少し驚いていると、
「あら、まだ残ってたのね」
懐かしさを含んだオーナーさんの声が漂った。
「残ってた?」
「ええ、昔、といってもそれほど前では無いのだけれど、まだ亜人の人達がうちに来てくれていた頃、その人達に伝わる御伽噺の中の二人の剣士が着ていた、と言われる物を作ったの事があるの、子供向けにね」
「それってまさか……」
「そ、今のマーちゃんの格好が正にそのうちの一つなのよ」
その御伽噺は簡単に言うと、光と闇の剣士の物語で、そこに人族が登場して、闇を消してしまおうと画策するのだが、結局は叶わず、自分達の一生のうち半分は闇に閉ざされてしまう、というお話だった。
最も、この半分、と言うのは寝ている時間の事らしいので、別に何がどうという訳でもないのだが、話全体から読み取れる事は、人族は狡賢いから気を付けなさい、という戒めの様に感じられた。
そして、その中に登場する闇の剣士、と言う者が、俺が着ている物と同じ姿で描写されている、と言う事だった。ただ不思議な事に、物語の中には服装などに関する描写は一切ない、と言う事なので、今もって何故その描写が成されているのか、分かっていないらしい。
「おとーさんは強いんだよ! ゴンおじちゃんにも勝っちゃったんだから!」
突然オーナーさんに向かって、ちょっと不貞腐れた感じのライルが言う。たぶん、光の剣士に闇の剣士が切られた件への反論なのだろう。
「そっか、強いからおんなじ格好をしたいのね」
オーナーさんは腰を落とすと、ライルと目線を合わせ柔和な表情を向けた。
「うん、僕もおとーさんみたいに強くって優しくってお馬鹿さんになるんだ!」
彼女は一瞬呆けた後、盛大に笑いを放ち、ライルは不思議そうに首を傾げている。
お馬鹿さんにはなっちゃ駄目だろ……。
「この子の言うお馬鹿さんは親馬鹿って事なんですよ」
俺は苦笑いしか出て来ない。
しかし、俺の顔を見る度に笑いを復活させ、先ほどまでは不貞腐れていた店員もお腹を抱えて笑い、隣を見れば、教授までもが笑っていた。
なんだかなあ……。
三人はまだ笑っていたが、遠慮がちな声で俺を呼ぶ声が聞こえたので顔を向けると、フェリスが試着室から顔だけを出していた。
「ちょっといいか?」
呼ばれて彼女の所まで行くと、閉じていたカーテンをゆっくりと開け、彼女にしては珍しい、はにかむ笑顔を向けて来た。
「似合う――か?」
その姿は、露出の多い何時もの服ではなく、晴れ渡る秋の空を思わせる蒼を基調として、縁取りに金糸を極僅かに配した、シンプルなドレス姿だった。
派手さの無い落ち着いた雰囲気の服と、その色に良く映える虹色の髪、そして金糸と同じ金色の瞳。初めて見るそれに俺は、言葉を失ってしまった。
そして後ろから、
「良くお似合いです」
教授が褒める声が流れた。
「そ、そうか?」
頬をほんのりと染めてはにかむ彼女は、少女の様なあどけなさを醸し出し、俺を更に無口にさせる。
「おかーさんきれー」
無邪気に褒め称えるライルに、フェリスは笑顔を向けた。
「ほんと、お子様が居るとは思えないほどですわね」
オーナーさんも目を細め、店員さんに至っては目を見開いてあんぐりと口を開けたまま固まっていた。
「そういう服も良く似合うな」
気を取り直して俺は、眩しさを乗せた笑顔を向け、彼女を見詰めた。
「そ、そんな顔で見るんじゃねえ! は、恥ずかしいじゃねえかよ……」
その声には何時もの迫力が無い。最も、口元には笑みが浮かんでいるのだから、言うほど満更でも無い様だ。
「気に入ったのなら買っていいよ」
フェリスが少しの驚きを瞳に乗せて、問い返して来る。
「ほ、本当にいいのか?」
それに笑顔で頷き返すと、一面に花が咲いた様な満面の笑顔になった。
ただ、フェリスにだけ服を買って、他の皆の分を買わない、というのは少々不公平だと思い、ほんの少し考えた俺は、オーナーさんにある事を提案してみた。
「宿まで出張販売って出来ません?」
連れて来られない彼女達の為に、と思った事なのだが、言われたオーナーさんは暫く腕を組んで黙考していたが、大きく頷くと、
「いいわよ。ボンクールのとこでしょ? あ、でも確か今、賓客が――って、あなた達がそうだったわね。でも、なんで出張販売なの?」
「俺、他にも妻がいるんで……」
「僕、おかーさんいっぱいいるんだよー」
俺は申し訳なさそうに、ライルは嬉しそうに両手を広げて告げた。
「あら、それなら全員連れてくれば良かったのに」
そんなオーナーさんの提案には、ちょっと困った表情を取ってしまった。
「どうしたの?」
この人になら素直に話しても問題ないだろう。
「実は、全員亜人なんですよ。だから連れて歩けないんです」
彼女は微かに驚きを見せはしたが、直後「そうだったの」と納得してくれていた。
これで皆の笑顔が見れる、と嬉しくなって自然と笑みを零れ落とす俺に、目の前の彼女の表情が切り替わる。
「そういう事なら、喜んで出張させてもらうわよ。ただし、料金はちゃんと頂きますけど」
そこにはふざけた様子など微塵も無い、商売人の笑顔があった。
やっぱり、自分の店を持ってる人はこうなるか。
「だいじょーぶ! キシュアおかーさんがお金持ちだから!」
ライルのこの発言に俺は、苦笑いしか浮かべる事が出来なかった。
子供って良く見てるんだなあ……。




