極意を掴め?
「これも良いですね」
教授はカラフルな、というより派手な色使いの服を手に取るが、俺の目から見ると適当にペンキか何かを塗りたくった様にしか見えない。最も、庶民の着る物等、総じて単色で淡い色合いの物ばかりなのだから、これはこれで珍しくもあるが。
「教授にはこっちのが似合うと思うけど?」
俺が手にしたのは真っ白、とまでは行かないが、かなり淡いベージュ色のワイシャツの様な服だ。
「せっかく選んで頂いて心苦しいのですが、私はその色はどうも……」
教授は申し訳なさそうに、少し困った表情をみせた。
まあ、こればっかりは好みもあるから、俺の感覚で押し付ける訳にもいかないので、別に気にする事ではないと思う。
「そっか、それじゃあ――」
*
俺と教授は今、二人で服選びをしている真っ最中だ。
実は今居るこの店は、バロールさんに教えてもらった極普通の服飾店。
俺はセルスリウスでの苦い経験から、絶対、あんな筋肉達磨の居ない店、とリクエストをしたら、苦笑を漏らしながら教えてくれた。
ちなみに、もう一軒の方は筋肉達磨が居るらしいのだが、店の規模と品揃え、それにデザインでも今居る店よりも優れているそうな。
しかし、どんなに優れていようとも、どれ程商品数が多かろうとも、自ら猛獣の顎門に飛び込む気など毛頭無い。
そんな訳で、色物が君臨する店は避けてこちらへと足を運んだのだが、中々どうして、結構な品数が置いてあるし、意外と男物が多いのもポイントが高い。なので、先ほどから教授と二人してアレコレ悩みながら楽しく選んでいた。
「これなんかどうだ?」
今度手にしたのは、スタンディングカラーの墨の様に真っ黒な服――要は襟の無いワイシャツだ――を広げて見せた途端、教授の目が輝きだした。
「それ、良いですね!」
一発で気に入ってくれた。
でも、それだけでは、と言う事で、更に選んでいく。
同じデザインで赤と紫、それとピンクと、先ほどの黒を含め四つ。
下に合わせるズボンは、黒のスラックスと限りなく白に近いベージュ。
何故かは分からないが、ズボンは白っぽくても良い様だった。
そして、上に羽織るコートは皮ではなく、綿に近い素材の黒のロング。
最後に足元はミドルブーツを合わせる。
ま、靴だけはどうしても汚れとかの関係で、黒の皮になっちゃったけどね。
でも、ローリー教授は物凄くウキウキした様子で、颯爽と試着室へと消えて行った。
そして、待つ事数分。試着室のカーテンが開くと、そこにはとんでもない優男が居た。
「どうですか?」
にっこりと微笑むその表情は、見る者すべてを蕩けさせそうな程、輝いて見える。
それを見た俺は、似合い過ぎてやばい、と思ったのだけれど、そんな事を表情に出す訳にもいかず、
「うん、いいんじゃないか?」
普通の対応をしたのだが、それと同時に、俺の背後で何かが倒れる音がして振り向くと、そこには幸せそうな表情で鼻から赤い物を流して気絶する、女性店員が居た。
あ、やっぱこれやばいかも。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
俺が動くよりも早く教授が店員さんの傍に跪き、その身を抱き抱えて声を掛ける。
なんて絵になる男なんだ! こんちくしょう! 元は魔獣の癖に!
そんな風に思いもしたが、俺も傍らに寄り、覗き込んで声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
俺達の声と、目覚めを促すように教授が優しく揺すった所為なのか、彼女の瞼がゆっくりと開いていく。
だが、次の瞬間、さらに赤い流れを迸らせて、昇天してしまった。
あ、やっべえ。
「マサト殿、如何いたしましょう?」
ここはもう、この店のオーナーさんを呼ぶしかないか。
「すみませーん!」
声を張り上げてから僅かな間を置いて、奥から妙齢――と言うには少し歳が行っているかもしれないが――の美女が顔を出し、俺達に訝る表情を向けてくる。
「この人が倒れてしまって……」
教授が抱える女性を彼女の目が見止めた瞬間、少し困った表情でおっとりと出てきた。
「もう、しょうがない子ねえ。綺麗な人を見ると何時もこうなんだから」
そう言うや否や、襟首をむんずと掴み、荒っぽく引き摺って奥へと連れて行ってしまい、その余りにもぞんざいな扱いに、俺達は顔を見合わせて、引き攣った笑みを浮かべる。
「と、とりあえず、お金払って出よっか」
「そ、そうですね」
どちらからともなく立ち上がり、手にした商品を持ってカウンターへと行き、奥へ向かってまた、声を掛けた。
「会計お願いしまーす!」
「はーい、って、あら、あんた達――」
先ほどの女性はマジマジと俺達を眺めた後、口元に何やら怪しい笑みを浮かべ始め、
「ねえ、ちょっとした条件を飲んでくれれば、それ全部タダでいいわよ?」
タダ、と聞いて俺は、気持ちが斜め四十五度以上揺れた。それはもう、立っているのが不思議なくらい。そして、どうやら頷いていしまったらしい。
それは目の前の女性の顔と態度を見れば分かる。口元だけだった怪しさが全身から立ち上り、俺は腕を掴まれ、あっという間に奥へと引き摺り込まれてしまったのだから。
*
マサト殿が支払う旨を伝えると、先ほど若い女を引き摺って行った女店主が顔を見せ、その口元に微かな笑みを浮かべてある提案を口にしてきました。
「ねえ、ちょっとした条件を飲んでくれれば、それ全部タダでいいわよ?」
私は訝しんだのですが、マサト殿は何故か頷いてしまい、その直後、女店主の顔が怪しさで満ち、彼を連れて行ってしまったのです。
ですがこの時、私はお止めすべきだったのかもしれません。
しかし、敢えて言わせて頂けるのであれば、口約束と言えどもマサト殿が了承した時点で契約は成立していますし、なら、お止めする、という選択は間違いではないかと、その時は思ってしまったのです。
最も、今はその選択を後悔してはいます。奥からはマサト殿の叫び声と、女店主の物と思われる歓喜の声が響いて居たのですから。
「うわああああ! や、やめろおおお!」
「おほほほほ、観念なさーい」
「お、おれはあああ! 男だああああああ!」
「関係ないわよー。だーって、こんなに綺麗なんですものー」
「ぎゃあああ! おーかーさーれーるー!」
「だいじょーぶよー、痛くしないからー」
ですが、命を取られる訳でも無さそうなので、ここは放って置いても問題無いと判断します。
そして、店の入り口が開く音が耳朶を揺らしたので視線だけを送ると、女性客が入って来た所でした。
無愛想な表情をしていてはいけない、と思い、目線と共に微かに笑みを浮かべて、少しだけ顔を向けたのですが、何故か呆けた表情で私を見上げて座り込んでしまいました。
顔が赤い様ですが、体調でも優れないのでしょうか?
私は女性に近付くと腰を落とし手を差し伸べます。
昔、女性には優しくしろ、と言われましね。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
微笑み掛けると、女性の赤みが更に増してしまいました。
何故なのでしょう?
「は、はい……」
ゆっくりとでしたが、手を取ってくれましたので、私が立ち上がると同時にこの女性も引っ張って立たせます。
ですが、何故かよろけて私へと抱き着いて来てしまいました。しかし、無下に扱う訳にもいきません。人は私達に比べると、脆弱なのですから。
「本当に大丈夫ですか?」
もう一度聞きます。
「は、はい、大丈夫です……」
心なしか声が弾んで居るようですから、問題は無い様ですね。
落ち着くまでは暫くの間このままでも良いでしょう。マサト殿もまだの様ですし。
私には時間という感覚が余り無いので、長いのか短いのか分かりませんが、どれ程抱き着かれていたのでしょうか。ふと、耳を澄ませばいつの間にか奥から響く声も聞こえなくなっていました。
「お待たせー。出来たわよー」
間延びした女店主の声に振り向けば、その後ろには知らない女性が顔を俯けて立って居ました。
「あの、マサト殿は……」
「この子の事?」
女店主がその女性の背に手を伸ばして前へ押し出した時、私は初めて絶句する、と言う物が、どういう事かを知りました。
「ま、さか……」
余りにも先ほどのマサト殿との印象が違い過ぎて、それ以上の言葉がまったく出なかったのです。これには自分でも驚きました。
「ふーんこの子、マサト君って言うのね。それじゃあ、この格好の時は、マーちゃん、って呼ばないとね」
それにしても見事な服です。黒を基調として所々にが透けるような生地の赤い刺繍を配し、胸元にはバラの花でしょうか、それをあしらった布を大胆に見せ、あれはスカート、という物なのでしょう。前側は膝辺りまでなのに対して、後ろは足首辺りまであり、しかも、少し不規則に折り目が付けられ、その折り目の端は大胆に切り落とした感じで、スカートの裾を刺々しく見せています。その足元のブーツは膝上まであり、踵は高くかなり細い棒の様な物で支えられていますが、それが足を長く綺麗に見せていて、なるほど、と関心させられてしまいました。
それに、マサト殿の顔には人の女性が施す化粧がしてあり、先ほどまでの彼と違い、本当の女性にしか見えません。私は人の美醜は良く分からないのですが、抱き着ている女性が「……きれい」と呟いていたので、人の中ではかなり美しいのだと、分かりました。
「素材が良いと、やっぱり出来が違うわね。うちの宣伝にはちょうどいいわ」
これが支払いを免除される条件だったのですね。ですが、これでしたらマサト殿が了承したのも頷けるというものです。
あのような服装で町を歩き、この店の服の良さを知らしめる。この程度ならば、簡単ですからね。
「流石、マサ――」
「マーちゃん」
「マー、ちゃん、です」
感心した旨を伝えようとした所、女店主に睨まれて言い直させられてしまいました。
ただ、マサト殿からは恨みがましい目を向けられてしまい、少々困惑してしまったのも事実ですが……。
「それじゃ、よろしくね、マーちゃん」
マサト殿は女店主から笑顔を向けられていましたが、その表情は沈んでいました。私は何故沈んでいるのか分からず、更に困惑してしまいました。
ですが――、
「これ、あなたが持ってね」
そんな事はお構いなし、とばかりに大きな麻袋を渡され、訳が分からず目を瞬かせてしまったのです。
「それ、マーちゃんがさっきまで着てたのだから」
それで納得しました。
「ほら、マーちゃんもいつまでもそんな顔してないで、前を向いて笑いなさい」
諦めた様な感じでマサト殿は息を吐くと、顔を上げて微笑みを見せます。それが、とても眩く感じ、私は目を細めてしまいました。
ですが、その瞬間、私に抱き着いていた女性が再び床に崩れ落ちてしまったのです。
それに慌てて跪くと、とても幸せそうな表情で失神していました。
「あらら、これはちょっと気の毒だったわね」
女店主はそういうと、失神している女性を掴んで、奥へと戻って行きますが、こちらを振り向いて、
「約束、わすれないでね」
そう言い残して消えて行きました。
「ローリー教授で良かったのかもしれない……」
私の何が良いのでしょうか? 良く分かりませんが、安心しているのは感じられました。
「店を出ようか」
マサト殿は私の脇を抜けて扉に手を掛けると、息を一つ吸い込んでから開けて外へと出て行きました。当然、私も後を付いて行きます。
マサト殿の背を見ながら、思いました。
やはり人は凄いです。魔法を使わずにあそこまで化けてしまうのですから。そして、私の未熟さを自らの身を持って指摘して頂いたマサト殿には、感謝してもし切れません。
流石、陛下が番として選んだお方なだけはあります。
こうなったら私も、とことんまでお使えして差し上げねばいけません! 幻術を超えるその変身の極意を掴むまで!