平和って素晴らしいと思いませんか?
街を見て回れない彼女たちの今の唯一の楽しみは、郊外へ出る事だ。そして、出る、という行為は必然と依頼を熟す、と言う事にもなる。
だが、今日だけはゴンさんとマリエに依頼の方は任せてしまった。
それは俺からの要望で、ピクニック気分に浸りたい、と伝えたからだ。ただ、任せっぱなしにするのも悪いと思い、俺達も手伝ってから、と言った事はやんわりと断られてしまった。
その理由が、ゴンさんは違約金の分を少しでも取り戻したいから一人で遣りたいと言う事で、マリエはまだ家族では無いから、と言う事だった。
それを聞いた俺は、遠慮しなくてもいいのに、と思いもしたが、敢えて口には出さなかった。それは、二人の気遣いが痛いほど感じ取れたからだ。
そうしたお陰で俺は今、少し小高くなった丘の上に腰を下ろし、景色を眺めていた。
雲一つ無くどこまでも広がる蒼い空と、遥か高みを行く鳥達、頭に白い綿毛を被った山の連なりに、この季節でしか見られない鮮やかな木々の色。そして、こっちの世界にも居る赤トンボや蝶等の虫達。
それは、あっちの世界と同じ秋の装い。
そんな風景は自然と郷愁を思い起こさせ、俺の胸は微かに痛んだ。
帰りたい。
そして、そんな思いが強烈に浮かんだ。
だが、俺はもう、帰る訳にはいかない。
短い間では有るけれど、多くの鎖を繋いでしまったから。
それに、この世界には、すでに断ち切る事の出来ない鎖が出来てしまっている。
俺とアルシェの子という、決して切ってはいけない鎖が。
そしてその鎖は、これから、いくつも増えていくのだろう。
これだけ愛しい女性達に囲まれているのだから。
「浮かぬ顔をしてどうしたのじゃ?」
左隣に腰を下ろしてウェスラが顔を向ける。
「ん、ちょっとね」
俺の曖昧な返事に、彼女は首を傾げて不思議そうな表情を見せた。
彼女には悪いが、今の心情を話す訳には行かない。何故なら、酷く傷付けてしまう筈だから。
「まあよい。話したくなくば話さぬでも。じゃが、出来る事なら話して欲しいと思うのは、ワシの我侭なのじゃろうな」
少し寂しそうな笑顔を向けられてしまった。
「何時か話せる時がくれば話すよ。それまでは、俺の胸の内に仕舞って置くさ」
「ならば、首を長くして楽しみに待つとしようかの」
それが何時に成るかは分からないが、笑って話せる様になれば良いと、思った。
「それにしても長閑だな」
「それはマサトだけだ」
声に振り向こうとした途端、首に腕が巻かれて、キシュアの顔がすぐ横に並んだ。
「忙しいのか?」
「マサトに抱き着くのでな」
幸せそうな表情で猫の様に頬を摺り寄せてくる。
「それは忙しいとは言わないと思うぞ」
でも、有る意味、幸せを噛み締めるのに忙しいのかも知れない、と思うと、自然と笑みが零れた。
「わらわの気持ちが分かった様だな」
「――ああ」
幸せは人夫々、色々な形がある。そして、何が幸せなのか分からないからこそ、今という時間を感じて噛み締めるのだろう。
「隣、いいですか?」
「駄目、とは言えないかな」
一瞬、息を呑む気配がしたが、すぐに安心しきった様な息遣いが聞こえて、俺の右隣にローザが腰を下ろした。
「お天気がいいと気持ちいいですね」
そんな何気ない話を振られ、俺は軽く笑ってしまった。
「何が可笑しいんです?」
ほんの少しだけ不満そうな声音を乗せ、彼女は問い掛けてくる。
「いや、平和だな、と思ってね」
「平和、ですか?」
「ああ、こうしていると、剣を持ち歩いてる事を、忘れてしまいそうなくらいね」
こっちの世界は少し、物騒だ。でも、こんな気持ちに成れるのも有る意味、この世界だからこそなのかもしれない。
あっちの世界、特に俺が居た日本では、平和過ぎてそれを実感出来ない事が多かった。穿った見方をすれば、危険に対する感覚が麻痺してしまっているとも言える。
なら、今の俺は、貴重な経験を積んでいる、と言っても良いのだろう。
「はい、マサトくん。これ」
正面に腰を下ろしたリエルから差し出された物をみて、俺は目を丸くする。
どうやったら、あれがこうなるのだろうか?
「凄いでしょう?」
「まあ――、凄い、というより、どうしてこうなる? って感じだけど……」
リエルから渡された物は、以前の面影が一切残っていない愛用の短小砲だった。
数日前、女装で宿に戻った時、荷物を勝手に漁りそれを見付けて目を輝かせていたので、好きにしていいと言ったのが運の尽き。
「じゃあ、改造していいのね!」
煌く笑顔でそう言われてしまい、その時は苦笑と共に頷く事しか出来なかった。
最も、後から考えてみれば、少々不味ったかも知れない、と思ったのも確かだ。しかし、俺は了承してしまったし、ならば、後は野と慣れ山となれの心境に変わり、楽しみに待つ事にした。
そして今、出来上がった物が手の中にある。
それはロマン漂うリボルバーから、現代兵器然としたオートマチックに変貌していた。
改造、というよりも新造と言った方がいい短小砲を眺めながら、リエルの熱の篭った説明を右から左へと聞き流し、どこに弾が収まっているのかを確認したが、まんまあっちの世界のオートマチックと同じだった。そして、こっちの世界でも人が考える事は同じなんだな、と妙な関心をしてしまった。
それにしても、よくこんな短い期間で作り変えたもんだ。
「でね、使い方なんだけど――」
「ああ、それは分かるから大丈夫」
「そお? ならいいけど……」
説明が出来なくて不満そうだが、これ以上は勘弁してもらおう。のんびりと過ごしている今は、この手の話は無粋だしね。
手にした物騒な物を腰のホルスターに仕舞い込む。
「おとーさーん!」
不意にそんな声が響き、俺は辺りを見回すが、お父さんと呼ばれるような人は居ない。
「人になれたよー!」
嬉しそうに叫びながら、すっぽんぽんの男の子がこちらに駆けて来る。
その子は俺の小学校一年生くらいの時と同じ背丈で、まるで子供の頃の自分が写真から抜け出てきたのかと思うほどそっくりだったが、髪の色と瞳の色だけは違っていた。
太陽の光を跳ね返し銀色に輝く髪に、目にはその太陽を嵌め込んだ様な円らな金色の瞳。
そんな男の子が据わる俺目掛けて満面の笑みを湛えながら勢い良く抱き付いて来て、その勢いを受け止めきれずに後に倒れ込みそうになったが、背後から抱き着いているキシュアが旨く支えてくれた様だった。
「できたできたできたー! 僕も人になれたー!」
「お、お前、ライルかっ!」
顔を俺の胸に押し当て元気に頷き、嬉しそうに摺り寄せては、できた、と喜びを叫ぶその姿を見ていると、何故かこっちも嬉しくなって来るから不思議だ。
「見事な程マサトそっくりだな」
「うむ、本当の親子のようじゃ」
「ふふふ、可愛らしいですね」
「こっちまで嬉しくなっちゃうわね」
口々に募る彼女たちの声音からは、優しさが滲み出ていた。
よくもまあ、たった二日で出来る様になったものだ、と感心してしまった。確かにフェリスがすでに人化が出来る筈だ、とは言っていたが、こんなにも簡単に出来るとは思っても居なかった。
最も、彼女が教えていた時は、一向にその気配が無かったのだから、これは教授の教え方が良かったと見るべきだろう。
「大丈夫か? 疲れてたりしないか?」
ライルが人化出来る様になった事は、俺としても正直、嬉しい事だ。だが、それでこの子が疲弊したり、寝込んだりしないかと、ふと、心配になったのだ。
「ぜんぜんへいきだよー」
愛らしい笑顔で大丈夫だと言ってくるライルだが、子供は得てして大丈夫ではなくても大丈夫と言う事もあるので、顔を上げてフェリスの方へと目線を飛ばすと、教授と二人して笑顔で頷いていた。
「そうか? ならいいんだけど……」
それでも一抹の不安は拭えない。
「親馬鹿にも程があるぞ」
苦笑を漏らすキシュアに言われてしまい、
「それは仕方ないじゃろ。血の繋がりは無いとは言え、大切な子なのじゃからの」
ウェスラはとても柔らかく、慈愛に満ちた光を乗せた瞳をライルに向け、
「わたしも早くマサトさんの子供が欲しいです」
暖かな笑みを見せるローザはそんな事を言いながらも、ライルの頭を優しく撫で、
「あたしはもう少し、このままでもいいかな。だって、ライルちゃんは皆の子供なんだし」
微笑に喜びを乗せて、リエルはそんな事を言った。
そして――、
「殿下は幸せですね。こんなにも沢山のお母様が居るのですから」
いつの間にか傍に来ていた教授が、喜びを隠す事無く募り、
「マサトに出会えた事を、俺も感謝しねえといけねえな」
大輪の花火の様な明るい表情で、フェリスは喜びを全身から滲ませていた。
皆の笑顔に囲まれたライルはその表情を一層綻ばせ、小さな太陽の如く煌く笑顔で、
「僕もおとーさんの子供になれてうれしい!」
力いっぱい抱き付いて来た。
嬉しさを全身で表すライルを見ていると、ほっこりとした優しい気持ちになり、自然と笑みが零れる。
「俺もライルの父さんに成れて嬉しいよ」
小さな背に腕を回し、少しだけ強めに抱き締めると、嬉しそうに目を細めていた。
「でも、服を何とかしないとな」
流石にこのまま、という訳にはいかない。
「それでしたら宿に戻るまでは私の幻術を使いますので、心配はいりませんよ」
すかさず教授が合いの手を入れてくる。
やはりこの辺は抜かりない様で、流石としか言いようがない。
「それじゃ、戻ったら服を買ってこないとな」
「じゃあ、僕はおとーさんと同じのがいい!」
これには全員が苦笑いを漏らしてしまった。
「そっか、父さんと同じがいいのか」
「うん!」
ただ、そう言われた俺は嬉しくて仕方がない。お陰で表情が緩みきってしまった。
「やはりマサトは親馬鹿だな」
「え? おとーさんって、お馬鹿さんなの?」
キョトンとした顔で、俺とキシュアを交互に眺めて不思議そうにしている。
「ライルの父がお馬鹿、と言うのはの、おぬしを可愛がり過ぎる、という意味なのじゃよ。じゃからそのお馬鹿とは違うのじゃよ」
ふーん、そっかあ、と分かったような分からない様な、曖昧な表情になってはいるが、とりあえずは違う事だと、理解はしたようだ。
「おーい、採取終わったぞー」
そこへゴンさんの声が飛び込んで来ると、素早くライルの顔がそちらに向き、表情を笑顔に戻して俺から離れ駆け出して行く。
「ゴンおじちゃーん! マリエおかーさーん!」
嬉しさを声音に乗せて子供とは思えない速さで近付き、飛び付くか、と思いきや、体当たりをぶちかましてゴンさんを吹き飛ばしていた。
ただ、まだ俺と結婚をしてないマリエを母と呼ぶのはどうかと思いもしたが、彼女は嬉しそうに微笑を湛えていたので、良しとしよう。
「なあ、もしかしてライルってさ……」
「ああ、見た目はちっちぇえけど、意外と力は強えぞ」
やはり人の子とは次元が違うようだ。
それにしても、ゴンさんと交わす会話は何とかならないのだろうか。
「てめえ、どこのガキだ!」
ゴンさんが吠えれば、
「ライルだよー」
ライルは嬉しさいっぱいで答え、
「はああああ?!」
それにゴンさんが驚き、
「僕、人に成れたんだよー」
ニコニコ顔のライルに驚愕の目を向けながら、
「勝手に人になってんじゃねえ!」
アホな事を叫んでいる。
しかも、同行していたマリエは驚くどころか、溜息を着いて首を振っている始末。
何だかんだ言いつつも、彼女も馴染んで来ている様だった。
そして、ライルに弄られるゴンさんを置いて、マリエだけがこちらに来ると、
「まさか、あの子があのフェンリルなのか?」
少しだけ驚く素振りを見せてそう問い掛けて来たので、俺は頷いておいた。
「――貴殿と居ると、常識、と言う物が分からなくなりそうだ」
ただ、そうは言ったものの、肩を落とす訳でもなく、暖かな笑みを浮かべてじゃれる二人を眺めていたので、言うほど分からない訳でもなさそうだ。
「それじゃ、二人も戻って来た事だし、帰ろうか」
皆にそう告げて腰を上げると、教授に目配せをしてから、声を張り上げた。
「ライル! 帰るぞー!」
ゴンさんを組み伏せていた顔が上がると、すぐにこちらに向かって来て、俺目掛けて飛び着き、それをしっかり受け止めると、教授がすぐに幻術で衣類を作り上げた。
「わー、おとーさんと同じだー」
一瞬にして纏った服を見て、ライルは歓喜の声を上げ、教授はそれに満足した笑みを浮かべ、皆も微笑ましい眼差しを向けるのだった。
そしてその笑顔に囲まれる俺は思う。今日の一番の収穫は、皆のこの笑顔だと。
だって、プライスレスなんだから!